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初めての解読
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あの埃っぽい図書室の老人から禁書を譲り受けるのは、驚くほど簡単だった。
「おお、これか。持っていくつもりか?」
老人は、俺が埃まみれになって棚から降ろした黒い本を、少し離れた場所から眺めて言った。やっぱり気味が悪いらしい。
「ええ、まあ。少し興味があって」
正直に言うと、少しどころではない。めちゃくちゃ興味がある。
「ふん。誰も読めんというのに、物好きもいたもんじゃな。まあ、ただ置いておくのも場所ふさぎじゃし、持っていっても構わんが…もし呪われたりしても、わしは知らんぞ」
老人はそう言って、さっさと他の作業に戻ってしまった。どうやら本気で厄介払いしたかったらしい。ありがたいが、ちょっと複雑だ。
俺は礼を言って、ずしりと重い禁書を抱え、足早に宿屋「銀の竜亭」への道を戻った。すれ違う人々が、俺の抱える禍々しい雰囲気の本に一瞬だけ奇妙な視線を送る気がしたが、気にしないことにした。今は、この本の中身を知ることの方がずっと重要だ。
宿屋の自室に戻り、ドアに鍵をかける。普段はしないことだが、なんとなくそうすべきな気がした。テーブルの上に禁書を置き、改めて表紙を眺める。黒い革の装丁はひび割れ、角は擦り切れている。それでも、刻まれた古代文字は奇妙な威厳を放っていた。
唾を飲み込み、ゆっくりと表紙を開く。
ぱらり、と乾いた音を立てて、最初のページが現れた。そこには、やはり古代文字がびっしりと書き連ねられている。そしてそれは、俺には現代語の文章を読むのと同じくらい、すんなりと理解できた。
「すごい…本当に読める…」
思わず声が漏れる。これは間違いなく、俺だけの特別な力だ。この瞬間、俺は世界で唯一、この禁断の知識にアクセスできる存在になったのだ。
最初の数ページは、目次と序文のようだった。タイトルらしきものは『世界の理とマナの潮流について』とある。どうやら、いきなり強力な呪文が載っているわけではなく、この世界の根源的なエネルギー、いわゆる「マナ」に関する理論書のようだ。
がっかりするどころか、俺の知的好奇心はさらに燃え上がった。魔法の現象だけを切り取るのではなく、その根本原理から解き明かそうとしている。これこそ、俺が求めていた知識の探求だ。
ページをめくる手が止まらない。そこには、現代では忘れ去られた、あるいは理解されなくなったであろう、マナの性質、その流れ、物質との相互作用、そして人間がそれに干渉するための理論が、緻密な論理で記されていた。まるで、高度な物理学の教科書を読んでいるような感覚だ。いや、それ以上に根源的で、深遠な内容に思える。
特に興味を引かれたのは、「音節」や「記号」を用いたマナへの干渉法に関する記述だった。特定の発音や、特定の図形を描くことが、周囲のマナの流れを微妙に変化させ、特定の現象を引き起こすトリガーになるらしい。現代の魔法は、もっと体系化され、呪文詠唱や魔法陣といった形式になっているようだが、この本に書かれているのは、より直接的で、原始的なアプローチのようだ。
「…本当に、こんな簡単なことで影響が出るのか?」
一つの短い音節が紹介されていた。「リヒト」。それは古代語で「光」を意味するらしいが、同時に、周囲のマナに作用して微弱な光エネルギーを発生させる効果を持つと書かれている。
試してみたい、という衝動に駆られた。別に、大したことが起こるとは思えない。書かれている理論が正しければ、ほんの少し、光が強くなる程度だろう。それに、自室でこっそりやるだけなら、誰にも迷惑はかからないはずだ。
俺は部屋の隅に置いてある、バルトさんから借りている古いオイルランプに目を向けた。今は夕暮れ時で、ランプには小さな炎が灯っている。
深呼吸を一つして、俺は意識を集中し、禁書に書かれていた通りの発音を心がけて、その音節を口にした。
「…リヒト」
声は、思ったより小さく、部屋の中に響いた。
その瞬間。
ちり、と空気が震えるような感覚があった。そして、ランプの炎が、一瞬だけ明らかに色を変えた。いつものオレンジ色の炎が、鮮やかな青白い光を放ち、ほんのわずかに大きくなったのだ。それは一瞬の出来事で、すぐに元のオレンジ色の炎に戻った。
「お…」
思わず声が出る。本当に、何かが起きた。古代の理論は、間違っていなかったのだ。
「へえ、面白いな。まあ、この程度なら、特にどうということも…」
そう呟きかけた、その時だった。
ガチャリ、と音を立てて、部屋のドアが勢いよく開いた。
「透! 夕飯の準備ができた…って、おい!」
入ってきたのは、宿屋の主人、バルトさんだった。彼はドアを開けた瞬間に、ちょうど元の色に戻る直前のランプの異常な光を目撃したらしく、目を丸くして俺とランプを交互に見ている。
「ば、バルトさん…どうしたんですか、そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもあるか! 今の光はなんだ!? あのランプ、一瞬青白く光らなかったか!? まるで魔法みたいだったぞ!」
バルトさんは興奮した様子でまくし立てる。その剣幕に、俺は完全に気圧されてしまった。
「え? ああ、いや、それは…ちょっと、この本に書いてあったことを試してみたというか…」
俺はしどろもどろになりながら、テーブルの上の禁書を指差した。
その瞬間、バルトさんの顔色が変わった。彼は俺が図書室から借りてきた、あの黒い本を覚えていたのだ。彼の顔が、驚愕と、それから何か畏敬のようなものがないまぜになった表情に変わる。
「ま、まさか…その本は、あの『禁書』じゃねえか! あんた、あの本を読んだのか!? そして、今のは…古代魔法なのか!?」
古代魔法。その言葉の響きに、俺は事の重大さをようやく理解し始めた。俺にとっては、本に書かれた理論を軽い気持ちで実験してみただけだ。ランプの光が少し変わった、ただそれだけのこと。
だが、この世界の人間にとっては違うらしい。誰も読めないはずの禁書を解読し、失われたはずの古代魔法らしき現象を引き起こした。
それは、とんでもない大事件らしい。
「おお、これか。持っていくつもりか?」
老人は、俺が埃まみれになって棚から降ろした黒い本を、少し離れた場所から眺めて言った。やっぱり気味が悪いらしい。
「ええ、まあ。少し興味があって」
正直に言うと、少しどころではない。めちゃくちゃ興味がある。
「ふん。誰も読めんというのに、物好きもいたもんじゃな。まあ、ただ置いておくのも場所ふさぎじゃし、持っていっても構わんが…もし呪われたりしても、わしは知らんぞ」
老人はそう言って、さっさと他の作業に戻ってしまった。どうやら本気で厄介払いしたかったらしい。ありがたいが、ちょっと複雑だ。
俺は礼を言って、ずしりと重い禁書を抱え、足早に宿屋「銀の竜亭」への道を戻った。すれ違う人々が、俺の抱える禍々しい雰囲気の本に一瞬だけ奇妙な視線を送る気がしたが、気にしないことにした。今は、この本の中身を知ることの方がずっと重要だ。
宿屋の自室に戻り、ドアに鍵をかける。普段はしないことだが、なんとなくそうすべきな気がした。テーブルの上に禁書を置き、改めて表紙を眺める。黒い革の装丁はひび割れ、角は擦り切れている。それでも、刻まれた古代文字は奇妙な威厳を放っていた。
唾を飲み込み、ゆっくりと表紙を開く。
ぱらり、と乾いた音を立てて、最初のページが現れた。そこには、やはり古代文字がびっしりと書き連ねられている。そしてそれは、俺には現代語の文章を読むのと同じくらい、すんなりと理解できた。
「すごい…本当に読める…」
思わず声が漏れる。これは間違いなく、俺だけの特別な力だ。この瞬間、俺は世界で唯一、この禁断の知識にアクセスできる存在になったのだ。
最初の数ページは、目次と序文のようだった。タイトルらしきものは『世界の理とマナの潮流について』とある。どうやら、いきなり強力な呪文が載っているわけではなく、この世界の根源的なエネルギー、いわゆる「マナ」に関する理論書のようだ。
がっかりするどころか、俺の知的好奇心はさらに燃え上がった。魔法の現象だけを切り取るのではなく、その根本原理から解き明かそうとしている。これこそ、俺が求めていた知識の探求だ。
ページをめくる手が止まらない。そこには、現代では忘れ去られた、あるいは理解されなくなったであろう、マナの性質、その流れ、物質との相互作用、そして人間がそれに干渉するための理論が、緻密な論理で記されていた。まるで、高度な物理学の教科書を読んでいるような感覚だ。いや、それ以上に根源的で、深遠な内容に思える。
特に興味を引かれたのは、「音節」や「記号」を用いたマナへの干渉法に関する記述だった。特定の発音や、特定の図形を描くことが、周囲のマナの流れを微妙に変化させ、特定の現象を引き起こすトリガーになるらしい。現代の魔法は、もっと体系化され、呪文詠唱や魔法陣といった形式になっているようだが、この本に書かれているのは、より直接的で、原始的なアプローチのようだ。
「…本当に、こんな簡単なことで影響が出るのか?」
一つの短い音節が紹介されていた。「リヒト」。それは古代語で「光」を意味するらしいが、同時に、周囲のマナに作用して微弱な光エネルギーを発生させる効果を持つと書かれている。
試してみたい、という衝動に駆られた。別に、大したことが起こるとは思えない。書かれている理論が正しければ、ほんの少し、光が強くなる程度だろう。それに、自室でこっそりやるだけなら、誰にも迷惑はかからないはずだ。
俺は部屋の隅に置いてある、バルトさんから借りている古いオイルランプに目を向けた。今は夕暮れ時で、ランプには小さな炎が灯っている。
深呼吸を一つして、俺は意識を集中し、禁書に書かれていた通りの発音を心がけて、その音節を口にした。
「…リヒト」
声は、思ったより小さく、部屋の中に響いた。
その瞬間。
ちり、と空気が震えるような感覚があった。そして、ランプの炎が、一瞬だけ明らかに色を変えた。いつものオレンジ色の炎が、鮮やかな青白い光を放ち、ほんのわずかに大きくなったのだ。それは一瞬の出来事で、すぐに元のオレンジ色の炎に戻った。
「お…」
思わず声が出る。本当に、何かが起きた。古代の理論は、間違っていなかったのだ。
「へえ、面白いな。まあ、この程度なら、特にどうということも…」
そう呟きかけた、その時だった。
ガチャリ、と音を立てて、部屋のドアが勢いよく開いた。
「透! 夕飯の準備ができた…って、おい!」
入ってきたのは、宿屋の主人、バルトさんだった。彼はドアを開けた瞬間に、ちょうど元の色に戻る直前のランプの異常な光を目撃したらしく、目を丸くして俺とランプを交互に見ている。
「ば、バルトさん…どうしたんですか、そんなに慌てて」
「どうしたもこうしたもあるか! 今の光はなんだ!? あのランプ、一瞬青白く光らなかったか!? まるで魔法みたいだったぞ!」
バルトさんは興奮した様子でまくし立てる。その剣幕に、俺は完全に気圧されてしまった。
「え? ああ、いや、それは…ちょっと、この本に書いてあったことを試してみたというか…」
俺はしどろもどろになりながら、テーブルの上の禁書を指差した。
その瞬間、バルトさんの顔色が変わった。彼は俺が図書室から借りてきた、あの黒い本を覚えていたのだ。彼の顔が、驚愕と、それから何か畏敬のようなものがないまぜになった表情に変わる。
「ま、まさか…その本は、あの『禁書』じゃねえか! あんた、あの本を読んだのか!? そして、今のは…古代魔法なのか!?」
古代魔法。その言葉の響きに、俺は事の重大さをようやく理解し始めた。俺にとっては、本に書かれた理論を軽い気持ちで実験してみただけだ。ランプの光が少し変わった、ただそれだけのこと。
だが、この世界の人間にとっては違うらしい。誰も読めないはずの禁書を解読し、失われたはずの古代魔法らしき現象を引き起こした。
それは、とんでもない大事件らしい。
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