6 / 31
第二章 リレーで乱れるストローク
第六話 メドレーリレー①
しおりを挟む
世間がゴールデンウイークによって長期休暇が与えられている頃、ウチらはメドレーリレーの練習に励む日々を送っていた。
メドレーリレーは、一チーム四人が背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形の順にリレー形式で泳ぐ団体種目の一つだ。オリンピックでのメドレーリレーは男女ともに400mで、四人が各100mを泳いで勝敗を決する。
メドレーリレーの練習をするために、八人いる一年生は二つのチームに分かれることになった。
最初は璃子とは別のチームを組もうと思っていたんだけど、誰からも誘われずに一人でいる姿が哀れに見えて仕方がなかったので誘ってあげることにした。
その結果、自由形がウチ、背泳ぎが璃子、平泳ぎが中條ちゃん、バタフライを三島ちゃんが行うことになった。
自由形を璃子と取り合いになるかなと思っていたのだけど、彼女が率先して背泳ぎに立候補したので簡単に決まってしまった。
泳ぐのが速ければ一年生であったとしても先輩に混じって試合に出場することができるのが、立清学園のいいところだ。
水泳の強豪校であったとしても、未だに実力主義じゃなくて年功序列制度を採用している学校もあるみたいなので、立清学園は考え方が進んでいる学校だと思う。
「一回通しで泳いでみないとわからないことも多いと思うし、まずはやってみようよ!」
水泳部の皆が四人一組になって話し合いをしている中、誰よりも早く三島ちゃんが実践を提案した。早く泳ぎたくてウズウズしているのが伝わってくる声音だった。
「そうね。まずはあたしが泳いでみるわ。中條さん、よろしくね」
「は、はいっ!」
背泳ぎの璃子のあとは、平泳ぎの中條ちゃんだ。璃子が泳ぎ切ってタッチした瞬間に中條ちゃんが飛び込めるのが理想だけど、そう簡単にはいかないだろう。
「皆でタイミングを合わせられるようになるまでは一旦、タイムのことは忘れよう。楽しもうぜ~」
「うん。了解!」
三島ちゃんがとても大切なことを言った。
一人で泳ぐ時は、目標を早々に決めてもいいんだけど、誰かと協力してやる場合は慎重に目標を設定しないと不仲の原因になりかねない。
「じゃあ、始めるわね」
スタート台のバーを掴みながら発した璃子の言葉に皆が頷く。
背泳ぎはほかの種目と違って水中からのスタートだ。進行方向に背中を向けた状態から始めなければいけない。
「わぁ~自由形の時も思ったけど、湾内さんって泳いでいる姿が綺麗だよね!」
仰向けになりながら泳いでいる璃子を見ながら、三島ちゃんが興奮した様子で話し始めた。彼女の言葉にむすっとしながらも首肯する。
「うん。ウチとは全然違う」
基本に忠実とでも言えばいいのだろうか。璃子はストリームラインがしっかりしている。まるで首や背中、腰に一本の線が通っているかのように真っ直ぐだ。
「湾内さんとなかじょっちは泳ぎ方が似てるかも。なんていうのかな~、しっかりしてるっていうか、無駄がない感じがさ。金井っちってなかじょっちの平泳ぎをちゃんと見たことあるっけ?」
「そういえばないかも」
「なら、この機会になかじょっちのもよく見てみるといいよ」
「うん。そうする。中條ちゃんだけじゃなくて、三島ちゃんのもよく見るよ」
ウチの言葉を聞いた途端、三島ちゃんが左手をゆらゆらと揺らした。
「わたしのはいいよ。参考になんないと思うし。あっ、そろそろなかじょっちの出番じゃない?」
恥ずかしいのか、三島ちゃんに話題を変えられてしまった。
「い、いきますっ!」
緊張しているのか上擦った声を上げながら、中條ちゃんが飛び込んだ。しっかりと長い時間、浮かび上がらずに水中を移動できている。飛び込んだ直後は、朧気だった彼女の肉体が、進むにつれて徐々に鮮明になっていく。
呼吸をするために水面に顔を出した中條ちゃんは、進行方向へ体を向けて手の平を傾けて、左右へと広げるように水をかいている。
確かに三島ちゃんの言う通りだ。しっかりしている。中條ちゃんの真面目な性格が泳ぎにも表れているのがよくわかる。
「わぁぁ……」
「ふふ、どうやら金井っちもなかじょっちのすごさに気が付いたみたいだね」
どうして三島ちゃんが得意気な表情を浮かべているのかよくわからないけど、すごいと思ったのは事実なので、素直に頷く。
「普段のなかじょっちを知っていれば知っているほど、驚くかもね」
「うん。うん。ウチも似たようなことを思ったよ!」
教科書通りの綺麗な泳ぎをするのが璃子だとするなら、しっかりとした泳ぎをしながらもパワフルな泳ぎをするのが中條ちゃんだ。
腕に力を込めて動かしているのか、水をかく動きがとても速い。前へ前へと進もうとする気迫を遠くからでも感じられる泳ぎをしている。優しい雰囲気を醸し出しながら丁寧な言葉遣いで接してくれるいつもの中條ちゃんとは大違いだ。
「普通平泳ぎは、かき進める時間が長すぎると体が沈んじゃうし、逆に短すぎると前進する力が低下しちゃう。だから、一回一回のストロークを適切な長さで行う必要がある。それなのにあんな速さでかいてて、まったく乱れてない!」
「そうね」
ウチが興奮しながら喋っていると璃子が隣にやってきた。
「中條さんはなかなかの選手だと思うわ」
「……」
璃子が他人を褒めるなんて珍しい。それだけ中條ちゃんが素晴らしいってことなんだろうけど、なんだかモヤモヤする。璃子にウチが褒められたことなんてあったっけ?
「今度はわたしの番だ」
試合とは関係ないことを考えているうちに、いつの間にか随分近くまで中條ちゃんが泳いでいた。
しまった。せっかくじっくりと観察できる時間だったのに、余計なことを考えちゃった。三島ちゃんの泳ぎはしっかり見ないと。
「んじゃあ、行ってくるね~」
ウチらに手を振った後、三島ちゃんがプールに飛び込んだ。三島ちゃんと入れ違いで、中條ちゃんが上がってきた。
「お疲れ様~、いい泳ぎだったよ~」
「ありがとうございます!」
泳ぎ終わった直後だからか、ちょっといつもよりテンションが高い中條ちゃん。横に広げた両腕を曲げて、筋肉を誇示するかのようなポーズをとって元気なアピールをしている。
「やっぱり中條ちゃんは可愛いね!」
「金井さんはいつも私のことを褒めすぎです! 今は私のことなんかより、三島さんを応援しましょうよ!」
顔を赤くさせながら、真っ直ぐに伸ばした腕をパタパタと振っている姿はもっと可愛いんだけど、これ以上褒めると怒られてしまいそうなので、我慢して三島ちゃんの泳ぎを観察することにする。
「あれ?」
顎に手を当てながら首を傾げる。
左右に大きく腕を振ったり、水面を強く蹴ったりするバタフライの基本的な動作は問題なくできているんだけど、思ったよりもスピードが出ていないことに気が付いた。
直前まで璃子や中條ちゃんの速い泳ぎを見ていたせいか、三島ちゃんがやけに遅く見える。
「三島ちゃん、速いのかと思ってた。さっきだってあんなに泳ぎたそうにしてたのに……」
「はぁ……本当に貴方は周りを見ていないのね。三島さんの速さについては皆、初日から知っていることだと思うわよ?」
これみよがしに璃子に溜息をつかれてイラッとしたけれど、いつも璃子のタイムか自分のタイムのことしか眼中になかったのは事実なので、ぐっと我慢する。
「私たちが初めて泳いだあの日、三島さんの順位は最下位だったんです。なんでも水泳を本格的に行うようになったのは、高校からみたいで……」
「高校から!? ってことはスポーツ推薦で入学したんじゃあないの?」
璃子の言葉を補足するように語ってくれた中條ちゃんの話を聞いて、ウチは驚きのあまり大声を発していた。
「ええ。本人曰く勉強は嫌いだけど、受験勉強はモーレツに頑張ったんだそうです。どうしても立清学園にきたい理由があったんでしょうね」
「そうだったんだ……」
中條ちゃんから教えてもらったおかげで、三島ちゃんの評価が変わる。始めたばかりであの速さなら、むしろすごいかも。ウチなんて始めたての頃は水を怖がってばっかりだったし。
「頑張れ~、三島ちゃん!」
気が付けばウチは、両頬に手を当てて声援を送っていた。
いつも璃子のことばっかりで、細かく周囲に目が向いていなかったけど、今日改めて皆の泳ぎを見てとっても嬉しい気持ちになれた。
皆それぞれ個性があって面白い。種目が違うから当然だけど、最善だと思う泳ぎ方がそれぞれ違う。璃子みたいに教科書のような泳ぎをする人もいれば、中條ちゃんみたいにパワフルな泳ぎをする人もいる。そして、三島ちゃんみたいに現在進行形で自分なりの泳ぎ方を模索する人までいる。
やっぱり立清学園にきてよかった。向上心を持って頑張っている部員がたくさんいてとっても楽しい。
スタート台の上に移動して、いつでも飛び込める姿勢へ。あとはただ、三島ちゃんのゴールを待つだけ。
いつかウチらが仲良くなって、三島ちゃんをあだ名で呼べるくらいの関係になったら。そしたら教えてね、立清学園を受験した理由。好きな人のこと、ウチも話すから。
「金井っち!」
もうすぐで100mを泳ぎ終えようとしている三島ちゃんが、ウチの名前を叫んだ。彼女の真剣な瞳がゴーグル越しに見えて、自然と眉に力がこもる。
「うん!」
三島ちゃんが壁にタッチするのを捉えた瞬間、台を思い切り蹴飛ばしていた。
束の間、浮遊感に包まれる。あれ、なんだろう。いつもより体が軽い気がする。余計なところに力が入ってないような、そんな感覚。今ならいつもより速いタイムが出せそう。
バシャン! 視界が水泡に包まれると同時に、外部の音が遮断される。
第一目標は、底に引かれた十五メートルのラインだ。ここまでは水没していられる。初動の勢いを殺さないように、一本の矢を意識して真っ直ぐな姿勢で進んでいく。
徐々に体を上昇させていき、クロールできる状態へ。いつもと同じように全速力で序盤からたたみかけていく。
胸の奥底から湧き出てくるワクワクした気持ち。高鳴る心臓に呼応するように、腕や足が動いていく。
楽しい。皆と泳ぐのって楽しいんだ。
今まで個人で泳ぐことばかりを考えてきたから、リレーはとっても新鮮。
あの強敵である璃子さえ仲間なんだって思うと、やる気が無限に溢れてくる。
独りじゃないことが、こんなにも心強いなんて。
「はぁっ、はぁっ、はっ!」
疲れる。本気で泳いでるから当然だ。激しく動けば動くほど、水が口の中に入りやすくなって、呼吸がしにくくなる。でも、それがどうした。こんなにも浮足立った気持ちで泳げる機会なんてそうそうない。今、楽しまなくちゃもったいない。
ターンをしたことで、ゴールがうっすらと視界に入った。ウチの向かう先に、皆がいる。
なんだか口を開けて驚いた風の三島ちゃんや、両手を握りしめて祈るように見ている中條ちゃんや、右手を腰に当てて毅然とした態度をとっている璃子たちの元に一秒でも早く辿り着きたくて、必死に泳いでいた。
「金井っち!」
あ……。
聞こえた。耳に水が入ってしまってきちんと聞き取れないけど、確かに聞こえた。三島ちゃんがウチの名を呼ぶ声が。
ウチの理想がそこにあった。最初から最後まで全速力で泳ぎきる姿が、そこに。恐怖や焦燥感にあてられて自分を見失うこともない完璧なゴール。
プールから上がっても、興奮は収まらなかった。自分の手をじっと見下ろして立ち尽くしていた。
そう、これや! これが大会でできれば璃子にだって負けない!
今まで求め続けてきたスタイルはやっぱり間違っていなかったんや。
「凄かったよ、金井っち!」
「とっても速かったです、金井さん!」
三島ちゃんと中條ちゃんに褒められて、この結果が夢じゃないんだと実感する。
「やった!」
開けたままだった手の平をしめて、ぐっと握りしめる。
ウチの好成績を前に璃子がどんな表情をしているのか気になって、ガッツポーズをとりながら、ちらりと彼女の横顔を盗み見る。
「え……?」
この間の璃子よりも確実に速いタイムだったのに、璃子は平然とした表情を浮かべていた。ウチなんて意に介していないみたいに。
「次は、種目をローテーションしてみましょうか。あたしたちがそれぞれどの種目で泳ぐのが一番相性よく泳げるのか試してみましょう。ほかの種目で泳いでみることで、発見とかあるかもしれないわ」
「それいいですね。改善点が見えてくるかもしれません」
「あたしと紗希は全種目いちおう泳げるから、どこでもいけるわ。でも、三島さんは一つの種目に集中したっほうがいいかもしれないわね。いきなり全部をやろうとしても覚えきれないでしょうし」
ウチが驚いている間に、話がどんどん進んでいる。
「あはは、気を遣わせちゃったみたいでなんかごめんね~。わたし、バタフライしかほとんど泳げないんだよね~。それでもほかの子のほうが速いんだけど~、あはは~」
ってことは、初日のクロールは本当にしんどかったんじゃあないだろうか。自分の成績が良くなくても、キラキラと目を輝かせながら、ウチに話しかけにきてくれたんだ。
「へ~、三島ちゃん、初心者なのにいきなりバタフライってすごいね」
彼女の優しさとか、器の大きさとかを感じながら、会話に混じる。
「あはは、金井っち、ありがと。わたしのおにぃがバタフライを得意としてたから、わたしもおにぃみたいに泳いでみたいな~なんて思っちゃって」
三島ちゃんがお兄さんのことを語り始めてから、なんだかモジモジとしながら恥ずかしそうにしている。白い歯を見せながら快活に笑っている印象が強い彼女の新しい一面に、なんだかドキドキしてしまう。
「お兄さんは立清じゃないの? 三島って苗字はウチらの水泳部にはいないよね?」
「うん。正解だよ、金井っち」
三島ちゃんが、目を細めて静かに笑う。
「おにぃはね、東京松風高等学校っていう所に通っているんだ~」
三島ちゃんの言葉によって、平然とした表情を浮かべていた璃子のことなんて頭から吹き飛んでいた。どうしてその名前が。だって、それは。
柊一君と柊斗君が通っている学校じゃない。
メドレーリレーは、一チーム四人が背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形の順にリレー形式で泳ぐ団体種目の一つだ。オリンピックでのメドレーリレーは男女ともに400mで、四人が各100mを泳いで勝敗を決する。
メドレーリレーの練習をするために、八人いる一年生は二つのチームに分かれることになった。
最初は璃子とは別のチームを組もうと思っていたんだけど、誰からも誘われずに一人でいる姿が哀れに見えて仕方がなかったので誘ってあげることにした。
その結果、自由形がウチ、背泳ぎが璃子、平泳ぎが中條ちゃん、バタフライを三島ちゃんが行うことになった。
自由形を璃子と取り合いになるかなと思っていたのだけど、彼女が率先して背泳ぎに立候補したので簡単に決まってしまった。
泳ぐのが速ければ一年生であったとしても先輩に混じって試合に出場することができるのが、立清学園のいいところだ。
水泳の強豪校であったとしても、未だに実力主義じゃなくて年功序列制度を採用している学校もあるみたいなので、立清学園は考え方が進んでいる学校だと思う。
「一回通しで泳いでみないとわからないことも多いと思うし、まずはやってみようよ!」
水泳部の皆が四人一組になって話し合いをしている中、誰よりも早く三島ちゃんが実践を提案した。早く泳ぎたくてウズウズしているのが伝わってくる声音だった。
「そうね。まずはあたしが泳いでみるわ。中條さん、よろしくね」
「は、はいっ!」
背泳ぎの璃子のあとは、平泳ぎの中條ちゃんだ。璃子が泳ぎ切ってタッチした瞬間に中條ちゃんが飛び込めるのが理想だけど、そう簡単にはいかないだろう。
「皆でタイミングを合わせられるようになるまでは一旦、タイムのことは忘れよう。楽しもうぜ~」
「うん。了解!」
三島ちゃんがとても大切なことを言った。
一人で泳ぐ時は、目標を早々に決めてもいいんだけど、誰かと協力してやる場合は慎重に目標を設定しないと不仲の原因になりかねない。
「じゃあ、始めるわね」
スタート台のバーを掴みながら発した璃子の言葉に皆が頷く。
背泳ぎはほかの種目と違って水中からのスタートだ。進行方向に背中を向けた状態から始めなければいけない。
「わぁ~自由形の時も思ったけど、湾内さんって泳いでいる姿が綺麗だよね!」
仰向けになりながら泳いでいる璃子を見ながら、三島ちゃんが興奮した様子で話し始めた。彼女の言葉にむすっとしながらも首肯する。
「うん。ウチとは全然違う」
基本に忠実とでも言えばいいのだろうか。璃子はストリームラインがしっかりしている。まるで首や背中、腰に一本の線が通っているかのように真っ直ぐだ。
「湾内さんとなかじょっちは泳ぎ方が似てるかも。なんていうのかな~、しっかりしてるっていうか、無駄がない感じがさ。金井っちってなかじょっちの平泳ぎをちゃんと見たことあるっけ?」
「そういえばないかも」
「なら、この機会になかじょっちのもよく見てみるといいよ」
「うん。そうする。中條ちゃんだけじゃなくて、三島ちゃんのもよく見るよ」
ウチの言葉を聞いた途端、三島ちゃんが左手をゆらゆらと揺らした。
「わたしのはいいよ。参考になんないと思うし。あっ、そろそろなかじょっちの出番じゃない?」
恥ずかしいのか、三島ちゃんに話題を変えられてしまった。
「い、いきますっ!」
緊張しているのか上擦った声を上げながら、中條ちゃんが飛び込んだ。しっかりと長い時間、浮かび上がらずに水中を移動できている。飛び込んだ直後は、朧気だった彼女の肉体が、進むにつれて徐々に鮮明になっていく。
呼吸をするために水面に顔を出した中條ちゃんは、進行方向へ体を向けて手の平を傾けて、左右へと広げるように水をかいている。
確かに三島ちゃんの言う通りだ。しっかりしている。中條ちゃんの真面目な性格が泳ぎにも表れているのがよくわかる。
「わぁぁ……」
「ふふ、どうやら金井っちもなかじょっちのすごさに気が付いたみたいだね」
どうして三島ちゃんが得意気な表情を浮かべているのかよくわからないけど、すごいと思ったのは事実なので、素直に頷く。
「普段のなかじょっちを知っていれば知っているほど、驚くかもね」
「うん。うん。ウチも似たようなことを思ったよ!」
教科書通りの綺麗な泳ぎをするのが璃子だとするなら、しっかりとした泳ぎをしながらもパワフルな泳ぎをするのが中條ちゃんだ。
腕に力を込めて動かしているのか、水をかく動きがとても速い。前へ前へと進もうとする気迫を遠くからでも感じられる泳ぎをしている。優しい雰囲気を醸し出しながら丁寧な言葉遣いで接してくれるいつもの中條ちゃんとは大違いだ。
「普通平泳ぎは、かき進める時間が長すぎると体が沈んじゃうし、逆に短すぎると前進する力が低下しちゃう。だから、一回一回のストロークを適切な長さで行う必要がある。それなのにあんな速さでかいてて、まったく乱れてない!」
「そうね」
ウチが興奮しながら喋っていると璃子が隣にやってきた。
「中條さんはなかなかの選手だと思うわ」
「……」
璃子が他人を褒めるなんて珍しい。それだけ中條ちゃんが素晴らしいってことなんだろうけど、なんだかモヤモヤする。璃子にウチが褒められたことなんてあったっけ?
「今度はわたしの番だ」
試合とは関係ないことを考えているうちに、いつの間にか随分近くまで中條ちゃんが泳いでいた。
しまった。せっかくじっくりと観察できる時間だったのに、余計なことを考えちゃった。三島ちゃんの泳ぎはしっかり見ないと。
「んじゃあ、行ってくるね~」
ウチらに手を振った後、三島ちゃんがプールに飛び込んだ。三島ちゃんと入れ違いで、中條ちゃんが上がってきた。
「お疲れ様~、いい泳ぎだったよ~」
「ありがとうございます!」
泳ぎ終わった直後だからか、ちょっといつもよりテンションが高い中條ちゃん。横に広げた両腕を曲げて、筋肉を誇示するかのようなポーズをとって元気なアピールをしている。
「やっぱり中條ちゃんは可愛いね!」
「金井さんはいつも私のことを褒めすぎです! 今は私のことなんかより、三島さんを応援しましょうよ!」
顔を赤くさせながら、真っ直ぐに伸ばした腕をパタパタと振っている姿はもっと可愛いんだけど、これ以上褒めると怒られてしまいそうなので、我慢して三島ちゃんの泳ぎを観察することにする。
「あれ?」
顎に手を当てながら首を傾げる。
左右に大きく腕を振ったり、水面を強く蹴ったりするバタフライの基本的な動作は問題なくできているんだけど、思ったよりもスピードが出ていないことに気が付いた。
直前まで璃子や中條ちゃんの速い泳ぎを見ていたせいか、三島ちゃんがやけに遅く見える。
「三島ちゃん、速いのかと思ってた。さっきだってあんなに泳ぎたそうにしてたのに……」
「はぁ……本当に貴方は周りを見ていないのね。三島さんの速さについては皆、初日から知っていることだと思うわよ?」
これみよがしに璃子に溜息をつかれてイラッとしたけれど、いつも璃子のタイムか自分のタイムのことしか眼中になかったのは事実なので、ぐっと我慢する。
「私たちが初めて泳いだあの日、三島さんの順位は最下位だったんです。なんでも水泳を本格的に行うようになったのは、高校からみたいで……」
「高校から!? ってことはスポーツ推薦で入学したんじゃあないの?」
璃子の言葉を補足するように語ってくれた中條ちゃんの話を聞いて、ウチは驚きのあまり大声を発していた。
「ええ。本人曰く勉強は嫌いだけど、受験勉強はモーレツに頑張ったんだそうです。どうしても立清学園にきたい理由があったんでしょうね」
「そうだったんだ……」
中條ちゃんから教えてもらったおかげで、三島ちゃんの評価が変わる。始めたばかりであの速さなら、むしろすごいかも。ウチなんて始めたての頃は水を怖がってばっかりだったし。
「頑張れ~、三島ちゃん!」
気が付けばウチは、両頬に手を当てて声援を送っていた。
いつも璃子のことばっかりで、細かく周囲に目が向いていなかったけど、今日改めて皆の泳ぎを見てとっても嬉しい気持ちになれた。
皆それぞれ個性があって面白い。種目が違うから当然だけど、最善だと思う泳ぎ方がそれぞれ違う。璃子みたいに教科書のような泳ぎをする人もいれば、中條ちゃんみたいにパワフルな泳ぎをする人もいる。そして、三島ちゃんみたいに現在進行形で自分なりの泳ぎ方を模索する人までいる。
やっぱり立清学園にきてよかった。向上心を持って頑張っている部員がたくさんいてとっても楽しい。
スタート台の上に移動して、いつでも飛び込める姿勢へ。あとはただ、三島ちゃんのゴールを待つだけ。
いつかウチらが仲良くなって、三島ちゃんをあだ名で呼べるくらいの関係になったら。そしたら教えてね、立清学園を受験した理由。好きな人のこと、ウチも話すから。
「金井っち!」
もうすぐで100mを泳ぎ終えようとしている三島ちゃんが、ウチの名前を叫んだ。彼女の真剣な瞳がゴーグル越しに見えて、自然と眉に力がこもる。
「うん!」
三島ちゃんが壁にタッチするのを捉えた瞬間、台を思い切り蹴飛ばしていた。
束の間、浮遊感に包まれる。あれ、なんだろう。いつもより体が軽い気がする。余計なところに力が入ってないような、そんな感覚。今ならいつもより速いタイムが出せそう。
バシャン! 視界が水泡に包まれると同時に、外部の音が遮断される。
第一目標は、底に引かれた十五メートルのラインだ。ここまでは水没していられる。初動の勢いを殺さないように、一本の矢を意識して真っ直ぐな姿勢で進んでいく。
徐々に体を上昇させていき、クロールできる状態へ。いつもと同じように全速力で序盤からたたみかけていく。
胸の奥底から湧き出てくるワクワクした気持ち。高鳴る心臓に呼応するように、腕や足が動いていく。
楽しい。皆と泳ぐのって楽しいんだ。
今まで個人で泳ぐことばかりを考えてきたから、リレーはとっても新鮮。
あの強敵である璃子さえ仲間なんだって思うと、やる気が無限に溢れてくる。
独りじゃないことが、こんなにも心強いなんて。
「はぁっ、はぁっ、はっ!」
疲れる。本気で泳いでるから当然だ。激しく動けば動くほど、水が口の中に入りやすくなって、呼吸がしにくくなる。でも、それがどうした。こんなにも浮足立った気持ちで泳げる機会なんてそうそうない。今、楽しまなくちゃもったいない。
ターンをしたことで、ゴールがうっすらと視界に入った。ウチの向かう先に、皆がいる。
なんだか口を開けて驚いた風の三島ちゃんや、両手を握りしめて祈るように見ている中條ちゃんや、右手を腰に当てて毅然とした態度をとっている璃子たちの元に一秒でも早く辿り着きたくて、必死に泳いでいた。
「金井っち!」
あ……。
聞こえた。耳に水が入ってしまってきちんと聞き取れないけど、確かに聞こえた。三島ちゃんがウチの名を呼ぶ声が。
ウチの理想がそこにあった。最初から最後まで全速力で泳ぎきる姿が、そこに。恐怖や焦燥感にあてられて自分を見失うこともない完璧なゴール。
プールから上がっても、興奮は収まらなかった。自分の手をじっと見下ろして立ち尽くしていた。
そう、これや! これが大会でできれば璃子にだって負けない!
今まで求め続けてきたスタイルはやっぱり間違っていなかったんや。
「凄かったよ、金井っち!」
「とっても速かったです、金井さん!」
三島ちゃんと中條ちゃんに褒められて、この結果が夢じゃないんだと実感する。
「やった!」
開けたままだった手の平をしめて、ぐっと握りしめる。
ウチの好成績を前に璃子がどんな表情をしているのか気になって、ガッツポーズをとりながら、ちらりと彼女の横顔を盗み見る。
「え……?」
この間の璃子よりも確実に速いタイムだったのに、璃子は平然とした表情を浮かべていた。ウチなんて意に介していないみたいに。
「次は、種目をローテーションしてみましょうか。あたしたちがそれぞれどの種目で泳ぐのが一番相性よく泳げるのか試してみましょう。ほかの種目で泳いでみることで、発見とかあるかもしれないわ」
「それいいですね。改善点が見えてくるかもしれません」
「あたしと紗希は全種目いちおう泳げるから、どこでもいけるわ。でも、三島さんは一つの種目に集中したっほうがいいかもしれないわね。いきなり全部をやろうとしても覚えきれないでしょうし」
ウチが驚いている間に、話がどんどん進んでいる。
「あはは、気を遣わせちゃったみたいでなんかごめんね~。わたし、バタフライしかほとんど泳げないんだよね~。それでもほかの子のほうが速いんだけど~、あはは~」
ってことは、初日のクロールは本当にしんどかったんじゃあないだろうか。自分の成績が良くなくても、キラキラと目を輝かせながら、ウチに話しかけにきてくれたんだ。
「へ~、三島ちゃん、初心者なのにいきなりバタフライってすごいね」
彼女の優しさとか、器の大きさとかを感じながら、会話に混じる。
「あはは、金井っち、ありがと。わたしのおにぃがバタフライを得意としてたから、わたしもおにぃみたいに泳いでみたいな~なんて思っちゃって」
三島ちゃんがお兄さんのことを語り始めてから、なんだかモジモジとしながら恥ずかしそうにしている。白い歯を見せながら快活に笑っている印象が強い彼女の新しい一面に、なんだかドキドキしてしまう。
「お兄さんは立清じゃないの? 三島って苗字はウチらの水泳部にはいないよね?」
「うん。正解だよ、金井っち」
三島ちゃんが、目を細めて静かに笑う。
「おにぃはね、東京松風高等学校っていう所に通っているんだ~」
三島ちゃんの言葉によって、平然とした表情を浮かべていた璃子のことなんて頭から吹き飛んでいた。どうしてその名前が。だって、それは。
柊一君と柊斗君が通っている学校じゃない。
10
あなたにおすすめの小説
フラレたばかりのダメヒロインを応援したら修羅場が発生してしまった件
遊馬友仁
青春
校内ぼっちの立花宗重は、クラス委員の上坂部葉月が幼馴染にフラれる場面を目撃してしまう。さらに、葉月の恋敵である転校生・名和リッカの思惑を知った宗重は、葉月に想いを諦めるな、と助言し、叔母のワカ姉やクラスメートの大島睦月たちの協力を得ながら、葉月と幼馴染との仲を取りもつべく行動しはじめる。
一方、宗重と葉月の行動に気付いたリッカは、「私から彼を奪えるもの奪ってみれば?」と、挑発してきた!
宗重の前では、態度を豹変させる転校生の真意は、はたして―――!?
※本作は、2024年に投稿した『負けヒロインに花束を』を大幅にリニューアルした作品です。
黒に染まった華を摘む
馬場 蓮実
青春
夏の終わり、転校してきたのは、初恋の相手だった——。
鬱々とした気分で二学期の初日を迎えた高須明希は、忘れかけていた記憶と向き合うことになる。
名前を変えて戻ってきたかつての幼馴染、立石麻美。そして、昔から気になっていたクラスメイト、河西栞。
親友の田中浩大が麻美に一目惚れしたことで、この再会が静かに波紋を広げていく。
性と欲の狭間で、歪み出す日常。
無邪気な笑顔の裏に隠された想いと、揺れ動く心。
そのすべてに触れたとき、明希は何を守り、何を選ぶのか。
青春の光と影を描く、"遅れてきた"ひと夏の物語。
前編 「恋愛譚」 : 序章〜第5章
後編 「青春譚」 : 第6章〜
初恋♡リベンジャーズ
遊馬友仁
青春
【第五部開始】
高校一年生の春休み直前、クラスメートの紅野アザミに告白し、華々しい玉砕を遂げた黒田竜司は、憂鬱な気持ちのまま、新学期を迎えていた。そんな竜司のクラスに、SNSなどでカリスマ的人気を誇る白草四葉が転入してきた。
眉目秀麗、容姿端麗、美の化身を具現化したような四葉は、性格も明るく、休み時間のたびに、竜司と親友の壮馬に気さくに話しかけてくるのだが――――――。
転入早々、竜司に絡みだす、彼女の真の目的とは!?
◯ンスタグラム、ユ◯チューブ、◯イッターなどを駆使して繰り広げられる、SNS世代の新感覚復讐系ラブコメディ、ここに開幕!
第二部からは、さらに登場人物たちも増え、コメディ要素が多めとなります(予定)
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
陰キャの俺が学園のアイドルがびしょびしょに濡れているのを見てしまった件
暁ノ鳥
キャラ文芸
陰キャの俺は見てしまった。雨の日、校舎裏で制服を濡らし恍惚とする学園アイドルの姿を。「見ちゃったのね」――その日から俺は彼女の“秘密の共犯者”に!? 特殊な性癖を持つ彼女の無茶な「実験」に振り回され、身も心も支配される日々の始まり。二人の禁断の関係の行方は?。二人の禁断の関係が今、始まる!
付き合う前から好感度が限界突破な幼馴染が、疎遠になっていた中学時代を取り戻す為に高校ではイチャイチャするだけの話
頼瑠 ユウ
青春
高校一年生の上条悠斗は、同級生にして幼馴染の一ノ瀬綾乃が別のクラスのイケメンに告白された事を知り、自身も彼女に想いを伝える為に告白をする。
綾乃とは家が隣同士で、彼女の家庭の事情もあり家族ぐるみで幼い頃から仲が良かった。
だが、悠斗は小学校卒業を前に友人達に綾乃との仲を揶揄われ、「もっと女の子らしい子が好きだ」と言ってしまい、それが切っ掛けで彼女とは疎遠になってしまっていた。
中学の三年間は拒絶されるのが怖くて、悠斗は綾乃から逃げ続けた。
とうとう高校生となり、綾乃は誰にでも分け隔てなく優しく、身体つきも女性らしくなり『学年一の美少女』と謳われる程となっている。
高嶺の花。
そんな彼女に悠斗は不釣り合いだと振られる事を覚悟していた。
だがその結果は思わぬ方向へ。実は彼女もずっと悠斗が好きで、両想いだった。
しかも、綾乃は悠斗の気を惹く為に、品行方正で才色兼備である事に努め、胸の大きさも複数のパッドで盛りに盛っていた事が発覚する。
それでも構わず、恋人となった二人は今まで出来なかった事を少しずつ取り戻していく。
他愛の無い会話や一緒にお弁当を食べたり、宿題をしたり、ゲームで遊び、デートをして互いが好きだという事を改めて自覚していく。
存分にイチャイチャし、時には異性と意識して葛藤する事もあった。
両家の家族にも交際を認められ、幸せな日々を過ごしていた。
拙いながらも愛を育んでいく中で、いつしか学校では綾乃の良からぬ噂が広まっていく。
そして綾乃に振られたイケメンは彼女の弱みを握り、自分と付き合う様に脅してきた。
それでも悠斗と綾乃は屈せずに、将来を誓う。
イケメンの企てに、友人達や家族の助けを得て立ち向かう。
付き合う前から好感度が限界突破な二人には、いかなる障害も些細な事だった。
【完結】知られてはいけない
ひなこ
ホラー
中学一年の女子・遠野莉々亜(とおの・りりあ)は、黒い封筒を開けたせいで仮想空間の学校へ閉じ込められる。
他にも中一から中三の男女十五人が同じように誘拐されて、現実世界に帰る一人になるために戦わなければならない。
登録させられた「あなたの大切なものは?」を、互いにバトルで当てあって相手の票を集めるデスゲーム。
勝ち残りと友情を天秤にかけて、ゲームは進んでいく。
一つ年上の男子・加川準(かがわ・じゅん)は敵か味方か?莉々亜は果たして、元の世界へ帰ることができるのか?
心理戦が飛び交う、四日間の戦いの物語。
(第二回きずな児童書大賞で奨励賞を受賞しました)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる