約束へと続くストローク

葛城騰成

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第二章 リレーで乱れるストローク

第六話 メドレーリレー①

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 世間がゴールデンウイークによって長期休暇が与えられている頃、ウチらはメドレーリレーの練習に励む日々を送っていた。
 メドレーリレーは、一チーム四人が背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライ、自由形の順にリレー形式で泳ぐ団体種目の一つだ。オリンピックでのメドレーリレーは男女ともに400mで、四人が各100mを泳いで勝敗を決する。
 メドレーリレーの練習をするために、八人いる一年生は二つのチームに分かれることになった。
 最初は璃子とは別のチームを組もうと思っていたんだけど、誰からも誘われずに一人でいる姿が哀れに見えて仕方がなかったので誘ってあげることにした。
 その結果、自由形がウチ、背泳ぎが璃子、平泳ぎが中條ちゃん、バタフライを三島ちゃんが行うことになった。
 自由形を璃子と取り合いになるかなと思っていたのだけど、彼女が率先して背泳ぎに立候補したので簡単に決まってしまった。
 泳ぐのが速ければ一年生であったとしても先輩に混じって試合に出場することができるのが、立清学園のいいところだ。
 水泳の強豪校であったとしても、未だに実力主義じゃなくて年功序列制度を採用している学校もあるみたいなので、立清学園は考え方が進んでいる学校だと思う。

「一回通しで泳いでみないとわからないことも多いと思うし、まずはやってみようよ!」

 水泳部の皆が四人一組になって話し合いをしている中、誰よりも早く三島ちゃんが実践を提案した。早く泳ぎたくてウズウズしているのが伝わってくる声音だった。

「そうね。まずはあたしが泳いでみるわ。中條さん、よろしくね」
「は、はいっ!」

 背泳ぎの璃子のあとは、平泳ぎの中條ちゃんだ。璃子が泳ぎ切ってタッチした瞬間に中條ちゃんが飛び込めるのが理想だけど、そう簡単にはいかないだろう。

「皆でタイミングを合わせられるようになるまでは一旦、タイムのことは忘れよう。楽しもうぜ~」
「うん。了解!」

 三島ちゃんがとても大切なことを言った。
 一人で泳ぐ時は、目標を早々に決めてもいいんだけど、誰かと協力してやる場合は慎重に目標を設定しないと不仲の原因になりかねない。

「じゃあ、始めるわね」

 スタート台のバーを掴みながら発した璃子の言葉に皆が頷く。
 背泳ぎはほかの種目と違って水中からのスタートだ。進行方向に背中を向けた状態から始めなければいけない。

「わぁ~自由形の時も思ったけど、湾内さんって泳いでいる姿が綺麗だよね!」

 仰向けになりながら泳いでいる璃子を見ながら、三島ちゃんが興奮した様子で話し始めた。彼女の言葉にむすっとしながらも首肯する。

「うん。ウチとは全然違う」

 基本に忠実とでも言えばいいのだろうか。璃子はストリームラインがしっかりしている。まるで首や背中、腰に一本の線が通っているかのように真っ直ぐだ。

「湾内さんとなかじょっちは泳ぎ方が似てるかも。なんていうのかな~、しっかりしてるっていうか、無駄がない感じがさ。金井っちってなかじょっちの平泳ぎをちゃんと見たことあるっけ?」
「そういえばないかも」
「なら、この機会になかじょっちのもよく見てみるといいよ」
「うん。そうする。中條ちゃんだけじゃなくて、三島ちゃんのもよく見るよ」

 ウチの言葉を聞いた途端、三島ちゃんが左手をゆらゆらと揺らした。

「わたしのはいいよ。参考になんないと思うし。あっ、そろそろなかじょっちの出番じゃない?」

 恥ずかしいのか、三島ちゃんに話題を変えられてしまった。

「い、いきますっ!」

 緊張しているのか上擦った声を上げながら、中條ちゃんが飛び込んだ。しっかりと長い時間、浮かび上がらずに水中を移動できている。飛び込んだ直後は、朧気だった彼女の肉体が、進むにつれて徐々に鮮明になっていく。
 呼吸をするために水面に顔を出した中條ちゃんは、進行方向へ体を向けて手の平を傾けて、左右へと広げるように水をかいている。
 確かに三島ちゃんの言う通りだ。しっかりしている。中條ちゃんの真面目な性格が泳ぎにも表れているのがよくわかる。

「わぁぁ……」
「ふふ、どうやら金井っちもなかじょっちのすごさに気が付いたみたいだね」

 どうして三島ちゃんが得意気な表情を浮かべているのかよくわからないけど、すごいと思ったのは事実なので、素直に頷く。

「普段のなかじょっちを知っていれば知っているほど、驚くかもね」
「うん。うん。ウチも似たようなことを思ったよ!」

 教科書通りの綺麗な泳ぎをするのが璃子だとするなら、しっかりとした泳ぎをしながらもパワフルな泳ぎをするのが中條ちゃんだ。
 腕に力を込めて動かしているのか、水をかく動きがとても速い。前へ前へと進もうとする気迫を遠くからでも感じられる泳ぎをしている。優しい雰囲気を醸し出しながら丁寧な言葉遣いで接してくれるいつもの中條ちゃんとは大違いだ。

「普通平泳ぎは、かき進める時間が長すぎると体が沈んじゃうし、逆に短すぎると前進する力が低下しちゃう。だから、一回一回のストロークを適切な長さで行う必要がある。それなのにあんな速さでかいてて、まったく乱れてない!」
「そうね」

 ウチが興奮しながら喋っていると璃子が隣にやってきた。

「中條さんはなかなかの選手だと思うわ」
「……」

 璃子が他人を褒めるなんて珍しい。それだけ中條ちゃんが素晴らしいってことなんだろうけど、なんだかモヤモヤする。璃子にウチが褒められたことなんてあったっけ?

「今度はわたしの番だ」

 試合とは関係ないことを考えているうちに、いつの間にか随分近くまで中條ちゃんが泳いでいた。
 しまった。せっかくじっくりと観察できる時間だったのに、余計なことを考えちゃった。三島ちゃんの泳ぎはしっかり見ないと。

「んじゃあ、行ってくるね~」

 ウチらに手を振った後、三島ちゃんがプールに飛び込んだ。三島ちゃんと入れ違いで、中條ちゃんが上がってきた。

「お疲れ様~、いい泳ぎだったよ~」
「ありがとうございます!」

 泳ぎ終わった直後だからか、ちょっといつもよりテンションが高い中條ちゃん。横に広げた両腕を曲げて、筋肉を誇示するかのようなポーズをとって元気なアピールをしている。

「やっぱり中條ちゃんは可愛いね!」
「金井さんはいつも私のことを褒めすぎです! 今は私のことなんかより、三島さんを応援しましょうよ!」

 顔を赤くさせながら、真っ直ぐに伸ばした腕をパタパタと振っている姿はもっと可愛いんだけど、これ以上褒めると怒られてしまいそうなので、我慢して三島ちゃんの泳ぎを観察することにする。

「あれ?」

 顎に手を当てながら首を傾げる。
 左右に大きく腕を振ったり、水面を強く蹴ったりするバタフライの基本的な動作は問題なくできているんだけど、思ったよりもスピードが出ていないことに気が付いた。
 直前まで璃子や中條ちゃんの速い泳ぎを見ていたせいか、三島ちゃんがやけに遅く見える。

「三島ちゃん、速いのかと思ってた。さっきだってあんなに泳ぎたそうにしてたのに……」
「はぁ……本当に貴方は周りを見ていないのね。三島さんの速さについては皆、初日から知っていることだと思うわよ?」

 これみよがしに璃子に溜息をつかれてイラッとしたけれど、いつも璃子のタイムか自分のタイムのことしか眼中になかったのは事実なので、ぐっと我慢する。

「私たちが初めて泳いだあの日、三島さんの順位は最下位だったんです。なんでも水泳を本格的に行うようになったのは、高校からみたいで……」
「高校から!? ってことはスポーツ推薦で入学したんじゃあないの?」

 璃子の言葉を補足するように語ってくれた中條ちゃんの話を聞いて、ウチは驚きのあまり大声を発していた。

「ええ。本人曰く勉強は嫌いだけど、受験勉強はモーレツに頑張ったんだそうです。どうしても立清学園にきたい理由があったんでしょうね」
「そうだったんだ……」

 中條ちゃんから教えてもらったおかげで、三島ちゃんの評価が変わる。始めたばかりであの速さなら、むしろすごいかも。ウチなんて始めたての頃は水を怖がってばっかりだったし。

「頑張れ~、三島ちゃん!」

 気が付けばウチは、両頬に手を当てて声援を送っていた。
 いつも璃子のことばっかりで、細かく周囲に目が向いていなかったけど、今日改めて皆の泳ぎを見てとっても嬉しい気持ちになれた。
 皆それぞれ個性があって面白い。種目が違うから当然だけど、最善だと思う泳ぎ方がそれぞれ違う。璃子みたいに教科書のような泳ぎをする人もいれば、中條ちゃんみたいにパワフルな泳ぎをする人もいる。そして、三島ちゃんみたいに現在進行形で自分なりの泳ぎ方を模索する人までいる。
 やっぱり立清学園にきてよかった。向上心を持って頑張っている部員がたくさんいてとっても楽しい。
 スタート台の上に移動して、いつでも飛び込める姿勢へ。あとはただ、三島ちゃんのゴールを待つだけ。
 いつかウチらが仲良くなって、三島ちゃんをあだ名で呼べるくらいの関係になったら。そしたら教えてね、立清学園を受験した理由。好きな人のこと、ウチも話すから。

「金井っち!」

 もうすぐで100mを泳ぎ終えようとしている三島ちゃんが、ウチの名前を叫んだ。彼女の真剣な瞳がゴーグル越しに見えて、自然と眉に力がこもる。

「うん!」

 三島ちゃんが壁にタッチするのを捉えた瞬間、台を思い切り蹴飛ばしていた。
 束の間、浮遊感に包まれる。あれ、なんだろう。いつもより体が軽い気がする。余計なところに力が入ってないような、そんな感覚。今ならいつもより速いタイムが出せそう。
 バシャン! 視界が水泡に包まれると同時に、外部の音が遮断される。
 第一目標は、底に引かれた十五メートルのラインだ。ここまでは水没していられる。初動の勢いを殺さないように、一本の矢を意識して真っ直ぐな姿勢で進んでいく。
 徐々に体を上昇させていき、クロールできる状態へ。いつもと同じように全速力で序盤からたたみかけていく。
 胸の奥底から湧き出てくるワクワクした気持ち。高鳴る心臓に呼応するように、腕や足が動いていく。
 楽しい。皆と泳ぐのって楽しいんだ。
 今まで個人で泳ぐことばかりを考えてきたから、リレーはとっても新鮮。
 あの強敵である璃子さえ仲間なんだって思うと、やる気が無限に溢れてくる。
 独りじゃないことが、こんなにも心強いなんて。

「はぁっ、はぁっ、はっ!」

 疲れる。本気で泳いでるから当然だ。激しく動けば動くほど、水が口の中に入りやすくなって、呼吸がしにくくなる。でも、それがどうした。こんなにも浮足立った気持ちで泳げる機会なんてそうそうない。今、楽しまなくちゃもったいない。
 ターンをしたことで、ゴールがうっすらと視界に入った。ウチの向かう先に、皆がいる。
 なんだか口を開けて驚いた風の三島ちゃんや、両手を握りしめて祈るように見ている中條ちゃんや、右手を腰に当てて毅然とした態度をとっている璃子たちの元に一秒でも早く辿り着きたくて、必死に泳いでいた。

「金井っち!」

 あ……。
 聞こえた。耳に水が入ってしまってきちんと聞き取れないけど、確かに聞こえた。三島ちゃんがウチの名を呼ぶ声が。
 ウチの理想がそこにあった。最初から最後まで全速力で泳ぎきる姿が、そこに。恐怖や焦燥感にあてられて自分を見失うこともない完璧なゴール。
 プールから上がっても、興奮は収まらなかった。自分の手をじっと見下ろして立ち尽くしていた。
 そう、これや! これが大会でできれば璃子にだって負けない!
 今まで求め続けてきたスタイルはやっぱり間違っていなかったんや。

「凄かったよ、金井っち!」
「とっても速かったです、金井さん!」

 三島ちゃんと中條ちゃんに褒められて、この結果が夢じゃないんだと実感する。

「やった!」

 開けたままだった手の平をしめて、ぐっと握りしめる。
 ウチの好成績を前に璃子がどんな表情をしているのか気になって、ガッツポーズをとりながら、ちらりと彼女の横顔を盗み見る。

「え……?」

 この間の璃子よりも確実に速いタイムだったのに、璃子は平然とした表情を浮かべていた。ウチなんて意に介していないみたいに。

「次は、種目をローテーションしてみましょうか。あたしたちがそれぞれどの種目で泳ぐのが一番相性よく泳げるのか試してみましょう。ほかの種目で泳いでみることで、発見とかあるかもしれないわ」
「それいいですね。改善点が見えてくるかもしれません」
「あたしと紗希は全種目いちおう泳げるから、どこでもいけるわ。でも、三島さんは一つの種目に集中したっほうがいいかもしれないわね。いきなり全部をやろうとしても覚えきれないでしょうし」

 ウチが驚いている間に、話がどんどん進んでいる。

「あはは、気を遣わせちゃったみたいでなんかごめんね~。わたし、バタフライしかほとんど泳げないんだよね~。それでもほかの子のほうが速いんだけど~、あはは~」

 ってことは、初日のクロールは本当にしんどかったんじゃあないだろうか。自分の成績が良くなくても、キラキラと目を輝かせながら、ウチに話しかけにきてくれたんだ。

「へ~、三島ちゃん、初心者なのにいきなりバタフライってすごいね」

 彼女の優しさとか、器の大きさとかを感じながら、会話に混じる。

「あはは、金井っち、ありがと。わたしのおにぃがバタフライを得意としてたから、わたしもおにぃみたいに泳いでみたいな~なんて思っちゃって」

 三島ちゃんがお兄さんのことを語り始めてから、なんだかモジモジとしながら恥ずかしそうにしている。白い歯を見せながら快活に笑っている印象が強い彼女の新しい一面に、なんだかドキドキしてしまう。

「お兄さんは立清じゃないの? 三島って苗字はウチらの水泳部にはいないよね?」
「うん。正解だよ、金井っち」

 三島ちゃんが、目を細めて静かに笑う。

「おにぃはね、東京松風高等学校っていう所に通っているんだ~」

 三島ちゃんの言葉によって、平然とした表情を浮かべていた璃子のことなんて頭から吹き飛んでいた。どうしてその名前が。だって、それは。
 柊一君と柊斗君が通っている学校じゃない。
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