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第二章 リレーで乱れるストローク
第八話 三島ちゃんとお出かけ!
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今日は日曜日。水泳部の活動が行われない日だ。身体に染みついてしまった早朝の起床。せっかくの休みなのに、目が覚めてしまった。
いつもなら顔を洗ったり着替えたりして、屋内プールへと向かおうとしている時間帯だ。部活動で蓄積された疲れを癒す絶好の機会なんだし、もう一度寝るに限る。無駄になんてするもんか。
カーテン越しに見える朝の陽射しを恨めしく思いながら、布団を頭まで被ろうとして手が止まる。隣で眠っているはずの璃子がいない。
しっかりと畳まれた布団と、ハンガーに架けられていたジャージがないのを確認して、彼女が外に出かけていることを悟る。ズキっと胸が痛んだ。
今、きっと璃子は走ってる。学校の校庭か、はたまた近所の道路か、いろいろな場所で璃子のランニング姿が目撃されている。
誰よりも秀でている彼女が頑張っているのに、ウチは眠っていていいのだろうか? 勝てない自分が頑張らないでどうするんだ。
勢いよく上体を起こす。まだ眠気が残っているけれど、顔を洗えば目が覚めるはずだ。瞼を擦りながら床に足をつけて立ち上がろうとした時、コンコンとドアをノックする音が響いた。
「金井っち~、いる~? 起きてる~? わたしだよ、三島だよ~」
「えっ、三島ちゃん!? こんな朝からどうしたんだろう?」
思わぬ来訪者に驚きながら慌ててドアを開けると、普段ではお目にかかれない私服姿の三島ちゃんが立っていた。
上は白色のティーシャツ、下は黒色のスカンツで、左肩から右腰にかけて黒色のバッグを架けている。どこかのお店に行きそうな格好だ。
プールとお風呂にいる時の三島ちゃんしか見ていないから、赤色のシュシュをつけてポニーテールにしている姿が、新鮮に感じられる。
「おっはよ~、金井っち~。起きててよかったよ~。さてさて、親睦を深めるために二人でお出かけをしようじゃないか~」
「えっ? お出かけ? で、でもっ、ウチ、練習しないとでっ」
朝からハイテンションな三島ちゃんに頭が追いつかない。ぐるぐるとした思考の中から、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「練習なんていいじゃん。たまにはリラックスしようよ。最近の金井っち、あんまり元気ないみたいだしさ」
「ウチが元気ないのどうして知ってるの? 誰にも言ってないのに」
「そんなの見てればすぐにわかるよ~。意外に思うかもしれないけど、わたしはこれでも皆のことよく見ているんだぞ?」
三島ちゃんが右目を瞑ってウィンクをすると、後ろで結われた髪が小さく揺れた。
「気分が落ち込んでいる時に練習したって、あまり成果が出ないと思うよ。むしろ、怪我の元になるかも。だったらさ、気分をパーッと解放して、明るくなってから練習したほうがぜったいいい成果が出せるよ! だから、遊ぼ!」
いろいろなことが脳を駆け巡った。一度も璃子に勝てていないこと、柊一君の手紙のこと、自分の欠点のこと。頑張りたい気持ちとか休みたい気持ちとか、感情がごちゃ混ぜになってうまく心の整理がつかなかった。でも、たった一つだけ確かなことがある。
「三島ちゃんに誘ってもらえるの、とっても嬉しい」
「にひひ、そっか。じゃあ、わたしと一緒に出掛けてくれる?」
「うん……」
「オッケー、オッケー。金井っちのお着替えが終わるの待ってるからさ、終わったら玄関にきてよ。寝癖すごいからしっかりと髪、梳かしたほうがいいよ。あと、イチゴの絵がいっぱい刺繍されてるパジャマ可愛いね」
「あ、ありがとう」
自分の寝起き姿を見られるのはとっても恥ずかしい。これでも中学生の頃よりかはマシになったんだ。寮生活のおかげでおかんがいなくても、自分で起きられるようになったし。そう内心で自分を肯定しながら、三島ちゃんに手を振っていったんお別れをする。
そこから大慌てで、身支度を整えた。まさか、いきなり三島ちゃんと二人きりで遊ぶことになるなんて。ウチを心配してくれたみたいだけど、いったいどういう風の吹き回しだろう?
白色のオープンカラーシャツと、黄色のコットンイージーショートパンツを履いて、よくわからない英語が書かれている茶色のトートバッグを持って部屋を出た。
廊下を歩きながら黒色のキャップを深く被り、頭に帽子が馴染んだのを確認して一人頷く。うん。これで準備はばっちり。
エレベーターに乗って、パネルに表示された階の数字が下がっていく様をぼんやりと見つめながら、ウチはリレーのことを考えていた。
柊一君と柊斗君が選抜に選ばれたってことは、二人は相性がいいってことなんだろうか? だって、バタフライ担当の柊斗君が自由形担当の柊一君に繋ぐってことだもんね。お互いの息が合ってないと合格できないはずだし。
一階に辿り着いて玄関へ歩いていくと、手鏡を見ながら髪の様子を確認している三島ちゃんの姿を発見した。
「おまたせ」
「金井っち早いじゃん。もっと身支度に時間がかかるかと思ってた」
「あれ? ウチってとろい奴だと思われてる?」
「ごめんごめん。ディスりたかったわけじゃないよ。いつも朝練の時眠そうにしていることが多いからさ、朝に弱いのかなって思ってただけだよ」
「やっぱり思ってるんじゃん!」
他愛ない話をしながら、三島ちゃんの後をついていく。
「そろそろ教えてよ。これからどこに行くつもりなの?」
「まぁまぁ、そう焦らないで。そんなに遠くじゃないからさ」
「なんだか曖昧な反応だなぁ」
多くのお店が立ち並ぶ繁華街の様子を尻目に、歩道をゆっくりと移動する。すぐ真横を車が通り過ぎていくことも、カラスが道端に置いてあるゴミ袋を漁っていることも、今はどうでもよかった。いつもと少しだけ雰囲気が違う三島ちゃんにすべての意識が向いていたから。
「はい。着いた」
大きな陸上競技場の前に辿り着いた。今はなにも行われていないからか、ドアは開かないようになっているみたいで、ドア越しに中を覗いてみたけど、真っ暗でよくわからなかった。
「ここね、二万人くらいお客さんを収容できるらしいよ」
「そうなんだ。寮の近くにあるのにきたことなかったよ。でも、なんでここにウチを?」
「金井っちはせっかちさんだなぁ。わたしね、中学生の頃は陸上部に所属しててマラソンの選手だったの。それで、ここで実際に走ったことがあるんだ」
「えっ、三島ちゃんって陸上部だったの!」
「あれ、言ってなかったっけ~。少し前までのわたしは走ることしか頭にない人間だったんだよ。ああ、懐かしい」
目を細めて話す三島ちゃんは、どこか憂いを帯びている気がする。
「金井っちが湾内さんばっかり意識しちゃう気持ち、すっごいわかるんだ。わたしもね、他者よりも速く走って勝つことだけがすべてで、数字ばっかり目で追ってて周りが見えなくなっちゃってたことがあったんだ」
「速くなろうって熱中することは悪いことじゃないと思うけど」
「はは、そう思うよね。でもね、視野が狭いと大事なモノを見落としちゃうんだよ?」
ウチと一切目を合わせない三島ちゃんは、陸上競技場の方向を見ながら過去を語っている。笑顔を浮かべているけれど、いつもと違って彼女の声音は小さい。
「前にさ、東京松風高等学校におにぃがいるって話をしたじゃない? わたしはおにぃとの大切な時間をそれで失っちゃったの」
「ど、どういうこと?」
「ついてきて。移動しながらお話しよ」
ウチの疑問には答えずに、唐突に歩き出した三島ちゃんを数秒遅れて追いかける。
「わたしとおにぃはさ、血が繋がってないんだ。わたしのお母さんとおにぃのお父さんが結婚したから、わたしはおにぃと出会えたんだ」
立早朝陽。それが三島ちゃんのお兄さんの名前らしい。ウチらより一個年が上で、水泳一筋の優しい人だったという。
「わたしが中学校に上がる直前に、お母さんが再婚して新しい家族ができたけど、急にできたおにぃとどう接したらいいのかわかんなくて、わたしは逃げるように陸上部の活動にのめり込んだ」
先程までの活気に満ちた繫華街とは打って変わって、静かな雰囲気に包まれた住宅街へとウチらは移動していた。
「おにぃに話しかけられても当たり障りのない返答しかしなかったし、一緒に遊ぼうよって誘われても逃げてばっかりで、全然可愛い妹じゃなかった。それなのに、試合にわたしが出ると、必ずおにぃは応援にきてくれた」
「いい……お兄さんだったんだね」
「うん。本当にいいお兄ちゃんだった。おにぃが優しくて争いごとに向いてない性格をしてるからか、東京松風中学校に有力な選手が集まってしまったからなのか、おにぃはメドレーリレーの選抜メンバーに全然選ばれなくてね。いつもベンチだった。とても悔しいはずなのに、そんな悔しさなんてまったく見せずにわたしを応援してくれてた。当時のわたしがおにぃの優しさにもっと早く向き合えていたら、仲の良い兄妹になれていたかもってずっと思ってるんだ」
「ちょっと待って、三島ちゃんって昔は東京に住んでたの⁉」
こちらの反応も見ないで三島ちゃんがどんどん話を進めようとするものだから、ウチは手を前に出してストップをかけていた。
「ツッコミを入れるところそこなんだ。金井っちらしいね。そういえば、わたしが東京に住んでたってこと言ってなかったっけ」
「うん。初耳だよ!」
「ごめんごめん。じゃあさっきの話意味わかんなかったでしょ。東京松風高等学校が中高一貫校だってことも知らないもんね」
「ううん。大丈夫だよ、東京松風高等学校が中高一貫校だってことは知ってたから。ただ、さっきの陸上競技場で試合をしたことがあるって言ってたから……」
「あ~そっか。そりゃ混乱するよね。あそこで試合をしたのは一回だけだよ。おにぃが応援をしにきてくれた時のことを思い出したくて寄っただけなんだ」
不意に三島ちゃんが足を止めたかと思うと、煙突がある二階建て住宅を指差した。
「お母さんの離婚がきっかけで、お母さんの実家がある大阪に引っ越してきたんだけど、あれがわたしのお家。二回も離婚を経験したせいか、お母さんは東京での生活に疲れちゃったみたいで、今はお爺ちゃんとお婆ちゃん。そして猫と一緒に暮らしてる」
「なるほど……」
陸上競技場に寄ってから住宅街にきたので、随分と長い距離を歩いたように錯覚してしまうけれど、ここと立清学園との距離はそんなに離れていないと思う。自転車での通学だったら毎日通える距離だ。
「ねぇ、金井っち。こんな近い距離に家があるのに、なんで寮生活をしてるんだろうって思ったでしょ」
「鋭いね」
「そりゃね、わたしが金井っちの立場だったらって考えたら、それくらいは読めるよ。お母さんのことは嫌いじゃないんだけど、お母さんがお義父さんと喧嘩してた時の叫び声とか怒鳴り声がずっと頭に残っててさ、お母さんを見ると思い出して苦しくなっちゃうんだ。だから、高校は寮がある学校にしようって思ったの」
テレビのチャンネルを勝手に変えたからとか、テレビのリモコンをいつもと違う場所に置いたままにしていたとか、そんなくだらない理由でおとんとおかんはよく喧嘩をするけど、ウチが思い浮かべる喧嘩と三島ちゃんの語る喧嘩はまったく別物なんだろうなって思う。親の喧嘩がトラウマになってしまうくらい三島ちゃんは辛い思いをしたんだ。
「金井っちを元気付けようと思って誘ったのに、なんでこんな暗い話をしてるんだろ。でも、金井っちに伝えたいことを伝えるには経緯を説明したほうが説得力が増すと思ったから話しているのであって、あ~。わたしって、理路整然と話すのが苦手だ~!」
急に頭を抱えて悩みだしたかと思ったら、今度は大声を出して叫び始めた。今日の三島ちゃんは情緒の変化が激しい。
「ねぇ、金井っち。暗い内容がまだ続くけど、話の続き聞いてくれる?」
「ここまで聞いたんだし、最後まで聞くよ。でもさ、どこかで朝ご飯を食べながら話さない? 起きてすぐに歩いたからお腹空いちゃって」
「金井っちに言われたからか、なんだかわたしもお腹空いてきたかも! ご飯食べに行こう! そうしよう!」
頷き合ったウチらは、また場所を移動することにした。
いつもなら顔を洗ったり着替えたりして、屋内プールへと向かおうとしている時間帯だ。部活動で蓄積された疲れを癒す絶好の機会なんだし、もう一度寝るに限る。無駄になんてするもんか。
カーテン越しに見える朝の陽射しを恨めしく思いながら、布団を頭まで被ろうとして手が止まる。隣で眠っているはずの璃子がいない。
しっかりと畳まれた布団と、ハンガーに架けられていたジャージがないのを確認して、彼女が外に出かけていることを悟る。ズキっと胸が痛んだ。
今、きっと璃子は走ってる。学校の校庭か、はたまた近所の道路か、いろいろな場所で璃子のランニング姿が目撃されている。
誰よりも秀でている彼女が頑張っているのに、ウチは眠っていていいのだろうか? 勝てない自分が頑張らないでどうするんだ。
勢いよく上体を起こす。まだ眠気が残っているけれど、顔を洗えば目が覚めるはずだ。瞼を擦りながら床に足をつけて立ち上がろうとした時、コンコンとドアをノックする音が響いた。
「金井っち~、いる~? 起きてる~? わたしだよ、三島だよ~」
「えっ、三島ちゃん!? こんな朝からどうしたんだろう?」
思わぬ来訪者に驚きながら慌ててドアを開けると、普段ではお目にかかれない私服姿の三島ちゃんが立っていた。
上は白色のティーシャツ、下は黒色のスカンツで、左肩から右腰にかけて黒色のバッグを架けている。どこかのお店に行きそうな格好だ。
プールとお風呂にいる時の三島ちゃんしか見ていないから、赤色のシュシュをつけてポニーテールにしている姿が、新鮮に感じられる。
「おっはよ~、金井っち~。起きててよかったよ~。さてさて、親睦を深めるために二人でお出かけをしようじゃないか~」
「えっ? お出かけ? で、でもっ、ウチ、練習しないとでっ」
朝からハイテンションな三島ちゃんに頭が追いつかない。ぐるぐるとした思考の中から、たどたどしく言葉を紡ぐ。
「練習なんていいじゃん。たまにはリラックスしようよ。最近の金井っち、あんまり元気ないみたいだしさ」
「ウチが元気ないのどうして知ってるの? 誰にも言ってないのに」
「そんなの見てればすぐにわかるよ~。意外に思うかもしれないけど、わたしはこれでも皆のことよく見ているんだぞ?」
三島ちゃんが右目を瞑ってウィンクをすると、後ろで結われた髪が小さく揺れた。
「気分が落ち込んでいる時に練習したって、あまり成果が出ないと思うよ。むしろ、怪我の元になるかも。だったらさ、気分をパーッと解放して、明るくなってから練習したほうがぜったいいい成果が出せるよ! だから、遊ぼ!」
いろいろなことが脳を駆け巡った。一度も璃子に勝てていないこと、柊一君の手紙のこと、自分の欠点のこと。頑張りたい気持ちとか休みたい気持ちとか、感情がごちゃ混ぜになってうまく心の整理がつかなかった。でも、たった一つだけ確かなことがある。
「三島ちゃんに誘ってもらえるの、とっても嬉しい」
「にひひ、そっか。じゃあ、わたしと一緒に出掛けてくれる?」
「うん……」
「オッケー、オッケー。金井っちのお着替えが終わるの待ってるからさ、終わったら玄関にきてよ。寝癖すごいからしっかりと髪、梳かしたほうがいいよ。あと、イチゴの絵がいっぱい刺繍されてるパジャマ可愛いね」
「あ、ありがとう」
自分の寝起き姿を見られるのはとっても恥ずかしい。これでも中学生の頃よりかはマシになったんだ。寮生活のおかげでおかんがいなくても、自分で起きられるようになったし。そう内心で自分を肯定しながら、三島ちゃんに手を振っていったんお別れをする。
そこから大慌てで、身支度を整えた。まさか、いきなり三島ちゃんと二人きりで遊ぶことになるなんて。ウチを心配してくれたみたいだけど、いったいどういう風の吹き回しだろう?
白色のオープンカラーシャツと、黄色のコットンイージーショートパンツを履いて、よくわからない英語が書かれている茶色のトートバッグを持って部屋を出た。
廊下を歩きながら黒色のキャップを深く被り、頭に帽子が馴染んだのを確認して一人頷く。うん。これで準備はばっちり。
エレベーターに乗って、パネルに表示された階の数字が下がっていく様をぼんやりと見つめながら、ウチはリレーのことを考えていた。
柊一君と柊斗君が選抜に選ばれたってことは、二人は相性がいいってことなんだろうか? だって、バタフライ担当の柊斗君が自由形担当の柊一君に繋ぐってことだもんね。お互いの息が合ってないと合格できないはずだし。
一階に辿り着いて玄関へ歩いていくと、手鏡を見ながら髪の様子を確認している三島ちゃんの姿を発見した。
「おまたせ」
「金井っち早いじゃん。もっと身支度に時間がかかるかと思ってた」
「あれ? ウチってとろい奴だと思われてる?」
「ごめんごめん。ディスりたかったわけじゃないよ。いつも朝練の時眠そうにしていることが多いからさ、朝に弱いのかなって思ってただけだよ」
「やっぱり思ってるんじゃん!」
他愛ない話をしながら、三島ちゃんの後をついていく。
「そろそろ教えてよ。これからどこに行くつもりなの?」
「まぁまぁ、そう焦らないで。そんなに遠くじゃないからさ」
「なんだか曖昧な反応だなぁ」
多くのお店が立ち並ぶ繁華街の様子を尻目に、歩道をゆっくりと移動する。すぐ真横を車が通り過ぎていくことも、カラスが道端に置いてあるゴミ袋を漁っていることも、今はどうでもよかった。いつもと少しだけ雰囲気が違う三島ちゃんにすべての意識が向いていたから。
「はい。着いた」
大きな陸上競技場の前に辿り着いた。今はなにも行われていないからか、ドアは開かないようになっているみたいで、ドア越しに中を覗いてみたけど、真っ暗でよくわからなかった。
「ここね、二万人くらいお客さんを収容できるらしいよ」
「そうなんだ。寮の近くにあるのにきたことなかったよ。でも、なんでここにウチを?」
「金井っちはせっかちさんだなぁ。わたしね、中学生の頃は陸上部に所属しててマラソンの選手だったの。それで、ここで実際に走ったことがあるんだ」
「えっ、三島ちゃんって陸上部だったの!」
「あれ、言ってなかったっけ~。少し前までのわたしは走ることしか頭にない人間だったんだよ。ああ、懐かしい」
目を細めて話す三島ちゃんは、どこか憂いを帯びている気がする。
「金井っちが湾内さんばっかり意識しちゃう気持ち、すっごいわかるんだ。わたしもね、他者よりも速く走って勝つことだけがすべてで、数字ばっかり目で追ってて周りが見えなくなっちゃってたことがあったんだ」
「速くなろうって熱中することは悪いことじゃないと思うけど」
「はは、そう思うよね。でもね、視野が狭いと大事なモノを見落としちゃうんだよ?」
ウチと一切目を合わせない三島ちゃんは、陸上競技場の方向を見ながら過去を語っている。笑顔を浮かべているけれど、いつもと違って彼女の声音は小さい。
「前にさ、東京松風高等学校におにぃがいるって話をしたじゃない? わたしはおにぃとの大切な時間をそれで失っちゃったの」
「ど、どういうこと?」
「ついてきて。移動しながらお話しよ」
ウチの疑問には答えずに、唐突に歩き出した三島ちゃんを数秒遅れて追いかける。
「わたしとおにぃはさ、血が繋がってないんだ。わたしのお母さんとおにぃのお父さんが結婚したから、わたしはおにぃと出会えたんだ」
立早朝陽。それが三島ちゃんのお兄さんの名前らしい。ウチらより一個年が上で、水泳一筋の優しい人だったという。
「わたしが中学校に上がる直前に、お母さんが再婚して新しい家族ができたけど、急にできたおにぃとどう接したらいいのかわかんなくて、わたしは逃げるように陸上部の活動にのめり込んだ」
先程までの活気に満ちた繫華街とは打って変わって、静かな雰囲気に包まれた住宅街へとウチらは移動していた。
「おにぃに話しかけられても当たり障りのない返答しかしなかったし、一緒に遊ぼうよって誘われても逃げてばっかりで、全然可愛い妹じゃなかった。それなのに、試合にわたしが出ると、必ずおにぃは応援にきてくれた」
「いい……お兄さんだったんだね」
「うん。本当にいいお兄ちゃんだった。おにぃが優しくて争いごとに向いてない性格をしてるからか、東京松風中学校に有力な選手が集まってしまったからなのか、おにぃはメドレーリレーの選抜メンバーに全然選ばれなくてね。いつもベンチだった。とても悔しいはずなのに、そんな悔しさなんてまったく見せずにわたしを応援してくれてた。当時のわたしがおにぃの優しさにもっと早く向き合えていたら、仲の良い兄妹になれていたかもってずっと思ってるんだ」
「ちょっと待って、三島ちゃんって昔は東京に住んでたの⁉」
こちらの反応も見ないで三島ちゃんがどんどん話を進めようとするものだから、ウチは手を前に出してストップをかけていた。
「ツッコミを入れるところそこなんだ。金井っちらしいね。そういえば、わたしが東京に住んでたってこと言ってなかったっけ」
「うん。初耳だよ!」
「ごめんごめん。じゃあさっきの話意味わかんなかったでしょ。東京松風高等学校が中高一貫校だってことも知らないもんね」
「ううん。大丈夫だよ、東京松風高等学校が中高一貫校だってことは知ってたから。ただ、さっきの陸上競技場で試合をしたことがあるって言ってたから……」
「あ~そっか。そりゃ混乱するよね。あそこで試合をしたのは一回だけだよ。おにぃが応援をしにきてくれた時のことを思い出したくて寄っただけなんだ」
不意に三島ちゃんが足を止めたかと思うと、煙突がある二階建て住宅を指差した。
「お母さんの離婚がきっかけで、お母さんの実家がある大阪に引っ越してきたんだけど、あれがわたしのお家。二回も離婚を経験したせいか、お母さんは東京での生活に疲れちゃったみたいで、今はお爺ちゃんとお婆ちゃん。そして猫と一緒に暮らしてる」
「なるほど……」
陸上競技場に寄ってから住宅街にきたので、随分と長い距離を歩いたように錯覚してしまうけれど、ここと立清学園との距離はそんなに離れていないと思う。自転車での通学だったら毎日通える距離だ。
「ねぇ、金井っち。こんな近い距離に家があるのに、なんで寮生活をしてるんだろうって思ったでしょ」
「鋭いね」
「そりゃね、わたしが金井っちの立場だったらって考えたら、それくらいは読めるよ。お母さんのことは嫌いじゃないんだけど、お母さんがお義父さんと喧嘩してた時の叫び声とか怒鳴り声がずっと頭に残っててさ、お母さんを見ると思い出して苦しくなっちゃうんだ。だから、高校は寮がある学校にしようって思ったの」
テレビのチャンネルを勝手に変えたからとか、テレビのリモコンをいつもと違う場所に置いたままにしていたとか、そんなくだらない理由でおとんとおかんはよく喧嘩をするけど、ウチが思い浮かべる喧嘩と三島ちゃんの語る喧嘩はまったく別物なんだろうなって思う。親の喧嘩がトラウマになってしまうくらい三島ちゃんは辛い思いをしたんだ。
「金井っちを元気付けようと思って誘ったのに、なんでこんな暗い話をしてるんだろ。でも、金井っちに伝えたいことを伝えるには経緯を説明したほうが説得力が増すと思ったから話しているのであって、あ~。わたしって、理路整然と話すのが苦手だ~!」
急に頭を抱えて悩みだしたかと思ったら、今度は大声を出して叫び始めた。今日の三島ちゃんは情緒の変化が激しい。
「ねぇ、金井っち。暗い内容がまだ続くけど、話の続き聞いてくれる?」
「ここまで聞いたんだし、最後まで聞くよ。でもさ、どこかで朝ご飯を食べながら話さない? 起きてすぐに歩いたからお腹空いちゃって」
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