約束へと続くストローク

葛城騰成

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第二章 リレーで乱れるストローク

第九話 楽しまなくちゃもったいないよ!

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 喫茶店へと移動したことで、サンドウィッチとコーヒーを嗜むというちょっとリッチな朝を迎えることができた。優雅な気分を味わいたくてコーヒーを頼んだけれど、ウチは苦いのがあまり得意ではないので、砂糖やミルクを入れて誤魔化して飲んでいた。
 三島ちゃんは意外とブラックでも平気みたいで、うんうんと頷きながら飲んでいる。ハニートーストを注文した三島ちゃんは、左の頬を手で抑えながら「ん~」と笑顔を浮かべて美味しそうに食べている。
 目の前の食べものに集中しているからか、一言も発さないまま食事が進んでいる。聞こえるのは、互いの咀嚼音だけ。和気藹々とした雰囲気を望んでいたウチとしては、無言の時間が続くのはしんどい。
 静かだと無性にソワソワしてしまうので、店内を見回して気を紛らわす。天井でくるくると回っているプロペラの名前はなんて言うんだろうとか、しょうもないことを考えながら、時間を潰していた。だから、三島ちゃんが口を開いてくれた時は、天に昇るような気持ちでほっとした。

「結局、今日わたしがなにを話したいのかというとね、ちゃんと関われるうちに関わったほうがいいよってことなんだ。わたしはおにぃの優しさから逃げちゃって、大切な時間を失っちゃったけど、金井っちはまだ間に合うでしょ」
「ウチが向き合う……? 誰と?」
「そりゃあもちろん、湾内さんと」
「璃子と⁉ なんで! 別に仲良くしたいとか微塵も思ってないよ?」
「二人とも互いに競う相手として意識し合っているのはわかってる。なかなか相容れない関係性なんだってことは重々承知の上。でも、だからこそ金井っちは湾内さんのことを知ろうとしたほうがいいと思うんだ」
「どうして? どうして三島ちゃんはそう思ったの?」

 不意に、三島ちゃんが角砂糖をポトンとカップに落とした。スプーンを使ってコーヒーをかき混ぜている様子に内心驚きながら、彼女に視線を送って続きを促す。

「この間のメドレーリレーの時、湾内さんは金井っちの弱点を指摘したよね。とてもグサグサくる言葉ばっかり使ってたからそっちに目が行きがちだけど、金井っちのために最初は自由形を譲ってあげたりしてたじゃない? それを見て湾内さんはとても優しい人なんだなって思ったんだよね。普段一人でいることが多い湾内さんだけど、ちゃんと周りを気遣える人なんだなって気付けたの。バタフライは固定でわたしにやらせてくれたし」

 優しくて周りを気遣える人? 璃子が?

「湾内さんはとっても速いから金井っちが目の仇にしたくなる気持ちはわかるし、自分の実力を上げることに固執しちゃう気持ちもすっごいわかるよ。でも、だからこそ、もっと湾内さんのことを知ろうとする努力って必要だと思うんだ」
「……」

 なにも言い返せなかった。璃子のことウチはなんにも知らない。小さい時からずっと一緒にいるのに、あいつの趣味の一つも知らないことに気が付いた。それに、どうしてこんなに仲が悪いのかもわからずじまいなままだ。

「湾内さんを知れば、金井っちの弱点も克服できるかもしれないよ」
「ウチの弱点……」

 確かにそうだ。いつだって冷静で取り乱したりしないから、あいつは強いんだ。
 ちょっと癪だけど、ウチにはない心の強さを璃子が持っているのは事実だ。

「わたしは金井っちが豪快に泳いでいる姿が好きなんだ。だから、個人的に応援したくなっちゃうんだよね。特にメドレーリレーの練習をした時、とっても楽しそうに泳いでたよね。あの時の金井っち、とっても良かったよ」
「ありがと」

 ステンドグラス風の窓を眺めながら、練習中の記憶を呼び起こす。
 璃子が味方にいることの心強さを思い出した。ウチは璃子が嫌いなはずなのに、璃子と協力して泳ぐことに楽しさを見出していた。自分が思うよりずっと、璃子を信頼していたのかもしれない。

「ああ、そっか。ウチは皆とメドレーリレーやりたかったんだ……」
「これは金井っちにだけじゃなくて皆に対して思うことなんだけど、どうせ本気で泳ぐならさ楽しんでほしいんだ。おにぃから逃げるために走ってたわたしは、全然陸上を楽しめなかったから」

『皆でタイミングを合わせられるようになるまでは一旦、タイムのことは忘れよう。楽しもうぜ~』
 メドレーリレーの練習中に三島ちゃんが放った言葉が脳裏を過った。
 あの時からずっと……いや、初めて会った時からずっと、三島ちゃんは笑顔を絶やさなかった。楽しめないことの辛さを誰よりもよく理解していたから、明るく振る舞っていたんだ。

「金井っち、楽しもう。金井っちがどうして水泳をそんなにも本気で頑張っているのか、理由は知らないけれど、楽しまなくちゃもったいないよ」

 柊一君に誇れるウチにならなきゃ。璃子に勝てるようにならなきゃ。
 いつもそんな思考にばっかり囚われていた。速く泳げなきゃ自分の価値を証明できないと思っていたから。
 でも、よく考えたら速いとか遅いとかそんな理由で、自分と付き合う人間を選んだりしない。遅いからって三島ちゃんの価値は下がったりなんてしない。

「実力を上げることだけを考えてると苦しいまんまだよ。金井っちが成長すれば成長するほど、その考えは自分を苦しめるよ。全国で優勝できるレベルで速いのに、もっと速くなろうとしたらそりゃしんどいよね」

 周りから見ると、ウチはそんなにしんどそうに見えるのかな? そんなに余裕がなさそうに見えるのかな?

「たまにでいいから、今日みたいに楽しむ時間を作ろうよ。そしたらまた、金井っちが目指す目標に向かって頑張ればいい」
「水泳を楽しむ、か」
「そうそう。楽しむ、だよ。金井っち!」

 少しだけ肩の荷が降りた気がした。今朝感じていた焦燥はどこかへ消えて、甘いコーヒーに気持ちが向くようになった。少し冷めてしまったけれど、依然として香りは健在だ。コップを鼻に近付けて香りを堪能する。そんな楽しみ方をしていたからか、会話をしていなくてもソワソワせずに済んでいた。
 今日、いたるところで焦っていたように思う。三島ちゃんがウチをどこに連れていこうとしているのかとか、三島ちゃんがなにを語ろうとしているのかとか、そういうのを早く知ろうとしていた。一秒でも早く結論に辿り着こうと必死だった。
 嫌な奴だな、ウチは。慰めようとしてくれている相手を急かして話を進めようとするなんて。
 これから知っていこう。璃子のことも、皆のことも。ウチの知らない強さの秘訣を知っているかもしれないから。まずは三島ちゃんのことを知ろう。

「ねぇ、三島ちゃん。みっちーって呼んでいい?」

 ウチの言葉に驚いたのか、三島ちゃんが目をパチパチとさせて固まってしまった。

「あれ? おーい」

 反応がないので、彼女の目の前で手を振ったりしてアピールする。しばらくすると、三島ちゃんが「いいよ」と優しく微笑んでくれた。

「ありがとう。ねぇ、もっと教えてよ。みっちーのこと。お兄さんがきっかけで、水泳を始めたんだよね?」
「ふふ、金井っちにそう呼ばれると変な気分になるなぁ。そうだよ、おにぃのことをもっと知りたくて水泳を始めたんだ」
「水泳を始めたってことは、お兄さんと今はお話しできているの?」

 ウチが質問すると、辛そうな顔でみっちーが首を振る。

「おにぃの連絡先は知ってるけど、転校してから一回も話せてないんだ。さんざんおにぃから逃げてきた自分が今さらどんなテンションで話しかければいいのか、まったくわからないんだよね。もっとバタフライが泳げるようになったら話しかけようとか、試合に勝ち進めたら話しかけようとか、問題を先送りにしてばかりなんだ」

 彼女の言葉を聞いて今度はウチが固まっていた。
 柊斗君を蔑ろにしてしまったことを後悔してずっと生きてきた。
 後悔を抱えて過ごしているのは、ウチだけじゃないんだ。

「みっちー、手紙を書こう!」
「え? 手紙?」

 彼女の右手を両手で握りしめたウチは、大声で叫んでいた。

「みっちー、今度はウチの話を聞いてほしいんだ。そうすれば手紙を書こうって言った理由がわかるから。しようっ、恋バナ!」

 出会った頃は恥ずかしくて言えなかった水泳を頑張る理由。
 今なら言える気がする。
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