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最終章 約束へと続くストローク
第二十七話 この記憶は、俺の後悔
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紗希が好きだ。そう自覚したのはいつからだったろう。
紗希はいつも明るくて笑顔が絶えない子だったから、多くの男子にモテていた。周囲に男子しかいない状況になると、決まって紗希の話をする奴がいたくらいだ。
俺と柊一と紗希。三人はいつも一緒に遊ぶ仲間。そんな関係がとうの昔に出来上がっていたから、俺は小学校の誰よりも柊一を警戒していた。
双子なのもあって俺たちは比べられることが多かった。
両親や親戚の人たちから兄のようになれとか、兄を見習いなさいとか、そんなようなことをよく言われた。なんでもできる兄は優等生で、不器用な俺は劣等生。どれだけ努力を尽くしても埋められない差があった。
これが二、三歳違いの兄弟だったら、まだ納得できたかもしれない。でも俺たちは同性で同年齢だ。見た目だってそんなに変わりゃしない。それなのに、どうしてこんなにも違うのだろうか。
だから、だからだ。勉強も運動も……すべてにおいて勝てないなら、せめて恋だけでも勝ちたいと願った。
俺と紗希を繋ぐものが欲しかった。水泳を一緒にやっているだけでは足りない。もっと決定的ななにかが。しかし、そういった特別を探し求めているうちに、俺の人生を一変させる大きな出来事が起きてしまう。父親の転勤が決まり、転校を余儀なくされてしまったのだ。
あの日、紗希が真っ直ぐな愛を伝えた相手は、俺ではなく柊一だった。彼女の告白を聞いた途端、目の前が真っ暗になったのを覚えている。
すぐ隣に俺がいるのにもかかわらず、他者が介在する余地のない空間を二人が作っていて、頭がおかしくなってしまいそうだった。兄に対する怒りや敗北感。失恋の悲しみ。あらゆる感情が押し寄せてくる中で、平静を保つのはとても難しかった。
俺が必死に叫びたい気持ちを抑えているにもかかわらず、柊一が三人で文通がしたいなんて言い出した。
紗希と文通なんてしたら、彼女から手紙がくる度に自分の惨めさを思い出すことになる。そんなのまっぴらごめんだ。早く東京に行って、初恋の記憶を忘れてしまいたい。当時の俺は、そんな気持ちに支配されていた。
「ねぇ、紗希ちゃん。いつか俺、あの金メダリストみたいなすごい選手になって、紗希ちゃんを迎えに行くよ。だから、待ってて。必ず会いに行くから!」
柊一と紗希が二人だけの約束を交わす頃には、俺の中で燃えていた怒りの炎がとても小さくなってしまっていた。結局俺は、恋愛においても兄に勝つことができなかった。その諦めが、惨めさが、火を弱くしていたのだ。
中学生になってからも水泳を続けていたものの心は乾いたままだった。当たり前のようにレギュラーに食い込む柊一に対して、補欠にすら入れない俺。劣等感は日に日に増していくばかり。
「紗希ちゃんに会いに行くんだ!」
柊一は紗希との約束を果たすという目標があるからか、俺みたいにつまらないことで悩むことがないようだった。がむしゃらに進めることがどれだけすごいことか、きっと兄は理解していないだろう。
天才との差に絶望しながらも泳ぎ続けて、なんとかバタフライの選手に選ばれる頃には高校生になっていた。
これまでに何人かの女子と付き合ったが、どれも長続きしなかった。決まって別れを切り出すのは彼女のほうで、失恋する度に紗希の顔が頭を過った。
どれだけ紗希への気持ちを忘れようとしても忘れられない。消えそうな火はしぶとく燃え続けていて、情熱を枯らしてはくれない。紗希への恋心を、いや、執着を自覚すればするほど、俺の中で渦巻く黒い感情は大きくなっていく。
このままいけば柊一は全国大会を優勝し、紗希に会って約束を果たしてしまうだろう。その前に手を打たなくてはいけない。そこで俺は、ワードで打った手紙を紗希に送ることにした。
その日から毎日のように柊一より早く自宅のポストを確認するようになった。柊一に気が付かれたら最後、一瞬にして作戦が頓挫する。そう思うと、ただポストを確認するだけの作業がやたらと緊張した。運命が味方してくれて、紗希が手紙を送り返してくることはなかったけど。
双子で見た目が似ていることに感謝したのは、この時が初めてかもしれない。柊一のフリをした俺は、紗希に怪しまれることなく彼女に会うことができた。久々に会った彼女はとても美しくなっていて、やたらと気分が高揚すると同時に緊張した。普段は誰にも心の内を吐露しないのに、思わず自身の悩みを打ち明けてしまうほどテンションが高くなっていたんだ。
だからだろうか。どうにかして紗希を我がものにしたい欲望に突き動かされて襲ってしまった。我に返った時には、紗希が泣いていて、とうてい弁明できるような状況ではなくなっていた。
どうにか引き留めようと縋るように手を伸ばしたが、走って部屋を出ていってしまう。部屋に残ったのは絶望する俺と、紗希が踏んだことでしわくちゃになってしまった手紙だけ。惨めな自分を変えたくて紗希と会ったのに、余計に惨めになってしまった。
東京に戻ってからもずっと魂が抜けたような心地が続いていた。なにをするにもやる気が出なくて、集中できなかった。目の前のことに意識が向いていない俺を見透かしたかのように、どうして無断で休んだのかを一つ上の朝陽先輩がしつこく聞いてきた。
どうしてと聞き返したいのはこっちのほうだった。なんで先輩が紗希のことを聞いてくるんだ。意味がわからない。恐怖した俺はひたすら沈黙を貫くことで、己を守ろうとした。
全国を目前に控えた強化合宿で、千葉県にある海にやってきた東京松風高等学校水泳部。泳いだり、浜辺を走ったり、部員たちと共に汗を流していれば気が紛れるかと思っていたが、全然そんなことはなかった。
「大丈夫か? 元気ないぞ」
俺の元気がないことを気に掛けてくれる柊一。彼と過ごす時間が長くなれば長くなるほど罪悪感が増していく。
彼に真実を話すべきか黙っているべきか、どれだけ悩んでも答えがでない。悩んでいるだけでは答えは出ないとわかっているのに考えてしまう。それが良くなかった。
がむしゃらにクロールをしていた俺は、行ってはいけないとされているテトラポットの近くまで泳いでしまっていた。普段の俺だったらもっと冷静に対処ができたかもしれないし、そもそもそんな場所まで行かなかっただろう。
しかし、冷静さを欠いた俺は荒波に呑まれて水を飲んでしまった。息ができなくなったパニックで、余計に混乱してしまう。やばい、やばい、やばい。
「柊斗!」
俺の名を呼ぶ兄の声がする。最初、その声は幻聴だと思っていた。助けに来てくれる人がいる都合の良い展開なんて信じられる筈がない。しかし、彼に腕を引っ張られてようやくそれが現実だということを認識する。
水面に顔を出すことができた俺は、天を仰いで目を丸くした。雨が、降っていた。青空を覆う厚い白銀の雲が、俺の心を代弁するかのように泣いていて、徐々に強くなっているようだった。
「柊斗、今助けるからな!」
どうしてこんな危険な状況なのに俺を助けにきた。俺はお前の恋を終わりにしてしまったかもしれないんだぞ。やめろ、助けるな。俺に手を差し伸べるな。
「触るな!」
反射的に俺は、彼の腕を振り払ってしまっていた。その反動で水中に沈んでしまう。
そうだこれでいい。もうこのまま溺れてしまってもいいかもしれない。
なにも成せず、兄に勝つこともできずに、海の藻屑となるのも悪くない。
「柊斗!」
生きることさえ諦めた俺を、柊一は諦めない。
薄れゆく意識の中、ゴンッという嫌な音が響いた。
病院で目が覚めた俺は、柊一が右腕を負傷してしまったことを監督から聞かされた。波に流されてテトラポットに頭をぶつけそうになった俺を庇ったせいで、全国大会に出場できなくなってしまったのだという。
俺の肉体はどこにも異常がないのに、どうして兄が。もうすぐで約束が果たせそうだったのに。
どこで間違ってしまったのだろう。再び答えの出ない悩みが頭を駆け巡る。布団の中で頭を搔きむしって涙を流していると、俺が目覚めたことを聞きつけた朝陽先輩がやってきた。
彼が現れたことで意識が現実に戻る。知らない間に監督はいなくなっていた。俺が眠ったと思って出ていったに違いない。とにかく今は、どうにかしてこの気持ちを誰かに話したかった。吐き出さなければ、どうにかなってしまいそうだった。
朝陽先輩に全てを話すと、彼は合点がいったように「なるほど。それで……」と呟いた。その様子を見て、朝陽先輩はなにか知っていると確信する。
「柊斗の気持ちはよくわかったよ。お前もいろいろと苦労してきたんだな。柊一が怪我したことを聞いたばかりで頭がこんがらがっているのかもしれないけど、お前がするべきことは一つしかないと思うよ。柊一とそのカナイって子にちゃんと謝るんだ」
俺が紗希のことを聞くよりも先に、朝陽先輩は毅然とした態度でそう述べた。普段の彼が纏っている温和な雰囲気はどこにもなくて、こちらに有無を言わせないような強い圧を放っていた。
「誰とも話したくないと言って面会を断るくらい柊一は落ち込んでいるみたいだし、カナイって子は近畿大会が終わってから部活を休んでいるみたいだしね」
「……⁉」
柊一と紗希の現状を聞いて絶句する。俺はとんでもないことをしてしまったのだと改めて痛感する。
「先に言っておくけど、自分も辞退するとか言わないでくれよ。僕だってバタフライの選手に選ばれたかったんだしさ」
「ああ……はい」
八月がやってきた。
それは、過ちと向き合わなければいけない日々が始まることを意味している。
許してもらえなくても頭を下げ続けよう。そう決意した俺は、毎日のように謝罪の言葉を柊一に伝えることにしたが、兄から返答が返ってくることはなかった。
「柊斗」
学校の休み時間中に、紗希に送る手紙の内容を考えていると、俺の教室にやってきた朝陽先輩が声を掛けてきた。
「どうやらカナイちゃんからお前宛に手紙が届いたみたいだよ」
どうしてか朝陽先輩が、薄い水色の封筒を持っていた。
紗希はいつも明るくて笑顔が絶えない子だったから、多くの男子にモテていた。周囲に男子しかいない状況になると、決まって紗希の話をする奴がいたくらいだ。
俺と柊一と紗希。三人はいつも一緒に遊ぶ仲間。そんな関係がとうの昔に出来上がっていたから、俺は小学校の誰よりも柊一を警戒していた。
双子なのもあって俺たちは比べられることが多かった。
両親や親戚の人たちから兄のようになれとか、兄を見習いなさいとか、そんなようなことをよく言われた。なんでもできる兄は優等生で、不器用な俺は劣等生。どれだけ努力を尽くしても埋められない差があった。
これが二、三歳違いの兄弟だったら、まだ納得できたかもしれない。でも俺たちは同性で同年齢だ。見た目だってそんなに変わりゃしない。それなのに、どうしてこんなにも違うのだろうか。
だから、だからだ。勉強も運動も……すべてにおいて勝てないなら、せめて恋だけでも勝ちたいと願った。
俺と紗希を繋ぐものが欲しかった。水泳を一緒にやっているだけでは足りない。もっと決定的ななにかが。しかし、そういった特別を探し求めているうちに、俺の人生を一変させる大きな出来事が起きてしまう。父親の転勤が決まり、転校を余儀なくされてしまったのだ。
あの日、紗希が真っ直ぐな愛を伝えた相手は、俺ではなく柊一だった。彼女の告白を聞いた途端、目の前が真っ暗になったのを覚えている。
すぐ隣に俺がいるのにもかかわらず、他者が介在する余地のない空間を二人が作っていて、頭がおかしくなってしまいそうだった。兄に対する怒りや敗北感。失恋の悲しみ。あらゆる感情が押し寄せてくる中で、平静を保つのはとても難しかった。
俺が必死に叫びたい気持ちを抑えているにもかかわらず、柊一が三人で文通がしたいなんて言い出した。
紗希と文通なんてしたら、彼女から手紙がくる度に自分の惨めさを思い出すことになる。そんなのまっぴらごめんだ。早く東京に行って、初恋の記憶を忘れてしまいたい。当時の俺は、そんな気持ちに支配されていた。
「ねぇ、紗希ちゃん。いつか俺、あの金メダリストみたいなすごい選手になって、紗希ちゃんを迎えに行くよ。だから、待ってて。必ず会いに行くから!」
柊一と紗希が二人だけの約束を交わす頃には、俺の中で燃えていた怒りの炎がとても小さくなってしまっていた。結局俺は、恋愛においても兄に勝つことができなかった。その諦めが、惨めさが、火を弱くしていたのだ。
中学生になってからも水泳を続けていたものの心は乾いたままだった。当たり前のようにレギュラーに食い込む柊一に対して、補欠にすら入れない俺。劣等感は日に日に増していくばかり。
「紗希ちゃんに会いに行くんだ!」
柊一は紗希との約束を果たすという目標があるからか、俺みたいにつまらないことで悩むことがないようだった。がむしゃらに進めることがどれだけすごいことか、きっと兄は理解していないだろう。
天才との差に絶望しながらも泳ぎ続けて、なんとかバタフライの選手に選ばれる頃には高校生になっていた。
これまでに何人かの女子と付き合ったが、どれも長続きしなかった。決まって別れを切り出すのは彼女のほうで、失恋する度に紗希の顔が頭を過った。
どれだけ紗希への気持ちを忘れようとしても忘れられない。消えそうな火はしぶとく燃え続けていて、情熱を枯らしてはくれない。紗希への恋心を、いや、執着を自覚すればするほど、俺の中で渦巻く黒い感情は大きくなっていく。
このままいけば柊一は全国大会を優勝し、紗希に会って約束を果たしてしまうだろう。その前に手を打たなくてはいけない。そこで俺は、ワードで打った手紙を紗希に送ることにした。
その日から毎日のように柊一より早く自宅のポストを確認するようになった。柊一に気が付かれたら最後、一瞬にして作戦が頓挫する。そう思うと、ただポストを確認するだけの作業がやたらと緊張した。運命が味方してくれて、紗希が手紙を送り返してくることはなかったけど。
双子で見た目が似ていることに感謝したのは、この時が初めてかもしれない。柊一のフリをした俺は、紗希に怪しまれることなく彼女に会うことができた。久々に会った彼女はとても美しくなっていて、やたらと気分が高揚すると同時に緊張した。普段は誰にも心の内を吐露しないのに、思わず自身の悩みを打ち明けてしまうほどテンションが高くなっていたんだ。
だからだろうか。どうにかして紗希を我がものにしたい欲望に突き動かされて襲ってしまった。我に返った時には、紗希が泣いていて、とうてい弁明できるような状況ではなくなっていた。
どうにか引き留めようと縋るように手を伸ばしたが、走って部屋を出ていってしまう。部屋に残ったのは絶望する俺と、紗希が踏んだことでしわくちゃになってしまった手紙だけ。惨めな自分を変えたくて紗希と会ったのに、余計に惨めになってしまった。
東京に戻ってからもずっと魂が抜けたような心地が続いていた。なにをするにもやる気が出なくて、集中できなかった。目の前のことに意識が向いていない俺を見透かしたかのように、どうして無断で休んだのかを一つ上の朝陽先輩がしつこく聞いてきた。
どうしてと聞き返したいのはこっちのほうだった。なんで先輩が紗希のことを聞いてくるんだ。意味がわからない。恐怖した俺はひたすら沈黙を貫くことで、己を守ろうとした。
全国を目前に控えた強化合宿で、千葉県にある海にやってきた東京松風高等学校水泳部。泳いだり、浜辺を走ったり、部員たちと共に汗を流していれば気が紛れるかと思っていたが、全然そんなことはなかった。
「大丈夫か? 元気ないぞ」
俺の元気がないことを気に掛けてくれる柊一。彼と過ごす時間が長くなれば長くなるほど罪悪感が増していく。
彼に真実を話すべきか黙っているべきか、どれだけ悩んでも答えがでない。悩んでいるだけでは答えは出ないとわかっているのに考えてしまう。それが良くなかった。
がむしゃらにクロールをしていた俺は、行ってはいけないとされているテトラポットの近くまで泳いでしまっていた。普段の俺だったらもっと冷静に対処ができたかもしれないし、そもそもそんな場所まで行かなかっただろう。
しかし、冷静さを欠いた俺は荒波に呑まれて水を飲んでしまった。息ができなくなったパニックで、余計に混乱してしまう。やばい、やばい、やばい。
「柊斗!」
俺の名を呼ぶ兄の声がする。最初、その声は幻聴だと思っていた。助けに来てくれる人がいる都合の良い展開なんて信じられる筈がない。しかし、彼に腕を引っ張られてようやくそれが現実だということを認識する。
水面に顔を出すことができた俺は、天を仰いで目を丸くした。雨が、降っていた。青空を覆う厚い白銀の雲が、俺の心を代弁するかのように泣いていて、徐々に強くなっているようだった。
「柊斗、今助けるからな!」
どうしてこんな危険な状況なのに俺を助けにきた。俺はお前の恋を終わりにしてしまったかもしれないんだぞ。やめろ、助けるな。俺に手を差し伸べるな。
「触るな!」
反射的に俺は、彼の腕を振り払ってしまっていた。その反動で水中に沈んでしまう。
そうだこれでいい。もうこのまま溺れてしまってもいいかもしれない。
なにも成せず、兄に勝つこともできずに、海の藻屑となるのも悪くない。
「柊斗!」
生きることさえ諦めた俺を、柊一は諦めない。
薄れゆく意識の中、ゴンッという嫌な音が響いた。
病院で目が覚めた俺は、柊一が右腕を負傷してしまったことを監督から聞かされた。波に流されてテトラポットに頭をぶつけそうになった俺を庇ったせいで、全国大会に出場できなくなってしまったのだという。
俺の肉体はどこにも異常がないのに、どうして兄が。もうすぐで約束が果たせそうだったのに。
どこで間違ってしまったのだろう。再び答えの出ない悩みが頭を駆け巡る。布団の中で頭を搔きむしって涙を流していると、俺が目覚めたことを聞きつけた朝陽先輩がやってきた。
彼が現れたことで意識が現実に戻る。知らない間に監督はいなくなっていた。俺が眠ったと思って出ていったに違いない。とにかく今は、どうにかしてこの気持ちを誰かに話したかった。吐き出さなければ、どうにかなってしまいそうだった。
朝陽先輩に全てを話すと、彼は合点がいったように「なるほど。それで……」と呟いた。その様子を見て、朝陽先輩はなにか知っていると確信する。
「柊斗の気持ちはよくわかったよ。お前もいろいろと苦労してきたんだな。柊一が怪我したことを聞いたばかりで頭がこんがらがっているのかもしれないけど、お前がするべきことは一つしかないと思うよ。柊一とそのカナイって子にちゃんと謝るんだ」
俺が紗希のことを聞くよりも先に、朝陽先輩は毅然とした態度でそう述べた。普段の彼が纏っている温和な雰囲気はどこにもなくて、こちらに有無を言わせないような強い圧を放っていた。
「誰とも話したくないと言って面会を断るくらい柊一は落ち込んでいるみたいだし、カナイって子は近畿大会が終わってから部活を休んでいるみたいだしね」
「……⁉」
柊一と紗希の現状を聞いて絶句する。俺はとんでもないことをしてしまったのだと改めて痛感する。
「先に言っておくけど、自分も辞退するとか言わないでくれよ。僕だってバタフライの選手に選ばれたかったんだしさ」
「ああ……はい」
八月がやってきた。
それは、過ちと向き合わなければいけない日々が始まることを意味している。
許してもらえなくても頭を下げ続けよう。そう決意した俺は、毎日のように謝罪の言葉を柊一に伝えることにしたが、兄から返答が返ってくることはなかった。
「柊斗」
学校の休み時間中に、紗希に送る手紙の内容を考えていると、俺の教室にやってきた朝陽先輩が声を掛けてきた。
「どうやらカナイちゃんからお前宛に手紙が届いたみたいだよ」
どうしてか朝陽先輩が、薄い水色の封筒を持っていた。
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