星降る檻(セカイ)の、向こうには。

静杜原 愁

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男の作戦会議

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 レイヤの部屋はきっちり整理され、無駄なものが少ない。何度か部屋に来たことのあるフィリップは、彼の部屋を面白味がないと評する。
「作戦会議するんだから補給物資が必要だろ」
 おもむろに、手に提げていた袋をベッドの上でひっくり返す。そこから出てきたのは大量の菓子とジュース類。レイヤは普段こういったものを口にしない。フィリップは手土産のつもりで用意したのか、それとも自分の為かは分からないが、二人分としても過剰な量だった。
 そこにフィリップの覚悟が伺える。今日はそう簡単には帰れない――帰らないのだという。
 冷ややかな目でその様子を見ていたレイヤは、机に向かって勉強を始めた。
「テスト勉強しに来たんじゃないのか」
「バッカ。そう言わないとお前、部屋に上げてくれないだろ」
 呆れた。
 ……今日の授業の後、フィリップは言った。
「次のテスト悪かったらちょっとマズい事になんだわ。勉強教えてくれよ」
 神様仏様だの唱え、手を合わせ拝む姿にレイヤは渋々了承し、自分の部屋に通したのだが。
 彼の言う「作戦会議」が何なのかおおよそ見当もつかないが、フィリップに勉強する気がない事と、その内容がろくでもない事は、レイヤにも想像出来た。
 そして「会議」という事は、自分を巻き込むつもりだという事も――。

「名付けて、『サリタさんのハートを射止めるぞ大作戦』!」
「……」
 あまりにも雑で馬鹿馬鹿しいそのネーミングに、レイヤは酷く呆れた。フィリップを振り返る事もなく無言で教科書を開き、ノートの上にペンを走らせる。
 フィリップもまた、ベッドの上でノートを広げながら唸っているが、それが勉強の為のものでないことは明らかだった。
「まずは『ロマンチック作戦』だな!」
「却下」
「おい、まだ説明もしてねぇぞ! 例えば、夜の散歩! 星空の下で二人っきりになれば、自然と――」
「却下」
「早ぇよ!」
 フィリップは近くにあったクッションを部屋の隅に投げた。赤色のペンで「作戦ノート」に大きくバツ印をつける。
「お前、マジで色気ねぇな……じゃあ、次! 『ヒーロー作戦』! サリタさんの危機をお前が救う!」
「彼女なら自分で解決する」
「そう、なのか……」
 ベッドの上であぐらをかいていたフィリップが肩を落としたが、すぐに「次が本命だ」とばかりに顔を上げた。
「じゃあ、『嫉妬作戦』!」
 レイヤは微動だにせず答える。
「くだらない」
「いやいや!? 例えばお前が他の女と仲良くしてるのを見せつけたら、サリタさんも焦って――」
「僕とアメリアの関係を知ってる彼女だ。今更そんな事で動揺するわけがない」
「……それもそうか」
 再びバツ印がつけられる。
 レイヤが勉強を続ける中、フィリップが頭を抱える。
「くそっ、どれもダメか……なら最終手段だ!」
 おもむろに立ち上がると、彼は何かを探し始めた。レイヤの隣まで来て、ようやく目的のものを見つけたフィリップ。
 彼はレイヤの勉強する机の上にある手鏡を拾い上げ、レイヤの顔の前に突き出した。
「お前の最大の武器、それはその顔だ!」
「……」
「ほら、自分の顔を見ろ。これを武器にしてサリタさんに迫れ」
「顔なら見慣れてるだろ」
「そうじゃねぇって! ……お前見た目は良いんだから、そこを活かさない手はないぜ?」
 学園内には、レイヤの隠れファンともいえる女子が多数存在する。もっとも、アメリアとの婚約関係が広く知られている事から、彼に直接アタックする“勇気ある女子”は皆無であり、本人にはその実感がないのかも知れないが。フィリップがその事実を告げると、レイヤの表情はぴくりとも動かなかった。レイヤにとって、サリタ以外の女性から想いを寄せられる事など、何の意味も持たなかった。
「お前、目つきとかもうちょい柔らかくしろよ! ほら、ちょっと微笑んでみろ!」
 レイヤは無言で鏡を覗き、自分の微笑んだ顔を想像する。
「……」
「どうよ?」
「気持ち悪い」
「お前の顔が!? じゃあ俺と交換してくれよ!」
 フィリップの声は悲痛なものだった。……友人という立場から見ても、レイヤの顔の良さは認めざるを得ずそれを少々羨ましいと心のどこかで思っていたのだ。
「お前マジでサリタさんを落とす気あんのかよ……」
 ベッドの上のスナック菓子を開封しながら、呆れた様子でフィリップはこぼした。
「勉強の邪魔するなら帰れよ。」
 溜め息とともに言った。机の上の教科書に視線を戻す。レイヤにとってフィリップの提案は、ただの雑音にしか聞こえていない様だった。
「何言ってんだ、こっちは本気で考えてんだぞ! 一度でもいい、サリタさんに微笑んでみろよ」
 レイヤはもう一度鏡を手に取り、しばらく無言で鏡に映る自分を見つめた。少しだけ笑顔を作ってみせたが、「くだらない」とだけ言いパタンと手鏡を閉じた。
「大人の男として見られたいんだろ?」
 レイヤの肩がぴくりと震える。大人の男、という言葉に反応したのだ。
「そうなると男の色気は必須だろ。ほら、おもむろに近付いてさ、絶妙な距離感で彼女をじっと見つめる……」
 気付けばレイヤはフィリップの方を向き、彼の言葉に真剣に耳を傾けていた。
「そして……低い声で言うんだよ。『僕の事、どう思ってる?』ってさ」
「……」
 耳を貸した事を少し後悔しつつも、レイヤは思った。そんな事を出来る自分だったら、どれだけ良かっただろうと。
 フィリップの提案はどれも馬鹿げたものばかりだった。だが、サリタに自分を「大人の男」として意識させる事が出来れば――。自分を異性として見てくれるだろうか? ただの子供でなく、一人の男として。
 二人は暫く沈黙した。
 しかし、突如としてドアをノックする音が響き、その静寂を切り裂いた。
 両者とも飛び上がりそうな程に驚き、顔を見合わせた。誰が来たのだろう……。
「疲れたでしょう、ちょっと休憩しない?」
 ドア越しのそれは、サリタの声だった。まさにこの人物をターゲットにした作戦会議中だっただけに、二人に緊張が走る。ドア近くを陣取っていたフィリップは立ち上がり、ゆっくりとドアを開けた。
「飲み物、持ってきたよ」
 そこにはサリタがにっこり笑って立っていた。手には二人分のカップを載せたトレーがあった。
「あ、あざっす」
 恐縮してフィリップは言う。彼女は部屋に入り、テーブルの上にカップを並べた。琥珀色の水面が揺れ、部屋には紅茶の香りが漂う。
「勉強してるって聞いた。あまり無理しないでね」
「ああ、ありがとう」
 レイヤは少しだけ振り返り、そう言うに留まる。その様子をフィリップは快く思わなかった。
 そして唐突に言った。
「サリタさん、今日もお綺麗っすね。マジ美人。俺の太陽。てか、女神?」
 ハッとし、レイヤはフィリップを見た。彼のあまりにも予測不能な言動に、レイヤは焦りを感じる。フィリップの顔は真剣そのものだった。真っ直ぐサリタを見つめ、なおも続ける。
「サリタさんが微笑むだけで、この宇宙は救われる……マジで」
「フィリップ君……そんなに言っても何も出ないよ」
 くすりと笑い、彼女はただのお世辞としてフィリップの言葉を受け流す。しかしフィリップは続けた。
「別に何か欲しいワケじゃないですよ、本当に綺麗だから! なあレイヤ、お前もそう思うだろ?」
 突如としてレイヤは話を振られる。サリタの視線が、レイヤに向けられた。そこにどういった感情があるのだろうと考えると、レイヤは怖くなった。
 どう返すべきか、このまま黙っているべきか……。レイヤは焦った。フィリップは言葉を促す様に、険しい顔でレイヤを見る。早く言え、とその真剣な眼差しが語っていた。
「……きょ、今日も綺麗だ……」
 やっとそれだけを絞り出す。フィリップの様な語彙力は、彼には無かった。
 じっとレイヤを見つめていたサリタは、優しく微笑んだ。ありがとう、と。
 勉強の邪魔をしては悪いから、とサリタは部屋を後にした。そして部屋は再び、沈黙に包まれる。
「……」
 緊張でしどろもどろになっているところをフィリップの前に晒した事をレイヤは後悔していた。
 何故あんな事を言い出したのか。真意を問う為にフィリップに詰め寄りたい気持ちがあったが、自身が失態を演じてしまった事を後悔する気持ちの方が強かった。
 しかし対照的に、フィリップは腕組みをして何やら納得したように頷いていた。
「お前、望みあるぞ」
「どこがだよ……!」
 俯き、頭を抱えたレイヤは消え入りそうな声で言った。
「俺が褒めた時はすぐお世辞だって流したろ? でもお前の時は違った」
 ハッとする。確かに、フィリップにはすぐさまお世辞と反応した。しかしレイヤが褒めた時の彼女は、微笑んだのだ。たまたまだろうか。彼の言うように、望みがあれば良いんだが……。

 夜が訪れた。フィリップは未だにああでもない、こうでもないと、頭を悩ませていた。
 その姿は真剣そのものであり、レイヤもまた勉強に取り組むものの、その内容は殆ど頭に入ってこなかった。彼の頭の中には先程のサリタの微笑みだけが思い出されていた。
「今日のところはお開きな。もう遅いし泊めてくんね?」
 おもむろにフィリップは言う。どこまでも図々しい奴だとレイヤは思った。
 結局フィリップはヴァルデック邸に泊まる事になった。レイヤが彼を自室に泊めるのを拒否したために、フィリップは客間に通される事になった。
「文句ばっかだったなアイツ。こっちは真剣だってのに。」
 フィリップは苛立っていた。彼自身、友人を気遣ってこうして家にまで押しかけた。それなのに必死に捻り出した作戦の数々をレイヤは全て却下した。そのどれをも試すことすらせず。最初から諦めている姿勢に、何よりも腹が立っていた。
(あんなんで大丈夫かよアイツ……)
 フィリップなりに頭をフル回転させて挑んだ今回の作戦会議。その疲れからか、彼はすぐに眠りに落ちていった。
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