星降る檻(セカイ)の、向こうには。

静杜原 愁

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本音の距離

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 大事に育てられてきたとは思う。だからこそ、両親の期待には応えたい。期待に応えるのが私の存在意義と思っていたから。

「縁談ですか……?」
 それは両親との食事中に、確か十三の頃だった。ああ遂に来たか、と思ったものだった。
 父は少し離れた向かい側から言う。
「お前はまだ子供だから、驚くだろうが……」
 まだ子供。そうなのだ、だと言うのに。だけど……昔から聞かされていた。私はいつか、どこか知らないけど、名家の出の男性と結婚する事になると。それが私の役割。
 だけど、この家はどうなってしまうのか? 私しか子供が居ないこのシャルヴァン家は。
「分家から養子を取ることにしたよ。家そのものより、事業の存続が重要だからね」
「アメリアにしか出来ない大切なことなのよ。分かるわね?」
 母親が諭すように言う。
 私は、初めて聞いた話に混乱するばかりだった。それでも期待に応えなきゃいけない。そう考えた。
 大事な役目――だから私は、それを果たさなければならない。でも、どうしてだろう。酷く残酷なことのように思えた。
 誰とも知らない相手との結婚を勝手に決められ、家は誰か別の男子が入る。この結婚には事業の命運が託され、私は生贄として差し出された様なものだ。
 私は目の前の本を開くのが怖かった。そこにいるのがどんな人物か知るのが。自分よりうんと年上かも知れない――そんなの、嫌だ。
「中々の美少年と思うけどね」
 父は白いテーブルナプキンで口元を軽く拭いながら、そう言った。
 美少年、という事は少なくとも自分の想像するよりは若いのだろうか。少しだけ安堵する。
「ほら、見てご覧なさい。あのヴァルデック家の御子息よ」
 母は促す。ヴァルデック……。私の指先は一瞬止まり、溜め息が出てしまった。開く前に分かってしまった。よりによって、あの子。
 答え合わせする様に、私はそれを開いた。
 レイヤ・ヴァルデック。ヴァルデック・インダストリーズの御曹司。私のクラスメイト――話した事は、殆ど無かった。
 こういうのって笑顔で写るべきじゃないのかと思うけど、写真の彼はどこか面白くなさそうな表情だった。
「受けてくれるね?」
「はい」
 それだけ言うと、食事を残し私は部屋に戻った。
 溜め息が出る。明日から彼にどう接するか、それをただ考えていた。

 彼が嫌な訳じゃない。別に、結婚するならそれでも良いかとも思える。うんと年上の相手と結婚しろと言われるより、幾分かマシ。……もしかしたら、接する内に彼の事を好きになれるかも、とも思う。
 だけど、私にはどうしても胸につかえるものがあった。
 それはどうにも受け入れ難い事実。幼い頃に見た、彼の姿が今も目に焼き付いていたから。
「サリタが助けてくれた。サリタはね――」
 そう語る彼の瞳の輝き。それは、誰か好きな人の事を思う時のそれにしか見えなかった。
 初等部一年の頃、彼は私と同じクラスだった。彼は件の大規模襲撃に巻き込まれ、絶体絶命の危機に陥った。それを一人の女性兵士が救出。その事は当時、大きなニュースとなった。学園でもその話題で連日盛り上がった。
 そして当事者である彼が登校してきた途端、クラスメイトは彼に詰め寄った。
 大変な事があった後でも、語り出す彼の瞳は何故か輝いていて。
「すき、なんだ……」
 不意に呟いていた。遠くで見ていた私にも、彼がサリタさんを好きなのが伝わってきた。
 彼の家の事情は良く知らない。ただ、その後女性兵士だったサリタさんはヴァルデック家から特別待遇を受けたというのはニュースでも報じられていた。
 だから今もまだ、きっと彼は――。

「あの、レイヤ君」
 朝一番に、彼の席へと足を運ぶ。机に頬杖をついた彼は、私に視線を向けた。しかしそれも一瞬で、すぐに目を逸らす。
「……」
 彼も気まずいのだというのが分かる。きっと、彼も縁談について聞かされただろう。だが一応確認を取ろうと思う。
「その。あなたもお父様から……聞いてる?」
「まあ、うん」
「そっか……」
 どうにも、会話は続かない。それもそうだろう。だって昨日まではあまり話す事もなく、特に親しくもない同級生だった。それが今日いきなり、許婚になったのだから。
「それ言いに来ただけ?」
「そ、そうじゃないけど……」
 ああ、私はどうしたいんだろう。婚約関係にあるんだから、交流を深めようと? それって必要なんだろうか。
 彼はどう思うんだろう。この態度、あまり話したくなさそうに感じる。そうしなきゃいけない。そうしなきゃ……まずは少しでもお互い知る必要があると私は思うんだけど。
「義務感?」
 ふと、図星を突く言葉が私に刺さる。
「だってさ。君はほら、人気者で。こんな僕に話しかけるの、今まで無かったし」
 皮肉に聞こえた。事実、そんなに話した事もない。大きくなってからは、余計に。
 あの時の……サリタさんの事を話した時のキラキラした瞳が嘘の様に、今の彼はどこか人を遠ざける様な雰囲気を纏っている。昔はもっとこう、愛嬌の様なものを彼も持っていた。だけどそうする事の意義を見い出せないのか、今の彼にはそれが感じられなかった。まるで人から好かれようとも思ってないみたいに。
「そ、そうだとしても。いずれその……結婚、するんだから。その……」
 しどろもどろになってしまった。結婚という言葉を口にするのが酷く恥ずかしく思えた。
 彼は険しい顔を向けていると思ったが、実際には微かに微笑みを浮かべていた。こんな私の様子を、きっと可笑しいと思っているんだ。
 そして口を開いた。
「じゃあ僕らは今から、そういうお付き合いを始める訳だ」
 彼の言う様に義務感だった。だけどこの言葉には流石に私も動揺を隠せなかった。不敵に笑う彼は、何を考えているのかよく分からない。
 一番気になる事を私は聞けずにいた。今もまだ、彼女を好きなのかと。

 いずれ彼と結婚する、それが私の役目。大事な、私にしか出来ない役割。アメリア・シャルヴァンは完璧でないといけない。私は完璧に、期待に応えて――。
 彼と接触する様になり、少しだけ分かった事がある。彼は本心を誰にも見せはしない。笑いかけはするが、そこにどういった感情があるかは読み取れない。
 表面上、話をすれば応じてはくれる。けれど深くは立ち入らせない。壁を作っている様に思える。誰も信用していない様な、冷めた瞳。私にもそれを向ける。
 果たして「そうなるまで」に、彼の心を開けるのだろうか? 私には、分からなかった。
 こうして彼と話す機会が増え、周りの目が気になる様になった。そしてどこかから、私達が許婚の関係になった事実が噂としてクラス中に広まった。学園で顔を合わせるなら、学園でこうして交流するしかないと思ったが。軽率な行いだったかと私は少し後悔した。
 ただ、多少は良い面もあった。彼との関係が広まるにつれ、告白してくる男子が減った。それを断る事に少し罪悪感を感じていたから、それが無くなったのは私としては歓迎するべき事だった。
 そしていつの間にか大企業の御曹司と令嬢同士、お似合いカップルとして学園中の噂になった。
 彼はどう思っているだろうか。嫌そうな顔はしない。けど――やっぱり、本心が気になった。

「ねえ。サリタさんって、今どうしてるの?」
 婚約者として接する様になり、二年程経った頃……ある日の昼休みだった。もう少しだけ踏み込もうと私は決めたのだ。
 彼は意外そうな顔を見せた。
「サリタの話、した事あったっけ?」
 ドレッシングを持つ彼の手に変に力が入ったせいか、彼のサラダは味付けが過剰になってしまったようだった。明らかに動揺している。
「ないけど」
 私は全部、言ってやった。全部、見てたんだぞと。
 彼は覚えていないだろうけど、初等部一年の頃に同じクラスだったんだぞって。そしてあの日、あんな風に話してたのを私は見ていたんだぞって。
「……」
 レイヤは視線をちらりと横にずらし、頬杖をついた手で口元を隠すようにした。まるで自分の表情を隠すかのように、無意識にその手に力を込める。
「今も……好きなの?」
 問いかけに、彼は何とも言えない表情を返す。
 聞いてしまった。それを知るのは、私にも怖い瞬間だった。将来を約束された相手が、他の誰かを想っているのだとしたら……きっと私は、耐えられない。
 暫くは沈黙だった。周囲の食器の音と談笑だけが、聞こえてくる。
 彼は深く息を吸った。
「だとしても……それが何になる?」
 一瞬、彼の声が詰まる。作り笑いを浮かべているけれど、視線は揺れていて。……精一杯の強がりだろうか。
 ようやく私は彼の表情の意味を知る事が出来たような気がした。
「あなたはそれでいいの?」
 そう口に出してしまっていた。純粋に湧き上がった疑問だった。
 ずっと、聞きたかった。彼は諦めたんだろうか? 本当に好きな人が居たとしても。
「良くない。本当は、良くない。そんな……無理だ」
 泣きそうな顔で彼はそう言った。私は少しだけ胸が痛んだ。ただ同時に少し、安心したのだった。
 彼も本当はこの結婚に乗り気ではないのだと知れた。例え相手がレイヤじゃなくても。私の、――当人達の意志が無視された結婚には、疑問しかなかった。いくら家の為だとはいえ。やっぱりどこか、抵抗感があって。
 期待には応えるもの。そしてそれが私の存在意義。だけど応えたとして、私はどうなるんだろう。望まない結婚。結婚って本当なら幸せなもので――ありふれた物語にもあるように。でも、そうじゃないなら。私の意志は、心は……幸せは、どこにあるのだろう?
 彼は涙を見せる事は無かった。けれど、堪える様に震えていた。
「レイヤ……ありがとう」
「何が」
 声はやっぱり、強がってるように聞こえた。
「やっと本音を教えてくれたから」
 素直に言った。少しだけ、私は気が楽になった。彼も望んでいない、それを知れた事が大きくて。
「そう……」
 素っ気ない返事だったけど、それで良かった。
 これが私と彼の距離感。無理に縮めようとしなくて良い距離なんだ。同志なんだ、お互いこの結婚を良くは思っていない。出来るなら、二人でこれを白紙にしてしまいたい。だから、同じ志を持つ友達同士で居よう。
 彼の為にも、私の為にも。それで、良いんだ。それが、彼の期待に応えることなんだ。
 窓の外は、快晴。雲一つなく……まるで、モヤモヤが消え去った私の心を反映するような青空だった。
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