星降る檻(セカイ)の、向こうには。

静杜原 愁

文字の大きさ
45 / 53

寄り添う姉妹(ふたり)

しおりを挟む
 歩いていた。ただ、それだけで少しは気が紛れる気がした。
 宛てもなく探すように、レイヤの姿を追い求めるように……サリタは、街を彷徨っていた。
『探しに行くしかないでしょう』
 あのエリスの言葉が、今の彼女を動かしている。その言葉には感情は無く、ただ現実として彼女を突き動かす事実だけが示されていた。
 レイヤが姿を消してから、どれ程の時間が経ったのだろうか。
 あの小さな黄色いカナリアの事を、ふと思い出していた。温もりを失い、冷たくなってしまった小鳥。どこにも行けず、命を落とす事になったあのカナリア。小鳥を埋めた庭の片隅を思い出し、胸に冷たい恐怖が再び広がる。
 レイヤも、このまま消えてしまうのではないか。その考えが、サリタを強く突き動かしていた。恐怖に支配され、彼を見つけられなければ全てが終わる気がして、否応なくその思いが心を占めていく。
 サリタの足は無意識に早くなり、風の冷たさにふと気づいた。レイヤは……寒がっていないだろうか。
 しかしどこを探しても、レイヤの姿は見当たらない。かつて彼が友人と寄り道したダイナーにも行った。それ以上は、探す場所に心当たりが無かった。
 それでも探さなければならない。探すことをやめてはいけない。だがサリタ自身、何処をどう探せば良いのか、分からなかった。 
 最早目的地のない旅をしているようだった。探すという行為そのものが、自分を保つための儀式にすり替わっているようで、それがまた苦しかった。
 既に夜の帳が下り、街灯が一つまた一つと明かりを灯す。辺りはすっかり暗くなり、冷たい風が吹き抜ける中、サリタは歩みを進めていた。
 しかし、何度目の角を曲がってもレイヤの姿は見つからない。とうとう彼女は、街の喧騒を背に、諦めるように屋敷へと引き返した。

 サリタが帰宅したとき、その顔には浮かない表情が広がっていた。探し続けた足取りがどこか重く感じ、胸の中に広がる空虚さをどうしても拭えないまま、サリタはただ静かに部屋へと歩を進めた。
 その姿を見たエリスは、何も言わずに彼女の後ろをついて行った。
 部屋に入ると、サリタは無言でソファに腰を下ろす。エリスはその横に、少し間を空けて座った。二人の間に沈黙が降りる。
 エリスは、サリタが何を考えているのか、何も聞かなくても分かる気がした。
「見つけられなかった」
 サリタの声が、部屋の静けさを破った。それは、何とも言えない重さを帯びていて、エリスの胸に響いた。彼女の悔しさ、無力感、全てがその一言に込められているようだった。
 エリスは声をかけられなかった。かけるべきとも思えたが、ただ静かに寄り添うしかなかった。
 せめて彼が無事であることを伝えたいとも思った。だが、自分が先に彼を見つけたという事実をサリタに告げるのは、残酷にも思えた。
 エリスは、彼女自身の手で彼を見つけることに意味があると感じていた。
 そしてそこに、少しのエゴもあった。彼女はサリタの気持ちに寄り添うことに満足しながらも、どこかでサリタが自分に頼り、弱さを見せることに僅かな優越感を感じている。ただ静かに寄り添うことで、満たされるものがあった。
 エリス自身、サリタの事を愛してしまっていた。それは姉妹愛のようであり、どこかそれとは違うもののようであり。その感情が、エリスの中で次第に膨らみ、サリタを大切に思う気持ちとはまた違う、何かが混ざり合っていることに気づかされる。
 彼女達の間に流れる、奇妙に強く結びついた絆。それが、どこかで恐ろしい程に自分を支配し始めていることを、エリスは無意識のうちに感じていた。
 記憶と感情の共有が、彼女達の間にあるものを変えてしまっていた。
「大丈夫、きっと。見つけられますよ」
 根拠のない言葉ではある。ただ、エリスは自分の言葉で彼女の心が少しでも救われるなら、と考えた。
 サリタはその言葉でエリスを見、小さく頷いた。

「私も……あなたの記憶を見てしまった」
 不意に、サリタは言う。
「面白いものではなかったでしょう」
 エリスは自嘲気味に言い、彼女が何を見たのかを想像した。
 エリス自身、サリタの見られたくはないであろう記憶を見てしまっていた。逆に自分のそれを見られたところで、今更どうという事はないと考えた。
「辛くはなかった? その、代わる代わる……」
 サリタの中には、エリスの記憶の断片が思い出された。毎晩違う男の顔、エリスの以前の“仕事”の様子だった。
 反射的に目をぎゅっと閉じる。だが、心の中に投影されたそれは消えることはなく。
「そういう用途で造られたので。辛いだとかは、無かった」
 エリスは僅かに目を伏せるが、その声はただ淡々としていた。サリタの見たものが何か、察しがついた。
 身を預けるように寄り添うサリタの手をエリスが取った。慈しむように、その輪郭を確かめるように、指で撫でる。
「あなたみたいだったら、私も辛くなかったのかな」
 サリタは呟いた。言ってしまってから、自分の口にした言葉に驚いた。……まるで、感情がないことが救いだとでも言うような。
 そんなつもりじゃなかった。ただ、痛みをどう処理していいのか、分からなくなっていただけなのに。
 その一言が、エリスの胸を掠める。けれど彼女は、いつものように無表情を保っていた――少なくとも、表面上は。
「感情が無かったから……そうですね」
 機械のように紡がれた返答。その声には、微かに揺れるものがあった。サリタはそれに気づき、はっと目を見開く。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ……」
 思わず口をついて出た謝罪。その声には、確かに後悔が滲んでいた。
 だが、エリスは反応しない。視線を逸らしたまま、唇だけが僅かに震えていた。
 感情が無かったから――その言葉が、何度も頭の中で反響する。
 彼女の中で、何かが軋む音がした。けれど、それが何なのか。エリスには、まだ名前を与えることが出来なかった。
「……別に、気にしてません。あなたの方がよっぽど辛かった」
 エリスは小さく、でも確かにサリタに向かって言った。自分でもその言葉にどれ程の重みを込めたのか、分からなかった。ただ、サリタが心配し過ぎていることだけは伝えたかった。
 サリタはエリスの目をじっと見つめ、何かを感じ取るようにその眼差しを暫く保ち続けた。静寂が二人を包み、何も言わなくても、心の中で共有しているものがあるような気がした。
「本当に、ごめんなさい……」
 サリタの声には、ほんの少しの恐れと、彼女なりの優しさが同居していた。その響きが、エリスには心地良いようでいて、どこか不安をかき立てる。触れてはならないものに指先が触れたような、微かなざわめき。
 エリスはそっと目を閉じた。記憶の奥に沈んでいた筈の断片が、不意に浮かび上がる。そこにあるのは、自分のものではない感情。サリタの記憶が、まるで自分の中に溶け込んでいるかのようだった。
 ……夜の公園。灯りの滲むベンチ。誰かを見つめる視線。
「サリタ」
 静かに、エリスは口を開いた。
「なに?」
「坊っちゃんとの思い出の場所、どこか……思い浮かびませんか?」
 一瞬、言葉の意味が理解出来なかったのか、サリタは首を傾げた。けれど、すぐに目を見開く。
「……!」
 その名もなき記憶が、急に色を取り戻す。
 立ち上がったサリタの動作は、もうそれ以上の説明を必要としなかった。

 そこに彼が居る保証など、どこにもない。けれど、エリスには妙な確信があった。
 あの日、あの場所。彼もまた、あの風景をまだ覚えている気がした。
 記憶とはそういうものだ――忘れようとしても、残ってしまうものがある。
 ならば、彼もまた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

処理中です...