星降る檻(セカイ)の、向こうには。

静杜原 愁

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帰る場所

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 ……どれくらい歩き続けた頃だろうか。僕はふと足を止めた。それは無意識だったが、目の前には見覚えのある公園が広がっている。薄闇の中、遊具の影がぼんやりと浮かび上がっていた。
(ここは、確か……)
 あの日の事を今でも鮮明に覚えている。……あの心細さと、あの、眩しい笑顔。
 それは暗闇の中ですら、僕には眩しく映った。
 誰も来やしなかった。誰も、見つけてはくれなかった。
 ただ、サリタだけが僕を見つけてくれた。それがとても嬉しくて、僕は。

 ――だれも見つけてくれない。
 幼いレイヤは、公園の片隅、茂みの影に身を潜め、じっとしていた。
 誰かが見つけてくれると彼は信じていた。もう遊びは終わったのかも知れない。それでも彼は、誰かに見つかるのを待っていた。
 だが――だれも、来ない。
 日がとっぷりと暮れ、辺りは既に暗かった。ほんの僅か、街灯だけが頼りなくその暗闇を照らしている。
 時間が経つにつれ、彼の心には不安と寂しさが押し寄せた。
 彼は半ば、意地になっていた。誰も自分を見つけられない事に、得意になってたりもした。
 だが暗くなるにつれ、公園は静寂に包まれる。そこに大勢居た筈の子ども達の声は遠くなり、誰の声も音も、そこには存在しなかった。
 まるでこの世界にただ一人、取り残されたように感じられた。だが今更、出ていく勇気も彼には無く――。
 もう誰も、待っていやしないことは理解出来たのに。暗闇の中に出ていくのが、酷く恐ろしい事に思えた。
「――の? ……て、」
 微かに遠くから、誰かの声がした。何を言っているのかまでは、彼には分からなかった。
 ただ、その声には不思議な安心感があった。――誰かがここに来た。それだけでどこか救われた気がした。
 声は次第に近付いてくる。それでも、彼はそのまま動けなかった。恐怖に心を支配され、立ち上がる勇気すら湧かなかった。
 その声には、聞き覚えがあった。どこか必死さが滲む、少し震えたような声音だった。
(サリタ……!)
 その名前が頭の中で響くと、彼の胸が痛んだ。立ち上がる勇気もなく、ただ願うしかなかった。彼女がこちらに来てくれるように。
 だが、その願いとは裏腹に、彼女の足音は次第に遠ざかり、彼の胸に不安の波が押し寄せてきた。
 もし、サリタが帰ってしまったら――その思考が頭を占めると、冷たい恐怖が彼の心を締め付けた。彼女に見つからなければ、もう誰も自分を見つけてはくれない。
 涙が滲んで、肩が震える。立ち上がれば、ほんの一歩踏み出せば良いだけだと分かっていたが、その小さな一歩がどうしても踏み出せなかった。
 ――その時。
「レイヤ」
 その声が、暗闇を切り裂くように響いた。恐る恐る顔を上げると、そこには――
「見つけた」
 それは、まるで太陽のように彼の心を照らした。
 サリタは微笑んで、そのままレイヤを抱き上げた。その瞬間、レイヤの胸に言葉にならない程の感情がこみ上げた。驚き、安堵、そして何よりも――あの日と同じように、再び彼女が自分を見つけてくれたことへの深い感謝の気持ちが、その心を満たした。
 暗闇に包まれていた彼の世界が、彼女のその笑顔で一瞬にして明るく照らされたかのようだった。
「ごめんね、遅くなったね」
 その言葉が、レイヤの胸に痛く響く。どれ程長い間、彼女を待ち、恐怖に囚われていたのか。その全てが一気に溶けていくような感覚。
 彼女の声を聞いた瞬間、すべてが癒されていくようだった。
 涙が溢れそうになるのを必死に堪えながら、レイヤはただ、サリタの温もりを感じ取っていた。二人の間には、言葉では伝えきれない程の安心感が流れていた。
 何も言わず、ただしっかりと手を繋ぎ、二人は歩き出す。
 沈黙の中に、ただ確かなものがあった。帰路を歩むその足音は、レイヤにとって、もう何にも変えられない大切な音だった。
 再び彼の心に温かな光が灯った――。

 サリタは静かにその記憶を胸に抱きながら、暗がりの中公園の奥へと歩みを進める。
 エリスの言葉で、彼女はこの公園を真っ直ぐ目指すことに決めた。
 街灯の淡い光が揺れ、長く伸びた影が静かに地面に溶け込んでいる。二人の思い出の場所……彼にとってもここがそうであれば良いのだけど。
 あの時、レイヤは寂しかったのだろう。そして自分は、彼を見つけられた事にひどく安心した。
 大切だった。居なくなってしまった事が、どれだけ自分の胸をざわつかせたか。それを今でも鮮明に思い出せた。
 サリタは辺りを見渡す。あの時、レイヤが隠れていた場所。もしかしたら、今も彼はそこで待っているのかも知れない――心の中で、それはすぐに否定されたが、足は止まらなかった。
 目の前にはあの茂み。だが、今は誰も隠れているわけでもなく。
 かつてレイヤが隠れていた茂みは、今は痩せ細り、冷たい風にざわめいている。
(そうだよね……)
 居るわけがない。居るわけが――

「……サリタ?」

 聞こえた瞬間、息が止まった。それを幻聴とも思った。だがそれは聞き覚えのある声で、それも今まさに探していた彼の。
 信じられないという思いで、その声の方を振り返る。
 一人の少年がそこに立っていた。白い息を吐き、暗がりで立っていた。
 一歩、また一歩と少年に近付く。暗くて、顔はよく見えない。けれども、確信していた。
 サリタの心臓の音が、ゆっくりしかし重く、歩みに合わせて響く。
 少年の頬に触れる――とても冷たい。少年もまた彼女の手に重ねるように、そっと触れた。



 会えるとは思っていなかった。ただ通りかかって、昔を思い出していた。
 あの場所に行けば、また彼女が見つけてくれるだろうか。そんな事はあり得ないと判っていても。ただ、歩みは吸い寄せられるように、あの場所に向かった。
 そこに誰かが居た。暗くてよく分からないが――長い髪の、女の人。
 響く心臓の音。思わず、呼びかけていた。そうだったら良いのにって、その思いだけで。
 女性は振り返り、ゆっくり近付いてくる。
 そして頬に触れる。その手は、冷たかった。それでも、今の僕にはとても温かいものに思えた。

「ただいま」
 たった一言、それだけ。だが、サリタはその言葉をずっと、聞きたかった。
「おかえり」
 彼女は涙を浮かべ、ただそう言う。
 それだけであったが、お互いの顔を見ればどれだけこの瞬間を待ち望んでいたかが分かった。冷え切ったレイヤの身体を温めるように、サリタは彼を抱きしめる。
「……見つけた」
 彼女は涙を拭いながら、笑顔で言う。その言葉はあの時と同じ響きだった。
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