ヴァンパイアは暁に夢む

静杜原 愁

文字の大きさ
3 / 5

姉と、愛しき落ちこぼれ

しおりを挟む
 重い瞼を押し上げると、薄明かりが痛みを伴って目に突き刺さった。
 思考がぼやけている。地面に倒れ伏したまま、微かに首を動かす。土の冷たさが頬に心地よい。
 その時、頭上に影が差した。雨も降っていないというのに、誰かが傘を差し出したかのような、静かな黒い円。
「あら、ミーシャ……こんなところでおねんねかしら?」
 見上げれば、白い肌、白い髪の女。傘の作る影の中で微笑む顔――その口元には、鋭い牙がちらりと覗いた。
「姉さん……」
「ほら、帰りましょう。もう私達の時間ではないわ」
 彼女が言うように、既に太陽が顔を覗かせ、辺りは明るい。その眩しさが肌を灼くように感じられる。
 手を借りゆっくりと立ち上がる彼は、服に着いた土埃を払うようにしながら言った。
「その呼び方、やめてくれないか。ミハイルって、ちゃんと名前がある」
「おまえはいつまでも私の可愛いミーシャだから。今更、変えないわ」
 姉と呼ばれた彼女は、ミハイルを振り返り微笑む。その微笑みは慈愛のようでいて、どこか違う感情を孕んでいるようにも見えた。
 その顔にミハイルはなにか違和感すら覚えたが、見て見ぬふりをし傘を受け取った。
「……血をくれたのは、姉さん?」
「いいえ?」
 ニカエラは首を傾げ、唇に笑みを浮かべた。
「……私なら、今おまえを見つけたばかりよ」
「そう……」
 朧気な記憶だった。その瞬間にはもう何もかも、分からなくなっていた。
 きっと極限にまで飢えていたのだろう。なにかを襲った気がしたが、違ったのかも知れない。
 小さな影、夜道にぼんやり浮かぶ……夜の闇には不釣り合いで無防備で、不用心な姿。
 そして与えられた。あぁ、甘美な血の味。あれは姉のものではなく――別の誰かの。
 冷たく見下ろした、金色の瞳。
「狩り、出来たのかな」
「おまえが? まさか」
 ぽつりと漏らしたミハイルに、姉は少しだけ冷えた視線を向けた。だが、ミハイルはそれには気づかなかった。
「そんなはずないわ。欲しいなら私に頼りなさい? ……そう言ってるでしょう」
「……そうだけど」
 ミハイルはどこか歯切れが悪い物言いをする。そんな態度に、ニカエラは苛立ちを滲ませているようだった。
「美味しかったんだ、それは確かに覚えてて……誰か、知らないけど」
「私のでは満足出来ないというの」
「それは、そうじゃないけど。いつまでも姉さんに頼るのは」
「その姉さんっての、やめて。ニカエラって呼びなさい! ……そう言ってるでしょう」
「っ、ニカエラ……」
 ミハイルは、姉の要求を素直に飲み込んだ。ただ、彼女のこの切実であり悲痛にも思える叫びのような声が、どこか言いようのない違和感を彼の中に落とし込んでいく。
「夢でも見ていたのよ。きっとそう、おまえが一人で狩りをしたことがあった?」
「そうかな、そうなのかな……でも誰か、じゃなきゃ僕は今頃――」
「忘れなさい。おまえは何も出来ないんだもの。そんな幻想に縋るくらいなら……私に縋り付けばいいの」
 諭すような口調であったが、視線はただ冷たく。しかしミハイルはそれを飲み込めないでいた。
 喉元に未だ、あの生暖かさが残っているような気がして、ニカエラの言葉を信じ切れず。
 本当に幻だったのだろうか? じゃあこの感覚は、どう説明すれば良いのだろうか……。
「帰りましょう」
 有無を言わさない言葉ただ一つ、それ以降ニカエラは何も語らなかった。
 雨も降っていないのに二人は傘を差し、まだ薄明かりの空の下、帰路についた。

 何も出来ない。そう、自分は何も――
 ヴァンパイアでありながら、一人では満足に狩りも出来ず、挙げ句飢え死ぬところだった。
 誇り高き種族の、落ちこぼれ。これが“夜の住人”? そう聞いて誰もが呆れるほどの……これでは太陽に怯えて日々を暮らすだけの、惨めな存在でしかない。
 それも姉の施しを受け、生き永らえるなどという。
 自分の存在意義が分からなかった。ただ、姉は自分を求めてくれる……それだけだった。それだけの自分の中に、どうにも昨晩のことが引っかかりを残した。
 はっきりとは分からない。ただ、与えられたそれがどうにも……忘れ難く。
 もしもあれが夢幻の類だったのなら――僕は、もう二度と目覚めたくはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

父が再婚しました

Ruhuna
ファンタジー
母が亡くなって1ヶ月後に 父が再婚しました

(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」

音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

夫から「用済み」と言われ追い出されましたけれども

神々廻
恋愛
2人でいつも通り朝食をとっていたら、「お前はもう用済みだ。門の前に最低限の荷物をまとめさせた。朝食をとったら出ていけ」 と言われてしまいました。夫とは恋愛結婚だと思っていたのですが違ったようです。 大人しく出ていきますが、後悔しないで下さいね。 文字数が少ないのでサクッと読めます。お気に入り登録、コメントください!

【完結】あなたに知られたくなかった

ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。 5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。 そんなセレナに起きた奇跡とは?

無能なので辞めさせていただきます!

サカキ カリイ
ファンタジー
ブラック商業ギルドにて、休みなく働き詰めだった自分。 マウントとる新人が入って来て、馬鹿にされだした。 えっ上司まで新人に同調してこちらに辞めろだって? 残業は無能の証拠、職務に時間が長くかかる分、 無駄に残業代払わせてるからお前を辞めさせたいって? はいはいわかりました。 辞めますよ。 退職後、困ったんですかね?さあ、知りませんねえ。 自分無能なんで、なんにもわかりませんから。 カクヨム、なろうにも同内容のものを時差投稿しております。

処理中です...