化け物騎士は元令息の血塗られた手を離さない

コムギ

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20【舞踏会とブローチ】

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 ダンスの練習をするにつれて、着実に上達した。先生にも褒められたから、出来栄えは上々だろう。

 昼食の後は、舞踏会での振る舞い方を復習した。

 特に貴族に対しての挨拶の仕方は、アラバンドと違うものもあった。グロッスラリアとの違いを学ぶのも大いに役に立つはずだ。何よりバルトルトに恥をかかせるわけにはいかないので、念入りに学んだ。

 暗くなると、バルトルトがマレクの部屋に忍び込んできた。出迎えたいと言ったのに、起きている必要はないと頑なだった。

 血の臭いがしたのはあの日だけで、湯浴み後のガウン姿で現れた。隣に横たわると、体にまとった暖気が伝わってくる。

 頭を撫でてもらいながら、今日の出来事を話す。くだらない内容でも必ず相槌を打ってくれる。聞き手としては優れていた。

 マレクは夢現になりながらも、意識が遠退く瞬間まで話した。眠る頃にはバルトルトの腕に抱かれて、安心感を得ながら、夜を越える。

 朝になると、寝室には誰もいない。昨夜の温もりはすでになく、一人分の空間が冷たく感じる。少しでもかけらが残っていないかと手でさらっても、何もない。本当に昨夜、一緒に寝たかと思えないくらい跡形もないのが寂しい。

 そういうときは「楽しみにしてる」という声を思い出した。その約束が憂鬱を緩和してくれた。

 ――バルトルトの隣に堂々と立てるようにがんばろう。

 そう考えるだけで、寝台から起き出せる。バルトルトのいない一日を越えられた。



 こうして日々は過ぎていき、舞踏会当日となった。

 マレクは伸びをしようと動かそうとしたが、逞しい腕の中にいた。

 いつもは空いている隣に、バルトルトが寝ている。黒髪が枕に散らばっていて、眉間はシワなく開いている。髭がうっすら浮かんでいるのは、まだ湯浴みをしていないからだろう。安らかな寝息を立てている。

 夜からずっとここにいて、マレクを抱きしめていたことを表していた。

 眺めているうちに、唇に目が止まった。その口は普段はきつく結ばれていて、滅多なことでは笑わない。

 それでも、マレクが「バルトルト」と囁いて呼ぶと、微笑を浮かべた。寝ていても声は聞こえるらしい。マレクだと判別しているのだとしたら嬉しい。

 口角が上がっただけで、印象が変わる。騎士にしては幼い顔に、自分の顔を近づけた。

 寝息が鼻先にかかるほど近づくと、神聖な儀式に向かうような気持ちで、瞼をゆっくり閉じた。

 唇を重ねようとしたとき、「マレク?」と声がした。一気に頭が冴えて、バルトルトを突き飛ばして距離を作ろうとする。

 しかし、太い腕がそうさせなかった。背中に回されて、肩に額をぶつかる結果になった。本当に腕も肩も胸板も、憎らしいほどに頑丈にできている。押しても引いてもびくともしなかった。

 バルトルトは身体を横にして、マレクを囲むように枕元で肘をつく。琥珀色の瞳が甘く蕩けて見えるのは、窓から差し込む朝日のせいか。瞳の奥に囚われていると、唇を軽く盗まれた。

 マレクは驚きと動揺で口元に手を当てた。一瞬、心音が止まったかと思えば、鳴り始める。

「口づけ、したかったのだろう?」
「そんなんじゃない!」
「積極的だったくせに」

 先程の無防備な笑顔ではなくて、からかうような笑みだった。

「もしかして、ずっと前から起きてたの?」
「名前を呼ばれたときには、起きていた」

 起こしてくれればよかったのに。唇をとがらせると、バルトルトは頬を緩ませた。微笑なんて、まだ可愛いものだった。本気で歯を見せて笑うと、陽の光も相まって眩しく輝く。ずるいと思った。

 熱に当てられたように頬が熱い。唸っていると、「マレク」と声をかけられた。

「何か用?」

 目を逸らしたいのはやまやまだが、バルトルトの手が顎を固定してくる。

「もっと、お前がほしい」

 少なからず想っている相手から言われれば、拒否するほうが難しい。

 頬を撫でられたかと思うと、唇が重なった。ついばむような軽い口づけから、戯れのように舌先を触れ合わせた。ざらついた舌の上で擦りつけて絡めた。

 マレクの甘い声と、バルトルトの吐息、口内からの水音だけしか聞こえない。身体の奥から、溶かされるような感覚に酔いしれた。体が熱くなってきて内股をすり合わせていると、バルトルトの喉仏が上下した。

「さすがに限界か」唇が離れていく。
「終わり?」
「これ以上は我慢できそうにない」

 首を傾げると、腰を引き寄せられて、膝がバルトルトの股間に当たった。服ごしでも主張してくる硬いそれは、男であればすぐにわかった。

「わかったか?」

 マレクは腫れ上がったように顔を赤らめた。両手で顔を隠すと、何度も首を振る。

 バルトルトの笑い声が降ってきた。ますます恥ずかしくなって、しばらく手を外せなかった。

 それからのふたりは、食事以外の時間を離れずに過ごした。実際は、バルトルトがマレクの背中を追いかけていただけだ。

 マレクも悪い気がしないで、服の裾を掴んで笑いかけては、バルトルトを悶えさせていた。



 夜が迫ると、舞踏会の準備が始まった。

 バルトルトからの強い要求で、湯浴みを一緒に行うことになった。

 何だかんだ、マレクは押しに弱い。「やっと一緒にいられるのに」と言われると、離れていた寂しさを思い出して、さらに断れなくなった。

 人に触れられたくないマレクと、マレクに触れてほしいバルトルトは、お互いの身体を洗い合った。

 強靭な筋肉がどうついているか、湿気を含んだ肌触りはどうか、この手に染み付くほど触った。バルトルトが、マレクの胸と下腹部を執拗に触れていたのは言うまでもない。

 マレクの指を一本一本丁寧に擦っていく過程は、くすぐったいを通り越して官能的だった。あの太い指が根元から爪や指先にいたるまで、絞り上げるように擦りつけてきたからだ。

 仕上げとばかりに太い指に細い指を絡ませた。簡単には解けないほど握られて、唇を塞がれる。浴槽の縁にマレクの後頭部が当たった。顔の横でバルトルトは左手を突く。右手はマレクの頬や耳を撫でるのに忙しかった。

「バル、ううっん」
「舌を出すんだ」

 言われるがまま、舌を出せば、待ち受けていたバルトルトの厚みのある舌に絡め取られる。ちろちろと舌先だけで戯れた後、舌の根から先まで絡み合う。唾液で口の中がいっぱいになると、吸い付かれた。

 飲み下すまでを惚けたまま見ていると、バルトルトは顔をそらした。濡れた前髪を手ぐしで後ろにかく。目をさまよわせているのはなぜか。不思議で見つめていると、腕を回されて、裸の胸に抱き締められた。

「あんまり見るな」

 耳元に柔らかい唇が触れた。吐息を吹き込まれる。

「このまま押し倒して、よがらせたくなる」

 のぼせるほどの文句に、マレクの頭はふらつきそうだった。



 湯浴みを済ませると、礼服を着せられた。いつ仕立てていたのか聞けば、侍女が耳打ちで教えてくれた。

 それによると、「マレク様のお部屋を用意した頃です。細かい手直しはいたしましたが、その頃からマレク様の礼服を用意されていました。珍しくご自身のも揃って仕立てられたのですよ!」だそうだ。

 バルトルトは侍女にバラされて、わざとらしく咳をした。

 マレクのフロックコートは瞳の色よりも深い青を基調として、襟や袖は金糸で縁取られている。中のベストも青で揃っている。

 胸元をフリルで飾ったブラウスなのも、着慣れてきた。屋敷での生活で、ほぼフリルブラウスを着せられていたからだ。おかげでこれまで着ていた忍び服の着心地を忘れるくらいにはなっていた。

 髪の毛も拝謁のときのように整えられた。バルトルトから口づけしてもらえるなら、丸い額を出すのも恥ずかしくない。

 隣のバルトルトは、執事から受け取った黒のフロックコートに腕を通した。騎士服と似ていたが、マレクとは色違いなだけで生地が同じだ。造りもフリルブラウスもお揃いだった。

 バルトルトの方が丈は大きかったが、一目で対だとわかる。黒髪は後ろに撫でつけられている。姿だけ見れば、騎士だとは思えない。侯爵家の主としての貫禄があった。

 自分の姿とバルトルトの姿を交互に見て、マレクは目を細めた。

「何か兄弟みたい」

 色違いの服なんて、兄弟でも初めてだった。兄のルジェクが生きていたら、マレクと社交の場に出たときに、こういう服を作ってくれたかもしれない。

 不服だったのか、バルトルトは眉間に深いシワを刻んだ。マレクの腰に腕を回すと、強引に自分の方へ引き寄せる。額に唇が押し当てられて、唇もやわらかく包まれる。

「兄弟でこんなことをするのか?」

 低く艶のある声は頭の芯にまで響く。耳に吹きかけられた吐息が、背中を撫でられたような心地を運んできた。

 周りには侍女も執事もいるというのに、バルトルトはマレクしか見ていない。他に見るものがないというように、琥珀色の瞳はマレクだけを映す。観念して、マレクは首を振った。

「そうだ。兄弟ではなく、婚約者だと思え」

 身体が熱くなってきた。さらっと言われると困ってしまう。

 戸惑うマレクを置き去りにして、バルトルトは真剣な眼差しになった。まるで深刻な話をする前触れのようだ。一語一句漏らさず聞かなければいけない気になってくる。

「これを身につけていてほしい」

 バルトルトは太い指で、マレクのコートの胸元に剣を模したブローチをつけた。鍔の部分の石は琥珀色に輝いている。これをつけていると、バルトルトの所有物にでもなったかのようだ。嬉しくて石を撫でる。

「俺にはこれを」

 マレクの手に握らせてきたのは、ラピスラズリが埋め込まれた同じかたちのブローチだった。まさにマレクの瞳の色と似ている。お互いにつけ合うと、まるで挙式の指輪交換のような気になってくる。

 バルトルトがしたように、マレクもそのブローチをコートの胸元につける。

 ブローチも服も対。石の色や服にこめた想いに気づいていたが、確かめるのは野暮だと思った。

 もはや、ここまでして、恋仲とされても言い逃れはできない。まだ好きだとも言っていないのに、かたちだけは疑いようがないほどにできあがっていく。

 口づけをされても、過剰に触れられても、マレク自身は嫌ではなかった。もっと触れて欲しいとすら、思っていた。
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