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第42話 アルのお迎え

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「東の方の用事は無事済んだかい?」

 突然目の前に現れた銀碧狼に対し、レオニスの方から口を開いた。

『ええ、おかげさまで。この通り、恙無く帰ってこれました』

 穏やかで柔らかい口調の声が、ライトにも聞こえた。
 レオ兄の言う通り、知能の高い種族なら人間とも会話が可能なんだ!と、ライトは内心興奮していた。

「そりゃ良かったな。そしたらあれか、今日は我が子を連れ帰るためにお越しいただいた、ってことでいいか?」
『はい。ただの通りすがりであった貴方には、大変お世話になりましたね。礼をしたいのですが、何か所望するものはありますか?』
「んー、そうだなぁ……急に言われても、すぐには思いつかんなぁ」
『そうですか。では後日改めて、またこちらに伺うことにいたしましょう』

 双方とも穏やかかつ冷静な会話を交している。
 そこに、ライトがおずおずと口を開いた。

「あの……いいですか?」
「『??』」

 レオニスと銀碧狼母が、同時にライトを見た。

「えっと、その、所望というか、お願いしたいことがあるんですけど……」

 ライトは銀碧狼母をまっすぐに見つめた。
 銀碧狼母も、ライトの目をじっと見ながら問う。

『小さな人の子よ。何か望みがあるのですか?』
「はい。欲しいものとかではないんです。ただ……」
『……ただ?』
「これからも、アルがここに遊びにくることを、許してほしいんです」

 ライトは銀碧狼母の足元にいるアルを見た。

「アルにここにずっと住んでほしい、なんて言いません。アルにだって、お母さんは絶対に必要だし、親子はいっしょに暮らすべきだし」
「でも、このままお別れして、二度とアルに会えなくなるのは、寂しくて……」
「もちろん、ぼくだけでなく、アルの方でもぼく達に会いたい、遊びにきたいって、思ってくれていたら、の話ですが……」
「もしアルもそう思ってくれていたら……その時は、遊びにくることを、許してもらえますか?」

『………………』

 銀碧狼母は、ライトの申し出を静かに聞いていた。
 一通り聞き終えた後、己の足元にいる我が子に視線を向け、鼻と鼻をちょこん、とくっつけあった。
 アルは目を細め、クゥン、キュウン、と何やら銀碧狼母に語りかけているようだ。

『小さな人の子よ』

 銀碧狼母は、ライトに話しかけた。

『貴方の言う「アル」とは、この子のことですか?』
「…………!!」

 そういえば、アルという呼び名はライトが暫定でつけたものだった、ということを今更ながら思い出したようだ。

「あっ、あの、その、1ヶ月もいっしょに同じ家に住むのに、呼び名がないのはさすがにちょっと不便かな、と思ったので……」
「レオ兄ちゃんも、お母さんから名前とか聞いてなかったって言ってましたし……」
「……でも……」
「お母さんからしたら、大事な子供に人間が勝手に名前をつけていたら、きっとすごく不愉快ですよね……」
「勝手なことをしてしまって、ごめんなさい」

 ライトは慌てて言い募りつつも、素直に頭を下げて謝った。

『いいえ、大丈夫ですよ』
『もとはと言えば、この子の愛称すら伝えずに我が子を貴方達に預けたのは、この私ですし』
『落ち度があるのは、私の方です。ですので、人の子よ。貴方が謝ることはありません』

 銀碧狼母に快く許してもらえて、ライトは安堵した。

「ありがとうございます。そしたら、この子の本当の名前は何というんですか?」
『それは私の口からは教えられません。私達にとって、真名とは魂の奥底に刻み込まれる、己が生命にも等しい核のようなもの。それ故に、自身が真のパートナーと認めた者にのみ、己の口から真名を相手に伝えることが許されるのです』
「ああ、やっぱりそういうものなんですね」

 ライトは納得した。前世の世界でも、本名を隠したり、家族以外の誰にも知られてはいけない、などの習慣は世界各地で散見されるものだったからだ。
 故に、教えてもらえなくて落胆するようなことではなかった。

『ですが……』

 銀碧狼母が、意外そうな声音で話を続ける。

『アル、というのは、この子の真名の一部に近く、私も普段からその愛称でこの子を呼んでいるのですよ』
「えっ、そうなんですか?」

 偶然にも、ライトがつけた暫定の名が愛称と一致していたようだ。

『偶然とはいえ、不思議なこともあるものですね』
「はい、何だかとっても不思議で、嬉しいです」
『……嬉しい?』
「ええ。だって、愛称ならば今まで通りアルと呼んでいいのでしょう?」
『……ああ、そうですね。真名ではない愛称や俗称ならば、どう呼ばれようと全く問題はありませんね』

 最初のうちはライトが何を喜んでいるのか分からず、何のことかと不思議そうな様子の銀碧狼母だったが、呼び名を変えることなく継続できることへの喜びなのだということを理解できたようだ。

『この子、アルが己の意思でここに来たいのであれば、私はそれを止めることはしません』
『もとよりここは、広大なカタポレンの森の中でも最も安全な場所のようでもありますし』
「最も安全な場所?」
『ええ。強力な結界に、強力な守り人。ここにはその二つがあります。下手な魔物はもちろんのこと、ちょっとやそっとの魔物では侵入どころか結界に近づくことすら敵いませんよ』
「えっ、そうなんですか?」

 銀碧狼母から思わぬことを聞き、ライトはレオニスの方に向き直る。
 レオニスはバツが悪そうな顔をし、右手で自分の頭をガリガリと掻いた。

「あー、やっぱ銀碧狼の成体ともなりゃ普通に分かるかぁ。そうだよなぁ、現に今だって易々とうちのド真ん前にまで来れてるし」
『ええ、私も銀碧狼の端くれですからね。ちょっとやそっとで括られるような魔物ではありませんよ』
「おっと、あんたを雑魚扱いした訳じゃないんだ。気を悪くしないでくれ」
『分かっていますよ。そんな瑣末なことで機嫌を悪くなどしません』
「そうか、ならいいが」

 双方の会話を聞いていたライトは、レオニスに問うた。

「レオ兄ちゃん、結界って、魔石のとは違うの?」
「ああ。お前だけでなくアルもしばらく預かることになったからな、魔石の結界の更に外側にもうちょい強めの結界を張っておいたんだ」
『あの二重結界が「もうちょい」扱いですか……人の子なれど、侮れませんね』

 銀碧狼母が顔を背けながら眉を顰め、半目になりながら何やらブツブツと呟いている。
 周りには聞き取れていなかったようで、ライトもレオニスも気づいていない。

「ところでさ、あんた達母子は普段はどの辺りに住んでるんだ?」

 レオニスがふと顔を上げて、銀碧狼母に問うた。

『私達の住処、ですか?』
「ああ。それが分からんことには、こいつもアルのもとに遊びに行けないからな」

 レオニスがニカッと笑う。
 きょとんとした顔をしていたライトは、その言葉を聞いてハッとしたように目を見開き、次の瞬間にはこくこくこくこくと高速で頷いていた。

『私達は絶対にここに住まねばならない、という決められた永住の地は特にないですが……そうですね、近年ではここよりはるか西にある氷の洞窟付近にいることが多いですかね』
「氷の洞窟ってーと、あすこら辺か……よし、分かった、覚えとくわ」

 おお、氷の洞窟とな!あの麗しの氷の女王の御座す地か!
 これは是非とも一度アルのおうちにお邪魔しに行かねば!
 ライトは思わぬところでブレイブクライムオンライン由来の言葉を聞き、内心歓喜した。

「レオ兄ちゃん、どの辺りか分かるの?」
「ああ、この森のことなら大抵のことは分かるし、知らんことなどないって程度には知り尽くしてるぞ?まぁ、氷の洞窟っちゃここから結構離れたところにあるが」
「えッ、そうなの?」

 ここからはるか遠くに見えるあの岩山を『ご近所さん』呼ばわりするレオ兄が、結構遠い場所扱いしている、だとぅ?
 ちょっと待て、それ結構どころかとんでもなく離れた場所なんじゃねぇの?まさか、地球の裏側かってくらい遠いところじゃないよね?
 いや、ここ地球じゃないけどさ!

 そんなことを脳内でグルグル考えるライトを他所に、レオニスは何やら考え込んでいる。

「んー、そうだなぁ……そしたら、ライトの基礎体力がもうちょいついてきたら、週一のマラソンコースとして氷の洞窟への往復を組み込んでもいいな」

 !!!!!!!!!!
 レオ兄、涼しい顔して何をいきなりシレッととんでもねぇこと考えついてんの!?
 俺に毎週地球の裏側まで走れって言うの!?
 鬼だ!!角を持たない鬼がここにいる!!

『……小さな人の子の足では、さすがに厳しいのでは?』

 銀碧狼母が若干引き気味になりながら、レオニスを見遣る。

「ん?あんた達だって氷の洞窟からここまで来るのに、そこまで日数かからんだろ?」
『……ですからね?人の子の、しかも小さき者の足と我等を同列に考えること自体がですね』
「あー、そんなことねぇって。何も今すぐ往復できるようになれって言ってんじゃねぇんだ。いずれっつーか、少なくとも1年以内にはそれくらいはできるようになってねぇとな?ってだけの話だ」
『…………私の知る人の子って、こんなでしたっけ?』

 銀碧狼母は更にドン引きの様子。
 お母さん、もっと言ってやって!レオ兄は人間じゃないから!!この人、人間のフリした別の何かだから!!!!!

 レオニスと銀碧狼母の間で、口をパクパクとさせながら身振り手振り交えて必死に訴えるライトだった。




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【角を持たない鬼】←レオニスの第二の二つ名、ここに爆誕―――

 そして、アルのお母ちゃん。常識派で基本常にとてもお上品なのですが、若干おっちょこちょい&おちゃめさんのようです。
 そりゃねぇ、子供を預けるのに子の名前を伝え忘れるあたり相当なゲフンゲフン。

 更には、アル達の住処の近くにある氷の洞窟に住むという氷の女王。位置づけとしては冒険ストーリーの中盤ボスですが、それはそれは美しく、気高く、見る者全てを魅力して止まない見目麗しき至高の存在なのです。
 いつかライトも、念願叶い邂逅する時が来るでしょう。



 この遅筆ではいつになることやら、さっぱり分かりませんが。
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