トリプティック

岡田泰紀

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トリプティック 23

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カーテンを閉めきった部屋の、仮病にかこつけて横になったベッドの上で、巴は佐藤のことを考えたり止めたりを繰り返すのだが、それは夜の電車の窓から見える点滅する踏切のようにおぼろげに遠ざかっていく。

そして父との日々を思い返す。
男たちはいつも私を裏切り続ける。
愛した者たちが見ていたのは私ではない。
私のような女だ。

その女は、男たちが自分に都合よく粉飾した被写体に過ぎない。
片や私を抱こうとし、片や私を抱けずに躓く。
私はいつも対象として不確かなまま生きてきたのだ。
お前たちに何がわかるというのだ。

金山の中央線の高架下にあった画廊に金子國義の企画展を父娘で観覧した時、高校生の娘を連れた文夫はきっと羨望の眼差しに惑乱していたに違いない。
ふしだらな娘たちが描かれた画布を、あの時どう正視していいかわからなかった巴は、特別な場所に来ている恥ずかしさと優越感の狭間でおかしくなりそうだった。

画廊のオーナーと親交のあった文夫は娘を紹介し、同類の客の好奇と羨望の入り交じった視線に視姦されながら、巴はそれでもあの場で間違いなく女王だった。
文夫は、娘を飼育しようとしていた。

私は、それに気付くには若すぎた。
そして若さはとは、捕食者を惹き付ける媚薬なのだ。
そんなことは望みもしないのに…

巴が文夫の腕からすり抜けたのは17の時だった。
その日、豊田美術館にフランシス・ベーコンの大規模な回顧展を観に行った二人は、いつものようにアートショップで画集を買い求め、遅いランチに出掛けた。
もうその頃には母の凪沙は文夫にも巴にもほとんど無関心だった。
そして巴は、家族が静かに壊れつつあることに気付くこともなく、父との関係を楽しむことに躊躇することもなくなっていた。

名古屋まで戻り、時折文夫が連れて行ってくれていた島田にあるイタリア料理店で食事をした。
どうしてそんなどうでもいいことを覚えているのか、あの日食べたボロネーゼが記憶から甦る。
あの日のことを今日まで、私は封印していたのだ。

楽しい食事が済み、車の助手席に乗った巴は、文夫の「少しドライブしないか」の提案を受け入れた。
しかしそれは決して「少し」ではなく、環状線から伊勢湾岸道路に出た車は東海環状自動車道に入り恵那まで行った。
巴は窓から見える美しい山々の姿を楽しみ、父とのデートを満喫していた。

陽が落ちて名古屋に戻る頃、文夫は視線を前に向けたまま巴に呟いた。

「少し、休んでいかないか?」

巴はその時、それはきっと自分の誤解などではなく、父親の真意がどこにあったのかわかってしまった。

どうしてそれができたのか今でもわからない。
巴はまるでわかっていない振りをして
「ううん、お父さん、疲れたからそのまま家に帰って」と答えた。

文夫は「そうだね」と言って巴を家の近くまで送り、自分は凪沙へのアリバイづくりのに時間を潰すため走り去った。

その日以来、巴は父の誘いを曖昧に断り続け、二度と二人で出掛けることなく卒業と同時に家を出た。

そんな過去から長い月日の果てにたどり着いた恋愛を、あなたは夏に棄てられた空き缶のように惨めなものになり下げたのだ。

小谷美紗子の歌のような文句に絶望した巴は、ベッドから跳ね起きて言葉にならぬ声で絶叫した。
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