Lady, steady go !

岡田泰紀

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Lady steady go ! 4

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生前早苗は、生家の自分の痕跡は全て整理してあると佳苗と未環に伝えていた。

「癌で良かったことは」
早苗はそれが本意でないことを隠そうともしなかった。
「事故と違って死への猶予期間があることくらいかな。
死にたくなくてもね」

決して長いとはいえない時間の中で、すぐれない体調であったにもかかわらず早苗は独りで終活を行ったのだ。
二人には何も言わずそれをしたことに、きっと最後まで自分の行いの元に全うすることを選んだのだと未環は思った。

二階にあがると、かつて祖父母と早苗と佳苗が生活した間がある。
南北に四畳半が一間ずつ、その真ん中に階段と廊下を挟んだ二畳半が並ぶ変則な縦長の間取り。
北側の部屋は既にがらんどうで、二畳半は早苗の服を仕舞った箪笥があるだけだった。
南の四畳半が、早苗が最後に生活を営んだ部屋だ。

日に焼けた襖を開けると、座卓が一つだけある。
それは祖父の昔から使われていた引き出し付きの机で、早苗が新たな家具を一つとして仕入れずこの家に移ったことを伝えてくる。
その部屋にはテレビもない。
早苗姉妹が子供の頃に使っていた本棚に、早苗のものとおぼしき蔵書が見える。
本棚には、向田邦子や藤沢周平、O・ヘンリーやヘルマン・ヘッセなどの書籍が並んでいた。

未環はそれらの作家を読んだことすらないのに、なんだか叔母さんらしいなと感じた。

机の上には早苗のノートパソコンが一つだけ置かれている。
佳苗が引き出しを開けた時、一瞬小さな驚きを見せて未環を振り返った。

「これ…」

それは400字詰めの原稿用紙と、ノートだった。

未環は50枚綴りの原稿用紙を手に取り、表紙を捲った。

「百人町に溶ける」    一之瀬早苗 

小説を書いていたのだ叔母は。
未環はまじまじとその原稿用紙を眺めた。

それは祖父の死後、この家に移り住んだ早苗の最後の人生の軌跡だった。

「私がこの鰻の寝床のような旧家に添い遂げるために生まれたなら、この型板ガラスの窓からは見えない向こう側の世界と反転するように私自身を幽閉するのだろうか?

生まれ育った街への帰還ならば、ここで私は溶け去る日も来るのかもしれず、それでも私はそれを善しとしよう。

人生に意味などないのだから

…」

「未環、どうなの?」

佳苗は娘から、この物語がどんなものか翻訳してもらえる期待で聞いてきたが、それがどんなものなのか未環にも応えられる訳がない。
ただ言えることは、叔母はやはり独りで生きる孤独を選択していたのだということだ。

首を横に振ると、隣にあったノートを手に取った。
タイトルのないそのノートを開くと、それは1ページごとに日付が入った料理のレシピだった。

鯵の南蛮漬け、豚の角煮、おでん、菜の花のお浸し…
インスタグラムで上げられていた料理は、ノートの中で綺麗な文字とイラストによって、余計な感情を一切挟むことなく淡々と描かれていた。

未環は、命の不在がどんなことを意味するのか、生まれて初めて理解した気がした。
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