蛟堂/呪症骨董屋 番外

鈴木麻純

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我が愛しの猟犬

10.

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「わたしと君を二人にするなんて、また信頼のステージが上がったのかな?」

 揶揄は、やはり取るに足らない。
 九雀は鼻を慣らした。
 ――まったく、この男といい鷹人といい……

「……本当に、知った顔で語ってくれるぜ」
「なに?」
「誰の魂が高潔なんだって、笑っちまいたい気分だよ。俺は」

 実際、唇は笑みの形に歪んでいたかもしれない。
 怪訝な顔で見返してくる白の男に告げる。

「なんにも分かっちゃいない。あいつはいつだって挫折続きで、それでも認めてもらいたくて足掻いている。もうとっくに無力感に苛まれているし、正義だって、馬鹿な先輩を庇うために折っちまった。高潔どころか、めちゃくちゃ人間くさいやつだ」
「嘘だ。彼女が、そんなに俗物的なものか」

 土岐が即座に否定してくる。九雀はやんわりとかぶりを振った。

「今の真田を俗物的だと感じるなら、お前はきっと前の真田と似ているんだろうな。あいつは誰とも交われない自分を認めたくなくて、周りの怠惰さや、不真面目さや、不正に怒りをぶつけていた。自分だけは正しいと信じていた。誰にでも噛み付いて、ますます孤立した。性質こそ対照的だが、お前も誰とも交われない。だから、同じ孤独を知る真田が仲間を持つことに耐えられない」

 冷えた指摘に、紳士が押し黙る。
 突き付けられた事実にショックを受けたというよりは、なにかを考えているように見えるが――
 彼の言葉を待つ義理もない。

「なんにせよ、お前らが俺に真田の本質を語るなんて百年早い。俺がお前らに異能の蘊蓄を語るのと同じくらい、滑稽なんだよ」
「……飼い犬のいないところでは、君も随分と傲慢じゃないか。まるで自分こそ彼女の唯一の理解者であると言わんばかりだ」

 言い負かされたままでは気が済まないのだろう。土岐が美しい唇から毒の滴る言葉を吐き出す。
 だが、それもやはり無意味なのだ。

「そうだな。あいつのことを誰より正しく理解したいと思ってるよ、俺は。なんせ一年前、知ったかぶったこと言って、傷付けちまったからな」

 あっさりとそれを認め、

「お前らが言うところの飼い主である俺が断言するぞ。お前の目的が叶うことは、絶対にない。不安があるとすれば……」

 唇に指を添え、九雀は呟いた。

「お前が、本気で心を入れ替えちまうことかな」
「まんじゅう怖い、か?」
「いや。ドリアン・グレイを気取るほどの美形で、しかもいいやつだなんて、どう考えても俺には勝ち目がねえだろ。そっちの方が、真田だってよっぽど動揺するだろうよ」

 訝っている彼ににやりと笑って、九雀は白の牢獄を後にした。
 外には直立不動で待つ律華の姿がある。目が合うと、彼女はすぐに口を開いた。

「自分は、動揺しません」

 部屋の外で聞いていたらしい。
 ばつが悪くなって、九雀は律華を軽く叱った。

「盗み聞きはいかんぞ、後輩ちゃん」
「すみません」

 項垂れる彼女に、早口でまくし立てる。

「いろいろと嫌な言い方をしたが、お前を貶したわけじゃないからな」
「分かっています」
「悔しい思いをしながら努力を続けるお前を、一年間見てきたんだ」

 九雀は律華の頭に手を伸ばし、触れた。

「お前が一つ成功するたびに、俺はこうして褒めた。その積み重ねだった。お前は少しずつ自信を取り戻して、また自分の信念を持つようになった。ようやくだ」
「はい」
「それをあいつら、ぽっと出のくせに知った顔で好き勝手言いやがって。俺が一番、お前のことを知ってる――なんて言うつもりはねえけど、やっぱり腹が立つよな」

 律華は手の下で子供のように目を細め、もう一度、はいと頷いた。

「ありがとうございます、先輩」
「今の会話のどこに、礼を言うところがあったんだよ」

 苦笑して、九雀は後輩の頭から手を離した。

「このまま、会議室へ向かいますか?」

 何事もなかったように、彼女が訊ねてくる。

「ああ。丹塗矢夫妻を大分待たせちまった。犬の方はどうなってる?」
「先輩が署長とお話をしていらっしゃる間に、呪症管理協会から連絡がありました」
「ああ、やっぱり管理協会へ向かったか」

 それは想定内だ。
 呪症管理協会は、その性質上もっとも多くの特定古物を所蔵している。三輪辰史の蛟堂からも距離はそう遠くなく、かの犬にとっては絶好の標的だ。でなければ、あの悪友――鷹人の店なども危ないかと念のために鷺沼を向かわせていたが、そちらは大丈夫だったらしい。

「どうだ。協会のやつらで捕まえられそうか?」
「いえ。呪症管理者は対呪症におけるエキスパートでしかないため、相手が訓練を受けた犬となると対応が難しいと。石川がいれば、もう少し便宜も図ってもらえたのでしょうが……」

 特定古物が持ち出されるたび疑われる鷹人だが、実力は認められているのだ。実力さえあれば人格を問わない異能者社会らしく、呪症管理協会においてはそれなりの発言力がある。
 なるほどな――と、九雀は呟いた。

「でも、足止めは引き受けてくれたんだろう?」
「はい。セキュリティシステムは万全ということで、保管している特定古物を守りきる自信はあるようです。早く多聞丸を回収しに来いと要請を受けています」

 律華が答える。
 打てば響くような返事を小気味よく思いながら、九雀は頷いた。

「上等だ」

 話しているうちに、会議室へ着いた。一応、二度ノックをする。中からは、すぐに返事が返ってくる――ホームグラウンドではない場所で、他人の力を借りなければ移動もままならないことがもどかしいのだろう。夫婦の顔にはいくらかの申し訳なさが浮かんでいる。

「お待たせしました」

 九雀は彼らに告げた。
 丑雄がかぶりを振る。

「いえ。こちらこそ、なにもかもお任せしてしまってすみません」
「かまいませんよ」
「それで、特定古物の方は……」
「用意できました」

 九雀の返事に合わせて、律華が脇に抱えた革袋を示してみせた。

「僭越ながら、自分が囮役を務めさせていただきます」
「大丈夫でしょうか?」

 と、眉を寄せたのは伊緒里だ。

「多聞丸は無闇に人を襲うような子ではありませんが、特定古物を抱えて行動するとなると、少々勝手が違ってくるかと思います。その、真田さんが怪我をされては……」
「その危険度を測るための作戦でもあります。うちでも随一の身体能力を誇る真田が怪我をさせられるようなら、遅かれ早かれ、特定古物を所有している民間人にも被害が出るでしょうから」

 言いながら、九雀は机の上に広げられていた呪症管理協会の地図を覗き込んだ。
 見学棟を抜け、研究所を通り過ぎ、更に資料棟の奥に倉庫が建ち並んでいる。

「倉庫の一つを使用させてもらえることになりました。現在、多聞丸は入り口付近をうろついているそうです。呪症管理協会には美術品搬入のための裏口が作られているので、お二人には裏口から入って倉庫の中で待機してもらいます。肖像画を背負った真田が正面から入って、倉庫の中まで誘い込みますから、多聞丸の捕獲をお願いします。俺は倉庫の手前で真田から肖像画を受け取り、外からシャッターを下ろす予定です」

 以前――覗く目事件のときに、律華と鷹人が貸倉庫で決着を付けた。そのときのことを思い出したのだ。破れるような窓が少なく、また包囲にも向いていて、周囲に被害が出にくい。
 呪症管理協会の正門から、倉庫まで。建物を三つ挟んで、それなりに距離がある。伊緒里が懸念したように、危険がないとも限らない任務だ。律華にも、肖像画にも。
(前の俺だったら、渋って真田に説得されていたところだろうな)
 だが今回の発案者は、九雀自身である。

「重要な役割だ。危険もある。やれそうか、真田」

 九雀は隣を見やった。
 律華は生真面目な顔で作戦を聞いていたが――

「やれます」

 九雀の視線に気付くと、力強く頷いた。

「お、断言したな?」
「はい。九雀先輩は、やれると思ったから自分に任せてくださるのでしょう?」
「ああ」
「ならば自分は、不安には思いません。先輩の信頼が、自分の自信になります」
「俺も同じだよ」

 いつもなら、口に出しては言わないところだ。だが、今日は言っておくべきだと思った。

「お前が信頼してくれるから、俺は責任を苦痛に思うことなく背負える」
「九雀先輩……」
「大丈夫だ。気負わずやろう」

 こちらも頷きながら、いつものように後輩の背中に触れる。彼女はどうしようもなく幸せそうにはにかんだ。尻のあたりでは、やはり見えない尻尾がちぎれんばかりに振られている。そんな錯覚に、九雀も唇を微笑ませる――
 と、咳払いが聞こえてきた。
 丑雄だ。
(ああ、しまったな)
 つい、悪友がいるときと同じようにしてしまう。
 見るからに堅物の異能者はどこか気まずそうで、妻の伊緒里にいたっては見続けるのも申し訳ないと言わんばかりに顔を背けている。
 後輩の頭からぱっと手を離し、九雀はそのまま両手をぱちんと合わせた。

「さあ、作戦開始といきますか」
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