無冠の皇帝

有喜多亜里

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【02】マクスウェルの悪魔たち(上)

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 その日の朝、ミーティング中に鳴り出したのはティプトリーの携帯電話ではなく、グインのそれだった。

「イルホン副官……?」

 自分より年下でもまだ呼び捨てにできないグインは、首をかしげながらも電話に出た。

「初めてじゃないか? イルホンがこの時間に、ティプトリー以外の携帯にかけてきたのって」

 グインの隣にいたフォルカスが、そのまた隣にいたキメイスに小声で話しかける。

「たぶん。でも、何でグインなんだろうな。グインだけに用があったのかな」
「おまえら、何かやらかしたのか?」

 フォルカスに睨まれたラスとウィルヘルムは、あわてて首を横に振った。

「どうしてそんな結論に」

 キメイスは苦笑いしたが、フォルカスは真剣な表情を崩さなかった。

「いや、こいつら三人でワンセットだから。グインにかけてきたってことは、この三人に用があったんじゃないかって思って」

 ほどなく、イルホンとの電話を終えたグインは、まず誰に今の電話内容を報告しようかと迷ったが、結局〝七班長〟フォルカスにした。

「フォルカス。今から俺たち、大佐の執務室に転属願出しにいかなきゃならないんだけど、おまえとキメイスさんも一緒に来いって」

 グインは自分と同い年のキメイスもまだ呼び捨てにできずにいた。

「俺らも?」

 フォルカスとキメイスは、異口同音に問い返してきた。

「どうして?」
「理由はわからない。とにかく一緒に来いって」

 二人は顔を見合わせ、同じように首をひねる。

「何だろ。実は元マクスウェル大佐隊員、追加でこっそり採用してたとか?」

 フォルカスの呟きに、思わずグインはぎくりとした。
 実は彼にだけは心当たりがあったが、それはフォルカスにだけは絶対に告げることはできなかった。

「ええ? 俺らに断りなく、勝手にか?」
「じゃあ、また転属願が出されたのかな。それならそうと言いそうなもんだが」

 〝七班長〟の勘の鋭さに内心びくつきながらも、グインはラスとウィルヘルムのほうに向き直る。

「おまえら、自分の転属願、いま持ってるか?」
「そういや、すっかり出しそびれてたな。持ってるよ。バッグん中に入れっぱなし」
「俺も。今からそれ持ってこいって?」
「ああ。……やっぱり三人いたほうがいいだろうって……」
「は?」
「また、あそこまで徒歩か……」

 うんざりしたようにキメイスは言ったが、フォルカスは文字どおり破顔した。

「俺は歩くの結構好きだけどな。大佐んとこ行けば、絶対コーヒー飲ませてもらえるし」

 笑うと美形に見えなくなるのは、笑い方が悪いせいなのか。
 しかし、グインたちは笑っていないフォルカスをさんざん見ていたにもかかわらず、ドレイクに指摘されるまで、フォルカスが美形だと気づかなかった。異常だったのは自分たちのほうだったかもしれない。

「喫茶店がわりだな。……じゃあ、俺たち、今から大佐のところに……」

 キメイスがそう言いかけたとき、二十代前半組とラッセルがすがるような目をフォルカスに向けた。

「出かける前に! まずミーティングを終わらせていってくれ!」

 代表して訴えたラッセルに、スミスとその元同僚たちは不思議そうに言った。

「何で?」

 * * *

 朝には〝激弱〟のドレイクでも、強い動機さえあれば、午前八時出勤もいとわない。いちばん強い動機はやはり〝金〟だが、今日はこの先何が起こるかを見たくて、ドレイク的に早出出勤してきたのだった。

(悪趣味だなあ)

 そう思いつつも、実はイルホンもそのときを心待ちにしていた。
 だが、ドレイクやイルホンよりも、今、ドレイクの向かいのソファに座っている男のほうが、先週からずっと待ちこがれていたに違いない。緊張感などかけらもない男の声がインターホンから流れてきたときには、突風が起こりそうな勢いで自動ドアのほうを振り返った。

『おはようございまーす。大佐ー、モーニングコーヒー飲ませてー』
「わざわざ要求しなくても飲ませてやるのにな」

 ドレイクは苦笑しながらソファから立ち上がり、自分で自動ドアを開けに行った。

「おはようございます」

 フォルカス以外の一同は声をそろえてドレイクに挨拶した。無論、敬礼はなしである。

「おう、おはよう。グイン、ラス、ウィルヘルムはイルホンくんに転属願渡して。フォルカスとキメイスはこっち」

 しかし、ドレイクが紹介する前に、フォルカスはいち早く察知してしまっていた。
 フォルカスの異変に気づいたキメイスは、彼の視線の先を見て、思わず「あ」と声を漏らした。

「大佐……何であの人がここにいるんすか?」

 先ほどまでとはまるで別人のようなフォルカスの冷えきった声に、整備三人組は驚いて顔を上げ、それでこの部屋に自分たちがよく知る人物がいたことをようやく知った。

(やっぱり!)

 自分の予想が的中してしまったグインは今すぐここから逃げ出したいと思ったが、自動ドアはドレイクによってロックされてしまっていた。

「そりゃ、俺が呼んだからだよ」

 〝七班長〟の氷の声を聞いても、ドレイクの笑顔は揺るがない。

「それも合わせて今から話するから。……イルホンくーん。普通濃度のコーヒー、五人分お願ーい」
「もうコーヒーなんかどうでもいいっす!」
「はいはい。あ、グイン、ラス、ウィルヘルムはそっちのソファに座ってね。キメイスはフォルカスの隣」

 ドレイクは嫌がるフォルカスの襟首をまるで猫の子のようにつかんで引っ張ると、自分の隣に難なく座らせた。

(あの〝七班長〟を……やっぱりドレイク大佐はすげえ)

 グインたちは声には出さずに感嘆したが、それはグインの隣に座っている先客――先週までは自分たちの直属の上官だった〝六班長〟セイルも同じだったらしい。信じられないものを見たかのように大きく目を見張っていた。

「ひでえよ、大佐! スミスさんには、スミスさんが気に入らない人間なら俺もいらないって言ったくせに!」

 ドレイクに肩を押さえつけられて立ち上がれないフォルカスは、そのままの状態で喚き散らした。

(〝気に入らない〟って、そんな、はっきり言っちゃ……)

 整備三人組がちらっとセイルの様子を窺うと、案の定、彼はうなだれて落ちこんでいた。

「フォルカス。おまえはほんとに察しのいい男だな。でも〝六班長〟は諸事情により、仕方なーくうちに来たのよ。決しておまえの後追っかけてきたわけじゃないのよ」

 ――大佐……説得力ゼロです。
 五人分のコーヒーを用意しながら、イルホンは心の中で上官を非難した。

「諸事情? ダーナ大佐に追い出されでもしたんすか?」

 ふてくされたようにフォルカスが言う。イルホンだけでなく、きっとドレイクもこう思ったに違いない。
 ――すごい、フォルカスさん。当たらずとも遠からずです。

「まあ、諸事情は諸事情だ。六班長にまったく非はないが、ダーナ大佐隊にはいられなくなった。おまえが六班長嫌ってたのは知ってるが、ここは一つ、ギブスンのために耐えてくれないか?」

 ――うわあ……はっきり〝嫌ってた〟言っちゃった……
 整備三人組には、もうセイルの顔を見ることはできなかった。

「ギブスン?」
「六班長が〈新型〉の操縦士してくれれば、ギブスンは〈旧型〉の砲撃に戻れる」

 フォルカスは素になって、ドレイクを見返した。

「じゃあ、スミスさんには〈旧型〉操縦させるんすか?」
「ああ。右翼は元マクスウェル大佐隊の六班長のほうが適任だろう。おまえとキメイスには〈旧型〉のほうに乗ってもらう」

 これにはフォルカスと一緒にキメイスも叫んだ。

「ええっ!? もう決定ですかっ!?」
「うん、決定。マシムは今回は〈ワイバーン〉だからな。この前〈旧型〉に同乗してたおまえらが、スミスのサポートしてやってくれ」
「あ、やっぱり〈ワイバーン〉の操縦桿はマシムのものになるんだ……」
「元同僚たちとはお別れか……スミスさん的にはどうなんだろう。寂しいのかな。嬉しいのかな」
「嬉しいふりして、実は寂しいんじゃないか?」
「まあ、何にせよ、ギブスンは大喜びしそうだけど」

 この間に、イルホンは五人分のコーヒーを配り、再び自分の執務机に戻った。

「ほれ、フォルカス。ご所望のモーニングコーヒーだ。ただし、おかわりはセルフ」
「え、そういうシステムになってたんすか?」
「なってたんだ。ちなみに、砂糖とミルクは経費削減のため置いていない。どうしても欲しかったら持参」
「だから、豆だけは大佐にしては高級品使ってんですね……」
「でも、あんなに激薄にしてたら、どんなにいい豆使ってたって意味ないような……」

 それにしても、本当に〝大佐〟らしくない〝大佐〟だ。
 ドレイクに勧められてはいないが、自分もしっかりコーヒーを飲みはじめていたグインは改めて思う。
 フォルカスもキメイスも気安すぎて、とても〝大佐〟と会話しているようには見えない。そもそも、〝大佐〟と同じソファに並んで座ってコーヒーを飲むことなど、マクスウェル大佐隊だけでなく、どこの隊でもありえないだろう。

(マクスウェル大佐隊……)

 グインははっと我に返って、なぜかドレイクにまで〝六班長〟と呼ばれているセイルを盗み見た。
 つい先ほどまで深くうつむいていたセイルだったが、今は息を殺して、じっとフォルカスだけを見つめている。寡黙で無愛想だったフォルカスしか知らないセイルには、今のフォルカスはとても新鮮に見えるのかもしれない。マクスウェル大佐隊にいた頃には、自分たち同僚に対してさえも、フォルカスはこれほど表情豊かで多弁ではなかった。

(いずれにしろ、やっぱりフォルカスが好きなんですね、班長……)

 どんな〝諸事情〟があったのかは不明だが、操縦士が欲しかったドレイクと、またフォルカスと同じ隊になりたかったセイルの利害が一致したから、このような結果に至ったのだろう。

「そんなわけだからフォルカス。今日から六班長もうちの隊員ね。午後になったら俺たちも六班長と一緒にドックに行くから」

 急にドレイクにそう言われて、フォルカスは噴き出しかけた。

「ええーっ」
「そう言うなよ。ギブスンのため。ひたすらギブスンのためだ」

 ――大佐、ひどい。
 再びうつむいてしまったセイルを見て整備三人組は思ったが、フォルカスには効果絶大だった。

「んー……仕方ないっすね。でも、同じにだけは絶対しないでくださいよ」
「ああ、それは絶対しない。そんなことしたって、百害あって一利なしだからな」

 ――さらにひどい。
 だが、これにはグインもそのとおりかもしれないと思ってしまった。フォルカスが同じブリッジにいたら、セイルはすっかり気が散ってしまって、操縦どころではなくなってしまうだろう。

「フォルカス、キメイス。そのコーヒー飲み終わったら、先にドックに戻って、今まで話したこと、みんなに報告してやってくれ。たぶんだがな、今日の午後には作戦説明ができる。まあ、作戦って言っても、この前右翼でやったことを左翼でもやるだけのことなんだけどな」
「イエッサー」

 二人は残りのコーヒーを一息に飲むと、さっと立ち上がってイルホンにごちそうさんと礼を言い、自動ドアを開けてもらって執務室を後にした。
 電話一本かければ済む話ではないかとグインは怪訝に思ったが、ドレイクがにやにやしながらこう言うのを聞いて、ここからフォルカスたちを退室させるのが目的だったのかと合点がいった。

「とまあ、六班長。こんな感じの毎日が今日から始まるわけだけど……耐えられる?」
「……今までもそうでしたから……大丈夫です……」

 結局、一言もフォルカスと言葉を交わせなかったセイルはようよう答えた。グインたちにとっても今日初めて聞くセイルの声である。その弱々しい声音と内容に、彼らは同情を禁じ得なかった。

「そうかい。そりゃつらかったね。でも、今みたいにフォルカスに声をかけなければ、そのうちフォルカスのほうが〝かわいそうかな〟と思って六班長に声かけてくれるよ」
「……え?」

 セイルもグインたちも、ぽかんとしてドレイクを見た。

「あんなふうだけど、フォルカスはいじめとか仲間はずれとか、そういうのが大嫌いなの。基本的にみんな仲よしでいたいんだよ。でも、マクスウェル大佐隊ではそれは無理だったから、自分の殻に閉じこもるしかなかった。頭のいい男だからね、見切りも早い。それが長所でもあるし、短所でもある。ダーナ大佐がくれた最後のチャンスだ、無駄にしないで活かしなさいよ」
「ダーナ大佐がくれた?」
「まあ、本人にはそのつもりはなかったかもしれないけど、結果的にはそうなったでしょ。俺も今回、あの男のおかげで、たった五日間で隊員九人もゲットできたしね」
「ああ、なるほど。それは確かに」
「パラディン大佐には俺のほうから謝っとくよ。あんたが〝ダーナ大佐をよろしく頼む〟って言った六班長、うちでぶんどっちゃってすいませんって」
「あ、いえ、結構です」

 あわててセイルは言った。

「実はそのとき、〝でも、たぶんダーナ大佐は自分を必要とされないと思います〟とお答えしていたんです」

 ドレイクは珍しく虚を突かれたような顔をした。

「そんな答え方してたの?」
「はい。実を言うと、自分にはもう七班長で手一杯の状態で……」
「ああ、噂はやたらと聞くけど実体は謎の七班長。そんなに手間のかかる男なの?」
「ええ……まあ……いろいろと」

 そう言葉を濁すセイルの目は少し泳いでいた。

「ちょっと、そんな男残してうちに来ちゃってよかったの? 誰かに後を託してきた?」
「はい。この方ならたとえ何があってもどうにかしてくださるだろうと。……ダーナ大佐に」

 そのとき、セイル以外の全員が一瞬固まった。

「ダーナ大佐!? よりもよってダーナ大佐!?」
「はあ……七班長をずいぶん気に入っておられるようでしたし、何より上官でいらっしゃいますので……」
「で、ダーナ大佐はそれを承諾したの?」
「はい。『仕方あるまい』と」

 ――六班長……もしかして、七班長から逃げてきた?
 ふとイルホンは思ったが、それ以上に、この六班長を手こずらせる七班長とはいったいどんな男なのだろうと、ぜん興味が湧いた。

「ダーナ大佐……自分で自分の首を絞めてるな。まあ〝仕方あるまい〟、自業自得だ」

 ドレイクがおどけて言うと、セイルは驚いたような表情を見せた。

「どうした?」
「いえ……ダーナ大佐もご自分で〝自業自得〟とおっしゃっていたので……」
「ああ、あいつは馬鹿正直の〝馬鹿〟だからな。自分の失態だと思ったら、誰も責めずにサインもするさ」

 ドレイクはにやりと笑い、執務机にいるイルホンを振り返った。

「さて、イルホンくん。これで転属願、四枚そろった。さっそく殿下に送りつけてやろうじゃないか」
「何かメッセージを添えますか?」
「〝配置図早くください〟」
「それだけですか?」
「他に何があるのよ。どうせまた後で返信してくるだろうから、そのとき考えればいいよ」
「あの……殿下に直接送信なさるんですか?」

 〝ドレイク大佐隊の秘密〟をまだ知らないセイルは、あせったようにドレイクに訊ねた。

「うん。あの人んとこに送っとけば、面倒な手続き、全部まとめてやってもらえるから」
「それはそうでしょうが……」
「だから、六班長も元マクスウェル大佐隊に帰りたくなったら、いつでも俺に言ってちょうだい。わざわざ総務に転属願出さなくても、すぐに転属させてあげられるよ?」

 ――冗談? 本気?
 にこにこ笑うドレイクの真意をはかりかね、セイルを含む一同は困惑して沈黙した。
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