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☖2五奔猪(あるいは、不動遊星の/ヌーヴォラが如く/ラーニォが如し)
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「……!!」
迫ってくるのは感覚で分かっていたものの、その割には緩やかに姿を現した、と思った。右手奥。視覚情報から得られる変化は微小だったものの、体表を撫でてくるような悪寒のパルスは、背骨まで突き抜けてそこを駆け登ってくるようでもあって。
けど。
「思った通りの……だな。何度か報告は上がってる奴だろうぜ。ひと言で表せば『怪物』」
そんなあたしの左横に、すっと素早い体捌きで付いてくれたツァノンの、冷静を装ってそれでも諸々を押し殺してんだろう声とか、それでも詳細に説明してくれようとしている感じとか、ふわり漂ってくる柑橘のような香りとか、それらはみんな心強いのだけれど、そちらの方に返事も目線も返せなかった。右奥面に遠く臨む稜線から、のそりと姿を現したのは本当に「怪物」としか表現できない、巨大な黒光りする体躯であったからで。
青々しい木々の隙間からその巨体をするりと滑らすかのように。その巨顔の左右に張り出して高々と天を突いた鋭い角たちをどこにも引っ掛けずにぬるりと。異形。ひと目、異形。
びりびりと徐々に感じかたが激しくなっていくそれが放つプレッシャーみたいなものに気圧されながらも、気を落ち着けなきゃ落ち着けないと、と全然落ち着いてないままにとりあえず情報を、と「ステータスオープン」を呟くのだけれど。
〈水牛〉
ついに茂みから姿を現したそのどっしりとした「異形」の頭上には、そのような素っ気ないにもほどがある二文字が白黒ウインドウを申し訳程度に埋めているばかりであって。
スイギュウ。思わず口に出してしまったけど、将棋が落ち着いたら旅行に行きたいとか果敢ない夢を浮かばせていた沖縄の遠浅の蒼い海のビジョンが場違いにも脳に描き出されるけれど。牛車に乗ってパノラマ自然の中をゆったりと。そんなイメージは、目の前のでかぶつは何一つその身には纏っていなかったわけで。
「……」
まず、直立と言えるほど真っ直ぐではなく背中はかなり湾曲しているけど、ぶっとい二足で大地を踏みしめているよね……そして筋骨隆々と表現したくなる艶のある黒いマッチョな体の前にだらりと下げられた両腕は、うん「腕」だ。がちがちの前腕部の先には人間のような五指と黒々とした硬そうな爪。そして顔は牛然としているものの、こちらを見てこれでもかの愉悦に満ちた「笑み」を大口を引きつらせるかのようにして浮かべているよ怖いよ……
「やれやれ『ひとり』……だけか。単独。おい、彼我距離二十を保って全員後退しろ。『盤面』が展開しないよーになー。『情報なし』であの輩にぶつかるのはよろしくねーからよー」
言いつつ自分もじりじりと。奥面方向に視線を保ったままゼルメダはそうあたしたちに制してくる。そのハスキー声はいつも通り落ち着いているように耳には響いたけど、状況があまり芳しくないだろうことは嫌でも分かる。そして「一匹/一頭」とかじゃなく「ひとり」と表現した。「水牛」のちょっとわざとらしいくらいまである「笑み」の表情に、あたしもヒトのそれと同等なものを感じていた。すなわち知性あり。ゆえに厄介な、ってことを。
距離を取る。「対局の場」が展開するのは、相手との距離が「二十メートル」を割った時って猫神さまは言ってた。つまりゼルメダの現方針は逃げるってことかな……他のみんなも一様に視線はまだ遠くにある黒い獣にかっちりと合わせたまま、静かに後ずさりを始めているけど。ってことは、いまさっき来た道を戻るということだよね、方向的には。でも待って、細い斜度のある道。そこに追い込まれてるんじゃない? っていう考えは、考えすぎ?
「左右に分かれて展開してっ!! 見通せるとこじゃないとまずい気がする!!」
曖昧、根拠無し。でも直感で、「引く手」は相手の思うつぼ、な感じがした。相手の動き、「利き」が今の時点で不明。そこがイレギュラーだから、せめて「場」は慣れたものに留めておきたかった。狭いところだと単騎のあちらにいいようにやられてしまうかも、っていう消極的な考えもあるけれど。慎重に。慎重にしすぎるってのもあれだけど、相手の言いなりは良くないって、それは普通の将棋でも言われることであるわけで。
「いつまでも距離は保てないんだよ、ハカナ!!」
「どこかで対局には入っちゃうから、要注意!!」
大駒、攻めの要の二人、マカローニャンは右方向、ヘペロナは左へ、あたしが特に何も言わずとも自然に分かれてくれる。他のみんなも細かい指示を出さなくても、左右でうまいことバラけてくれたみたいで。うん、意思疎通は出来ている。
右方向:飛・銀・桂・香・歩
左方向:角・金・歩二・白駒(+猫)
万全、と思える。けどそんなあたしたちの様子を見ながらも、ついに開けた平原の中央あたりまでそこはかとなくわざとらしい歩様でのそのそと歩み出てきた水牛は、相変わらず何かのキャラクターじみた作った笑顔の牛面をこちらに見せつけるように呈して来ているわけで。読めない。
「逃げる」という選択肢はほぼ封じられた。いや、あたしが封じた。下がったら逆に危険だという察知と、いずれ相まみえるだろう存在だから。初手から逃げをカマすなんてことは。
最悪の悪手と思ったから。
と、あたしが冷静ながらも胸に闘志らしきものを灯らせていた、その刹那だった。
「ファファファ!! 雁首揃えて『見』の構えとは。そいつはいささかに、萎縮し過ぎと思わざるを得ないけどねぇ……」
いきなり、喋った。見た目二足歩行の水牛にしか見えなかったけれど、「そいつ」は落ち着き過ぎるまである、ゆったりとした緊張感の欠片も無い、低い壮年のような声でそうのたまってきたのだけれど。周囲を見回し、大仰に肩まで竦めて来ている。
作られたような所作、そして言葉。明らかにこちらを意識しての、そして揺さぶりをかけようとでもしてる? それにしても異様な光景だ。見た目ミノタウロス然とした輩が、こちらを落ち着き払った感じで煽ってくるという……色々種類ある悪夢の中でも、目覚めた瞬間寝汗のぬるい感触に硬直してしまう類の、重く、漠然とした不安に塗り込められそうな悪夢だ。
相変わらずあたしの足元をぬるぬる動き回っている黒猫に「水牛」の利きとか分かんないの、と目線も唇も動かさずに落としたトーンで聞くけど。いちいち覚えてないにゃんよ、それでなくても難解で理不尽過ぎるルールが罷り通ってるのが「摩訶大将棋」にゃからにゃー、とか、完全に興味を失っている体で、傍観者的立場で、さらには逆に不機嫌な感じで返されたのに流石のあたしもかちんと来て、ゆらついているその長い尻尾が地表面に近づいた瞬間を狙ってローファーの底でごしり、としごいてやるのだけれど。
「……ッ!!」
声も出せずに硬直する猫顔を横目で見つつ、ここから先はどうしたらいいのかまだ定まっていない自分にもいらついてしまう。ダメだ。落ち着かないと。幼女ふたりが言った通り、このまま牽制し続けられるなんて思っちゃいない。今この瞬間まで「水牛」はこうまでゆるゆる動くことはないだろうくらいに緩慢な所作をわざとこちらに見せつけるようにしているけど、それがブラフであろうことだけは何となく、肌で感じるところがあった。緩手。将棋においてはそれが一手であろうと敗因となってしまうものだけれど、「これ」は将棋のようで将棋じゃあないんだ。むしろ各々の思考に委ねられているところ……「ひと駒ひと駒が意思を持って動く」という点において、真逆とも言える。
「ハカナ様は確実に護れよ、てめえら……体ぁ張って当然と思え」
あたしの左かたわらにぴったりと寄り添い、既にその懐刀を抜き放っていたゼルメダがそう、押し殺した呼気と共に周囲を固める仲間たちに告げる。まだぎりぎり「戦闘」には至っていないけれど、みんなの周りを流れるのは既に「戦い」の空気だ。
相手の利きが分からないから「出」を待つ……当然に必然に思えるそれが悪手ってこともある。とは言えいきなり仕掛けるってのも憚られるわけで。うぅん……どうしたらいいっていうの。相手は相手でこちらを煽っては来ているものの、その実、自分は慎重っていう……いちばん卓を挟みたくない相手と言える。
緊迫度、みたいのが平原を走り抜ける涼やかな風をひりつくものに変えていっているようで。
何か。何かいい手はないの。考えろ。あたしが最高率で出来ることっていったらそれしか無い。ひとつ抜けた手を。ひとつ冴えた差し回しを。けど、
「うんうん、まあようやく我々の怖ろしさが浸透してきたようでそれは有難いが、それもここまで消極に振られてしまうと興ざめ、物足りなさを感じてしまうというのは、いかんことかねぇ」
相変わらずの「水牛」の声色やゆったりな喋りは先ほどまでの常時と何一つ変わらなかった。から。
「……ッ!!」
出が遅れた。遠くにいたはずのその巨体がゆらり傾いたかと思った瞬間には、黒い物体が突然にあたしの眼前にまで現れている。高々と右腕を掲げた体勢から、上から見下すかのように、牛の顔してるけど表情が豊かな、今のこの瞬間は嘲りのようなしてやったりのようないやらしい笑みが「破顔」という字がしっくり来るほどな牛顔をこちらに向けながら。確実に、狙ってきた、あたしを。「玉」の役割ということを見破って。囲われていたことがあだとなった? いや、あたし自身、腰が引けた立ち回りだったからかも。いやいや、そんなこと考えている場合じゃあないのに。大振りに過ぎる膨れ上がった筋肉隆々な黒い腕が、あたしの首を狙って放たれてくるだろうことは分かった。けど、身体の相対している前面が全部固まって動けなかった。思わず目を瞑っちゃったあたしだけれど。
「……てっめえが『大駒』の動きしてくるってこたぁ、先刻承知なんだよぉっ」
「……なぜなら私らも『大駒』だからねぇ……分かる分かる、微調整だよねぇ」
身体を襲うだろう衝撃は一秒くらい硬直したまま待っても訪れず。代わりに辺りに響いたのは例の頼れる幼女ふたりのシンクロした鈴の音のような声。固まってる場合じゃないと思い切り目を見開いたあたしの眼前では。
「……ッ!!」
牛男のせせら笑いがひしゃげたような、奇妙な顔があって。その雁首を前後から「飛車角」の二人の「飛び膝蹴り」のような技に挟まれながら、一瞬前のあたしのように硬直している姿があって。
角行はともかく、二手に分かれた側の飛車の動きが早すぎる……っ、何で、と思ったらあたしの右方向の視界には両腕を突き出した姿勢の香車がこれまた「にやり」と音がしそうなほどのニヒルな笑みをその四角い顔に浮かべている図があったのだけれど。
「あ、拙者の直進力も加えた『二段撃ち』ぃ~」
「からの、『挟み撃ち』!! こいつは流石の牛さんもっ」
「流石に『二倍の速度』じゃあ避けられないのだよっ」
うぅんうぅぅん……みんながみんな互いを食い気味に喋るから分かりにくいんだよぅ……とほっとしたあたしがそんな余裕の思考をカマしてしまう。でも待った。待って。
対局はこれにて終了、とか思ったけど、終わってない。いや、まだ始まってもないよね?
「……『会敵』の瞬間から、『盤面』が展開して『対局』が始まるまでには数秒の合間があって、その間は基本自由」
「……このような『搦め手』が許される『神の一瞬』とも呼ばれているのだね……」
そうかそうかそうなんだー、そうゆうのが知りたかったわけなんだけどぉ~、と、あたしの混乱はぐるぐると走馬灯のように縁起でも無く回り続けるのであって。
いや待って。まだこれからだってば。ようやく天上からするり滑り落ちてきた「プレート」が牛男のやや後方で止まるのと、「青白光線」がいつもの「盤面」を形成していくのを見ながら、いやいや、考えても分からないことだらけェ……みたいな負の思考に陥ってしまうのを何とか呼吸を深くすることで脳の隅に追いやっていく作業にしばし没頭させられてしまうけど。
迫ってくるのは感覚で分かっていたものの、その割には緩やかに姿を現した、と思った。右手奥。視覚情報から得られる変化は微小だったものの、体表を撫でてくるような悪寒のパルスは、背骨まで突き抜けてそこを駆け登ってくるようでもあって。
けど。
「思った通りの……だな。何度か報告は上がってる奴だろうぜ。ひと言で表せば『怪物』」
そんなあたしの左横に、すっと素早い体捌きで付いてくれたツァノンの、冷静を装ってそれでも諸々を押し殺してんだろう声とか、それでも詳細に説明してくれようとしている感じとか、ふわり漂ってくる柑橘のような香りとか、それらはみんな心強いのだけれど、そちらの方に返事も目線も返せなかった。右奥面に遠く臨む稜線から、のそりと姿を現したのは本当に「怪物」としか表現できない、巨大な黒光りする体躯であったからで。
青々しい木々の隙間からその巨体をするりと滑らすかのように。その巨顔の左右に張り出して高々と天を突いた鋭い角たちをどこにも引っ掛けずにぬるりと。異形。ひと目、異形。
びりびりと徐々に感じかたが激しくなっていくそれが放つプレッシャーみたいなものに気圧されながらも、気を落ち着けなきゃ落ち着けないと、と全然落ち着いてないままにとりあえず情報を、と「ステータスオープン」を呟くのだけれど。
〈水牛〉
ついに茂みから姿を現したそのどっしりとした「異形」の頭上には、そのような素っ気ないにもほどがある二文字が白黒ウインドウを申し訳程度に埋めているばかりであって。
スイギュウ。思わず口に出してしまったけど、将棋が落ち着いたら旅行に行きたいとか果敢ない夢を浮かばせていた沖縄の遠浅の蒼い海のビジョンが場違いにも脳に描き出されるけれど。牛車に乗ってパノラマ自然の中をゆったりと。そんなイメージは、目の前のでかぶつは何一つその身には纏っていなかったわけで。
「……」
まず、直立と言えるほど真っ直ぐではなく背中はかなり湾曲しているけど、ぶっとい二足で大地を踏みしめているよね……そして筋骨隆々と表現したくなる艶のある黒いマッチョな体の前にだらりと下げられた両腕は、うん「腕」だ。がちがちの前腕部の先には人間のような五指と黒々とした硬そうな爪。そして顔は牛然としているものの、こちらを見てこれでもかの愉悦に満ちた「笑み」を大口を引きつらせるかのようにして浮かべているよ怖いよ……
「やれやれ『ひとり』……だけか。単独。おい、彼我距離二十を保って全員後退しろ。『盤面』が展開しないよーになー。『情報なし』であの輩にぶつかるのはよろしくねーからよー」
言いつつ自分もじりじりと。奥面方向に視線を保ったままゼルメダはそうあたしたちに制してくる。そのハスキー声はいつも通り落ち着いているように耳には響いたけど、状況があまり芳しくないだろうことは嫌でも分かる。そして「一匹/一頭」とかじゃなく「ひとり」と表現した。「水牛」のちょっとわざとらしいくらいまである「笑み」の表情に、あたしもヒトのそれと同等なものを感じていた。すなわち知性あり。ゆえに厄介な、ってことを。
距離を取る。「対局の場」が展開するのは、相手との距離が「二十メートル」を割った時って猫神さまは言ってた。つまりゼルメダの現方針は逃げるってことかな……他のみんなも一様に視線はまだ遠くにある黒い獣にかっちりと合わせたまま、静かに後ずさりを始めているけど。ってことは、いまさっき来た道を戻るということだよね、方向的には。でも待って、細い斜度のある道。そこに追い込まれてるんじゃない? っていう考えは、考えすぎ?
「左右に分かれて展開してっ!! 見通せるとこじゃないとまずい気がする!!」
曖昧、根拠無し。でも直感で、「引く手」は相手の思うつぼ、な感じがした。相手の動き、「利き」が今の時点で不明。そこがイレギュラーだから、せめて「場」は慣れたものに留めておきたかった。狭いところだと単騎のあちらにいいようにやられてしまうかも、っていう消極的な考えもあるけれど。慎重に。慎重にしすぎるってのもあれだけど、相手の言いなりは良くないって、それは普通の将棋でも言われることであるわけで。
「いつまでも距離は保てないんだよ、ハカナ!!」
「どこかで対局には入っちゃうから、要注意!!」
大駒、攻めの要の二人、マカローニャンは右方向、ヘペロナは左へ、あたしが特に何も言わずとも自然に分かれてくれる。他のみんなも細かい指示を出さなくても、左右でうまいことバラけてくれたみたいで。うん、意思疎通は出来ている。
右方向:飛・銀・桂・香・歩
左方向:角・金・歩二・白駒(+猫)
万全、と思える。けどそんなあたしたちの様子を見ながらも、ついに開けた平原の中央あたりまでそこはかとなくわざとらしい歩様でのそのそと歩み出てきた水牛は、相変わらず何かのキャラクターじみた作った笑顔の牛面をこちらに見せつけるように呈して来ているわけで。読めない。
「逃げる」という選択肢はほぼ封じられた。いや、あたしが封じた。下がったら逆に危険だという察知と、いずれ相まみえるだろう存在だから。初手から逃げをカマすなんてことは。
最悪の悪手と思ったから。
と、あたしが冷静ながらも胸に闘志らしきものを灯らせていた、その刹那だった。
「ファファファ!! 雁首揃えて『見』の構えとは。そいつはいささかに、萎縮し過ぎと思わざるを得ないけどねぇ……」
いきなり、喋った。見た目二足歩行の水牛にしか見えなかったけれど、「そいつ」は落ち着き過ぎるまである、ゆったりとした緊張感の欠片も無い、低い壮年のような声でそうのたまってきたのだけれど。周囲を見回し、大仰に肩まで竦めて来ている。
作られたような所作、そして言葉。明らかにこちらを意識しての、そして揺さぶりをかけようとでもしてる? それにしても異様な光景だ。見た目ミノタウロス然とした輩が、こちらを落ち着き払った感じで煽ってくるという……色々種類ある悪夢の中でも、目覚めた瞬間寝汗のぬるい感触に硬直してしまう類の、重く、漠然とした不安に塗り込められそうな悪夢だ。
相変わらずあたしの足元をぬるぬる動き回っている黒猫に「水牛」の利きとか分かんないの、と目線も唇も動かさずに落としたトーンで聞くけど。いちいち覚えてないにゃんよ、それでなくても難解で理不尽過ぎるルールが罷り通ってるのが「摩訶大将棋」にゃからにゃー、とか、完全に興味を失っている体で、傍観者的立場で、さらには逆に不機嫌な感じで返されたのに流石のあたしもかちんと来て、ゆらついているその長い尻尾が地表面に近づいた瞬間を狙ってローファーの底でごしり、としごいてやるのだけれど。
「……ッ!!」
声も出せずに硬直する猫顔を横目で見つつ、ここから先はどうしたらいいのかまだ定まっていない自分にもいらついてしまう。ダメだ。落ち着かないと。幼女ふたりが言った通り、このまま牽制し続けられるなんて思っちゃいない。今この瞬間まで「水牛」はこうまでゆるゆる動くことはないだろうくらいに緩慢な所作をわざとこちらに見せつけるようにしているけど、それがブラフであろうことだけは何となく、肌で感じるところがあった。緩手。将棋においてはそれが一手であろうと敗因となってしまうものだけれど、「これ」は将棋のようで将棋じゃあないんだ。むしろ各々の思考に委ねられているところ……「ひと駒ひと駒が意思を持って動く」という点において、真逆とも言える。
「ハカナ様は確実に護れよ、てめえら……体ぁ張って当然と思え」
あたしの左かたわらにぴったりと寄り添い、既にその懐刀を抜き放っていたゼルメダがそう、押し殺した呼気と共に周囲を固める仲間たちに告げる。まだぎりぎり「戦闘」には至っていないけれど、みんなの周りを流れるのは既に「戦い」の空気だ。
相手の利きが分からないから「出」を待つ……当然に必然に思えるそれが悪手ってこともある。とは言えいきなり仕掛けるってのも憚られるわけで。うぅん……どうしたらいいっていうの。相手は相手でこちらを煽っては来ているものの、その実、自分は慎重っていう……いちばん卓を挟みたくない相手と言える。
緊迫度、みたいのが平原を走り抜ける涼やかな風をひりつくものに変えていっているようで。
何か。何かいい手はないの。考えろ。あたしが最高率で出来ることっていったらそれしか無い。ひとつ抜けた手を。ひとつ冴えた差し回しを。けど、
「うんうん、まあようやく我々の怖ろしさが浸透してきたようでそれは有難いが、それもここまで消極に振られてしまうと興ざめ、物足りなさを感じてしまうというのは、いかんことかねぇ」
相変わらずの「水牛」の声色やゆったりな喋りは先ほどまでの常時と何一つ変わらなかった。から。
「……ッ!!」
出が遅れた。遠くにいたはずのその巨体がゆらり傾いたかと思った瞬間には、黒い物体が突然にあたしの眼前にまで現れている。高々と右腕を掲げた体勢から、上から見下すかのように、牛の顔してるけど表情が豊かな、今のこの瞬間は嘲りのようなしてやったりのようないやらしい笑みが「破顔」という字がしっくり来るほどな牛顔をこちらに向けながら。確実に、狙ってきた、あたしを。「玉」の役割ということを見破って。囲われていたことがあだとなった? いや、あたし自身、腰が引けた立ち回りだったからかも。いやいや、そんなこと考えている場合じゃあないのに。大振りに過ぎる膨れ上がった筋肉隆々な黒い腕が、あたしの首を狙って放たれてくるだろうことは分かった。けど、身体の相対している前面が全部固まって動けなかった。思わず目を瞑っちゃったあたしだけれど。
「……てっめえが『大駒』の動きしてくるってこたぁ、先刻承知なんだよぉっ」
「……なぜなら私らも『大駒』だからねぇ……分かる分かる、微調整だよねぇ」
身体を襲うだろう衝撃は一秒くらい硬直したまま待っても訪れず。代わりに辺りに響いたのは例の頼れる幼女ふたりのシンクロした鈴の音のような声。固まってる場合じゃないと思い切り目を見開いたあたしの眼前では。
「……ッ!!」
牛男のせせら笑いがひしゃげたような、奇妙な顔があって。その雁首を前後から「飛車角」の二人の「飛び膝蹴り」のような技に挟まれながら、一瞬前のあたしのように硬直している姿があって。
角行はともかく、二手に分かれた側の飛車の動きが早すぎる……っ、何で、と思ったらあたしの右方向の視界には両腕を突き出した姿勢の香車がこれまた「にやり」と音がしそうなほどのニヒルな笑みをその四角い顔に浮かべている図があったのだけれど。
「あ、拙者の直進力も加えた『二段撃ち』ぃ~」
「からの、『挟み撃ち』!! こいつは流石の牛さんもっ」
「流石に『二倍の速度』じゃあ避けられないのだよっ」
うぅんうぅぅん……みんながみんな互いを食い気味に喋るから分かりにくいんだよぅ……とほっとしたあたしがそんな余裕の思考をカマしてしまう。でも待った。待って。
対局はこれにて終了、とか思ったけど、終わってない。いや、まだ始まってもないよね?
「……『会敵』の瞬間から、『盤面』が展開して『対局』が始まるまでには数秒の合間があって、その間は基本自由」
「……このような『搦め手』が許される『神の一瞬』とも呼ばれているのだね……」
そうかそうかそうなんだー、そうゆうのが知りたかったわけなんだけどぉ~、と、あたしの混乱はぐるぐると走馬灯のように縁起でも無く回り続けるのであって。
いや待って。まだこれからだってば。ようやく天上からするり滑り落ちてきた「プレート」が牛男のやや後方で止まるのと、「青白光線」がいつもの「盤面」を形成していくのを見ながら、いやいや、考えても分からないことだらけェ……みたいな負の思考に陥ってしまうのを何とか呼吸を深くすることで脳の隅に追いやっていく作業にしばし没頭させられてしまうけど。
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