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めんつゆ

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第五章 心

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名前は 芳沢 マリカ(よしざわ まりか)。テニス部の副キャプテンで、隣のクラスの体育委員。ヒガシ中出身。髪型は日替わりで、今日は二つ結びだ。個人的にはポニーテールが一番似合ってると思うが、まあ彼女なら何でもアリだ。

 蛯名 敏也は、緩む顔を引き締めた。あいつらに見られたら何を言われるかわからない。

「おい虫ー、金ぇ」

「今日は三千円くらい欲しい気分だなー」

くだらない。世界はくだらない。そうでも思わないと、諦められなかった。周りと同じように生きたいという希望を。でも、もう良いんだ。彼女は俺を虫だと言わない。汚いものだと思わない。

――彼女の中で、人間でいられるなら僕はこの世界を生きることが出来る。

「次は体育……か」

時間割を確認して、カバンからジャージを取り出す。大嫌いな教科。サッカーやバスケみたいな、チーム競技だと尚更。チーム決め時間の苦痛は、言いようがない。リーダーによる指名制だから、俺は決まって一番最後まで残る。配属されたチームで俺は居ないように扱われる。

「一人メンバーが少ない状態で戦ってる様なモンだし、不利だよな」
それが俺への嫌味だって、誰もが理解する。そんな言葉が飛び交う度、胸がえぐられる様に痛む。人の悪意は鋭利だ。傷口から黒いものがドクドクと流れ出す。

 別に、特別運動オンチって訳じゃないんだ。多分。ただ、誰も俺にボールを回さない。活躍してはならない人間だから。俺が「出来ない奴」でないと、世界の均衡は崩れてしまうから。イジメられて当然の、無能で弱い人間。そんなポジションがクラスには必要だから。
だから、俺は今日も足手まといの蝦名 敏也。今日も、俺はコートの端っこでじっと耐えてる。

「パスパス、馬鹿、ヨウイチ突っ走んな」

ヨウイチとショータが中心になってボールを追いかける。うらやましい。大嫌いで認めたくないのに、うらやましくてたまらない。俺もあんな風に世界の真ん中を走り回りたい。

「蝦名くーん、がんばれー」

……え。なに、空耳?

「……あ」

声のした方を振り向くと

「……芳沢さん?」

芳沢 マリカがいた。俺に手をふりながら、彼女は綺麗に笑った。
黒いドロドロが浄化される。世界一不幸な俺を、君は救ってくれる。君だけだ、僕に光をくれるのは。

「なあ、どう思うよ? あれ」
「ふざけやがって、気にくわねえ……」



**

 何この文章。どれが主語? ああ、倒置か、なるほど。SVがそうなって、で、ingがかかるわけね。

「英語って難しいのね」
「何を今更」

 呆れたような、笑いを含んだ声。柊は、じっと森山の手元を見つめた。難関大の過去問らしい長文。構文でまみれたそれは、青いシャーペンによってサラサラと文型が取られていく。

「本当は、SとかVとか、書かないほうが良いんだって。でもクセなんだよね」
「へえ……」

 曖昧に頷く。受験勉強とか、まだよくわからない。メロンパンをかじる。

「志望大学、決めてるの?」

 S、V、О、矢印、斜線、О……。さらさら、さらさら。

「ん、担任はK大を推してきてる」

 括弧。S、V……。生徒会室は、静か。二人しかいないから、当然だけど。

「すごい。私は国公立なんて狙えない」

 さらさら、たまに、しゃっ。これは、斜線を引く音。膝に落ちた砂糖を払う。虫が寄ってくるかも。あとで掃除しなくちゃ。

「まあ、受験勉強なんて形だけだよ。受けるつもり無いし」

「え、なんで。もったいない……、あ」

 柊は顔を上げた。優しい瞳とぶつかる。シャーペンの音は聞こえなくなった。

「やらなきゃいけない事があるからね」

 泣きたくなるのは、あなたが微笑むから。後戻りは出来ない。背負ってしまった、十字架。消えない罪。

「…………」

 私は、森山の涙を知っているのに。柊はスカートの裾を握りしめた。

「君はまだ、引き返せるよ」

「っ!!」
 はっとして、森山を凝視する。穏やかな表情。
それが、くるしい。この感情を、どこにぶつければいいの。

「引き返さない。一緒に行く」

 迷いなんてもちろん無いけど、勘違いされないように強く言う。彼の瞳が揺れた。戸惑いの色。頼ってくれないのは、わかっていた。だから今は、しがみつくだけ。

「巻き込みたくないんだよ」

 ちがう。柊は首を振った。巻き込む、とか、そうじゃない。どうして自分を責めようとするの。

「手を組むって、言ったじゃない。お互いの目的のために。私には私の、復讐があるの」

「……罪を背負うよ」

「慣れてる」

「…………」

 納得していない顔。

「それに千愛は、森山だけのものじゃないわ。私にだって、憤る権利がある」

 だから。

「諦めて、認めて」

 にっこりと、笑顔をつくる。森山はまだ、険しい表情。

「……後悔してもいいの?」

「いい。覚悟はできてる」

 私たちは、きっと、もっと後悔する。それでも、森山が頷いてくれたから、今はそれだけでいい。


「どういうことですか」

 冷たい声にびくりと肩を震わせる。

(きた……)

 ドアの開く音がしたから、わかってはいたけど。

「おぉ、来たね。副会長。話があるんだけどさあ……」

「柊さん。生徒会役員以外は立ち入り禁止だと、私言いましたよね?」

 間延びした森山の声を、ぴしゃりと遮る。眼鏡がきらりと光って、怖い。

「……聞きました」

「なら、何故またここにいるんですか? 私のことを馬鹿にしているの?」

「まさか。そんな」

 睨みつける、その目が怖い。

「ちょい待ち。副会長、顔怖いから。ね、すまいるすまいる」

「何なんですか、あなたは!!」

 今のは副会長に同感だ。この空気でふざけられる神経がわからない。

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