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第五章 心
①
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名前は 芳沢 マリカ(よしざわ まりか)。テニス部の副キャプテンで、隣のクラスの体育委員。ヒガシ中出身。髪型は日替わりで、今日は二つ結びだ。個人的にはポニーテールが一番似合ってると思うが、まあ彼女なら何でもアリだ。
蛯名 敏也は、緩む顔を引き締めた。あいつらに見られたら何を言われるかわからない。
「おい虫ー、金ぇ」
「今日は三千円くらい欲しい気分だなー」
くだらない。世界はくだらない。そうでも思わないと、諦められなかった。周りと同じように生きたいという希望を。でも、もう良いんだ。彼女は俺を虫だと言わない。汚いものだと思わない。
――彼女の中で、人間でいられるなら僕はこの世界を生きることが出来る。
「次は体育……か」
時間割を確認して、カバンからジャージを取り出す。大嫌いな教科。サッカーやバスケみたいな、チーム競技だと尚更。チーム決め時間の苦痛は、言いようがない。リーダーによる指名制だから、俺は決まって一番最後まで残る。配属されたチームで俺は居ないように扱われる。
「一人メンバーが少ない状態で戦ってる様なモンだし、不利だよな」
それが俺への嫌味だって、誰もが理解する。そんな言葉が飛び交う度、胸がえぐられる様に痛む。人の悪意は鋭利だ。傷口から黒いものがドクドクと流れ出す。
別に、特別運動オンチって訳じゃないんだ。多分。ただ、誰も俺にボールを回さない。活躍してはならない人間だから。俺が「出来ない奴」でないと、世界の均衡は崩れてしまうから。イジメられて当然の、無能で弱い人間。そんなポジションがクラスには必要だから。
だから、俺は今日も足手まといの蝦名 敏也。今日も、俺はコートの端っこでじっと耐えてる。
「パスパス、馬鹿、ヨウイチ突っ走んな」
ヨウイチとショータが中心になってボールを追いかける。うらやましい。大嫌いで認めたくないのに、うらやましくてたまらない。俺もあんな風に世界の真ん中を走り回りたい。
「蝦名くーん、がんばれー」
……え。なに、空耳?
「……あ」
声のした方を振り向くと
「……芳沢さん?」
芳沢 マリカがいた。俺に手をふりながら、彼女は綺麗に笑った。
黒いドロドロが浄化される。世界一不幸な俺を、君は救ってくれる。君だけだ、僕に光をくれるのは。
「なあ、どう思うよ? あれ」
「ふざけやがって、気にくわねえ……」
**
何この文章。どれが主語? ああ、倒置か、なるほど。SVがそうなって、で、ingがかかるわけね。
「英語って難しいのね」
「何を今更」
呆れたような、笑いを含んだ声。柊は、じっと森山の手元を見つめた。難関大の過去問らしい長文。構文でまみれたそれは、青いシャーペンによってサラサラと文型が取られていく。
「本当は、SとかVとか、書かないほうが良いんだって。でもクセなんだよね」
「へえ……」
曖昧に頷く。受験勉強とか、まだよくわからない。メロンパンをかじる。
「志望大学、決めてるの?」
S、V、О、矢印、斜線、О……。さらさら、さらさら。
「ん、担任はK大を推してきてる」
括弧。S、V……。生徒会室は、静か。二人しかいないから、当然だけど。
「すごい。私は国公立なんて狙えない」
さらさら、たまに、しゃっ。これは、斜線を引く音。膝に落ちた砂糖を払う。虫が寄ってくるかも。あとで掃除しなくちゃ。
「まあ、受験勉強なんて形だけだよ。受けるつもり無いし」
「え、なんで。もったいない……、あ」
柊は顔を上げた。優しい瞳とぶつかる。シャーペンの音は聞こえなくなった。
「やらなきゃいけない事があるからね」
泣きたくなるのは、あなたが微笑むから。後戻りは出来ない。背負ってしまった、十字架。消えない罪。
「…………」
私は、森山の涙を知っているのに。柊はスカートの裾を握りしめた。
「君はまだ、引き返せるよ」
「っ!!」
はっとして、森山を凝視する。穏やかな表情。
それが、くるしい。この感情を、どこにぶつければいいの。
「引き返さない。一緒に行く」
迷いなんてもちろん無いけど、勘違いされないように強く言う。彼の瞳が揺れた。戸惑いの色。頼ってくれないのは、わかっていた。だから今は、しがみつくだけ。
「巻き込みたくないんだよ」
ちがう。柊は首を振った。巻き込む、とか、そうじゃない。どうして自分を責めようとするの。
「手を組むって、言ったじゃない。お互いの目的のために。私には私の、復讐があるの」
「……罪を背負うよ」
「慣れてる」
「…………」
納得していない顔。
「それに千愛は、森山だけのものじゃないわ。私にだって、憤る権利がある」
だから。
「諦めて、認めて」
にっこりと、笑顔をつくる。森山はまだ、険しい表情。
「……後悔してもいいの?」
「いい。覚悟はできてる」
私たちは、きっと、もっと後悔する。それでも、森山が頷いてくれたから、今はそれだけでいい。
「どういうことですか」
冷たい声にびくりと肩を震わせる。
(きた……)
ドアの開く音がしたから、わかってはいたけど。
「おぉ、来たね。副会長。話があるんだけどさあ……」
「柊さん。生徒会役員以外は立ち入り禁止だと、私言いましたよね?」
間延びした森山の声を、ぴしゃりと遮る。眼鏡がきらりと光って、怖い。
「……聞きました」
「なら、何故またここにいるんですか? 私のことを馬鹿にしているの?」
「まさか。そんな」
睨みつける、その目が怖い。
「ちょい待ち。副会長、顔怖いから。ね、すまいるすまいる」
「何なんですか、あなたは!!」
今のは副会長に同感だ。この空気でふざけられる神経がわからない。
蛯名 敏也は、緩む顔を引き締めた。あいつらに見られたら何を言われるかわからない。
「おい虫ー、金ぇ」
「今日は三千円くらい欲しい気分だなー」
くだらない。世界はくだらない。そうでも思わないと、諦められなかった。周りと同じように生きたいという希望を。でも、もう良いんだ。彼女は俺を虫だと言わない。汚いものだと思わない。
――彼女の中で、人間でいられるなら僕はこの世界を生きることが出来る。
「次は体育……か」
時間割を確認して、カバンからジャージを取り出す。大嫌いな教科。サッカーやバスケみたいな、チーム競技だと尚更。チーム決め時間の苦痛は、言いようがない。リーダーによる指名制だから、俺は決まって一番最後まで残る。配属されたチームで俺は居ないように扱われる。
「一人メンバーが少ない状態で戦ってる様なモンだし、不利だよな」
それが俺への嫌味だって、誰もが理解する。そんな言葉が飛び交う度、胸がえぐられる様に痛む。人の悪意は鋭利だ。傷口から黒いものがドクドクと流れ出す。
別に、特別運動オンチって訳じゃないんだ。多分。ただ、誰も俺にボールを回さない。活躍してはならない人間だから。俺が「出来ない奴」でないと、世界の均衡は崩れてしまうから。イジメられて当然の、無能で弱い人間。そんなポジションがクラスには必要だから。
だから、俺は今日も足手まといの蝦名 敏也。今日も、俺はコートの端っこでじっと耐えてる。
「パスパス、馬鹿、ヨウイチ突っ走んな」
ヨウイチとショータが中心になってボールを追いかける。うらやましい。大嫌いで認めたくないのに、うらやましくてたまらない。俺もあんな風に世界の真ん中を走り回りたい。
「蝦名くーん、がんばれー」
……え。なに、空耳?
「……あ」
声のした方を振り向くと
「……芳沢さん?」
芳沢 マリカがいた。俺に手をふりながら、彼女は綺麗に笑った。
黒いドロドロが浄化される。世界一不幸な俺を、君は救ってくれる。君だけだ、僕に光をくれるのは。
「なあ、どう思うよ? あれ」
「ふざけやがって、気にくわねえ……」
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何この文章。どれが主語? ああ、倒置か、なるほど。SVがそうなって、で、ingがかかるわけね。
「英語って難しいのね」
「何を今更」
呆れたような、笑いを含んだ声。柊は、じっと森山の手元を見つめた。難関大の過去問らしい長文。構文でまみれたそれは、青いシャーペンによってサラサラと文型が取られていく。
「本当は、SとかVとか、書かないほうが良いんだって。でもクセなんだよね」
「へえ……」
曖昧に頷く。受験勉強とか、まだよくわからない。メロンパンをかじる。
「志望大学、決めてるの?」
S、V、О、矢印、斜線、О……。さらさら、さらさら。
「ん、担任はK大を推してきてる」
括弧。S、V……。生徒会室は、静か。二人しかいないから、当然だけど。
「すごい。私は国公立なんて狙えない」
さらさら、たまに、しゃっ。これは、斜線を引く音。膝に落ちた砂糖を払う。虫が寄ってくるかも。あとで掃除しなくちゃ。
「まあ、受験勉強なんて形だけだよ。受けるつもり無いし」
「え、なんで。もったいない……、あ」
柊は顔を上げた。優しい瞳とぶつかる。シャーペンの音は聞こえなくなった。
「やらなきゃいけない事があるからね」
泣きたくなるのは、あなたが微笑むから。後戻りは出来ない。背負ってしまった、十字架。消えない罪。
「…………」
私は、森山の涙を知っているのに。柊はスカートの裾を握りしめた。
「君はまだ、引き返せるよ」
「っ!!」
はっとして、森山を凝視する。穏やかな表情。
それが、くるしい。この感情を、どこにぶつければいいの。
「引き返さない。一緒に行く」
迷いなんてもちろん無いけど、勘違いされないように強く言う。彼の瞳が揺れた。戸惑いの色。頼ってくれないのは、わかっていた。だから今は、しがみつくだけ。
「巻き込みたくないんだよ」
ちがう。柊は首を振った。巻き込む、とか、そうじゃない。どうして自分を責めようとするの。
「手を組むって、言ったじゃない。お互いの目的のために。私には私の、復讐があるの」
「……罪を背負うよ」
「慣れてる」
「…………」
納得していない顔。
「それに千愛は、森山だけのものじゃないわ。私にだって、憤る権利がある」
だから。
「諦めて、認めて」
にっこりと、笑顔をつくる。森山はまだ、険しい表情。
「……後悔してもいいの?」
「いい。覚悟はできてる」
私たちは、きっと、もっと後悔する。それでも、森山が頷いてくれたから、今はそれだけでいい。
「どういうことですか」
冷たい声にびくりと肩を震わせる。
(きた……)
ドアの開く音がしたから、わかってはいたけど。
「おぉ、来たね。副会長。話があるんだけどさあ……」
「柊さん。生徒会役員以外は立ち入り禁止だと、私言いましたよね?」
間延びした森山の声を、ぴしゃりと遮る。眼鏡がきらりと光って、怖い。
「……聞きました」
「なら、何故またここにいるんですか? 私のことを馬鹿にしているの?」
「まさか。そんな」
睨みつける、その目が怖い。
「ちょい待ち。副会長、顔怖いから。ね、すまいるすまいる」
「何なんですか、あなたは!!」
今のは副会長に同感だ。この空気でふざけられる神経がわからない。
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