Replica

めんつゆ

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第六章 ベクトル

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「犯人が許せなくて、だから、今こうやって」

「……うん?」

「本当に千愛が大切だったのね。犯人が憎い。だから、ずっと復讐を胸に置いてる」

「……復讐、ね」
 
柊は、目の前の男の、焦点の定まらなくなった眼を見つめた。そこに映る人物は想像できた。






「ねー、有ちゃん」
「なに」

 いつもの帰り道。ポストがある角を曲がる。

「明日のテストでね、合計三百五十点とったら、一緒に遊園地行ってくれる?」

「千愛のおごり?」

「なんでー? それじゃ、全然ご褒美じゃないじゃん」

 頬を膨らませる千愛がおかしくて、笑い声が漏れる。

「……いいよ、俺のお金で。三百五十点ね」

「やった、割り勘でいいけどね! あ、やっぱり三百点!」

「撤回は受け付けない」
 
案の定、上がる不満の声。予想通りの反応に頬が緩む。

「来月の土曜日でいい? あ、忙しい? もしかして迷惑だった!?」

「なに今更気遣ってんの。大丈夫だよ。千愛ぐらいしか俺の相手してくれないし。楽しみだよ」

「有ちゃんは人見知りなんだよ。その気になればすぐに人気者なのに」

「なんで人気者だよ。知ってるよ、俺。みんなが俺のこと表情なくて怖いとか言ってるの。感情無いんじゃないかって噂とか」

「でも千愛知ってるよ。女の子が有ちゃんのことかっこいいって言ってることとか。有ちゃんが体育祭でMVP取ったり、テストで一位取ったとき、みんな『さすがだね』って。そうやって、憧れてること」

「……そう」
 
複雑な感情。嬉しいけど、もっと強い、虚しいような感覚。持っているものばかりが取り立てられて、自分自身が埋もれていく。

(いや、そもそも自分自身って一体……)
 
千愛の顔を凝視する。

「『友達をたくさん作って、間違っているものは間違って言う』か」

「へ?」

「ううん。そういうことなんだろうなって」
 
言葉の意味がわからず、軽くパニックを起こす千愛に笑いかける。

「遊園地楽しみだね。三百五十点、よろしく」

 ぱあっと千愛の表情が輝く。

「うん! 絶対取る!! 今までで一番頑張る!!」
 
どこから出したのか、ピンクのスケジュール帳に予定を書き込み出す。歩きながらペンを動かしているせいで、何度もずれては書き直している。後で書けばいいじゃん、とはわざわざ言わなかった。

「見て見て見て見て!!」
「見たってば」
「もっとちゃんと見てー!!」
「みーたってば。三百五十六点。ギリギリだね」
「他に言うことないの!?」

 可愛く睨んでくる千愛が、やっぱり面白い。

「おめでと。頑張ったね。遊園地、土曜日でしょ。わざわざ予定空けてたんだよ、俺」

「…………!! ゆーちゃーん!!」
 
道端で叫び出す彼女。恥ずかしくて、でもそれ以上に可笑しくて、声を上げて笑った。本当に居心地が良かった。千愛が隣にいるだけで、ぐちゃぐちゃに絡まった感情がほどけていく。

その週の金曜日から、森山の記憶は霞んでいる。まるで夢の中にいるような感覚で。早く理解しなければ、と思う反面、わかってしまえば自分は終わる、と心が強く叫ぶ。受け入れられない。何も考えられない。事実はとっくに頭の中に入っている。
千愛が死んだのだ。

だけど、その意味がわからない。死って何だ。二度と会えない? それだけじゃない。もっと重いはず。なんだろう。実感が湧かない。

そこに来たことに理由があったのか、自分でもわからない。屋上。風が冷たい。

もう会えない。道が閉ざされた。この世界から彼女がいなくなった。

フェンスに手をかけた。校庭が見渡せる。なにもない、グラウンド。

「もっと、悲しめよ、泣けよ、俺」
 
自嘲気味に笑う。こんな時に何も感じないなんて、噂通り、自分に感情なんてないのかもしれない。

 こんなくだらない人間に、千愛はいつもかまってくれていたのか。どうして死んだのかなんて知らない。何もわかっていないんだ、自分は。あんなに大切だったのに。

「はは、は」
 
なんだこれ。頬を伝う、生暖かい、感触。なんの涙だ。悲しいのか。悔しいのか。辛いのか。わからない。やっぱり自分は、感情というものに不器用だ。ただ、わかるのは。千愛がいなくなった。それだけだ。
 
フェンスを握る手に力がこもる。この体の中には、抑えきれられない。爆発してしまいそうな。気持ち。

 持て余した衝動は、どうやって押し込めばいいのか。思考が動くたび、感情の波が押し寄せては溢れ出す。コントロールなんて、出来やしない。かろうじて動く足が、帰路に向かう。千愛が隣に居なくなった、いつもの道。

「…………?」

 森山を、一人の男が追い越し走っていった。違和感。一瞬しか見えなかったが、怯えた表情。それにただならぬ気配を感じた。
 
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