28 / 51
第六章 ベクトル
⑦
しおりを挟む
「犯人が許せなくて、だから、今こうやって」
「……うん?」
「本当に千愛が大切だったのね。犯人が憎い。だから、ずっと復讐を胸に置いてる」
「……復讐、ね」
柊は、目の前の男の、焦点の定まらなくなった眼を見つめた。そこに映る人物は想像できた。
「ねー、有ちゃん」
「なに」
いつもの帰り道。ポストがある角を曲がる。
「明日のテストでね、合計三百五十点とったら、一緒に遊園地行ってくれる?」
「千愛のおごり?」
「なんでー? それじゃ、全然ご褒美じゃないじゃん」
頬を膨らませる千愛がおかしくて、笑い声が漏れる。
「……いいよ、俺のお金で。三百五十点ね」
「やった、割り勘でいいけどね! あ、やっぱり三百点!」
「撤回は受け付けない」
案の定、上がる不満の声。予想通りの反応に頬が緩む。
「来月の土曜日でいい? あ、忙しい? もしかして迷惑だった!?」
「なに今更気遣ってんの。大丈夫だよ。千愛ぐらいしか俺の相手してくれないし。楽しみだよ」
「有ちゃんは人見知りなんだよ。その気になればすぐに人気者なのに」
「なんで人気者だよ。知ってるよ、俺。みんなが俺のこと表情なくて怖いとか言ってるの。感情無いんじゃないかって噂とか」
「でも千愛知ってるよ。女の子が有ちゃんのことかっこいいって言ってることとか。有ちゃんが体育祭でMVP取ったり、テストで一位取ったとき、みんな『さすがだね』って。そうやって、憧れてること」
「……そう」
複雑な感情。嬉しいけど、もっと強い、虚しいような感覚。持っているものばかりが取り立てられて、自分自身が埋もれていく。
(いや、そもそも自分自身って一体……)
千愛の顔を凝視する。
「『友達をたくさん作って、間違っているものは間違って言う』か」
「へ?」
「ううん。そういうことなんだろうなって」
言葉の意味がわからず、軽くパニックを起こす千愛に笑いかける。
「遊園地楽しみだね。三百五十点、よろしく」
ぱあっと千愛の表情が輝く。
「うん! 絶対取る!! 今までで一番頑張る!!」
どこから出したのか、ピンクのスケジュール帳に予定を書き込み出す。歩きながらペンを動かしているせいで、何度もずれては書き直している。後で書けばいいじゃん、とはわざわざ言わなかった。
「見て見て見て見て!!」
「見たってば」
「もっとちゃんと見てー!!」
「みーたってば。三百五十六点。ギリギリだね」
「他に言うことないの!?」
可愛く睨んでくる千愛が、やっぱり面白い。
「おめでと。頑張ったね。遊園地、土曜日でしょ。わざわざ予定空けてたんだよ、俺」
「…………!! ゆーちゃーん!!」
道端で叫び出す彼女。恥ずかしくて、でもそれ以上に可笑しくて、声を上げて笑った。本当に居心地が良かった。千愛が隣にいるだけで、ぐちゃぐちゃに絡まった感情がほどけていく。
その週の金曜日から、森山の記憶は霞んでいる。まるで夢の中にいるような感覚で。早く理解しなければ、と思う反面、わかってしまえば自分は終わる、と心が強く叫ぶ。受け入れられない。何も考えられない。事実はとっくに頭の中に入っている。
千愛が死んだのだ。
だけど、その意味がわからない。死って何だ。二度と会えない? それだけじゃない。もっと重いはず。なんだろう。実感が湧かない。
そこに来たことに理由があったのか、自分でもわからない。屋上。風が冷たい。
もう会えない。道が閉ざされた。この世界から彼女がいなくなった。
フェンスに手をかけた。校庭が見渡せる。なにもない、グラウンド。
「もっと、悲しめよ、泣けよ、俺」
自嘲気味に笑う。こんな時に何も感じないなんて、噂通り、自分に感情なんてないのかもしれない。
こんなくだらない人間に、千愛はいつもかまってくれていたのか。どうして死んだのかなんて知らない。何もわかっていないんだ、自分は。あんなに大切だったのに。
「はは、は」
なんだこれ。頬を伝う、生暖かい、感触。なんの涙だ。悲しいのか。悔しいのか。辛いのか。わからない。やっぱり自分は、感情というものに不器用だ。ただ、わかるのは。千愛がいなくなった。それだけだ。
フェンスを握る手に力がこもる。この体の中には、抑えきれられない。爆発してしまいそうな。気持ち。
持て余した衝動は、どうやって押し込めばいいのか。思考が動くたび、感情の波が押し寄せては溢れ出す。コントロールなんて、出来やしない。かろうじて動く足が、帰路に向かう。千愛が隣に居なくなった、いつもの道。
「…………?」
森山を、一人の男が追い越し走っていった。違和感。一瞬しか見えなかったが、怯えた表情。それにただならぬ気配を感じた。
「……うん?」
「本当に千愛が大切だったのね。犯人が憎い。だから、ずっと復讐を胸に置いてる」
「……復讐、ね」
柊は、目の前の男の、焦点の定まらなくなった眼を見つめた。そこに映る人物は想像できた。
「ねー、有ちゃん」
「なに」
いつもの帰り道。ポストがある角を曲がる。
「明日のテストでね、合計三百五十点とったら、一緒に遊園地行ってくれる?」
「千愛のおごり?」
「なんでー? それじゃ、全然ご褒美じゃないじゃん」
頬を膨らませる千愛がおかしくて、笑い声が漏れる。
「……いいよ、俺のお金で。三百五十点ね」
「やった、割り勘でいいけどね! あ、やっぱり三百点!」
「撤回は受け付けない」
案の定、上がる不満の声。予想通りの反応に頬が緩む。
「来月の土曜日でいい? あ、忙しい? もしかして迷惑だった!?」
「なに今更気遣ってんの。大丈夫だよ。千愛ぐらいしか俺の相手してくれないし。楽しみだよ」
「有ちゃんは人見知りなんだよ。その気になればすぐに人気者なのに」
「なんで人気者だよ。知ってるよ、俺。みんなが俺のこと表情なくて怖いとか言ってるの。感情無いんじゃないかって噂とか」
「でも千愛知ってるよ。女の子が有ちゃんのことかっこいいって言ってることとか。有ちゃんが体育祭でMVP取ったり、テストで一位取ったとき、みんな『さすがだね』って。そうやって、憧れてること」
「……そう」
複雑な感情。嬉しいけど、もっと強い、虚しいような感覚。持っているものばかりが取り立てられて、自分自身が埋もれていく。
(いや、そもそも自分自身って一体……)
千愛の顔を凝視する。
「『友達をたくさん作って、間違っているものは間違って言う』か」
「へ?」
「ううん。そういうことなんだろうなって」
言葉の意味がわからず、軽くパニックを起こす千愛に笑いかける。
「遊園地楽しみだね。三百五十点、よろしく」
ぱあっと千愛の表情が輝く。
「うん! 絶対取る!! 今までで一番頑張る!!」
どこから出したのか、ピンクのスケジュール帳に予定を書き込み出す。歩きながらペンを動かしているせいで、何度もずれては書き直している。後で書けばいいじゃん、とはわざわざ言わなかった。
「見て見て見て見て!!」
「見たってば」
「もっとちゃんと見てー!!」
「みーたってば。三百五十六点。ギリギリだね」
「他に言うことないの!?」
可愛く睨んでくる千愛が、やっぱり面白い。
「おめでと。頑張ったね。遊園地、土曜日でしょ。わざわざ予定空けてたんだよ、俺」
「…………!! ゆーちゃーん!!」
道端で叫び出す彼女。恥ずかしくて、でもそれ以上に可笑しくて、声を上げて笑った。本当に居心地が良かった。千愛が隣にいるだけで、ぐちゃぐちゃに絡まった感情がほどけていく。
その週の金曜日から、森山の記憶は霞んでいる。まるで夢の中にいるような感覚で。早く理解しなければ、と思う反面、わかってしまえば自分は終わる、と心が強く叫ぶ。受け入れられない。何も考えられない。事実はとっくに頭の中に入っている。
千愛が死んだのだ。
だけど、その意味がわからない。死って何だ。二度と会えない? それだけじゃない。もっと重いはず。なんだろう。実感が湧かない。
そこに来たことに理由があったのか、自分でもわからない。屋上。風が冷たい。
もう会えない。道が閉ざされた。この世界から彼女がいなくなった。
フェンスに手をかけた。校庭が見渡せる。なにもない、グラウンド。
「もっと、悲しめよ、泣けよ、俺」
自嘲気味に笑う。こんな時に何も感じないなんて、噂通り、自分に感情なんてないのかもしれない。
こんなくだらない人間に、千愛はいつもかまってくれていたのか。どうして死んだのかなんて知らない。何もわかっていないんだ、自分は。あんなに大切だったのに。
「はは、は」
なんだこれ。頬を伝う、生暖かい、感触。なんの涙だ。悲しいのか。悔しいのか。辛いのか。わからない。やっぱり自分は、感情というものに不器用だ。ただ、わかるのは。千愛がいなくなった。それだけだ。
フェンスを握る手に力がこもる。この体の中には、抑えきれられない。爆発してしまいそうな。気持ち。
持て余した衝動は、どうやって押し込めばいいのか。思考が動くたび、感情の波が押し寄せては溢れ出す。コントロールなんて、出来やしない。かろうじて動く足が、帰路に向かう。千愛が隣に居なくなった、いつもの道。
「…………?」
森山を、一人の男が追い越し走っていった。違和感。一瞬しか見えなかったが、怯えた表情。それにただならぬ気配を感じた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
睿国怪奇伝〜オカルトマニアの皇妃様は怪異がお好き〜
猫とろ
キャラ文芸
大国。睿(えい)国。 先帝が急逝したため、二十五歳の若さで皇帝の玉座に座ることになった俊朗(ジュンラン)。
その妻も政略結婚で選ばれた幽麗(ユウリー)十八歳。 そんな二人は皇帝はリアリスト。皇妃はオカルトマニアだった。
まるで正反対の二人だが、お互いに政略結婚と割り切っている。
そんなとき、街にキョンシーが出たと言う噂が広がる。
「陛下キョンシーを捕まえたいです」
「幽麗。キョンシーの存在は俺は認めはしない」
幽麗の言葉を真っ向否定する俊朗帝。
だが、キョンシーだけではなく、街全体に何か怪しい怪異の噂が──。 俊朗帝と幽麗妃。二人は怪異を払う為に協力するが果たして……。
皇帝夫婦×中華ミステリーです!
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
裏切りの代償
中岡 始
キャラ文芸
かつて夫と共に立ち上げたベンチャー企業「ネクサスラボ」。奏は結婚を機に経営の第一線を退き、専業主婦として家庭を支えてきた。しかし、平穏だった生活は夫・尚紀の裏切りによって一変する。彼の部下であり不倫相手の優美が、会社を混乱に陥れつつあったのだ。
尚紀の冷たい態度と優美の挑発に苦しむ中、奏は再び経営者としての力を取り戻す決意をする。裏切りの証拠を集め、かつての仲間や信頼できる協力者たちと連携しながら、会社を立て直すための計画を進める奏。だが、それは尚紀と優美の野望を徹底的に打ち砕く覚悟でもあった。
取締役会での対決、揺れる社内外の信頼、そして壊れた夫婦の絆の果てに待つのは――。
自分の誇りと未来を取り戻すため、すべてを賭けて挑む奏の闘い。復讐の果てに見える新たな希望と、繊細な人間ドラマが交錯する物語がここに。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる