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第六章 ベクトル
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柊はつぶやいた。正しさから逃げる。消したい過去にしがみつく。間違いに進む。そうすればもう、苦しくない。都合の悪いものから目をそらすこと。もう自分が此処で生きる道はそれしか無い。だから私たちは復讐するんだ。視界が開いた。周りが一気に鮮やかになった。「間違い」が、自分の中の「正しい」だ。存在意義を復讐に見出す。その先なんてどうでもいい。恨みという欲望に身を任せよう。
「え、柊? どしたの?」
森山はもう、ずっと前からその選択をしていたのだろう。表向きは正しさを極めているけれど、それだってカモフラージュみたいなものだ。ふつふつと湧き上がる、今まで抱いたこともない強気な自分。
「私たちは、復讐するために手を組んだんだもんね」
どうして、別の幸せを願ったりしたんだろう。森山と一緒に居たいだとか。生徒会に入って笑いたいだとか。そんなものを望むから、苦しくなるのに。
「……ひいらぎ?」
「森山はわかっているんでしょう? 森山は揺らがないでしょう? 私たちには復讐しかないって」
十字架を背負う彼に選択肢がないことを、柊は知っていた。縛り付けてしまいたいと思った。ただの共犯者として、彼を欲した。
「……うん。わかってる、よ」
どうしてそう、歯切れが悪いんだろう。彼を睨む。突然変貌した柊の眼に、森山は怯えていた。
何がスイッチになったのか、まったくわからなかった。
彼女自身、いきなり沸きあがった感情に戸惑いは存在していた。それでも、怖いぐらい、確信を持てた。森山が憎悪に飲み込まれていないと、不安になる気さえした。
一度弾けたものは、もう戻らない。犯人が憎いのだ。だから復讐するのだ。とてもシンプルなことだ。
正当化する必要もない。ただ自らの欲望のままに。殺したいから殺す。
「みて」
余計な感情はもう要らない。これから迷うことが無いように。今、断ち切ろう。微かに生まれていた、「彼に対する気持ち」を。
柊は携帯の画面を突き出した。
「メールの履歴? これは、千愛からの……? え?」
「知らなかったの? 千愛は貴方が好きだったのよ」
それは、千愛が恋愛相談をしてきた時のメールだった。初々しい彼女の想いが、そこには綴られていた。
「千愛が、貴方を好きだったのよ」
噛み締めるようにそう言った。復讐を決めた時点で、二人は千愛に依存していた。
千愛が秘めていた想いは、とても神聖なもので。たとえば、自分が同じ気持ちを抱いたとしても、それを口にすることは許されない。
「千愛」は、正しく尊い。それは一種の呪いのように、二人を縛りつけた。道はひとつだ。
「犯人を殺す。それだけってことか」
森山は笑った。千愛が何を望んでいるか、なんて考えなかった。自己満足の救済だ。心地よかった。泣きたいぐらいに。
「会長、今度の会議の資料ですけど……」
「ああ、それなら出来てるよ。ほら完璧」
「完璧かどうかは私が判断します」
後輩のくせに偉そうだよね、ほんと。小言を漏らしながら、森山は口を尖らした。
三年九組、森山の教室。松葉づえは机の脇に倒して置いてある。彼の足が使えなくなってからというもの、生徒会関係の用事は、この教室まで来て話すことになっている。
資料を確認した副会長は、満足そうに頷く。森山は密かに苦笑した。望まなければ、うまくいく。難しくできているんだ。世の中は。
「スッキリした表情されてますね。なにかあったんですか?」
「そう? さっきトイレ行ったからかな」
「ああ、そうですか。それにしても、よくできてますね、この資料。大変だったでしょう。テストも近いのに、時々嫌になりません? 生徒会なんて、自分になんのメリットもない仕事ばかりじゃないですか。立候補したわけでもないのに、先生に勝手に決められて」
副会長でも不満を漏らすことがあるのか。意外だ、と森山は可笑しくなった。先生の指名制というのは、確かに理不尽だ。
でも、「森山 有」を優等生にしようと決めたのは自分だ。今のポジションに不満は無かった。どんなに大変な仕事も苦にならなかった。自己犠牲をいとう必要も無かった。「森山 有」を大切にしていないからだ。
「何でも出来る自分」が、森山を満たしてくれたことなど無かった。その先の未来に、なにかを期待したことも無かった。嘘の姿だと割り切った方が楽だった。ただ復讐のために生きる、くだらない人間。それだけのための人生。それが本当の自分だ。そう思い込むことで救われた。
いろんなものを諦めたのかもしれない。いろんなものから逃げたのかもしれない。
でも、「いろんなもの」のひとつひとつを解いていくなんて、疲れるだけだ。一瞬でいい。彼は満たされたかった。復讐の達成は、それを叶えてくれる気がした。そもそも選択肢などない。罪を背負った限りはやり遂げるしかない。
「え、柊? どしたの?」
森山はもう、ずっと前からその選択をしていたのだろう。表向きは正しさを極めているけれど、それだってカモフラージュみたいなものだ。ふつふつと湧き上がる、今まで抱いたこともない強気な自分。
「私たちは、復讐するために手を組んだんだもんね」
どうして、別の幸せを願ったりしたんだろう。森山と一緒に居たいだとか。生徒会に入って笑いたいだとか。そんなものを望むから、苦しくなるのに。
「……ひいらぎ?」
「森山はわかっているんでしょう? 森山は揺らがないでしょう? 私たちには復讐しかないって」
十字架を背負う彼に選択肢がないことを、柊は知っていた。縛り付けてしまいたいと思った。ただの共犯者として、彼を欲した。
「……うん。わかってる、よ」
どうしてそう、歯切れが悪いんだろう。彼を睨む。突然変貌した柊の眼に、森山は怯えていた。
何がスイッチになったのか、まったくわからなかった。
彼女自身、いきなり沸きあがった感情に戸惑いは存在していた。それでも、怖いぐらい、確信を持てた。森山が憎悪に飲み込まれていないと、不安になる気さえした。
一度弾けたものは、もう戻らない。犯人が憎いのだ。だから復讐するのだ。とてもシンプルなことだ。
正当化する必要もない。ただ自らの欲望のままに。殺したいから殺す。
「みて」
余計な感情はもう要らない。これから迷うことが無いように。今、断ち切ろう。微かに生まれていた、「彼に対する気持ち」を。
柊は携帯の画面を突き出した。
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「知らなかったの? 千愛は貴方が好きだったのよ」
それは、千愛が恋愛相談をしてきた時のメールだった。初々しい彼女の想いが、そこには綴られていた。
「千愛が、貴方を好きだったのよ」
噛み締めるようにそう言った。復讐を決めた時点で、二人は千愛に依存していた。
千愛が秘めていた想いは、とても神聖なもので。たとえば、自分が同じ気持ちを抱いたとしても、それを口にすることは許されない。
「千愛」は、正しく尊い。それは一種の呪いのように、二人を縛りつけた。道はひとつだ。
「犯人を殺す。それだけってことか」
森山は笑った。千愛が何を望んでいるか、なんて考えなかった。自己満足の救済だ。心地よかった。泣きたいぐらいに。
「会長、今度の会議の資料ですけど……」
「ああ、それなら出来てるよ。ほら完璧」
「完璧かどうかは私が判断します」
後輩のくせに偉そうだよね、ほんと。小言を漏らしながら、森山は口を尖らした。
三年九組、森山の教室。松葉づえは机の脇に倒して置いてある。彼の足が使えなくなってからというもの、生徒会関係の用事は、この教室まで来て話すことになっている。
資料を確認した副会長は、満足そうに頷く。森山は密かに苦笑した。望まなければ、うまくいく。難しくできているんだ。世の中は。
「スッキリした表情されてますね。なにかあったんですか?」
「そう? さっきトイレ行ったからかな」
「ああ、そうですか。それにしても、よくできてますね、この資料。大変だったでしょう。テストも近いのに、時々嫌になりません? 生徒会なんて、自分になんのメリットもない仕事ばかりじゃないですか。立候補したわけでもないのに、先生に勝手に決められて」
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でも、「森山 有」を優等生にしようと決めたのは自分だ。今のポジションに不満は無かった。どんなに大変な仕事も苦にならなかった。自己犠牲をいとう必要も無かった。「森山 有」を大切にしていないからだ。
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いろんなものを諦めたのかもしれない。いろんなものから逃げたのかもしれない。
でも、「いろんなもの」のひとつひとつを解いていくなんて、疲れるだけだ。一瞬でいい。彼は満たされたかった。復讐の達成は、それを叶えてくれる気がした。そもそも選択肢などない。罪を背負った限りはやり遂げるしかない。
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