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第八章 進行
①
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昼過ぎの、駅前。急ぎ足で去っていく通行人を眺めながら、二人の男女が立っていた。
「ええと、君がRICOちゃん? 初めまして、蛯名です」
「初めまして。柊って言います。柊 莉子です」
「……柊さん、か。ええと、あ。お昼まだ? 食べたいものとかある?」
「パスタかな」
「イタリアン……。ちょっと待って、スマホで調べるから……」
「いいよ。私、サイゼリヤのペペロンチーノが食べたいの。おごってくれる?」
「ああ、うん、なんでも頼んでいいよ」
自分で言ったその言葉に、彼は酔いしれた。太っ腹な男になった気分だ。ファミレスで満足するなんて高校生は簡単だ。
店内の壁には、ルネッサンス絵画がずらりと並んでいる。ぼんやりとその絵画を見つめながら、柊はペペロンチーノを口に運んだ。
「本当においしいです。ありがとう」
柊は満面の笑みを浮かべた。目の前には、ボサボサの黒髪と、手入れされていない髭。明らかに安物のダウンベストに、丈の足りていないトレーナー。英語で書かれたポイズンのロゴは何のギャグだろうか。極め付けには色あせたジーパンを、ハイウエスト。笑いを通り越して、ウンザリする。
「まさか、SNSで仲良くなった女の子が、こんなに近所に住んでいるなんてね」
「私も驚きました。偶然ってあるんですね」
「まさか本当に来てくれるなんて、それも意外だった」
「あはは。そうですよね、世の中物騒だし。みんなが蛯名さんみたいに良い人とは限らないですもんね。私も気を付けなくちゃ」
正直言えば、こんな男なんかとは一秒たりとも一緒に居たくはない。それでも我慢だ。
ここに自分の感情は要らない。だけど、あえてファミレスを指定したのは、やはり後ろめたさがあるからだろう。
ため息を飲み込んで、柊はまた絵画に目を移した。いくつかはこの間、美術の授業で習った。ビーナスの誕生、春、受胎告知、それから。あれは、最後の晩餐だろうか。自分の知っているそれとは違う。
「次はもっといいところに連れてってあげるよ」
嬉々としてそういう彼に、微笑み返す。作り物の笑顔は心と連動してない。だから、自分の意思でひっこめない限り、永遠に笑っていられる。
広告の品。その文句につられて、女は玉ネギの袋を手に取った。しばらく見つめた後、彼女はため息と共にそれを元の棚に戻した。
やっぱり料理をする気になんてなれない。美味しいと言うあの笑顔は、もうどこにもない。時間は傷を癒してなんてくれなかった。どこに居ても、何をしても。あの子の影が自分を覆い尽くしている。
女は、芳沢 江梨香(よしざわ えりか)は、重い足取りでお惣菜コーナーに向かった。
一番小さいお弁当に目をつけ、手を伸ばそうとかがんだ瞬間。それは起こった。
「蛯名 敏也が出所していることはご存知ですか」
時間が止まった。聞こえるはずのないワードが、突然降ってきた。顔を上げると、そこには松葉づえに体を預けた少年。
整った、綺麗な顔だ。娘や蛯名 敏也の同級生だろうか。ちがう。江梨香は慌ててかぶりを振った。
彼女の中で娘の成長は、高校三年生で止まっていた。生きていれば、もう二十二歳。
蛯名 敏也の顔は、裁判以来お目にかかっていない。忘れたかった。
マリカを殺した人間の人生が、今も続いているなんて考えたくもなかった。だからと言って、忘れられたかと言えば、そんなはずはなかった。殺したい殺したい殺したい。その欲望を抑えることだけで手いっぱいだった。
女手ひとつで育ててきた愛娘は、彼女の全てだった。娘の無念を晴らすとか、そういうことではなかった。
ただただ、殺したかった。それだけで。
気が付けば、ナイフを手に持っていたりする。
ぶつけようのない怒りが暴走して、自らに刃を押し付けるのも頻繁なことだった。手首の傷が鈍く痛む。
少年院にちょっと閉じこめられるだけなんて、割に合わない。そんなことで罪を償えるなんてありえない。理不尽だ。明らかに理不尽だ。でも、法律を憎んだって何にもならない。
「外で話しませんか? 僕と一緒にマリカさんのかたきを討ちましょう」
江梨香は目を見開いた。この子は何者なんだ。
驚きを隠せない彼女に、森山は微笑んだ。
自分たちの手で裁くつもりだった。
すべて二人だけでやるつもりだった。しかし、それには大きな問題がある。
森山の脚だ。まともに歩けないこの状況で、実行犯なんて不可能だ。だからと言って、柊ひとりに任せるわけにもいかない。なんせ、ターゲットはふたり。
蛯名 要、そして蛯名 敏也。
それを柊ひとりで、だなんて成功するとは思えない。森山の脚が治るのを待てば良いのだが、そうもいかない理由があった。
「ええと、君がRICOちゃん? 初めまして、蛯名です」
「初めまして。柊って言います。柊 莉子です」
「……柊さん、か。ええと、あ。お昼まだ? 食べたいものとかある?」
「パスタかな」
「イタリアン……。ちょっと待って、スマホで調べるから……」
「いいよ。私、サイゼリヤのペペロンチーノが食べたいの。おごってくれる?」
「ああ、うん、なんでも頼んでいいよ」
自分で言ったその言葉に、彼は酔いしれた。太っ腹な男になった気分だ。ファミレスで満足するなんて高校生は簡単だ。
店内の壁には、ルネッサンス絵画がずらりと並んでいる。ぼんやりとその絵画を見つめながら、柊はペペロンチーノを口に運んだ。
「本当においしいです。ありがとう」
柊は満面の笑みを浮かべた。目の前には、ボサボサの黒髪と、手入れされていない髭。明らかに安物のダウンベストに、丈の足りていないトレーナー。英語で書かれたポイズンのロゴは何のギャグだろうか。極め付けには色あせたジーパンを、ハイウエスト。笑いを通り越して、ウンザリする。
「まさか、SNSで仲良くなった女の子が、こんなに近所に住んでいるなんてね」
「私も驚きました。偶然ってあるんですね」
「まさか本当に来てくれるなんて、それも意外だった」
「あはは。そうですよね、世の中物騒だし。みんなが蛯名さんみたいに良い人とは限らないですもんね。私も気を付けなくちゃ」
正直言えば、こんな男なんかとは一秒たりとも一緒に居たくはない。それでも我慢だ。
ここに自分の感情は要らない。だけど、あえてファミレスを指定したのは、やはり後ろめたさがあるからだろう。
ため息を飲み込んで、柊はまた絵画に目を移した。いくつかはこの間、美術の授業で習った。ビーナスの誕生、春、受胎告知、それから。あれは、最後の晩餐だろうか。自分の知っているそれとは違う。
「次はもっといいところに連れてってあげるよ」
嬉々としてそういう彼に、微笑み返す。作り物の笑顔は心と連動してない。だから、自分の意思でひっこめない限り、永遠に笑っていられる。
広告の品。その文句につられて、女は玉ネギの袋を手に取った。しばらく見つめた後、彼女はため息と共にそれを元の棚に戻した。
やっぱり料理をする気になんてなれない。美味しいと言うあの笑顔は、もうどこにもない。時間は傷を癒してなんてくれなかった。どこに居ても、何をしても。あの子の影が自分を覆い尽くしている。
女は、芳沢 江梨香(よしざわ えりか)は、重い足取りでお惣菜コーナーに向かった。
一番小さいお弁当に目をつけ、手を伸ばそうとかがんだ瞬間。それは起こった。
「蛯名 敏也が出所していることはご存知ですか」
時間が止まった。聞こえるはずのないワードが、突然降ってきた。顔を上げると、そこには松葉づえに体を預けた少年。
整った、綺麗な顔だ。娘や蛯名 敏也の同級生だろうか。ちがう。江梨香は慌ててかぶりを振った。
彼女の中で娘の成長は、高校三年生で止まっていた。生きていれば、もう二十二歳。
蛯名 敏也の顔は、裁判以来お目にかかっていない。忘れたかった。
マリカを殺した人間の人生が、今も続いているなんて考えたくもなかった。だからと言って、忘れられたかと言えば、そんなはずはなかった。殺したい殺したい殺したい。その欲望を抑えることだけで手いっぱいだった。
女手ひとつで育ててきた愛娘は、彼女の全てだった。娘の無念を晴らすとか、そういうことではなかった。
ただただ、殺したかった。それだけで。
気が付けば、ナイフを手に持っていたりする。
ぶつけようのない怒りが暴走して、自らに刃を押し付けるのも頻繁なことだった。手首の傷が鈍く痛む。
少年院にちょっと閉じこめられるだけなんて、割に合わない。そんなことで罪を償えるなんてありえない。理不尽だ。明らかに理不尽だ。でも、法律を憎んだって何にもならない。
「外で話しませんか? 僕と一緒にマリカさんのかたきを討ちましょう」
江梨香は目を見開いた。この子は何者なんだ。
驚きを隠せない彼女に、森山は微笑んだ。
自分たちの手で裁くつもりだった。
すべて二人だけでやるつもりだった。しかし、それには大きな問題がある。
森山の脚だ。まともに歩けないこの状況で、実行犯なんて不可能だ。だからと言って、柊ひとりに任せるわけにもいかない。なんせ、ターゲットはふたり。
蛯名 要、そして蛯名 敏也。
それを柊ひとりで、だなんて成功するとは思えない。森山の脚が治るのを待てば良いのだが、そうもいかない理由があった。
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