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第九章 現実
①
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「なにこれ、何枚あるの」
「九百五十枚。だいたい千枚ぐらいかな」
「千!? ああありえない。天文学的数字だわ」
「柊、天文学的数字っていうのはね」
「わ、私の書いた広報が全校生徒に……」
かたかたと震える柊を横目に、森山はふっと笑った。
「殺人鬼とご飯食べる度胸はあるくせに」
「それとこれとは全然……あ」
「ん、なに」
「あのね、こないだ蛯名 敏也とサイゼリヤに行ったんだけど」
「サイゼリヤに行ったんだ」
「そこはいいのよ。サイゼリヤって、絵が飾ってあるでしょう。ほら、外国の、ルネサンス絵画だっけ」
「ああ、あるね。それがどうかした?」
「そのひとつに最後の晩餐に似た絵があったんだけど、知っているのとは少し違ったのよ」
よく知られている「最後の晩餐」は、レオナルドダヴィンチのもので、全員がテーブルの向こう側に一列に座っている。イエスと裏切り者、ユダを含む弟子たちが全員。しかし、あの絵は違った。ひとりだけ、テーブルの手前側に座っていた。あれは。
「ユダだよ。最後の晩餐はいろんな画家が描いているけど、ダヴィンチ以外の作品はだいたいそうなんだ。裏切り者、ユダを悪として、差別して描いてある」
「……へえ」
さすが、優等生。なんでも知っている。柊は静かに感心した。
(悪を差別……か)
あの絵を思い出そうとしても、ふわふわしていてうまくいかない。悪、ユダはどんな顔をしていただろうか。
「ねえ、君なにか企んでいるだろう」
「そう思う割には誘いに乗るのね」
「面白そうだからね」
「私もなめられたものだわ」
柊と蛯名 敏也は二人して笑った。柊は笑い声の裏に、緊張感を隠した。今日、こいつは死ぬ。クラスメイト三人を殺し、ひいては千愛の死を導いた罰を受けて。私たちに、殺される。柊は蛯名 敏也の横顔を眺めた。
(私たちは似た者同士)
だから、彼を責めようとは思わない。自分だって、いじめを受けた身だからわかる。何度だって、鷹谷を殺したいと強く願った。
実際に彼が死んだときも、正直ザマーミロって思った。だけど、いや、だから。これは理屈じゃない。私たちは千愛を死に追いやった人間に復讐する。それはもう動かない意思だ。
そう思えば、蛯名 敏也はある意味かわいそうな被害者なのかもしれない。私たちの自己満足によって、殺されるのだから。
「で、どこに行きたい?」
「買い物がしたいの。新しい服も買いたいし」
その時まで、まだ時間はある。
バイト先の友人に手を振って別れたあと、彼はまっすぐ帰路についた。化粧品のCMで流れていた曲を、うろ覚えのまま口ずさむ。
「ありゃー?」
視界に侵入してきた見覚えのある男に、要は足を止めた。体を支える松葉づえが、彼が万全でないことを物語っている。
「森山先輩じゃないですか。どしました?」
「……ひさしぶり」
思ったより、低い声が出た。だからだろうか。要が、張り付けていた笑顔を剥がした。
「……どうしました?」
「お前、千愛に毒を飲ましたな」
要は、一瞬目を見開いたかと思えば、ふっと息を吐いた。
うつむいて、笑みをこぼす。まるですべてを受け入れるかのような態度。本当に何を考えているかわからない。森山はぐ、と心臓に力を入れなおした。
「正確には、栄養剤ですよ」
この余裕な切り替えし。
「千愛は、お前の復讐に巻き込まれた。それでいいか?」
こいつのペースに飲み込まれるわけには行かない。
「間違いありません」
「どうして」
だめだ。力むな。熱くなっては負けだ。あくまで冷静に見せなければ。森山は、目の前の人間を睨んだ。
「どうして、殺す必要があった……!」
自分は、要や蛯名 敏也や、柊のようにいじめられた経験がない。だから、その悔しさを理解することはできない。理解できないものを考えるのはやめた。だから俺は。言いたいことを叫ぶだけ。
「千愛は、お前より生きる価値のある人間だった。だから、本当はお前なんかが死んだって償えるものじゃないんだよ。だけど」
「だけど、殺さないとあなたの気が済まないんですね」
「……お、まえ」
おかしい。なんなんだ、こいつは。暴れ出す心臓に、耳を塞ぎそうになる。こいつを殺しに来たはずなのに、危険に晒されているのは自分なのではないか、そんな気がする。
「だけど、これだけは知っておいてください。千愛が死んだのは俺のためでもあり、森山先輩、あなたのためでもあるんです」
「どういうことだよ……」
ここに並べられたのは、すべて本当なのか? わからない。ここにきて、どうしたらいいのかわからない。時間だけが先に行く。焦りで息が詰まる。今日失敗したら、次はない。まさか、まだ準備不足だったって言うのか? ずさんだったのか? 森山はかろうじて、自分の体を支えた。雑音がうるさい。蛯名 要の目が怖い。
森山は、ふっと目を細めた。なんで、こんな時にまた。
鷹谷の顔がちらつくのだろう。
**
正直、気味が悪いと思った。人殺しの身内なんて無条件に近寄りたくなかった。
でも、言ってみれば「それだけ」だったんだ。
別に要自身が何をした訳でもないし、そもそも友達だったし。ただ、関わりたくない、そう思ってしまったのは事実で。気の毒だなんて、無責任な同情を向けながら、自分は彼を避けるだけ。あの時の俺に、罪悪感なんて代物が存在していたのか、今となっては記憶にない。
「鷹谷くん、どうして要くんを仲間はずれにするの? 要くんはなにも悪くないのに」
凛とした声が、俺の元に落ちてきたのは、そんなある日のこと。恥ずかしげもなく、果敢に。正論を振りかざす女。千愛。
「べつにそんなつもりは……」
「でも避けてるじゃない!」
「九百五十枚。だいたい千枚ぐらいかな」
「千!? ああありえない。天文学的数字だわ」
「柊、天文学的数字っていうのはね」
「わ、私の書いた広報が全校生徒に……」
かたかたと震える柊を横目に、森山はふっと笑った。
「殺人鬼とご飯食べる度胸はあるくせに」
「それとこれとは全然……あ」
「ん、なに」
「あのね、こないだ蛯名 敏也とサイゼリヤに行ったんだけど」
「サイゼリヤに行ったんだ」
「そこはいいのよ。サイゼリヤって、絵が飾ってあるでしょう。ほら、外国の、ルネサンス絵画だっけ」
「ああ、あるね。それがどうかした?」
「そのひとつに最後の晩餐に似た絵があったんだけど、知っているのとは少し違ったのよ」
よく知られている「最後の晩餐」は、レオナルドダヴィンチのもので、全員がテーブルの向こう側に一列に座っている。イエスと裏切り者、ユダを含む弟子たちが全員。しかし、あの絵は違った。ひとりだけ、テーブルの手前側に座っていた。あれは。
「ユダだよ。最後の晩餐はいろんな画家が描いているけど、ダヴィンチ以外の作品はだいたいそうなんだ。裏切り者、ユダを悪として、差別して描いてある」
「……へえ」
さすが、優等生。なんでも知っている。柊は静かに感心した。
(悪を差別……か)
あの絵を思い出そうとしても、ふわふわしていてうまくいかない。悪、ユダはどんな顔をしていただろうか。
「ねえ、君なにか企んでいるだろう」
「そう思う割には誘いに乗るのね」
「面白そうだからね」
「私もなめられたものだわ」
柊と蛯名 敏也は二人して笑った。柊は笑い声の裏に、緊張感を隠した。今日、こいつは死ぬ。クラスメイト三人を殺し、ひいては千愛の死を導いた罰を受けて。私たちに、殺される。柊は蛯名 敏也の横顔を眺めた。
(私たちは似た者同士)
だから、彼を責めようとは思わない。自分だって、いじめを受けた身だからわかる。何度だって、鷹谷を殺したいと強く願った。
実際に彼が死んだときも、正直ザマーミロって思った。だけど、いや、だから。これは理屈じゃない。私たちは千愛を死に追いやった人間に復讐する。それはもう動かない意思だ。
そう思えば、蛯名 敏也はある意味かわいそうな被害者なのかもしれない。私たちの自己満足によって、殺されるのだから。
「で、どこに行きたい?」
「買い物がしたいの。新しい服も買いたいし」
その時まで、まだ時間はある。
バイト先の友人に手を振って別れたあと、彼はまっすぐ帰路についた。化粧品のCMで流れていた曲を、うろ覚えのまま口ずさむ。
「ありゃー?」
視界に侵入してきた見覚えのある男に、要は足を止めた。体を支える松葉づえが、彼が万全でないことを物語っている。
「森山先輩じゃないですか。どしました?」
「……ひさしぶり」
思ったより、低い声が出た。だからだろうか。要が、張り付けていた笑顔を剥がした。
「……どうしました?」
「お前、千愛に毒を飲ましたな」
要は、一瞬目を見開いたかと思えば、ふっと息を吐いた。
うつむいて、笑みをこぼす。まるですべてを受け入れるかのような態度。本当に何を考えているかわからない。森山はぐ、と心臓に力を入れなおした。
「正確には、栄養剤ですよ」
この余裕な切り替えし。
「千愛は、お前の復讐に巻き込まれた。それでいいか?」
こいつのペースに飲み込まれるわけには行かない。
「間違いありません」
「どうして」
だめだ。力むな。熱くなっては負けだ。あくまで冷静に見せなければ。森山は、目の前の人間を睨んだ。
「どうして、殺す必要があった……!」
自分は、要や蛯名 敏也や、柊のようにいじめられた経験がない。だから、その悔しさを理解することはできない。理解できないものを考えるのはやめた。だから俺は。言いたいことを叫ぶだけ。
「千愛は、お前より生きる価値のある人間だった。だから、本当はお前なんかが死んだって償えるものじゃないんだよ。だけど」
「だけど、殺さないとあなたの気が済まないんですね」
「……お、まえ」
おかしい。なんなんだ、こいつは。暴れ出す心臓に、耳を塞ぎそうになる。こいつを殺しに来たはずなのに、危険に晒されているのは自分なのではないか、そんな気がする。
「だけど、これだけは知っておいてください。千愛が死んだのは俺のためでもあり、森山先輩、あなたのためでもあるんです」
「どういうことだよ……」
ここに並べられたのは、すべて本当なのか? わからない。ここにきて、どうしたらいいのかわからない。時間だけが先に行く。焦りで息が詰まる。今日失敗したら、次はない。まさか、まだ準備不足だったって言うのか? ずさんだったのか? 森山はかろうじて、自分の体を支えた。雑音がうるさい。蛯名 要の目が怖い。
森山は、ふっと目を細めた。なんで、こんな時にまた。
鷹谷の顔がちらつくのだろう。
**
正直、気味が悪いと思った。人殺しの身内なんて無条件に近寄りたくなかった。
でも、言ってみれば「それだけ」だったんだ。
別に要自身が何をした訳でもないし、そもそも友達だったし。ただ、関わりたくない、そう思ってしまったのは事実で。気の毒だなんて、無責任な同情を向けながら、自分は彼を避けるだけ。あの時の俺に、罪悪感なんて代物が存在していたのか、今となっては記憶にない。
「鷹谷くん、どうして要くんを仲間はずれにするの? 要くんはなにも悪くないのに」
凛とした声が、俺の元に落ちてきたのは、そんなある日のこと。恥ずかしげもなく、果敢に。正論を振りかざす女。千愛。
「べつにそんなつもりは……」
「でも避けてるじゃない!」
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