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めんつゆ

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第九章 現実

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「なにこれ、何枚あるの」

「九百五十枚。だいたい千枚ぐらいかな」

「千!? ああありえない。天文学的数字だわ」

「柊、天文学的数字っていうのはね」

「わ、私の書いた広報が全校生徒に……」

 かたかたと震える柊を横目に、森山はふっと笑った。

「殺人鬼とご飯食べる度胸はあるくせに」

「それとこれとは全然……あ」

「ん、なに」

「あのね、こないだ蛯名 敏也とサイゼリヤに行ったんだけど」

「サイゼリヤに行ったんだ」

「そこはいいのよ。サイゼリヤって、絵が飾ってあるでしょう。ほら、外国の、ルネサンス絵画だっけ」

「ああ、あるね。それがどうかした?」

「そのひとつに最後の晩餐に似た絵があったんだけど、知っているのとは少し違ったのよ」

 よく知られている「最後の晩餐」は、レオナルドダヴィンチのもので、全員がテーブルの向こう側に一列に座っている。イエスと裏切り者、ユダを含む弟子たちが全員。しかし、あの絵は違った。ひとりだけ、テーブルの手前側に座っていた。あれは。

「ユダだよ。最後の晩餐はいろんな画家が描いているけど、ダヴィンチ以外の作品はだいたいそうなんだ。裏切り者、ユダを悪として、差別して描いてある」

「……へえ」

 さすが、優等生。なんでも知っている。柊は静かに感心した。

(悪を差別……か)

 あの絵を思い出そうとしても、ふわふわしていてうまくいかない。悪、ユダはどんな顔をしていただろうか。

「ねえ、君なにか企んでいるだろう」

「そう思う割には誘いに乗るのね」

「面白そうだからね」

「私もなめられたものだわ」

 柊と蛯名 敏也は二人して笑った。柊は笑い声の裏に、緊張感を隠した。今日、こいつは死ぬ。クラスメイト三人を殺し、ひいては千愛の死を導いた罰を受けて。私たちに、殺される。柊は蛯名 敏也の横顔を眺めた。

(私たちは似た者同士)

 だから、彼を責めようとは思わない。自分だって、いじめを受けた身だからわかる。何度だって、鷹谷を殺したいと強く願った。
実際に彼が死んだときも、正直ザマーミロって思った。だけど、いや、だから。これは理屈じゃない。私たちは千愛を死に追いやった人間に復讐する。それはもう動かない意思だ。
そう思えば、蛯名 敏也はある意味かわいそうな被害者なのかもしれない。私たちの自己満足によって、殺されるのだから。

「で、どこに行きたい?」
「買い物がしたいの。新しい服も買いたいし」

 
その時まで、まだ時間はある。

 バイト先の友人に手を振って別れたあと、彼はまっすぐ帰路についた。化粧品のCMで流れていた曲を、うろ覚えのまま口ずさむ。

「ありゃー?」

視界に侵入してきた見覚えのある男に、要は足を止めた。体を支える松葉づえが、彼が万全でないことを物語っている。

「森山先輩じゃないですか。どしました?」

「……ひさしぶり」

 思ったより、低い声が出た。だからだろうか。要が、張り付けていた笑顔を剥がした。

「……どうしました?」

「お前、千愛に毒を飲ましたな」

 要は、一瞬目を見開いたかと思えば、ふっと息を吐いた。
うつむいて、笑みをこぼす。まるですべてを受け入れるかのような態度。本当に何を考えているかわからない。森山はぐ、と心臓に力を入れなおした。

「正確には、栄養剤ですよ」

 この余裕な切り替えし。

「千愛は、お前の復讐に巻き込まれた。それでいいか?」

 こいつのペースに飲み込まれるわけには行かない。

「間違いありません」

「どうして」

 だめだ。力むな。熱くなっては負けだ。あくまで冷静に見せなければ。森山は、目の前の人間を睨んだ。

「どうして、殺す必要があった……!」

 自分は、要や蛯名 敏也や、柊のようにいじめられた経験がない。だから、その悔しさを理解することはできない。理解できないものを考えるのはやめた。だから俺は。言いたいことを叫ぶだけ。

「千愛は、お前より生きる価値のある人間だった。だから、本当はお前なんかが死んだって償えるものじゃないんだよ。だけど」

「だけど、殺さないとあなたの気が済まないんですね」

「……お、まえ」

 おかしい。なんなんだ、こいつは。暴れ出す心臓に、耳を塞ぎそうになる。こいつを殺しに来たはずなのに、危険に晒されているのは自分なのではないか、そんな気がする。

「だけど、これだけは知っておいてください。千愛が死んだのは俺のためでもあり、森山先輩、あなたのためでもあるんです」

「どういうことだよ……」

 ここに並べられたのは、すべて本当なのか? わからない。ここにきて、どうしたらいいのかわからない。時間だけが先に行く。焦りで息が詰まる。今日失敗したら、次はない。まさか、まだ準備不足だったって言うのか? ずさんだったのか? 森山はかろうじて、自分の体を支えた。雑音がうるさい。蛯名 要の目が怖い。

 森山は、ふっと目を細めた。なんで、こんな時にまた。
 鷹谷の顔がちらつくのだろう。

**

正直、気味が悪いと思った。人殺しの身内なんて無条件に近寄りたくなかった。
でも、言ってみれば「それだけ」だったんだ。

別に要自身が何をした訳でもないし、そもそも友達だったし。ただ、関わりたくない、そう思ってしまったのは事実で。気の毒だなんて、無責任な同情を向けながら、自分は彼を避けるだけ。あの時の俺に、罪悪感なんて代物が存在していたのか、今となっては記憶にない。

「鷹谷くん、どうして要くんを仲間はずれにするの? 要くんはなにも悪くないのに」

 凛とした声が、俺の元に落ちてきたのは、そんなある日のこと。恥ずかしげもなく、果敢に。正論を振りかざす女。千愛。

「べつにそんなつもりは……」

「でも避けてるじゃない!」
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