人魚の恋(マーメイド・エラー):人魚の病に侵された俺と、ノイズ(愛)に侵されたアンドロイドの恋─

河野彰

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第一部

第二章:黄金のスープと癒しの手

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 シオンの白い和装を握りしめ、カイはひとしきり枯れるほど泣いた。 その間、シオンは拒むことも、困惑することもなく、ただ一定の穏やかさでカイの背を撫で続けていた。その手つきはあまりに正確で、まるで行き届いたメンテナンスのようだった。
――不意に、カイの脳裏を冷たい現実がよぎる。
(そうだ。俺は、いつからここにいる?)
 涙でぼやけた視界の向こう、真っ白な壁には時計も窓もない。 地上では今、灰色の雪が降り積もっているはずだ。動けない妹が、震えながら自分の帰りを待っているはずだ。 カイは慌ててタッチパッドを掴み、震える指で書きなぐった。
『妹がいる。くすりを、ドロップを届けなきゃならない。どれくらい時間がたった?』
 シオンはそれを見て、わずかに小首をかしげた。その動作はどこまでも優美だったが、返ってきた答えは、カイが最も恐れていたものだった。
「時間、ですか。申し訳ありません。ここには時間という概念がないのです。ですが、貴方が眠っていた間に、海上の嵐は三度、凪を迎えました」
 三度。それが三日なのか、三ヶ月なのか。 カイの顔から、さっきまでの安堵の体温が急速に引いていった。頭がくらくらとするのは血の気が引いて一時的な貧血のようなショック状態になっているからだろう。カイは体勢を保てなくなりぐらりと上体を揺らした。すかさずシオンがその身体を支える。しっかりとした腕が力強くカイの身体を抱き、ゆっくりとベッドへと寝かせてくれた。
(どうすればいい……、どうすれば)
 カイの頭は高速のコンピューターのように回転していた。けれど計算結果を間違いなくhが次期出すコンピューターのようにはいかなかった。焦りばかりが砂を噛んだようにざらりと舌の上を這う。
 男が立ち上がると何も言わずに静かに部屋を出ていった。呆れられただろうか。物分かりが悪い地上民めと思われただろうか。悪い思考に脳が塗りつぶされる。しかし、男はほんの数分で部屋に戻ってきた。手には盆と銀の皿を乗せている。
「深海魚の骨で出汁をとったスープです。お口に合うかわかりませんが……あなたは何日も食べ物を口にしていませんから、このスープから胃を慣らしていくと良いでしょう」
 移動式のテーブルがおかれて、目の前に黄金色の透明なスープが鎮座する。こんなきれいな色は見たことがなかった。かぐわしい匂いは空っぽの胃をきゅうきゅう締め付ける。
『いただきます』
 ジェスチャーで感謝を示してから、そっと匙を手に取る。スプーンですくったスープはややとろみがありもったりとした感触だ。口へ運ぶといよいよ舌先がスープに触れた。
「──っ!」
 熱く、じんわりと優しい魚介の味が染み出したスープだった。生臭さはない。ただコンソメにも似た風味豊かな味わいが口内に広がった。カイは身を乗り出しスープをすすった。初めての味に感動していた。煮崩れたほろほろの魚の身がスープの底に沈んでいた。生の、本物の魚を食すのは初めてだった。恐る恐る口へと運ぶと、繊維がほどけて消えるように舌の上でそれは崩れた。
「お口に合いますか?」
 男が微笑みカイの側に座った。そこで初めて、カイはシオンから何の香りもしないことに気づいた。清潔で正常な、空気があるだけ。そんな風に感じられた。
(不思議だ……こんなに近くにいるのに匂いがしない)
 飲み下すたびに、凍りついていた細胞がパチパチと音を立てて目覚めるようだった。ドロップ数シート分にも勝る濃密な栄養が、ダイレクトに血管へ流し込まれていく。 
『おいしいです』 
 カイが書くと、シオンは満足げに目を細めた。
 シオンは嬉しそうに笑うと、カイへとそっと手を伸ばした。背中へ軽く手を当てて、ゆっくりとさすられる。子供にするようなそのしぐさにカイは不思議と安らいだ気持ちになっていた。おそらくゆっくり飲めということだろうということはわかる。だが、それを言葉にせず行動で示す男に好意を持った。喋れなくなった自分に合わせてくれているような気がしたのだ。
 カイはおかわりまでもらって腹いっぱいスープを詰め込んだ。
 腹がくちくなると眠気が襲ってきた。男はそれも想定済みと部屋を暗くして静かに立ち上がった。カイは慌ててその衣服の袖を引いた。
『ありがとう』
 口のパクパクさせて告げたそれが伝わったかどうか。男は笑みを深くして軽くカイの肩を叩いた。そして、「おやすみなさい」と小さく囁き部屋を出ていった。
 カイは疲労と満腹感からすぐに眠りへ落ちていった。
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