王妃は春を待たない〜夫が側妃を迎えました〜

羽生

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側妃の懐妊

秋に差し掛かった頃、ミリアが突然倒れた。

王城が騒然となり、医師が呼ばれた。

そして昼過ぎ、王宮に知らせが広がった。


“側妃懐妊”

それは、国中で待ち望まれた報せだった。
王都の鐘が鳴り、貴族たちは祝辞を送り、民は喜んだ。

王家に、世継ぎが生まれるかもしれない。


シルヴィアはその知らせを、執務室で聞いた。
地方領主からの陳情書を読んでいる時だった。

シルヴィアは、顔を上げ、長めの瞬きをすると、

「そうですか」

と静かに言った。

「すぐに祝いの品を用意しましょう。ミリア妃には、身体を冷やさぬよう、北方の毛皮でできた外套を。もうすぐ冬が来ますから。食事は医師と相談するように」


侍女長が涙ぐんだ。


「王妃陛下……」

「なにかしら?」

「いえ……失礼いたしました」

シルヴィアは書類に目を戻した。
文字が少し滲んで見えた。


その夜、レオンハルトは久しぶりに王妃の部屋を訪れた。


「シルヴィア」

彼は扉の前に立ったまま、動かなかった。


「ミリアのことは聞いたか」

「はい。おめでとうございます、陛下」 


その言葉に、彼は傷ついた顔をした。


「なぜ、そんなふうに言う」

「国にとって喜ばしいことですから」

「シルヴィア、君にとってもか」 


シルヴィアは微笑んだ。


「はい。王妃としても、大変喜ばしいことです」

「私は、君のことを聞いている」


沈黙が落ちた。
暖炉の火が、ぱちりと鳴った。


「……陛下」

「名前で呼んでくれ」


彼は、祈るように言った。


「以前のように」


シルヴィアの喉が震えた。
呼びたかった。

あなたを、レオンハルト様、と。

あなたが好きです、と。

今でも、初めて白薔薇を贈られた日と同じくらい。
いいえ、あの時よりずっと。

けれど声に出してしまえば、きっと崩れてしまう。



王妃として築いてきたものも、側妃を迎えた意味も、ミリアの子の未来も、あなたの幸せも何もかもすべて。

祝福を受けるべきミリアの子に、呪いの言葉を吐きたくない。


だからシルヴィアは、深く頭を下げた。



「陛下。側妃様のおそばにいて差し上げてください。きっと心細い思いをされています」


レオンハルトは息を呑んだ。


「……君は、本当に私を遠ざけたいのか」

違う。

「遠ざけるなどと…。必要なことを申し上げているだけです」

「必要、責務、王家、国。君の言葉はいつも正しい。…だが、どこか他人事ではないか」

レオンハルトの声が震える。
シルヴィアは顔を上げた。

レオンハルトの青いはずの瞳が赤かった。

「私は君を失いたくなかった。側妃を迎えた今でも、それは変わらない」

(ーーどうか本心を見せてくれ)


一瞬、部屋に静寂が訪れる。


「……そうはおっしゃりますが、レオンハルト様は…陛下は側妃様に惹かれておられるでしょう」

だめ、言ってはだめ。
でも、言ってしまった。
突き刺すような冷たい声だった。

部屋の空気が凍る。

レオンハルトは何も言わなかった。
その沈黙が、答えだった。

シルヴィアは微笑んだ。

うまく笑えているか、正直自信はなかった。

「陛下、勘違いしないでください。責めているのではありません。ミリア様は愛らしい方です。明るく、素直で、陛下をよく見ておられる」

「シルヴィア」

「私にはないものを、たくさんお持ちです」

「違う」

「違いません」

「シル、私は君を――」

「おやめください」

シルヴィアの声が初めて震えた。
レオンハルトが言葉を止めた。

「今、それをおっしゃらないでください」

愛している、と言われたら。

きっと、耐えられない。

「私は、きっと陛下のお言葉に縋ってしまいます」

レオンハルトの表情が崩れた。

「縋ってくれ」

「できません」

「なぜ」

「私は“王妃”だからです」

また、その言葉。

レオンハルトは長い間、シルヴィアを見つめていた。

やがて、かすれた声で言った。

「君はいつから、私の妻であることをやめたんだ」

シルヴィアは答えなかった。

答えられなかった。

やがて、レオンハルトは王妃の私室から立ち去った。
王が去った後、シルヴィアは初めて泣いた。

声を殺して、膝を抱えて。

王妃の部屋で。

誰にも見られず。

たった一人で。
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