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4巻
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しおりを挟む一 私が選ばれたわけ
だいぶ夜も深くなった時間、私――リリー・ルージャは居間に来ていた。私が不在にしていた間の話をしようと、同じ主に仕える水の精霊のミリスに誘われたのだ。そのミリスは今、近くのキッチンでお茶の準備をしてくれている。
不在だった理由は、私の雇い主である王宮筆頭魔法使いのレオナール・マリエル様の出張に同行していたから。ヴェーデン侯爵家のご令嬢の身に起こった不思議な事件の調査をするよう、レオナール様に魔法省の辞令が出ていたのだ。
メイドである私は留守番でも問題なかったのだけれども、レオナール様に同行を求められた。見習い魔法使いである、彼の養女ジルも連れて行くことや、レオナール様には貴族の令嬢への正しい接し方がわからないことがその理由だ。
元々は王太子夫妻に仕えるメイドだった私は、作法諸々を叩き込まれている。なので、令嬢への接し方についてフォロー出来ると思われたらしい。
そうして向かったヴェーデン侯爵家では、色々なことがあった。
事件は、精霊狩りという恐ろしい存在が、ヴェーデン侯爵令嬢ミリアム様を襲ったことに始まる。その際、エルフの王子ユーフィス様が彼女を守るため、魔法でミリアム様を眠らせた。だが、その事情を知らなかったヴェーデン侯爵は、眠り続ける娘を心配し、魔法を解ける実力者を呼び寄せた。そこで派遣されてきたのがレオナール様というわけだ。
ヴェーデン侯爵家に滞在中、私はそんなエルフのユーフィス様と、人であるミリアム様の恋の仲介をした。
それに、レオナール様を好きだった魔法使いリズさんと、彼女を好きなヨシュアさんとの関係の変化も見届けたっけ。
そして最終日には、ジルが光の精霊さんと契約を交わした。
そんなに長く滞在したわけではなかったけれど、本当に色々あった。けれど、なによりも私の心を揺さぶったのは、レオナール様が帰宅した時に呟いた一言だ。
「……誤解、しちゃえばいいのにって……」
お茶の準備をしているミリスに聞こえないよう、小さく口にする。
帰宅してすぐ、ジルが私とレオナール様を大好きだと言ったので、私も他意なく二人が大好きだと答えた。すると、レオナール様はとても優しい笑顔で私を大好きだと言ったのだ。
レオナール様は女性が苦手なのに、女性に誤解される言葉を選んでしまうことが多い。そのため、この時も、いつものように悪気なく思わせぶりな発言をしたのだと思っていた。だけど、レオナール様はさらに意味深なことを言い出したのだ。
『リリーは誤解しないんでしょ? ……しちゃえばいいのに』
この言葉がどうしても、頭から離れてくれない。
「難しい顔をしていますが、なにか考え事ですの? 帰ってきたばかりで疲れているのでしょうし、ゆっくり休んでから考えた方が、答えも出やすくなるのではないかしら」
お茶の準備を終えたミリスが戻ってきて、私を見て苦笑した。自分でも、今とても情けない顔をしているだろうと思っている。
「そう、かな……」
相槌を打ちつつ、私はふと考え込んでしまう。
ミリスの言う通り、疲れているのは事実だ。明日からはいつも通りの毎日になるのだし、ちゃんと休まなければいけない。
私は、レオナール様の家で炊事洗濯など家事全般を請け負うメイド。仕事はたくさんある。
そう理解しているのに、やっぱり考え込んでしまう。
そもそも私がレオナール様のもとに来たのは、ジルの母親役として王家から派遣されたのがきっかけだった。けれど、今では王家のメイドを辞めてずっと彼にお仕えしたいと望んでいる。レオナール様もそれを期待してくれているし、私だって、私を母として慕ってくれるジルが可愛くて仕方ないんだもの。
だからこの先、レオナール様に愛する女性が出来るまで、ずっと傍にいさせてほしい。最初は純粋にそう願っていたのに、いつの間にかその気持ちは少しずつ変わっていた。
レオナール様には幸せになってほしいけど、他の誰かを望まないでほしい。
そんな想いを抱いてしまったのはいつからだろう。それを望む資格なんて、私にはないのに。
何故なら私は前世で、当時付き合っていた人を選ばなかったから。
そう、私には前世の記憶があるのだ。
前世の私は日本の女子高生だったけれど、神様同士の喧嘩に巻き込まれて死んでしまった。予定外の死に対して神様が私に出来る精一杯が、一生ものの重い後遺症を抱えて生き返らせるか、この世界に転生させるかだった。神様でも、時を戻して私を無傷で生き返らせることは出来ないと説明されたんだ。
当時高校生だった私には、中学生の妹と小学生の弟、必死に稼ぐ父がいた。父は頑張っていたけれど家は貧乏だったので、一生ものの後遺症を抱えて戻ることはどうしても選べなかった。
大好きだから、大事だから、迷惑をかけるわけにはいかない。家族が私の選択を知ればきっと怒っただろうし悲しんだだろうけど、重荷を背負わせたくなかった。
そのため、転生を選んで後悔はしていない。ただ、当時付き合っていたあの人と、一緒に幸せになろうという約束を破ったことが、とても苦しくて辛かった。
今の私に出来るのは、あの人を忘れず、また、あの人を好きだった『私』を忘れないこと。だから、この世界で誰かと幸せになって自分の子供を持つなんて、考えることすらおこがましいと思っていたんだ。
だけど、レオナール様は私にジルという可愛い娘を与えて、家族の一員として迎えてくれた。だから、彼にだけは前世について打ち明けている。
その上で、大切な人を裏切って生きることを選んだ卑怯な私を、レオナール様はあの人への気持ちごと認めて、受け入れてくれた。
そんなレオナール様のことを特別に思うのは当然かもしれないけど……その意味が変わりはじめている気がして困っている。心の一番真ん中、あの人がいたところにいつの間にかレオナール様がいることが多くなってしまった。それに気付くたび、自分自身に、それはあの人と『私』を裏切ることだよって、言い聞かせている。
なのに、誤解しちゃえばいいだなんて、どうしてレオナール様はあんなことを言ったの?
目を閉じれば鮮やかに浮かぶ、レオナール様の整った顔立ちと印象的な金の瞳、そして艶やかな長い黒髪。
この世界において、黒髪は生まれつき精霊さんと契約し強大な魔力を持つ証とされている。そのため黒髪の持ち主は、幼い時には魔力を暴走させる危険性が高く、疎まれることが多い。実際、レオナール様も子供の頃には虐げられていたと聞いた。
今のレオナール様は、筆頭魔法使いという地位と美貌から女性にとって憧れの的になっている。けれど、手のひらを返したように迫ってくる女性たちによって女性不信になってしまった。
そんなレオナール様が私をジルの母親役に選んでくれたのは、私が恋愛という意味でレオナール様に興味を持たなかったから。純粋に仕事をしてくれる、と期待してもらったのだ。
その期待に応えるべく日々を過ごしたことで、レオナール様は私を家族として受け入れ、心を許してくれた。
そう思っていたのに、好きだなんて言わないでほしい。それが家族としてならいい、でも、誤解しちゃえばいいだなんて言われたら、どうしたらいいのかわからなくなる。
レオナール様は、新しい恋をしたくないという私の気持ちも願いも、全部知っているはずなのに――
「リリー、大丈夫ですの?」
ミリスの声で、私の思考は中断された。
「ミリス……」
「ほら、お茶でも飲んで落ち着いてくださいな」
心配そうな顔のミリスが差し出すお茶を受け取り、口に含む。心地よい温もりと優しい香りにホッと息を吐き出すと、ミリスが微笑んだ。
「ふふ、私もお茶を上手に淹れられるようになりましたでしょう?」
「うん、美味しい。晩ご飯のシチューも美味しかった。腕を上げたね、ミリス」
「リリーの教えがわかりやすいからですわ」
にこにこするミリスに、実際、凄く腕を上げたよなと思いつつ私も微笑み返す。
出会った頃は家事が出来ないと言っていたミリス。折を見て家事を教えたところ、今では留守を任せても安心なくらいの腕前になった。ミリスのやる気があってこそだけど、素晴らしい成長速度だ。
そもそもミリスは普通の女の子じゃなくて、レオナール様と契約している水の精霊さん。
見た目は人間とあまり変わらない。不思議な色合いの青い髪をしていて、澄んだ水色の瞳に華奢な体つきの美少女だ。けれどとても強くて、一瞬で相手を水の中に閉じ込めちゃう魔法も使える。そんなミリスは、同じくレオナール様の契約者である、風の精霊のアムドさんに恋をしている。彼に美味しいって言ってもらえるように料理の腕を磨いているところが、健気で可愛い。
「ねえ、なにか悩みがあるのなら、遠慮なく頼ってくださいまし。いつもリリーに助けていただいてばかりなんですもの、私だってリリーを助けたいと思っていますのよ」
眉を寄せつつ言うミリスの声は、とても優しい。本当に心配してくれているんだってわかるから、私は笑って頷く。
「ありがとうミリス。だけど、これは自分で解決しなきゃならないから」
「そうですの……でも、いつでも聞きますから、一人で考えすぎないでくださいね」
そうだねと返して、私はそっと目を閉じる。
あの人の声が聞こえればいいのに。レオナール様に出会うまで聞こえていた、あの人が『私』を呼ぶ声が聞こえたなら、私は変わらずにいられるのに。
それでも、記憶の中のあの人は優しく微笑んでいるだけで、私を呼んではくれなかった。
翌朝、大きな鳥の姿になったアムドさんの背に乗って、私とレオナール様、ジルの三人は城に向かっていた。私がジルとレオナール様に挟まれている体勢だ。
「リリー、大丈夫?」
レオナール様の問いかけに、私は苦笑して答える。
「ええ、さすがに慣れました」
ヴェーデン侯爵領への行き帰りでもずっとアムドさんの背に乗っていたんだもの、慣れない方がおかしい。それに今日は腕の中にジルがいる。
ふわふわのストロベリーブロンドを風になびかせ、大きな青い瞳をキラキラさせてはしゃぐジル。この子を見ていると、それだけで気分が明るくなり、空を飛ぶことへの恐怖心も薄れた。
強い魔力のせいで実家の子爵家に幽閉されていたというジルは、出会ったばかりの時は酷く痩せ細り、人に怯えるそぶりを見せていた。だからこそ、こうして笑ってくれるのがとても尊いことに思える。
見習い魔法使いとして仕事を学びながら、どんどん成長していくジルは、天使のように可愛い私の大事な娘だ。
「お母さん、みてー! あそこ、きれいだね!」
ジルが指し示した先にあるのは、服飾店が立ち並ぶ一角。一体感を持たせた街並みは歩いていても見応えがあるけれど、上から見るとまた綺麗だ。
「あの辺りはドレスとかのお店が多いの。今度歩いてみましょうか」
「ほんと? 行きたい!」
可愛い笑みを浮かべるジルに、私もつられて笑顔になる。すると、ジルは続けて別の場所を指差した。
「あ、あの青いのはなにかな?」
「あれは星の観測台。魔法省の管轄だから、そのうちジルも行く」
街の外れ、瑠璃色の屋根をした白い塔を示すジルに、今度はレオナール様が答える。
そんな風にあちこちを眺めながら、近付いてくる城へ視線を移す。
「そろそろ着地する。気をつけて」
「はい」
ジルをしっかりと抱き寄せてレオナール様に体を預けると、アムドさんが速度を落とすことなく城へ突っ込んで……ちょ、怖い怖い! なんでジルってば、きゃーなんて楽しそうに声を上げられるの?
思わずギュッと目を閉じたら、レオナール様が小さく笑う気配がする。
「リリー、もうちょっとだけ我慢してね」
「は、はい」
返事をすると同時に、腰に添えられていたレオナール様の手が私を抱き締める形に変わった。どきんと心臓が跳ねたけど、どうすることも出来ない。やがて、体に受けていた風圧が弱くなる。
「もう大丈夫。リリー、目を開けて」
「わあ……」
ゆっくりと目を開ければ、目の前には威風堂々と城がそびえていた。当然ながら、城なんてこれまで遠目に見るか、すぐ側で下から見上げたことしかない。こうして空から見ると、また違った趣があるね。
恐怖を忘れて見惚れているうちに、アムドさんが姿勢を変えて、ゆっくり下降し始める。
そのままそっと魔法省の広場に降り立つと、セドリック君が出迎えてくれた。彼も昨日まで私たちと一緒にヴェーデン侯爵領に出張していたけれど、一足先に報告を済ませているはず。
「おはようございます、みなさん。ゆっくり休めましたか?」
にこりと笑うセドリック君は私より年下の十五歳だけど、頼れる優しい魔法使いだ。
昨日も私とジルを気遣って、先に家に帰してくれたんだよね。
あとでなにかお礼しようかな、なんて考えているうちに、レオナール様とセドリック君がお話を始める。やがて、レオナール様がこちらに向き直って口を開いた。
「リリー、僕とジルはちょっと長に報告をしてくる」
長というのは、魔法省のトップの方。とても優しいおじいちゃんなんだ。
「わかりました。私もついていく方がいいですか? それともここにいた方がいいですか? 侯爵家で王家のメイドと名乗った以上、報告書を提出しなければなりませんので、残る場合はその作業をさせていただけますとありがたいのですが」
公に王家のメイドと名乗ったので、私は王太子の部下だと認識されているはず。そのため、きちんと報告書を出さないと、後々王太子から呼び出されかねない。王家に繋がりを持つ者が勝手なことをしないようにって監視の意味があるのだ。とはいえ、今回の件で私は脇役みたいなものだったから、これといって実のある報告は書けないと思うけれどね。
すると、ジルが唇を尖らせた。
「えー、お母さんいっしょじゃないの?」
「だってジル、長ってことは魔法使いとしての報告でしょう? 私は魔法使いじゃないから、部外者……ええと、長にお会いする必要はないはずだもの」
私は不満そうなジルの頭を撫でつつ、レオナール様の方を見る。
そうしたら、何故かレオナール様がしゅんとしていた。
「僕が王家のメイドって紹介したから、リリーにも報告の義務が出来たんだよね……ごめん」
確かに手間ではあるけど、謝るほどのことじゃないのにな。だからあまり落ち込んでほしくないと思って、小さく苦笑しつつ首を横に振る。
「お気になさらず。それで、どういたしますか?」
「城内の僕の部屋を好きに使っていいから、待っててほしい。シド」
レオナール様が呼ぶと、彼の影の中からひらりと白い猫が躍り出て、一瞬で銀髪の青年になった。レオナール様の三人目の契約者で、闇の精霊シドさんだ。
「呼んだか、マスター」
「リリーを僕の部屋に案内して。報告書を書いてもらうから、紙とペンもよろしく」
「了解。んじゃ行くぞ」
「はい。それでは部屋でお待ちしています」
私は最後にもう一度ジルの頭を撫でて、シドさんに導かれるまま廊下を進む。
「報告書って、誰に出すんだ?」
「ヴェーデン侯爵領で王家のメイドを名乗ったので、王太子殿下にですね。渡すのはその側近であるアランですけど」
アラン、正しくはアランガルド・リンダールはリンダール侯爵家の長男で、若くして次期宰相と目される優秀な青年。今は王太子第一の側近として頭脳面で王太子をサポートをしている。
彼は緩い癖のある柔らかな金髪に、琥珀色の穏やかな瞳を持つ、整った柔和な顔立ちの人物だ。その上、スマートだから、好青年と思われることが多い。
でも、実際は自分の外見のよさを自覚して最大限に利用する策略家であり、人を徹底的に追い詰めるのが得意な腹黒だった。
悪人ではないし、優しい部分もあるにはある。だけど意地悪さの方が先に立つというか、生半可な報告書なんて作った日には、嫌味を雨あられのように降らせる人なんだよ。
報告書は久々だからなー、ちゃんと書かないと。
なんて考えつつ歩いていると、すれ違う人からやけに視線を向けられる。
嫌な視線というよりは、酷く驚かれているような雰囲気だ。
「どうした?」
少しとまどっていたら、私の様子に気付いたシドさんが首を傾げた。
「なんだか視線が……先日とは全然違う恰好だからでしょうか」
この間来た時はメイドらしい質素な服だったけど、今回はちゃんとドレスを着ている。上品でそれなりの身分がありそうな恰好だから、前回の服装を見ていた人が違和感を覚えたのかもしれない。
「そんなの、リリーが美人だからだろ?」
「はぇ?」
うわ、びっくりしすぎて変な声が出た。シドさんってば、いきなりなにを言い出すの?
「多分、マスターが美人を連れてきたって大騒ぎになってるんだぜ」
「いやいや、美人じゃないから」
自分の見てくれくらい、客観的に評価出来る。私は取り立てて特徴のない平凡な顔だ。スタイルだって特筆する部分はない。良くも悪くもないない尽くしですよ。
私の母さんやお兄ちゃんは美人とか美丈夫って胸を張って言えるんだけど、いかんせん私は平凡です。というか、私の周りの顔面偏差値が妙に高いんだ。
まずレオナール様はさらっさらの長い黒髪にあの顔立ちだし、美しいと表現するのがぴったり。
その契約者であるミリスも美少女だし、アムドさんも恰好いい。シドさんにいたっては、レオナール様によく似た美貌で人懐っこさと親しみやすさもあるから、実際モテモテだ。一緒に買い物へ行った時、女の子からの嫉妬の視線が半端じゃなかった。
そう考えていたら、シドさんが呆れたみたいに言い出す。
「美人だって自覚ねぇのか。ちゃんと守んねーと危ないな、こりゃ」
「いや本当にありえないですから。モテませんし」
「それはお前の兄貴の暴走が理由だろ。前にも言ったが、リリーに惚れてる奴はわんさかいるからな」
そういえばお兄ちゃんについて、そんなことを言われたねぇ……実感ないけど。私に声をかけたい兵士の皆様がお兄ちゃんによって門前払いされていたらしいものの、ぴんとこない。
「そもそも、私は美人じゃない方がいいのですが」
「あん?」
レオナール様の部屋に入室しつつ呟くと、胡乱げに聞き返された。でも、シドさんはすぐに私に椅子を示す。
「とりあえず座ってろ。紙とペンだったな」
おそれ多くもレオナール様の作業机をお借りするので、なるべく他のものに触らないようにしないとね。そう思いつつ私は返事をする。
「ええ、報告書を書くので」
「報告書用はこれだったか」
シドさんから渡された紙は、縁取りがされた公的な書類用のものだ。
「あってます、ありがとうシドさん」
「別にこれくらい、礼を言われるようなもんじゃねーよ。で?」
「え?」
「さっきの続き。美人じゃなくていいって、なんでだ?」
一瞬、シドさんがなにを言ってるのか理解出来なかった。というか、それがそんなに気になったの?
私がとまどっていたら、シドさんは身を乗り出して答えを促す。
「なあ、教えろよ」
「……だって、自分が好きになってほしいたった一人に選んでもらえれば、それだけでいいじゃないですか。好きでもない人にモテてなにが嬉しいの、と思いません?」
「お、おう」
「もちろん、その人に選んでもらえるように努力するのは当たり前ですし、美人なら有利かもしれませんが。でも、厄介事の方が多そうですよね」
「あー……」
納得したかな? それじゃ、さっさと書いちゃおう。
しばらくカリカリとペンを走らせていたら、またシドさんが声をかけてきた。
「なあ、だったらリリーが好きになってほしいたった一人って誰なんだ?」
その言葉に、私はピタリと手を止める。
そういえば私、さっき話をしてた時に誰のことを考えてた?
私が、好きになってもらいたいと思ったのは――
そこまで考えて、私は口を開く。
「内緒です」
「おい」
「内緒ったら内緒です。絶対に言いませんから」
「ってことは、誰かいるんだな」
「内緒です」
とりあえずは報告書を早く書き上げなきゃね。そっち優先だよ、うん。
「リリー」
「今、忙しいので」
これ以上はなにも話さないと言外に告げても、シドさんの言葉は止まらない。
「そいつは、俺よりいい男か?」
一瞬固まりそうになったけど、そのままペンを動かして聞かなかったことにした。
だって、答えたら絶対に駄目だって頭の中で警鐘が鳴っている。
その質問は、今の関係が壊れてしまいそうで凄く嫌だ。だから無視するのは酷いことだとわかっていても、私は答えない。そしてシドさんも、それ以上はなにも問いかけてこなかった。
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