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4巻

4-3

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 その時、ぶすっと話を聞いていたレオナール様が唐突に言い出した。

「僕がリリーを必要としなくなることなんて、ない」
「レオナール様、ですが」
「傍にいてくれるんでしょう?」

 レオナール様の顔は本当に悲しそうで、私の心臓がぎゅうっと痛くなる。こんな顔をさせたくないのに、これほど求められて嬉しいと思ってしまった。

「はい、レオナール様が望んでくださる限り、お傍にいさせてください。それが私の望みでもあります」
「じゃあ、ずっといてね」

 ふわりと笑うレオナール様に、私もほほみ返す。
 そんな私たちを見て、アランが不思議そうな表情になった。

「どうしてそんなにもリリーが彼に執着しゅうちゃくするのか、何度考えてもわからないのですが」

 アランはとてもするどい人だから、私の前世について、なにも言えない。ちょっとでもヒントを口にすれば、きっと私の秘密に気付いてしまうだろう。だから、これしか言えない。

「レオナール様だけが、許してくれたの」
「許す? なにをです?」
「なにも話さないことを。それなのに、家族だと言ってくれた」

 私が言いたいこと、アランになら伝わるよね? そんな思いを込めて彼を見たら、苦虫をつぶしたような顔をしていた。

「……そう、ですか。なにも話さない不審人物でも受け入れたと」
「王太子もアランも、それは出来ないよね」
「ええ。立場上無理です……リリーには、話せないことがたくさんありますよね」
「レオナール様はそれでもいいと言って、受け入れてくれた。ねえアラン、これ以上心が休まる場所は見つけられないと思わない?」
「そうでしょうね。その場所が貴重だというのはわかります……少々腹立たしいのは変わりませんが、まあいいでしょう」

 アランは「それでは」と立ち上がり、きびすを返して部屋を出ていこうとした。なんとか無事に終わったか、と私がホッとした瞬間――

「そうそう。リリー、ルチルが戻りましたよ。ひど貴女あなたに会いたがっていました。マリエル殿もお気をつけなさい、油断していると横からかっさらわれますよ」

 去り際にとんでもない爆弾を落っことしていくところが、アランらしいと言えばアランらしい。だけど、その言い草はあんまりじゃないかしら。


 いやぁ、アランが退出してから、レオナール様が滅茶苦茶不機嫌になって大変だった。アランの発言にシドさんも最初は怒っていたけど、レオナール様の不機嫌っぷりに、なだめる側に回ったくらいだもの。どうも、ルチルが私に会いたがっているという話に反応したみたいだけど、そんな怒ることかな……
 シドさんは仕事を頼まれてどこかに行ったので、執務室には私とレオナール様の二人だけに。今は、二人でソファーに並んで座っている。
 それにしても、ルチルが帰ってきているのか……ルチル、私が黙って王家のメイドを辞めること、怒るかな。怒ると怖いんだよねぇ。
 私がなにか考えているのに気付いたらしく、レオナール様がたずねてきた。

「リリー、なにを考えてる?」
「ルチルに会ったら怒られそうだなと」

 やっと不機嫌が治りつつあるレオナール様には申し訳ないけど、隠し事をする方が失礼だと思うので素直に答える。すると、案の定また機嫌が悪くなってきた。

「ねえ、リリー。ルチルって、誰?」
「彼は私が王家のメイドとして貴族の家などに派遣されていた時に、一緒に潜入してくれた隠密おんみつです。歳は私よりひとつ下ですが、隠密としての実力は申し分ない人で、私にとって大事な親友なんですよ」

 ルチルの名前は、針水晶はりすいしょうという意味を持つ。彼は柔らかな薄茶の髪とはくいろの瞳の優しげな青年だけど、それに油断した敵を名前の通りのするどさで容赦なくつらぬく人だ。
 彼は子供のように無邪気で明るいのに、手を血で汚すことをいとわない強さを持っている。
 ルチルは私を一番の相棒と呼び、仕事で組むことを喜んでくれた。それなのに彼に王家のメイドを辞めると伝えていなかったのは、人づてにせず自分の口から言いたかったためだ。

「彼ってことは、男性なんだ……リリーは、その人に会いたいの?」
「会いたいですね。レオナール様のメイドになる話もしていませんから、多分怒られますけど」

 素直に頷くとレオナール様は小さい声で問いかけてくる。

「……その人が、好きなの?」
「好きか嫌いかで言ったら、当然好きですよ? 頼りになりますし、話していて楽しいですし、一緒にいて苦にならないので」
「……そっか」

 あ、なんかレオナール様が落ち込んじゃった……え、えっと。これって、ルチルにヤキモチを焼いている感じなのかな?
 いや、別に恋愛の意味じゃなくて、友達に自分以外に仲がいい相手がいてさびしい、みたいなやつ。

「多分、ルチルはレオナール様に出会うまでは誰よりも私の傍にいた人です。でもね、レオナール様」
「ん?」
「私が墓場まで持っていくつもりだった秘密を打ち明けたのは、レオナール様だけですよ」

 ルチルは王家のメイドだった私の傍にいてくれた相棒で、信用しているし親愛の情もある。仕事中には命を託すことだってあった。
 でも、前世の話をしたことはない。
 私が前世について話してもいいと思えたのは、レオナール様が唯一だった。

「私が望むのは、レオナール様のお傍にいることです。それだけじゃ駄目でしょうか」
「……駄目じゃない。でも」

 レオナール様は私の肩にぽすんと額を乗せて、ぼそりと言う。

「誰でも納得する理由が欲しいと思ってしまうんだ」
「理由?」
「リリーがずっと、僕の傍にいてくれる理由……ルチルは、リリーの親友って言える特別な相手なんでしょう? でも、僕は今のままだとただの雇い主でしかない。そう思って」

 傍にいてほしいんだと呟く声は、迷子の子供のようなのに、どこか甘く聞こえる。

「だから……だからね、リリーが僕の傍にいるのが当たり前だと思える関係だって言いたくなる。リリーが嫌がることだと知っていても、それが本当ならいいのにって思ってるんだ」

 どくり、と心臓が音を立てた。だって、それって……ううん、違う。レオナール様は恋愛感情だと言っているわけじゃない。そう自分に言い聞かせても、鼓動はどんどん速くなる。
 レオナール様と触れ合っている場所は肩だけのはず。それなのに、熱が全身へ一気に広がっていくようだった。

「レオナール、様」
「僕はリリーを一番よく知ってる。言われたら辛いとわかってるから、言えない」
「……ありがとうございます」

 レオナール様は、とても優しい言葉をくれる。
 ワガママでいびつな私を、それでもいいと許してくれる。
 それにちゃんとこたえたいと思うことくらいは、許されるかな。
 そう考えながら、私は笑顔で口にした。

「私はレオナール様に出会い、お傍にいられて幸せです」

 だから本当はいけないけれど、このままレオナール様に奥様が来ないで、ずっとずっと一緒にいられたら、と思ってしまう。
 私はこの気持ちの名前を知っているけど、口にすることは出来ない。それはあの人を、そして『私』を裏切ることだから。
 でも、ここにいる私は……

「お傍にいさせてください――レオナール様が私を必要としなくなるその時まで」

 それだけでいいから。それ以外は望まないから。

『幸せになってね』

 私にそう言ってくれた、優しい神様。
 今もそう思ってくれているのならば、どうかこの先もレオナール様と共にいられるように、見守っていてください。
 私の幸せは、ここにあるから。



   二 不穏な気配はでんと共に


 報告諸々もろもろが終わって城から帰る途中、私は迎えに来てくれたミリスとアムドさんと一緒に買い物をしていた。
 レオナール様とジルは、まだ報告が終わらないからということで、私だけ一足先に帰してもらっている。

「これで一通り買い終わったか?」

 大きな紙袋を抱えたアムドさんがたずねてきたので、私は考えつつ頷く。

「一応、大丈夫なはずです」

 とはいえ、持っていたメモを確認して、買い忘れがないか最終チェック……うん、小麦粉もお肉も全部買ったね。

「ごめんなさい、リリー。私がリリーたちの留守中に使いすぎてしまって」

 しょんぼりとした声に振り向けば、ミリスが申し訳なさそうな顔をしている。さっきから、自分が料理の練習をしたせいで食材が早くなくなったって落ち込んでいるんだよね。
 それをとがめるつもりはないし、むしろ、帰ってきた日の夕食にしいシチューが出たので、昨日はみんな大喜びだった。だから、気にしなくていいんだけど。

「急に出かけることが決まったから、日持ちしない食材を使ってもらえて、かえってありがたかったよ」
「……嘘ではなくて?」
「なんで嘘つく必要があるの」

 まったく、どうしてこんなにしょんぼりしちゃうんだか。
 可愛いやらおかしいやらで笑いながら頭をでる私に、ミリスはムッとした顔になる。なので、言い聞かせるみたいに言葉を続けた。

「私はもちろん、レオナール様だってミリスが頑張ってくれたことを喜んでも、怒ったりはしないし、使えばなくなるのは当たり前。それに、なくなったら買えばいいの」
「リリー……余計なことではありませんでした?」
「ないない、むしろ、教えたかいがあったなって喜んでいるよ。次はもうちょっと難しいメニューを教えるからね」
「が、頑張りますわ!!」

 パアッと花が咲くような笑顔になったミリスが滅茶苦茶可愛くて、私もほほみ返す。すると、こちらを見ていたアムドさんが静かに口を開いた。

「向こうの通り、猫の形の看板のお菓子屋がある」
「アムドさん?」

 彼の真意がわからず首をかしげた私に、アムドさんは紙袋をかかげてみせた。

「この荷物だ、一度持って帰ろう。俺が戻るまで、そこで休憩していてくれないか」
「え、でも、これで買い物は終わりだから……」

 私はそう言いかけたけれど、くばせをされて口をつぐむ。アムドさんの綺麗な緑の瞳には、心配そうな色が浮かんでいる……なるほど、ミリスをもっと元気付けてほしいということですか。
 てんがいった私の横で、ミリスがアムドさんに問いかける。

「それは、可愛いクッキーを売っていると教えていただいたところ?」
「ああ。今度連れていこうかと思っていたが、女性同士の方が入りやすいだろうからな」
「そうですの? 楽しみですわね、リリー」

 ……待ってー、それ、デートのお誘いをするつもりだったんじゃないの?
 デートの機会をふいにしてでもミリスを元気付けたいアムドさんが、恰好よすぎる。

「ええと……じゃあ、お待ちしていますから、アムドさんもあとでちゃんと来てくださいね?」
「ああ。気を付けて」

 両手いっぱいに荷物を抱えたアムドさんがきびすを返した。その背中を見送っていた私の手を、ミリスがにこにこして引っ張る。

「行きましょう、リリー!」
「ええ、そうね」

 この可愛いミリスの様子を、本当はアムドさんも見たかったんじゃないかな。そう思うと少し申し訳ない気がするけれど、せっかくだから行ってみましょうか。
 そう決めて歩き出し、目的の通りに続く裏道を進んでいた時、ふいに後ろから声をかけられた。

「……貴女あなたが、リリー・ルージャ?」

 つやめいた女性の声に振り向けば、そこにはエキゾチックな美女がいた。
 紫のウェーブがかった髪に、瞳はまるでアメジストのよう。異国風の小麦色の肌に金のアクセサリーがよくえる彼女は、女性らしい肉感的な体がけて見えそうなほど薄い布をまとっていた。そんな美女が赤い唇の端を吊り上げている。

「貴女に、用があるの」

 ぞくりと、背中に不思議な感覚が走った。なんとなく、この人から早く逃げないといけない気がする。
 それはミリスも同じらしく、私の腕を掴んでいつでも逃げられる態勢をとっていた。
 この裏道は明るいけれど、大きな荷物を運ぶのには細すぎるし、すぐ近くにもっとにぎやかな通りがあるせいで、さほど人が通らない。
 今も、運悪くこの通りには私たち以外は誰もいない。それを狙って声をかけてきたのだろうか。

「なんのご用でしょう」

 油断してはいけないが、かといっておびえを見せてもいけない。
 いつでも走り出せるよう、足をわずかにずらしつつなんでもないようにほほむ。すると、美女は面白そうな顔をした。

「意外ときもわっているのかしら。怯えて逃げ出すかと思ったのに」
「あら、私のことをごぞんなら、そんな女ではないのもご存知でしょう?」
「……そう、ね」

 頷いた美女の口元に、ようえんな笑みが浮かぶ。

「リリー・ルージャ、王家のメイド。そう呼ばれた貴女あなたがどうしてレオナール・マリエルのもとを選んだのか、私のあるじがとても気にされているの」
「この場でその答えを口にすれば解放されますか?」
「いいえ? 私の主は貴女に会うことをお望みだわ。一緒にいらして」

 次の瞬間、ぶわりと美女の髪が宙に舞う。パリパリと乾いた音が響いて、彼女の周りに小さな火花が弾けた。
 違う、火花じゃない。この紫色は――

「リリー、逃げて! 雷の精霊だわ、私だけじゃ守りきれない!!」

 悲鳴のようなミリスの声に、弾かれたみたいに足が動く。けれど、この人に背中を向けたらまずいと、脳裏で警鐘けいしょうが聞こえた気がして足を止めた。

ひどいわ、どうして逃げようとなさるの?」
まちなかおどしにかかる精霊に、素直について行くような馬鹿はいないもの」
「ずいぶんと余裕ね。そこにいるのは水の精霊、私との相性は最悪よ? それに、貴女自身には精霊に対抗する手段も力もない」

 この世界には、火・水・風・地・光・闇の六属性を代表として、あまの属性が存在する。そして火は風に強く水に弱いというふうに、属性には相性というものがあるのだ。雷は水に強い属性のひとつだから、水の精霊のミリスでは、この美女に勝つことは出来ない。

「そうね、その通りだわ」

 だから、私はすでに左手の腕輪に触れて、こっそりレオナール様を呼んでいる。念じて触れた瞬間に腕輪がポウッと温かくなったので、伝わったはず。
 あとは待つ間に捕まらなければいいだけ。きっとレオナール様がなんとかしてくれるもの。

「悪いけれど、名乗りもしない精霊とこれ以上会話するつもりも、一緒に行くつもりもないわ。というより、最低限の礼節もない使者を寄越すなんて、貴女の主もたかがしれてる」
「……私の主をじょくするのは許さないわ」

 ぶわりと、美女の力がまた強くなるのがわかる。彼女は冷静さを失った様子で、私のおもわくには気付いていないみたい。

「なにを言ってるの。私に主を侮辱させたのは、貴女の態度よ」
「魔力もない人間が、偉そうに!!」

 小さな雷がバチンと弾け、私に向かってくる。龍のような形をしたそれをけようとした時――

「相変わらず、危なっかしいなー」

 懐かしい声と共に、空から誰かが降ってくる。その人物は着地と同時に雷を切り捨てた。
 姿を現したのは、長い尻尾じみた薄茶の髪と、筋肉がバランスよくついた細身の青年だ。まとっているのは砂漠の国のゆったりとした丈の長い上衣と、足首が見える長さの下衣。

「悪いんだけどさ、お姉さん。俺の相棒に手を出さないでくんない?」

 青年は、やなぎのように飄々ひょうひょうとした態度でそう言う。彼の微かに笑みを含んだ声も、その背中も、忘れるはずがない。

「ルチル」
「久しぶり、リリー。ほら、下がって下がって」

 言われるまま後ろに下がれば、美女が不愉快そうに顔をしかめた。

すいな人ね、そんなんじゃ女の子にモテないわよ」
「俺の大事な人を傷つけようとする人にはモテなくてもいいさ」

 からりと笑ったルチルが、愛用の細い双剣を振ってヒュッと風を切る。普通のものより短めのそれらを使うのがルチルのスタイル。剣を見た美女の表情がはっきりとゆがんだ。

「まさか、双剣の?」
「そ、わかってるなら話が早いね。一対一で勝つ自信がある?」

 堂々と胸を張る姿は相変わらず頼もしい限りで、笑みが浮かぶ。相手が精霊さんとはいえ、一対一でルチルが負けるはずがない。

「リ、リリー、あの方は?」

 ルチルと美女がにらみ合う中、ミリスが私の袖を引いた。

「ルチルよ、前に私と一緒に組んで仕事をしてたの。大丈夫、彼なら精霊さん相手でも負けないから」
「どうして、そう言い切れるんですの?」

 ミリスにとても不思議そうにたずねられて、私は思わず笑ってしまう。
 どうしてなんて、そんなの。

「ずっと一緒にいたんだもの」

 だから、その実力を信じられる。ルチルの名前が本名なのかどうかさえ知らなくても。
 それに、ルチルは攻撃魔法こそ使えないけど、特殊な魔法で魔法攻撃を無効化したり威力を軽減させたり出来るからね。

「ミリス、私を信じて。ルチルは絶対に勝つから」

 私は、ミリスを安心させるために確信を持ってそう言った。なのに、返ってきたのはなんとも形容し難い複雑そうな顔。

「リリーは、あの方を信頼されているんですの?」
「もちろん。そうじゃなきゃ、一緒に仕事なんか出来ないよ」

 そんな会話をしていたら、美女が右手を宙に伸ばす。

「悪いけれど、私はあるじに王家のメイドを連れて来るよう言われているの。貴方あなた一人にはばまれたからって帰れないわ」
「交渉決裂、かな。いいよ、リリーは絶対に渡さない」

 世の女の子が一度は言われたいだろうセリフを、さらりと吐いたルチルはトン、と軽く地面をる。
 次の瞬間、私たちの目の前で美女とルチルの戦いが始まった。
 さっき私を狙った雷を切り払ったのと同じように、ルチルの剣は美女の攻撃を次々と打ち払う。決してけないのは、ここにいる私たちに流れ弾を当てないためだろう。
 だったら、私たちが今出来ることは……

「ミリス、逃げるよ」
「リリー!?」

 手を引いて言うと、ミリスが目を丸くした。そのまま走り出す私を、ミリスも追いかけてくる。

「このままじゃ足手まといだもの、ルチルが本気を出せないから離れな、きゃ!?」

 耳のすぐ傍でパアンと大きな破裂音がした。衝撃こそなかったけど、くらりとする。目がちかちかするせいでなにが起こったのかあく出来ずにいる間に、視界のすみでミリスがでんの直撃を受けてぐらりとよろめいた。

「ミリス!?」
「だい、じょうぶですわ」

 あの美女の攻撃だと理解しながらミリスを支える。私に向けられた雷は、レオナール様の腕輪が防いでくれたんだろう。

「逃がしませんわ」

 ルチルを雷で牽制けんせいしつつ、美女はまっすぐに私を見ている。だけどルチルがふところを探って笑っているのが見えたから、気にせずにミリスを連れて一気に走り出す。ルチルがなにを仕かけようとしているのか、なんとなく予想がついたのだ。

「そうはさせないってね……リリー、行け!」

 私は、なるべくミリスが辛くないよう手を引いて走り続ける。すると、背後で火薬の弾ける音が聞こえた。

「ミリス、ちょっと我慢してね」

 今度は、もう邪魔はされなかった。だって、それどころじゃないはずだからね。


 雷の精霊の美女から逃亡した少しあと、私とミリスは広場に辿り着いた。すぐにルチルも合流したけれど、今はちょっと離れている。

「ミリス、具合は?」
「さっきよりは……」

 ベンチに腰かけてぐったりしてるミリス。さっきの美女から逃げるためにルチルが使った、対魔法使い用の煙幕を吸ってしまったせいだ。魔力を一時的に封じ込める効果があるとかで、魔力のかたまりみたいな精霊さんにもバッチリ効くらしい。出来るだけミリスには届かないように走ったものの、完全に逃げ切ることは出来なかったのだ。
 以前、仕事で使うことがあったから知っているけど、相当いい値段なんだよね、あれ。
 ……私たちを助けるのに、そんな貴重なものを使ってくれたんだよなあ。

「ほら、冷たい水だ。これを飲めばちょっとは楽になる」

 ルチルが水の入ったカップを持って戻ってくる。少し離れた露店でなにかを買っているなって思ったら、ぐったりしているミリスのためだったみたい。
 ミリスはちょっと躊躇ためらったものの、結局水を受け取り一息に飲み干した。飲み終わったとたん、ミリスの肩から力が抜ける。

「……ありがとう」
「どういたしまして。悪かったな、あれ以外に上手い方法が思い付かなくて」

 苦笑を浮かべて謝るルチルに、私も苦笑して声をかける。

「でも、風向きも全部計算していたんでしょ。あれ以上に素早く全員が逃げる方法はなかったと思う」

 そもそも私は戦えないし、ミリスじゃ相性が悪すぎた。四方八方に攻撃が出来る相手に、ルチル一人で私たちを守りながら戦えっていうのは、厳しいものがあっただろう。

「あの精霊さん、逃げたの?」

 私が続けてたずねると、ルチルははっきり頷く。

「ああ。でも、手ごたえはあったから無傷ではないさ。少なくとも、今すぐリリーをおそいにくることはない程度に痛めつけられたはずだ」
「ルチルがそう言うなら大丈夫ね。逃がしたっていうのも、黒幕を探るつもりなんでしょうし。誰か他の密偵に跡をつけさせているとか」

 すると、ルチルは嬉しそうに笑った。

「本当にリリーは俺の考えとか、全部理解してくれるんだよな……やっぱり、惜しいな」
「あ……ルチル、私」
「殿下に聞いた。辞めるんだって?」

 責めるでも怒るでもなく、いつも通りの穏やかで優しい声だ。
 だから、余計に胸が苦しくなる。


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