学園は天国だっ!

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序章

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触れることも触れられることなく、ただ何となく過ぎていく無難な日々と、それとは間逆の変化。

どちらも自分が望んだものではあるけど、まさかこういう形で叶うことになるとは。
いつも無駄に絡んできた園田が俺を華麗にスルーしたことは、少なからずショックだった。


(まさか、本当に俺の望みを……)


瞳の前に手をかざし、どこに焦点を合わせるでもなく眼球をグリグリと動かしてみる。
けれど、俺が見ている景色はいつもと変わらない。


そう、何も変わっちゃいない。
少なくともこの教室の中においては。


俺がそう望んだから、この空間の中では他の誰にも俺という存在は認識されていないんだ。


(祐天寺と……住吉先生以外には)




そうだ、祐天寺だ。
彼女はどこだ? 何故居ない?


部活の朝練だろうか。
もうすぐホームルームだというのに。


園田の件は、まあいい。
確かに奴を疎ましく思うこともあったし、近づいてくれるなと望んだこともあった。


願望が叶ったといえば叶ったのだろう。


だが、もしそうなら……
もし本当に望みが叶っているというのなら、祐天寺は……住吉先生はどうなるのだろう。


俺はいつもそうしているように、クラスの連中の動きには一切の関心を寄せず、ただ窓の外を眺めながら祐天寺や住吉先生が教室に来るのを待った。


そして――――



キーンコーン……


「はいはーい、ホームルームの時間だよーぅ。
 みんな席ついてねー。お喋りもおしまいよー?」


ホームルームの開始を告げるチャイムと共に、住吉先生と並んで教室に入ってくる祐天寺。
胸元に抱えたプリントの束を見る限り、どうやら部活ではなくクラスの仕事に付き合わされていたらしい事が伺える。


(そういやクラス委員もやってたっけか)


本当に、絵に描いたような優等生だ。

しかし、そんな彼女も……いや。
そんな彼女だからこそなのか。


祐天寺だけは俺を無視したりせず、いつも気持ちの良い挨拶ととびっきりの笑顔をくれる。


そしてそれを、もし俺だけのものに出来たら……


教卓にプリントを置いた祐天寺が、自分の席。
すなわち俺の隣にある机に向かって歩いてくる。


目を合わせれば、きっといつもの挨拶と笑顔をくれる。


そう思って、近づいてくる彼女に控え目ながらも視線を送っていたのだが……


「…………」


「…………ぁ」


挨拶も笑顔も、会釈すらない。

いや、それどころかこちらを一瞥することすらなく、彼女は自分の席に着いた。


(……ほ、ホームルーム始まったし……な?)


他の誰でもない、自分自身を納得させる言葉を心の中で吐きつつも、胸にちくりと来る嫌な痛み。


――――さっきと同じだ。


園田と同じように、まるで俺がそこにいないかのように……


(いや……考えすぎか。たまたまだ、たまたま)




自意識過剰を諌め、偶然を願う俺。


こういうことだってある――――


ほんの少し勇気を出して自分から声でもかければ、それこそ何か変化を起こせるのかもしれないが……


(い、いいんだ。別に……俺は)


何かを望むから、それが叶わないといつも以上に苦しむことになるんだ。


(そうだ、いつもと同じでいいんだ。いつもと)




俺は変化を……
何かを期待することをやめ、日常を望んだ。


別にあの言葉を信じてるわけじゃないし、信じていたとしてもとっくに裏切られてはいるが。


もし本当にそういう『力』が自分にあるなら、これで俺の願望……つまらなくて変化のない日常が戻る……はずだ。


それでいいんだ……それで。


「はい、じゃー出欠取るね? っと、大神君」


少し調子の外れたいつもの住吉先生の声が、学生達の名前を読み上げていく。


こうして待っていれば、また俺の名前が無用に多く呼ばれたりして、それで……また適当に受け流して……


そういう一日の始まりなんだ、きっと。


「はい、北見君は出席。えーと、次はー……」


俺だ。

こちらに視線を向けた住吉先生と目が合う。


(はっきり返事しても、また聞こえないとか弄られるんだろうなぁ)


鬱陶しい。
けれど、それも悪くないと発声を身構えていると――――


「佐伯君、佐伯 海斗くん……なんだけど」


「?」


「んー、残念。お休みかあ」


「…………な」


何を……何を言っているんだ、先生?


だって今先生、俺の方を見て……いや、違う。
見ているのはあくまで俺がいるはずの席であって、明らかに俺に視線が合っていない。

「欠席の連絡は無かったんだけどなぁ~。うーん」

何の冗談だ?
いや、冗談にしては余りにもタチが悪い。


それとも、これも俺に注目を集める為の先生の手なのか?

「誰か何か聞いてる?」

一様に、同じ動きで横に振られる多くの首。


こいつらが知っているわけがない。
だって、こいつらのとの接触は俺の方から断って……


違う、そうじゃない。
それ以前に俺は、今ここにいるじゃないか……!


なぜ誰も俺を見ない?
イジメか? クラス全員でか? 先生も一緒にか?
そんな馬鹿なこと……


(おかしい……おかしい、おかしいぞ? なんだ……
なんなんだ、これ!?)


「……ぁ、く。ゆ、祐……」


俺は思わず救いを求めるようにして、隣に居る祐天寺に顔を向ける。

「んー、未来ちゃん。何か聞いてる?」

「いえ、何も……風邪、とかでしょうか?」

「かなあ? 何気に病欠はもちろん、ズル休みとかも無い子だったんだけどなぁ~」

「です、よね。どうしたんだろう……佐伯君」


「ぅ、あ……っ」

この状況で唯一信じられる彼女の口からも、俺が求めているような言葉は出てこなかった。


祐天寺にも……俺が見えていない。
まるでそこにいないかのように……空気のように扱われて……


「そ……」


反動だった。


何かに期待していたことと、それとは真逆の裏切りが続いたことに対する。


「そんなのおかしいだろ、祐天寺ぃ!
見ろよ! 俺はここに居るよ! なあ!?
ちゃんと見てくれって! 祐天寺!」


「ひゃ、う!? え、あ……えっ? さ、佐伯……く」


「無視するなよ! 俺はずっと……ずっとここで……っ!
祐天寺のことを見て…………見て…………み」

教室内の空気がピンと張り詰めた。


いつもならその空気の中に溶け込み、感じることのないであろう視線の刃のような物を感じる。


「……あ」




俺だった。
その刃は、忘我で祐天寺の肩に掴みかかっている俺へと向けられていた。


(見え……てる、のか? 俺が)




冷静に考えれば、疑問に思うことすら馬鹿馬鹿しかった。


見えているに決まっているじゃないか。
俺は透明人間でも、幽霊でも、まして空気でも……
無い……はずなんだから。

「あっ、あの……さ、佐伯……君?」

「えっ? ひゃ」

間近に聞こえるか細く弱い声に、俺は思わず小心な反応で手に力を込めてしまった。

「は……ぅ、う……んっ」

それに連動して、今まで聞いたことも無い彼女の声……
艶のある水音のような声が耳に届く。


「……祐天寺」

「えー……コホンっ」


もったりと甘い色に変わりかけた場の空気を、わざとらしく響く咳払いが振り払う。

「んー……どうやって教室に入って来たのかは、後で聞くとしてぇ」

「とりあえず佐伯君? 力、入れ過ぎよ?」

「え、あ…………は、わあっ!?」


そこでようやく、俺は第三者的な視点で今の自分の状態を理解した。

「いっ……痛く……はないけど。あ、あの……その……」

「は、放して……もらえるかな……?」

「あ、あぐぅ、あ、ごっ……ごめ……!」

制服に強くシワが寄るほどに、祐天寺の肩口を掴んでいたことに気付き、慌ててその手をどける。

「あっ……」


「……へ?」

その手をどけた瞬間、またあの甘い声が漏れた気がしたが……


「もぉ~、居るなら居るでもっと普通に出て来てくれてもいいのにぃ。佐伯君、案外目立ちたがり屋さん?」


「……ぇ、あ、い、いえ! 全然……全然!」

そんなことがあるはずがない、と全力で首と手を振ってアピールするが、結果として今この場における俺は他の誰よりも目立ってしまっているわけで。


ひそひそというレベルではない大きさの声で、今まで誰も口にしようとしなかったであろう俺の名前が、そこかしこから聞こえてくる。


「やるじゃん、佐伯。祐天寺にお触りなんて」


「ひ、あ、違っ……」

「はぅ……」

祐天寺の顔がみるみる朱に染まっていく。


その冷やかしが合図だったかのように、周囲の声は一斉に大きくなり、ちょっとした騒ぎにまで発展してしまった。


「今さ、今さ? 佐伯君どっから出てきた?」

「何か今の告白っぽくない?
何かチョー怖かったんですけど」

と、女子生徒たち。


「いいなー、俺も未来ちゃん触りてー」
「普段おとなしい奴って、突然テンションおかしくなるよなー……」

とは、男子生徒たち


「はーいはーい、静かにっ。
 ちょっとはしゃぎすぎだよー?」

丸めたプリントをポンポンと叩きながら、住吉先生が事態の鎮静化を図る。
すぐには収まらなかったが、幸い学級崩壊とは無縁のお利巧さんの割合が多いクラスだ。
グサグサと胸に刺さるような放言も聞こえなくなり、教室は静寂を取り戻した。

「うん、よろしい。
じゃーまあ、とりあえずねぇ……二人とも座って?」


「は、はい……」

「あ、ぅ、あ……はい……」

心臓のドキドキが収まらない。


それが今までに無いほど人から注目を受けたせいなのか、祐天寺の身体に触れたからなのかはわからない。


ただ一つハッキリしているのは――――


(変化は……あった。あったんだ……!)




俺の願望がどう叶ったのか。
それが、おぼろげながら見えた気がする。

このドキドキ……胸の高鳴りは、そのことへの喜びが一番大きいようにも感じた。
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