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11巻
11-1
しおりを挟むプロローグ
私――ミレにとって空というのは、常に霧が立ち込めるものでしかなかった。昼は白く、そして夜は黒い。
何千年か何万年か知らないけど遥か昔、多くの人々が見捨て、忘れ、そして僅かな人が取り残されたその世界の空は、そういうものだった。
悪魔の塔と呼ばれる塔の遥か上に新天地が存在していて、そこから見上げる空が青いと知ったのは、そして夜には空を埋め尽くす星々が煌めく美しいものだと知ったのは、つい最近のことだ。
そんな風に私の価値観が目まぐるしく変化しているのは、とある少年――クルト・ロックハンスと出会ったことがきっかけだった。
新天地からやってきたという彼とその仲間たちは、世界の秘密を私に教えてくれて、禁忌の怪物をも撃退した。
そして彼らは、私を新天地へと連れてきた。
そこで私は、再び信じられない体験をしていた。
――私はいま、空を飛んでいるのだ。
しかも馬車の数十倍もの速度で。
ガラスのような蓋がされているので外からの風は入ってこないけれど、きっとこの蓋を開ければ風圧で目を開けることすらできない。
こんな体験をしているなんて、少し前の私に説明しても信じてもらえないだろう。
ちょっと前までの私にとって、小さな居住区とその周辺だけが世界の全てだった。
だけどクルトと出会って、青い空を見て、夜空に輝く星々を見て、広大な緑豊かな大地を見て、私の中の世界は大きく広がった。
あと私に必要なものは失われた記憶のみ。
私は子どもの頃、滅びた居住区の中で発見され、そしてそれ以前の記憶が存在しない。
自分の親の顔も名前も、そもそもどこから来たのかも知らない。
私の中に残るミレという名前――そう呼ばれたという、存在しないはずの記憶。
その名前が本当なのかどうかも私にはわからない。
だけど、その記憶の手がかりが間もなく見つかるかもしれない。
――私をこの乗り物に乗せた、ダンゾウさんという人によって。
「この乗り物って、こっちの世界では当たり前のものなの? 他に似たような乗り物を全然見かけないんだけど」
馬車くらいの大きさの縦長の乗り物。
鳥のような翼がついているけれど、鳥のように羽ばたいたりはしない。代わりに、よくわからないけど高速で回転するプロペラ?というものがついている。
どうやってこれで空を飛ぶことができるのかはわからないけれど、ワイバーンやドラゴンは魔法の力を使ってあの巨体を浮かしているというし、きっとそれに似た力があるのだろう。
ただ、ここまで長い間飛んできたけれど、他にこういう乗り物は飛んでいない。
私の前の席に座って、操縦桿と呼ばれるものを握ってこの乗り物を操るダンゾウさんに、私は尋ねた。
「これは最近クルト殿が作った飛空艇というものをさらに小型化し、着水、水上走行できる、水上飛空機という乗り物でござる」
ダンゾウさんはそう説明してくれた。
でも、クルトが凄いってこと以外はわからない。
もしかしたらダンゾウさんも操縦方法以外はわかっていないのかもしれない。
「シーナさん、大丈夫かな?」
ダンゾウさんが私を連れ出す際、一緒にいたシーナさんは、彼によって気絶させられていた。
「問題ないでござる。嗅がせた薬は眠気を誘い、動きを鈍くするもの……副作用もない薬でござるし、あそこは工房の敷地内だから侵入者も入ってこられない。安全な場所でござる」
「そう……それならいいけど」
私はそう呟き空を見上げる。
さっきまでは青空が見えていたが、いまは白い雲しか見えない。
「雲の上には出られない?」
「そこまで高く飛ぶと、地図が確認できないでござる。これから山越えをする時はもう少し上空を飛ぶからその時まで待ってほしいでござる」
「そう……」
「ただ、高く飛べば温度が下がるそうでござる。一応、機内の温度は十度以下には下がらない設計らしいでござるが、毛布をかぶっていてほしいでござる」
どうやら、高い場所に行けば行くほど気温は下がるらしい。
その理論で言えば、ここは悪魔の塔の遥か上にある世界なのに、なんでこの世界が極寒の大地ではないのかはわからないけれど。
でも、この空を見上げていても気が滅入るだけだ。
「じゃあ、私は少し寝かせてもらうね」
私はそう言って、毛布にくるまる。
「どうぞごゆるりと」
操縦桿を握るダンゾウさんは低い、だけど優しそうな声で言った。
「拙者の故郷――大和についたら起こすでござるよ」
ダンゾウさんの故国、ヤマト。
そこに私の記憶に関する手がかりがある。
これは、記憶のない私が自分のルーツを求めて旅をする物語だ。
「クルト、心配してるだろうな」
私は毛布の中で、恩人の少年の顔を思い浮かべてそう呟いた。
第1話 ダンゾウを追って
それは突然のことだった。
僕――クルト・ロックハンスと、リーゼさん、ユーリシアさん、アクリの四人で勝手に旧世界に行ったことをミミコさんに怒られていた時、頭に傷を負ったシーナさんが入ってきた。
そして、彼女はミレさんがダンゾウさんに攫われたと言い残して、気絶して倒れてしまった。
僕は急いで治療をする。
除菌、止血をして傷口は塞ぎ、顔についた血は綺麗に取る。
よし、治療終わり。
「処理時間二秒。相変わらず手際がいいね、クルトちゃんは」
「さすがクルト様です」
さっきまでリーゼさんに説教をしていたミミコさんと、さっきまでミミコさんに説教されていたリーゼさんが、僕の応急処置を見て褒めてくれた。
「そんな。僕の村では普通の応急処置ですし、時間もかかりすぎちゃいました」
僕はそう言って、使った薬や治療道具を鞄の中に入れた。
それからすぐに、シーナさんは目を覚ます。
「ん……あれ? クルトが治療してくれたの?」
「はい。痛いところはありませんか? 頭をぶつけていたみたいですから、一応あとで病院に行ってみてもらってくださいね」
「全然痛いところはないよ。ありがとう――ってそれより、ミレがダンゾウに攫われたのっ!」
シーナさんはガバッと立ち上がり、立ち眩みを起こしたのかふらつく。
あぁ、もう。そんな急に立ち上がるから。
僕が椅子を用意して、シーナさんに座ってもらうと、ミミコさんが彼女に近付く。
「シーナちゃん、落ち着いて。ゆっくり説明して。何があったの?」
「はい、ミミコ様。ええとですね――」
シーナさんはミレさんと二人で買い物に行こうとしていたらしい。
そこにダンゾウさんが現れてこう言ったそうだ。
『拙者の故郷に、ミレ殿の記憶を取り戻す手がかりがあるでござる。拙者についてきてほしい』
シーナさんは、私も一緒に行くって言ったんだけど、ダンゾウさんに断られて、さらには眠らされたらしい。
「それでシーナにこんな怪我を――ダンゾウの奴」
カンスさんが静かに怒りを覚えている様子だけど、でも変だよね?
傷の形状からして、シーナさんが意識を失った原因は、怪我ではないはずだ。
「シーナさん、ダンゾウさんには眠り薬を使われたんですね?」
「うん、眠り薬を嗅がされて倒れて、気を失いかけて――でもなんとかこのことをクルトたちに知らせようって、気付けのために頭を近くの石に打ち付けたところで、ファントムさんが来てくれたの」
シーナさんがそう説明をした。
やっぱりそうか。
それを聞いたカンスさんが目を見開く。
「クルト、よく気付いたな」
「はい。シーナさんに使われていた眠り薬、さっき僕がダンゾウさんに頼まれて作ったものなので」
「「「「「………………」」」」」
みんなが黙って僕を見る。
ダンゾウさんに薬が欲しいと言われて、てっきり不眠症だと思ったから渡したんだ。
でも、ゆっくり入眠できるように、それほど即効性のあるものは使わなかったのが幸いしたよ。
成分の強いものだと一瞬で眠っていただろうからね。
「クルト様、他に何か頼まれませんでした?」
「えっと、小型の水上飛空機と名付けた乗り物を作りました。二人乗りの飛空艇みたいなやつです。たしかにあったら便利ですもんね」
「パパ、それってどのくらいの速度が出るの?」
「ううん、普通にピクニック用だから、せいぜい時速五百キロくらいかな?」
リーゼさんとアクリの質問に答える。
飛空艇より小型な分、速度を重視した。
「クルトはピクニックで世界一周旅行でもするつもりなのか? ……いや、月見に月に行くのが普通なら、それも普通なのか」
ユーリシアさんが呟くけど、僕は首を横に振る。
さすがに世界一周旅行はしたことはないな。
うちの村って、十年に一度村ごと引っ越すから、それが旅行みたいなもので、それ以外の時はあんまり村から出ないんだよね。
「でも、ダンゾウさんがミレさんの記憶を取り戻す方法を知っているのはなんででしょう? ほぼ初対面ですよね? 大賢者の弟子の証がないと旧世界に行けないわけですから」
「うーん、どうだろう? ビビノッケちゃんが旧世界にいたことを考えると、こっちの世界とあっちの世界で行き来する方法が、私たちの知らないところであるのかもしれないよ」
僕の疑問に、ミミコさんが考えながら言う。
こっちの世界では既に空間属性に関する情報は失われてしまっている。でも、ハスト村のウラノおじさんのように、独自の研究でアクリのような空間属性の適性を持つ人工大精霊を生み出せる人はいくらでもいるだろう。
そういう人の力を使えば、割と自由に異世界への行き来が可能な気がする。
「とにかく、ダンゾウさんとミレさんを追いかけないと」
僕が言った。
「しかし、どうやって?」
「空を飛んで移動をしたのなら、転移石の使用記録や検問の通行記録を調べても全て無意味ですよ」
「ダンゾウおじさんの故郷といったら遥か東のヤマトの国だと思うのですが、ヤマトの国と一言で言っても、とても広いですからね。手がかりなしに探すのは難しいです」
ユーリシアさん、リーゼさん、アクリがそれぞれ意見を出す。
ヤマトの広さはホムーロス王国の二倍もあると聞いたことがある。
聞いて回るにしても限度がある。
「いま、ファントムにダンゾウちゃんの部屋を調べてもらっているけれど、手がかりはほとんどないみたい。備え付けの家具はそのままに、私物は何一つ残っていないって」
ミミコさんが、いつの間にか報告を受けたのかそんなことを言った。
ダンゾウさんの部屋にも手がかりはないのか。
このまま手詰まりかと思った時、カンスさんが言った。
「俺たちの村にダンゾウの家があるんだ。そこに行ってみるのはどうだ?」
「カンスさんたちの村?」
そういえば、カンスさんとシーナさん、そしてダンゾウさんは同じ村で育ったんだっけ?
「あれ? でもダンゾウさんってヤマトの国の出身なんですよね? なんでカンスさんの村にダンゾウさんの家があるんですか?」
「たしかにあいつはヤマトの国出身だが、子どもの頃に親父さんと一緒に引っ越してきたから、俺の村にいた期間のほうが長いんだ。その親父さんも、七年前に事故で死んじまったが」
そうだったんだ。
「一緒にパーティを組んでサマエラ市に出るまでは、俺の村の外れにダンゾウが住んでいたんだ。あそこなら何か手がかりが残っているかもしれない。いつ帰るかわからないから、ある程度、私物も残していたはずだ」
それなら行ってみよう。
詳しく聞くと、カンスさんの故郷は、サマエラ市から徒歩で十日ほど北に進んだ場所にあるらしい。
そこなら飛空機を使えばすぐに行ける。
ダンゾウさんに用意したのは二人乗りのものだったけれど、みんなでピクニックに行く時に使おうと、七人まで乗れる少し大きめの飛空機も用意してあった。
「パパ、私はこっちに残ってオクタールたちの足取りについて調べます。旧世界に転移する方法について調べるなら、私がいた方がいいと思いますから」
アクリが言う。
うん、そっちも調べないといけない。
「ダンゾウおじさんとミレさんが見つかって、工房に戻ることになったら、ニーチェさんの枝を植えて連絡してください。転移の力を使って迎えに行きます」
大精霊ドリアードの分体であるニーチェさん。彼女の器になっている大樹の枝を植えれば、地脈を使って通信ができるようになるし、アクリの転移も枝と枝の間で使えるようになる。
「わかった、ありがとう。そっちは任せるよ」
本当によくできた娘だと僕は思った。
話し合いが終わったところで、僕は出発の準備を進める。
まずは工房の庭に、大きめの飛空機を出す。
といっても、町の中では翼を格納しているから、見た目は背が高くて細長い馬車みたいなんだけどね。
もちろん、馬に引かせるわけではなくて、この状態でも自走するように作ってある。
飛空機の点検を終えると、リーゼさんが勢いよく飛空機に乗り込もうとする。
「行きましょう! カンスさんたちの故郷に! ダンゾウさんの家に!」
「待って、リーゼ様! 現状を見ると、ミレちゃんは自主的についていったみたいだから危険はないと思うんだけど……それでも他国に行くのなら……クルトちゃん、飛空機は七人乗りなのよね? だったらファントムを二人随伴させるよ。普段は陰に隠れて護衛と調査をしてもらうけど、飛空機に乗って移動する時は必ず乗せてあげてね」
ミミコさんにそう言われて、僕は頷く。リーゼさんは元とはいえ王女様なんだし、彼女を守れる人が増えるのを断る理由がないもんね。
「わかりました」
早速、僕、リーゼさん、ユーリシアさん、カンスさん、シーナさん、そしてファントム二人で、飛空機に乗りこむ。
「飛空機って聞いたが、細長い馬車みたいだな」
「クルト、これ、本当に飛ぶの?」
後部座席にいるカンスさんとシーナさんが、シートベルトを締めながら尋ねた。
「もちろん。でもこのサイズの飛空機を飛ばすには長い直線の道が必要なので、町の中では飛ばせません。このまま一度町の外に出ます」
僕はそう説明をしつつ、操縦席で飛空機を発進させた。
馬なしで動く馬車が走っているような状況に、町の人たちはびっくりしている。
だけど町の門を越える検問は、顔見知りの衛兵さんだったこともあって、工房主代理の証を見せたら、特に調べられずに通過できた。
町を出て五分ほどで、人通りが少ない道に出た。
うん、ここなら大丈夫そうだ。
まず、両翼を展開。
魔導ブーストエンジン起動。
最大加速に設定すると、飛空機は走り出す。
「クルト! 凄い揺れてるぞ!」
「ユーリシアさん、喋ったら舌を噛みます! 整備されていない道ですから我慢してください。離陸したら揺れも収まりますから」
「本当に飛ぶのかっ!? このまま爆発したりしないよな!」
カンスさんが叫ぶ中、僕はさらに飛空機を加速させる。
そして――
離陸した後、無事に数時間の飛行を終えた僕たちは、カンスさんたちの故郷の近くの平原に着地した。
直接村に乗りつけたらパニックになるからね。
飛空機から降りたところ、カンスさんとシーナさんは顔が真っ青な状態でふらふらと歩いている。
飛空機酔いかな?
「い、生きてる――死んだと思った」
「なんであの速度で地面に激突して壊れてないの」
飛空機が怖かったみたいだ。
もしかしたら、二人とも高所恐怖症なのかもしれない。
逆に、ユーリシアさんとリーゼさんは平気みたいだ。
「だらしないぞ。こんなのロケットに乗ってお月見に行った帰りに比べれば楽なもんだったぞ」
「はい。さすがにあの時は驚きましたね」
ユーリシアさんとリーゼさんはロケットが怖かったのか。
あ、でも高い場所に行って怖かった経験なら僕もある。
「ワイバーンに攫われた時は僕も怖かったです」
僕は皆さんに共感するように言った。
あの時は、このまま巣の中に連れていかれたら雛ワイバーンの餌にされるかもとビクビクしていたんだけど――
「「「「それは違う」」」」
「あれ?」
なぜか皆さんが、口を揃えて否定した。
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