除夜の鐘を聞きながら

ヤン

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第18話 コンソレーション第3番

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 あの時先生は、当然何曲も弾いた。何を弾いたのか、全て思い出すのは困難だ。ただ、先生にリクエストしたその曲のことは覚えている。

 その曲名を日本語訳すると、『慰め』だ。五年前、先生が僕の代わりにここで演奏してくれた時、僕は正に落ち込み傷ついて、慰めが必要な状況だった。先生の奏でるその美しい音色が、僕を慰めて癒してくれたのだ。

「わかりました。弾きましょう」

 椅子から立ち上がると、先生はピアノの前に座った。僕と店長は、ピアノの方にしっかりと向いて、先生が音を鳴らすのを待った。

 それから時を置かず、先生は弾き始めた。あの時よりもさらに良い。僕は、鼓動を速めながらも、その音に耳を傾けていた。

 先生の指が、鍵盤から離れた。僕と店長は、ほぼ同時に拍手した。それに答えるように先生は立ち上がり、僕たちの方に向くと深々と頭を下げた。やがて、元の姿勢に戻ると、何事もなかったかのように席に着いた。

 僕の頭の中では、さっき聞いたその音がまだグルグルとしている。何も話したくなかった。余韻に浸っていたい、と思っていた。その気持ちが伝わったのか、先生は話し掛けてこなかった。店長も黙って目を閉じていた。

 それから何分経ってからか、先生が、

「そろそろ行きましょうか。長田ながたくん。今日はありがとう」

 声を掛けられた店長は、目を開けて、驚いたような顔をした。

「長田くん。お会計をお願いします」
「あ。そうだね」

 慌てて店長はレジに向かい、計算を始めた。そして、告げられた金額を支払った先生が、

「じゃあ、行きましょうか」
「えっと……どこに行きますか?」

 僕の問に、先生が顔を歪めて大きく息を吐き出した。

「僕はね、吉隅よしずみくん。ここから出よう、というつもりで言いました。どこに行くという、具体的な話ではありません」
「あ……そうでしたか」

 日本語が母語だけれど、日本語って難しいと改めて思う。察する力、それが大事だ。

「先生……すみません」
「別に、謝ってもらうような事ではありませんよ」
「でも……」

 僕がぐずぐず言っているのはきれいに流して、

「それでは長田くん。また」

 微笑みを浮かべて言う。それを見て僕は、またもや鼓動が速くなる。告白もどきをされてから、僕は意識し過ぎている。それはよくわかっている。でも、どうしようもない。

「じゃあね、宝生くん、吉隅くん。また来てよね」

 笑顔で手を振って僕たちを送り出してくれる。外に出ると、風が強く吹いた。思わず身震いしてしまう。先生は、表情を少しも変えず、

「吉隅くん。これから初詣に行きませんか?」
「初詣……ですか? 先生は、毎年行ってるんですか?」

 今まで誘われたことはなかったが、いつも一人で行くのだろうか? それとも、誰かと行くのだろうか?

 そんなことを考えていると、先生はあっさりと、「気が向いたら行く程度です」と答えた。頭の中の問いは、口から出すことなく終わってしまった。訊ける雰囲気ではなかったのだ。

 僕が行くとも行かないとも言わない内に、先生はもう歩き出している。僕はその後を追った。

「先生」

 声を掛けると、ようやく振り返り、「何でしょう?」と言った。僕は、先生の左腕を軽く掴むと、「行きます」と言った。
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