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第一章
物忘れミスティ
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青い空に白く丸い雲がぷかぷかと浮かんでいる。爽やかな風が様々な匂いを運んできた。膝丈ほどの青々とした草がその風に揺らされる。さわさわと心地のいい音が聞こえて、ミスティ・キーランドは草原に寝転んだ。
「風がさわさわ~♪ 僕の髪もふわふわ揺れて~♪」
ミスティは自分で作った独特の音程の曲を口ずさむ。その声は軽やかだが、あっという間に風がさらっていった。どのくらい草原で寝そべって雲を眺めていただろうか。誰かの影がミスティの顔にかかり、それに気づいて目を開いた。
「おい、ミスティ! お前また約束を破ったな! もうこれで何回目だよ!」
怒りに満ちた野太い声が降ってきた。驚いたミスティは、体を跳ね上げるようにして起きて振り返る。そこには長身で体格のいいゲインという男性が立っていた。彼は村長の息子で、いつも威張り散らしている意地悪な奴だ。
「ゲイン……どうしたの?」
立ち上がったミスティは、ゲインの後ろに控える取り巻きの二人、いつも人のご機嫌を伺うような目をしているトリステンとどこか生気のない感じに見える無表情のスティアに目をやった。この二人はゲインの命令には絶対服従で、まるで家来のようなのだ。
「ゲインどうしたの? じゃねーよ。昨日、約束しただろう。今日は朝から村の風車に続く水路を掃除しろってあれほど言ったじゃないか。お前、また忘れたのか?」
「え、そうだっけ? ごめん、また忘れたみたい」
ミスティは頭を掻きながら、へへっと笑うと、ゲインの眉間に深い皺が刻まれる。そしてミスティの細い肩をゲインが突き飛ばしてきた。
「うわっ」
その衝撃を受け止めきれなくて、ミスティはその場に尻もちをついてしまった。しかしそんなことをされてもミスティの中に怒りの感情は湧いてこない。
「イテテテ……」
「お前、ほんとイラつくな。顔を見るだけで殴りたくなる。早く立って掃除しに行けよ!」
ゲインの怒鳴り声に、ミスティは怯えるように目を閉じて肩をすくめる。
(そんなに大きな声で言わなくても聞こえるのに)
心の中でそう呟いてミスティは立ち上がった。忘れたミスティが悪いのは明白だ。これは早めに退散して用水路の掃除をしに行った方がよさそうである。ゲインの怒りがこれ以上大きくなれば、本当に殴られるかもしれない。
「わかったよ。行ってくるから、そんなに怒らないで。ね?」
ミスティがにっこり微笑むと、ゲインのこめかみに見てわかるほどの青筋が浮かび上がった。これ以上はなにも言うまいと、ミスティは慌ててその場から立ち去るのだった。
ミスティの住むククルド村は、小さいながらも貧困とは無縁の豊かな村だ。大きな風車は川から田んぼへ水を送り、小麦はその風車の力を使って粉に挽く。村にはいつも風が吹いていて稲穂を揺らしていた。今は秋から冬に季節が移り変わろうとしている。昼間は暖かいが、日が落ちるとグッと冷え込んだ。
山々の連なりが遠くに見えて、その向こうにはなにがあるのだろうとミスティはいつも思っている。二十一歳になったミスティはもう大人だが、村から出るときは父が一緒でないと許してもらえない。それはミスティの物忘れに原因があった。
ミスティはククルド村が好きだ。ゲインはいつもミスティに強く当たるが、それは約束をすぐに忘れてしまう自分が悪いと思っている。子供のときはこんなに忘れっぽくなかったのに、ここまで忘れるようになったのは、あの夜からだ。
八歳になったある日の夜、散歩に出たミスティは村で自慢の見晴らしのいい丘でキラキラと輝く雨を浴びた。まるで夜空の星が降ってくるかのようで、あまりの美しさに夢ではないかと思うほどだった。星の雨を浴びているときはとてもしあわせでたのしくて、両手を広げて天を仰ぎ見てはしゃいだのだ。
しかしその日からミスティの体に異変が起き始めた。ひと晩寝て、翌朝目が覚めると、前日の記憶がすぽっと抜け落ちていたのだ。両親のことや村人の名前、生活に必要なことは覚えていたが、前日の自分の言動や突発的に起きた出来事は記憶から消えていた。一過性のものかと思いきや、その日を境にその物忘れは治ることがなかったのである。
ミスティの記憶は現在から近ければ近いほど消えていき、一年ほど過ぎたころふと思い出すことがある。短期記憶は維持できないが、時間が過ぎればなぜか思い出せた。だがそれでは生活をする上でとても面倒で、周囲に迷惑をかける結果となる。
――約束しただろう!
ゲインがたびたびそうやって怒るのは、ミスティがすぐに約束事を忘れるからだ。『物忘れミスティ』という、バカにするようなあだ名をつけられた。本当のことなのでミスティは別に怒りはしなかったし、次の日にはそのあだ名のことも覚えていないから気にも留めなかった。そもそもミスティに怒るという感情がいまいちわからなかった。
毎日の日課は覚えているから、両親のおかげで今のところ不自由なく生活していける。朝はにわとりの声で目覚め、まずは卵の回収から始り、数は少ないながら牧畜も行っているため、牛やヤギなどの家畜の世話に追われた。
両親はミスティをかわいがってくれ、いつも心配ばかりしている。そんなに心配しないでと言っても、特に母親は聞いてくれなかった。
今の生活は両親の助けがあってこそだと思うし、自分よりも先に両親が亡くなって、そこからの自分の未来を考えたこともない。ある意味ミスティの頭の中はお気楽で平和で、他人からしたらなんの悩みもないしあわせな奴と思われるのが常だった。
「風がさわさわ~♪ 僕の髪もふわふわ揺れて~♪」
ミスティは自分で作った独特の音程の曲を口ずさむ。その声は軽やかだが、あっという間に風がさらっていった。どのくらい草原で寝そべって雲を眺めていただろうか。誰かの影がミスティの顔にかかり、それに気づいて目を開いた。
「おい、ミスティ! お前また約束を破ったな! もうこれで何回目だよ!」
怒りに満ちた野太い声が降ってきた。驚いたミスティは、体を跳ね上げるようにして起きて振り返る。そこには長身で体格のいいゲインという男性が立っていた。彼は村長の息子で、いつも威張り散らしている意地悪な奴だ。
「ゲイン……どうしたの?」
立ち上がったミスティは、ゲインの後ろに控える取り巻きの二人、いつも人のご機嫌を伺うような目をしているトリステンとどこか生気のない感じに見える無表情のスティアに目をやった。この二人はゲインの命令には絶対服従で、まるで家来のようなのだ。
「ゲインどうしたの? じゃねーよ。昨日、約束しただろう。今日は朝から村の風車に続く水路を掃除しろってあれほど言ったじゃないか。お前、また忘れたのか?」
「え、そうだっけ? ごめん、また忘れたみたい」
ミスティは頭を掻きながら、へへっと笑うと、ゲインの眉間に深い皺が刻まれる。そしてミスティの細い肩をゲインが突き飛ばしてきた。
「うわっ」
その衝撃を受け止めきれなくて、ミスティはその場に尻もちをついてしまった。しかしそんなことをされてもミスティの中に怒りの感情は湧いてこない。
「イテテテ……」
「お前、ほんとイラつくな。顔を見るだけで殴りたくなる。早く立って掃除しに行けよ!」
ゲインの怒鳴り声に、ミスティは怯えるように目を閉じて肩をすくめる。
(そんなに大きな声で言わなくても聞こえるのに)
心の中でそう呟いてミスティは立ち上がった。忘れたミスティが悪いのは明白だ。これは早めに退散して用水路の掃除をしに行った方がよさそうである。ゲインの怒りがこれ以上大きくなれば、本当に殴られるかもしれない。
「わかったよ。行ってくるから、そんなに怒らないで。ね?」
ミスティがにっこり微笑むと、ゲインのこめかみに見てわかるほどの青筋が浮かび上がった。これ以上はなにも言うまいと、ミスティは慌ててその場から立ち去るのだった。
ミスティの住むククルド村は、小さいながらも貧困とは無縁の豊かな村だ。大きな風車は川から田んぼへ水を送り、小麦はその風車の力を使って粉に挽く。村にはいつも風が吹いていて稲穂を揺らしていた。今は秋から冬に季節が移り変わろうとしている。昼間は暖かいが、日が落ちるとグッと冷え込んだ。
山々の連なりが遠くに見えて、その向こうにはなにがあるのだろうとミスティはいつも思っている。二十一歳になったミスティはもう大人だが、村から出るときは父が一緒でないと許してもらえない。それはミスティの物忘れに原因があった。
ミスティはククルド村が好きだ。ゲインはいつもミスティに強く当たるが、それは約束をすぐに忘れてしまう自分が悪いと思っている。子供のときはこんなに忘れっぽくなかったのに、ここまで忘れるようになったのは、あの夜からだ。
八歳になったある日の夜、散歩に出たミスティは村で自慢の見晴らしのいい丘でキラキラと輝く雨を浴びた。まるで夜空の星が降ってくるかのようで、あまりの美しさに夢ではないかと思うほどだった。星の雨を浴びているときはとてもしあわせでたのしくて、両手を広げて天を仰ぎ見てはしゃいだのだ。
しかしその日からミスティの体に異変が起き始めた。ひと晩寝て、翌朝目が覚めると、前日の記憶がすぽっと抜け落ちていたのだ。両親のことや村人の名前、生活に必要なことは覚えていたが、前日の自分の言動や突発的に起きた出来事は記憶から消えていた。一過性のものかと思いきや、その日を境にその物忘れは治ることがなかったのである。
ミスティの記憶は現在から近ければ近いほど消えていき、一年ほど過ぎたころふと思い出すことがある。短期記憶は維持できないが、時間が過ぎればなぜか思い出せた。だがそれでは生活をする上でとても面倒で、周囲に迷惑をかける結果となる。
――約束しただろう!
ゲインがたびたびそうやって怒るのは、ミスティがすぐに約束事を忘れるからだ。『物忘れミスティ』という、バカにするようなあだ名をつけられた。本当のことなのでミスティは別に怒りはしなかったし、次の日にはそのあだ名のことも覚えていないから気にも留めなかった。そもそもミスティに怒るという感情がいまいちわからなかった。
毎日の日課は覚えているから、両親のおかげで今のところ不自由なく生活していける。朝はにわとりの声で目覚め、まずは卵の回収から始り、数は少ないながら牧畜も行っているため、牛やヤギなどの家畜の世話に追われた。
両親はミスティをかわいがってくれ、いつも心配ばかりしている。そんなに心配しないでと言っても、特に母親は聞いてくれなかった。
今の生活は両親の助けがあってこそだと思うし、自分よりも先に両親が亡くなって、そこからの自分の未来を考えたこともない。ある意味ミスティの頭の中はお気楽で平和で、他人からしたらなんの悩みもないしあわせな奴と思われるのが常だった。
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