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第4章 夏休みは何をするもの?
エントリーシート
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微熱が出ているから、大事をとって横になっているだけだ。
面倒をみてもらうほどのことはなさそうだ。
「こんな暑い日は外よりここでゆっくりしてたほうが、俺も楽なんで気にしないでください。マスターも今日は店が暇そうだから千尋さんのところへいてくれ、って言ってくれたし。」
マスターというのは千尋の父のことだ。商店街の人たちがそう呼んでいるので涼も真似したらしい。
「でも涼はつまんないだろ。こうしてても。」
「千尋さんのそばに少しでも長くいたいから、会いに来てるのに、そんな冷たいことを言わないでよ。」
「でもさ…」
なんか、もったいない。健康で元気で、その上、こんなキラキラしたルックスの涼をこの部屋に閉じ込めておくのが申し訳ない気がしてくる。
街へ行けば、ワーキャー言われて、楽しいことがいっぱいあるだろう。
ベッドに背を預けている涼の後ろ姿をぼんやりと眺める。明るく染めた髪が窓からの光を受けて柔らかく透けて見え、その隙間から白い首筋がのぞいていた。シトラス系の香りがふわりと漂う。ヘアオイルの香りだろうか。首筋まで届く髪ごしに、少し白い肌が見える。
背も高く肩幅も広いせいか、首筋から肩のラインが緩やかでつるんとしている。
こんなところまでも綺麗なんだな、とつい見入ってしまう。
「おでこのシート、そろそろ替え時かな」
涼が振り向いて、千尋のおでこの熱さましのシートをはがす。
「熱は少し下がってきたみたいですね。」
新しいシートを貼り直したあと、涼の指が千尋の髪をなでる。
その手つきが、「いい子いい子」と子どもをあやすみたいだが、どこか、壊れ物に触れるみたいな慎重さがある。
「……」
「なに?」
いきなり、髪を撫でられてびっくりして目をそらせずにいると、涼が笑って問い返してきた。
「近いって…」
「意識しすぎて、俺のこと好きになっちゃった?」
「…おっ、おまえ、ふざけるなよ…」
「ははっ…また熱上がったら困るし。汗は…大丈夫かな」
軽く笑いながら、千尋の髪をなでていた手が次は頬を撫で、ちょっと光彩が薄い瞳がじっと、千尋の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫。」
涼は自然な動きでやっているのだろうが、恋愛階差というか経験値の差を思い知らされてしまう。いや、そもそも、涼はボディタッチが多い。アメリカ育ちだからなのだろうか。
「それより、熱があるのに、寝ながら何してるんですか?ゲーム?」
涼がベッドのヘッドボードとマットレスの隙間に手を入れて、千尋が隠していたタブレットを引っ張り出していた。
「ゲームじゃねえよ。これ。」
千尋は上体を起こしてタブレットを取り返すと、画面をタップして涼に差し出した。
「あー、就活のエントリーシートか。俺、見てもいいの?」
「いいよ。…気づいたら締め切りギリギリでさ」
大学4年の夏。理系、それもIT寄りの専攻なら就職は売り手市場だ。大学の友達たちは、かなり前に内定を勝ち取っているが、それなのにまだ内定は一つも取れていなかった。
「ここ、業界大手なのに、フルリモート可なんだよ。だから、どうしてもエントリーしたいんだ。」
選んで受けているのは、全部、フルリモートが出来る企業。朝夕の通勤ラッシュに揺られて毎日出社するだけの体力は千尋にはないだろう。そもそも、それを見越して理工学部を選んだくらいだ。譲れない条件だからこそ、応募できる企業は少なかった。
「あの、俺が言うことじゃないのはわかってるけど、この欄、こんなに正直に書く必要があるんですか?これって、「良好」の一言でいいでしょ、普通。」
涼がタブレットの画面を指差した。エントリーシートの「健康状況」の欄だ。
エントリーシートにかなりの確率で登場する項目だ。
『幼少期に心臓の治療歴があり、現在は主治医の管理のもと、体調管理には十分に配慮して生活していれば、日常生活には問題がありません。』
考えに考えて、この文章に落ち着いた。
「うん、わかってる。健康とか、良好とかって書いておけばいいんだろうな。」
「じゃ、なんでそうしないんですか?あえてマイナスになることを書くことないでしょ。」
涼の言うことは本当にその通りで、千尋自身もよくわかっていることだ。
いつだって、この欄をみるたびに「良好」という2文字だけを書き込みたくなる。そして、そうしたほうが、きっとよい結果に結びつくだろうということもわかってる。
「でも事実だろ。今日だって、こうして寝込んでる。健康状況が“良好”なわけじゃない。」
「そんなの黙ってれば、誰も気づかないじゃないですか。…あえて合格しないようにしてるとしか見えないんだけど。」
珍しく涼の声が強めに響く。それだけ本気で心配してくれているのが伝わる。
「…うん。でも、嘘をつくのは嫌だ。」
その一言に、涼の表情がふっと陰った。眉尻が下がって、一瞬で悲しそうな顔になる。
「…千尋さんの考えがあってのことなんだろうけど…ごめん。言いすぎた。」
「いいって。心配してくれてるんだろ。」
千尋がそう言うと、涼は小さくうなずき、そっと千尋の手を握った。ひんやりした手のひらが重なって、温度がじわりと伝わる。
「俺も悩んだよ。でもさ、“良好”って書いて就職が決まって、いざ働き始めてから『実は病気なんです』って言うのって、やっぱ、ダメだろ。」
「…うん。」
「それにさ、自分のことを自分で誤魔化すのって、嫌なんだよ。だってそれは、自分の人生が、嘘をつかなきゃ生きられないって認めるみたいじゃん。…それはいやなんだ。」
涼は黙ったまま千尋を見ていた。その瞳は戸惑いと切なさが入り混じっていて、何か言いかけては飲み込むように揺れていた。やがて息を吐くように小さく笑って、でも笑顔はどこか不安げだった。
「すごいな。千尋さんは。」
涼がベッドの端に腰を下ろし、千尋を抱き寄せる。
「すごく強い。」
「強くなんかない。ただ、こういう状況に慣れてるってだけ。」
面倒をみてもらうほどのことはなさそうだ。
「こんな暑い日は外よりここでゆっくりしてたほうが、俺も楽なんで気にしないでください。マスターも今日は店が暇そうだから千尋さんのところへいてくれ、って言ってくれたし。」
マスターというのは千尋の父のことだ。商店街の人たちがそう呼んでいるので涼も真似したらしい。
「でも涼はつまんないだろ。こうしてても。」
「千尋さんのそばに少しでも長くいたいから、会いに来てるのに、そんな冷たいことを言わないでよ。」
「でもさ…」
なんか、もったいない。健康で元気で、その上、こんなキラキラしたルックスの涼をこの部屋に閉じ込めておくのが申し訳ない気がしてくる。
街へ行けば、ワーキャー言われて、楽しいことがいっぱいあるだろう。
ベッドに背を預けている涼の後ろ姿をぼんやりと眺める。明るく染めた髪が窓からの光を受けて柔らかく透けて見え、その隙間から白い首筋がのぞいていた。シトラス系の香りがふわりと漂う。ヘアオイルの香りだろうか。首筋まで届く髪ごしに、少し白い肌が見える。
背も高く肩幅も広いせいか、首筋から肩のラインが緩やかでつるんとしている。
こんなところまでも綺麗なんだな、とつい見入ってしまう。
「おでこのシート、そろそろ替え時かな」
涼が振り向いて、千尋のおでこの熱さましのシートをはがす。
「熱は少し下がってきたみたいですね。」
新しいシートを貼り直したあと、涼の指が千尋の髪をなでる。
その手つきが、「いい子いい子」と子どもをあやすみたいだが、どこか、壊れ物に触れるみたいな慎重さがある。
「……」
「なに?」
いきなり、髪を撫でられてびっくりして目をそらせずにいると、涼が笑って問い返してきた。
「近いって…」
「意識しすぎて、俺のこと好きになっちゃった?」
「…おっ、おまえ、ふざけるなよ…」
「ははっ…また熱上がったら困るし。汗は…大丈夫かな」
軽く笑いながら、千尋の髪をなでていた手が次は頬を撫で、ちょっと光彩が薄い瞳がじっと、千尋の顔を覗き込んだ。
「……大丈夫。」
涼は自然な動きでやっているのだろうが、恋愛階差というか経験値の差を思い知らされてしまう。いや、そもそも、涼はボディタッチが多い。アメリカ育ちだからなのだろうか。
「それより、熱があるのに、寝ながら何してるんですか?ゲーム?」
涼がベッドのヘッドボードとマットレスの隙間に手を入れて、千尋が隠していたタブレットを引っ張り出していた。
「ゲームじゃねえよ。これ。」
千尋は上体を起こしてタブレットを取り返すと、画面をタップして涼に差し出した。
「あー、就活のエントリーシートか。俺、見てもいいの?」
「いいよ。…気づいたら締め切りギリギリでさ」
大学4年の夏。理系、それもIT寄りの専攻なら就職は売り手市場だ。大学の友達たちは、かなり前に内定を勝ち取っているが、それなのにまだ内定は一つも取れていなかった。
「ここ、業界大手なのに、フルリモート可なんだよ。だから、どうしてもエントリーしたいんだ。」
選んで受けているのは、全部、フルリモートが出来る企業。朝夕の通勤ラッシュに揺られて毎日出社するだけの体力は千尋にはないだろう。そもそも、それを見越して理工学部を選んだくらいだ。譲れない条件だからこそ、応募できる企業は少なかった。
「あの、俺が言うことじゃないのはわかってるけど、この欄、こんなに正直に書く必要があるんですか?これって、「良好」の一言でいいでしょ、普通。」
涼がタブレットの画面を指差した。エントリーシートの「健康状況」の欄だ。
エントリーシートにかなりの確率で登場する項目だ。
『幼少期に心臓の治療歴があり、現在は主治医の管理のもと、体調管理には十分に配慮して生活していれば、日常生活には問題がありません。』
考えに考えて、この文章に落ち着いた。
「うん、わかってる。健康とか、良好とかって書いておけばいいんだろうな。」
「じゃ、なんでそうしないんですか?あえてマイナスになることを書くことないでしょ。」
涼の言うことは本当にその通りで、千尋自身もよくわかっていることだ。
いつだって、この欄をみるたびに「良好」という2文字だけを書き込みたくなる。そして、そうしたほうが、きっとよい結果に結びつくだろうということもわかってる。
「でも事実だろ。今日だって、こうして寝込んでる。健康状況が“良好”なわけじゃない。」
「そんなの黙ってれば、誰も気づかないじゃないですか。…あえて合格しないようにしてるとしか見えないんだけど。」
珍しく涼の声が強めに響く。それだけ本気で心配してくれているのが伝わる。
「…うん。でも、嘘をつくのは嫌だ。」
その一言に、涼の表情がふっと陰った。眉尻が下がって、一瞬で悲しそうな顔になる。
「…千尋さんの考えがあってのことなんだろうけど…ごめん。言いすぎた。」
「いいって。心配してくれてるんだろ。」
千尋がそう言うと、涼は小さくうなずき、そっと千尋の手を握った。ひんやりした手のひらが重なって、温度がじわりと伝わる。
「俺も悩んだよ。でもさ、“良好”って書いて就職が決まって、いざ働き始めてから『実は病気なんです』って言うのって、やっぱ、ダメだろ。」
「…うん。」
「それにさ、自分のことを自分で誤魔化すのって、嫌なんだよ。だってそれは、自分の人生が、嘘をつかなきゃ生きられないって認めるみたいじゃん。…それはいやなんだ。」
涼は黙ったまま千尋を見ていた。その瞳は戸惑いと切なさが入り混じっていて、何か言いかけては飲み込むように揺れていた。やがて息を吐くように小さく笑って、でも笑顔はどこか不安げだった。
「すごいな。千尋さんは。」
涼がベッドの端に腰を下ろし、千尋を抱き寄せる。
「すごく強い。」
「強くなんかない。ただ、こういう状況に慣れてるってだけ。」
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