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本編

47 キミノヒカリ2

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コトネ、佐々木琴音は、この世界に喚ばれる前の名前だ。

母が長年、琴を嗜んでいたためこの名を付けたと聞いている。30年近くの付き合いだが、想像を超えたこの世界に来てから、驚くことに自分でも忘れかけていた。

まさか今、このタイミングでこの名前を呼ばれるとは本当に思いもしなかった。アナスタシアとして振舞おうと意識していたので、今となっては元の名前で呼ばれるほうが違和感がある。

「コトネ、聞いて。」

もう一度、名前を呼ばれる。息がかかるくらいの距離にどきりと心臓が鳴る。

「残酷なことを言うけど、君は元の世界には戻れないうえ、これからその容姿や魔力を多くの人から狙われることになる。常に男から欲や悪意を含んだ目で見られるし、想像以上に不自由な生活を強いられると思う。」

ゆっくりと、一言ひとことを噛みしめるようにルーはわたしに告げた。敢えての名前を呼んでわざわざ説明するのは、目を背けずに覚悟を決めろと言い聞かせているのかもしれなかった。

きっと彼には、この先何が起こるのかが容易に想像できるのだろう。

逆にわたしのほうは、言われたことに今一つ実感が湧かなかった。元の世界に戻れないことは心が痛むが、自分なりに心の整理はつけたつもりだ。狙われると言われても、そこまで心配しなくても大丈夫じゃないかという楽観的に考えていたのだ。

そんな緊張感がない様子を見て、ルーはおもむろににわたしの手首を掴んで引っ張った。

「痛っ。」

急に乱暴にされて驚き、悲鳴のような声が出る。掴まれた箇所が痛い。

「例えば、庭を歩いていたらこういう感じで引きずられて監禁されるかもしれない。拉致されて薬漬けで正気を失うまで強姦されることも、鎖につながれて慰み者として一生を過ごす可能性だってある。後宮に保護されている限りは大丈夫だと思うけど、それすら絶対安全とは言い切れない。」

そこまで説明されて、ようやくルーが何を心配しているのかを理解した。同時に、気まぐれかと思ったアレクの提案がわたしの身の安全を考慮してくれた結果でもあったのかと思い知る。

美しい外見を持ち、魔力だけあって使いこなせないわたしは、この世界の人間にとっていい獲物だろう。

「ただでさえ無尽蔵に魔力を呑み込む特異体質な上に、こんな無防備で疑うことを知らなくて、、、。はっきり言って君を連れ去るのなんて造作もないよ。もう少し用心深くなったほうがいい。」

「・・・わかった。気を付ける。」

少し苛立ったような言葉を聞き、下を向いて小さな声で返事をする。それを聞いてルーは溜息をつき、くしゃりと銀色の髪をかきあげた。左耳に飾られたオニキスのイヤーカフが揺れる。

「ああもう違う、こんなことを言いたいんじゃない。ごめん、乱暴にして。でもどこか君は他人事みたいに思っている気がして。きっとアレクはアナスタシアの存在を消して君に新しい名前と生活を用意するつもりだよ。僕にはそれが最善かどうかはわからない。でもこの先の人生を決めるのは、コトネ自身であるべきだと思う。後々禍根を残さないためも。」

さらりと口から出た不穏な言葉に、痛みも忘れて驚く。

「アナスタシアの存在を消すって、そんなことできるの?」

「王の権力をもってすれば可能だよ。セイが文句を言うだろうけど、合理的だと思えばやるよ、あいつは。」

人ひとりの存在をなくすなんて出来るんだろうか?というわたしの疑問に、ルーはこともなげに答えた。

そんなことないと思いたいけど、あの王様のあの感じだと、最善の選択だと判断すれば迷わずやるんだろうなとも思う。たとえ誰かが悲しむとわかっているとしても。

アナスタシアという少女の存在は、鮮烈であると同時に、ひどく希薄でもある。脳内に残る記憶を辿っても、男を惑わす悪女というイメージばかりが独り歩きして本当の彼女を知る人はわずかだ。だからひっそりとその存在を消しても受け入れられるのかもしれない。・・・ただ1人を除いて。

『貴方はアナスタシアとして生きていくしかないんです。』というセイの苦しそうな表情が蘇る。

わずかでも残る彼女の残滓をいつまでも追い求めている、とても、かなしい人だ。自分の中で決着がつかないままで捨てきれない想いの行き先がなくなってしまったら、今以上に辛いに違いない。

それに他人の魂が共にある、という実感は持てないが、わたしが彼女の記憶を引き継いでいるのは事実だし、自分でも理解できない感情を持て余すときがある。

『とても大切にしたい』
『幸せになってほしい』

泣きたいような、狂おしいような、セイに対する強い想いだ。

きっとセイが彼女を想っているのと同じように、彼女もセイのことを想っていたはずだ。言葉にはしなかっただけで。

そんな奥底に沈む彼女の気持ちを尊重すると、アナスタシアとして生き、セイとの未来を選ぶべきだろう。

でも「わたし」にとってそれが最適解かと問われると、言葉に詰まる。

もちろんセイのことは嫌いではない。あんな美青年に、あれだけわかりやすい好意を向けられて心ときめかない女性なんているわけがない。

(・・・それでも、わたしは)

躊躇する理由なんて、ひとつしかない。

わたしは目の前にいる銀色の髪と深紅の瞳を持つ魔術師の姿を改めて見つめた。
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