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本編

68 舞踏会へようこそ3 【side イヴァン】

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「え? わたし、行ってもいいんですか?」

アナスタシア嬢は、金色の瞳をきらきらと輝かせて尋ねた。目覚めてからは王宮から一歩も外に出たことがないはずなので興味があるのだろう。キリル公国に赴くこと自体に拒否感はなさそうでほっとした。

「もちろんですよー。綺麗な景色もいっぱいありますし、よろしければ公国うちの伝統衣装も着てみていただきたいです。きっとお似合いになりますよー。」

「あの、ア・・陛下からイヴァン殿下との婚約は白紙になったと伺いましたが、、、」

「それが、まだ書類上は婚約状態のままなんですよねー。だから一度お越しいただいて、いろいろ手続きしてもらえるとありがたいんですよねえ。あと元のアナスタシア様のお荷物もお預かりしていますからね。ぜひ受け取っていただけると助かります。」

猫なで声でラジウスが勧誘する。裏の意図を綺麗に隠した笑顔が恐ろしい。何もわかっていないアナスタシア嬢は、ラジウスが身に着けている衣装をじっと見つめている。俺のよりも簡素ではあるが同じようなデザインのカフタンは、十分魅力的に映ったらしい。

「うう、こんな衣装わたしも着てみたいなあ・・・でもお妃契約は外出制限とかありそうだけど大丈夫かな・・・?」

「待て、姫。それは言ってはいけな・・」と俺が制止するよりも早く、ラジウスが言葉を重ねる。

「えええ? 姫さまって契約してお妃様になったんですね? じゃあ、アレクセイ陛下のことを愛しているとかじゃないってことですよねー?」

獲物を釣り上げたかのような顔をしたラジウスのカマかけに全く姫は気づいていない。なおかつ手渡されたグラスの中身を何の躊躇もなく口を付けた。こくり、と形の良い喉が動く。「あ、あまくておいしい」と呟きながら、こくこくと液体を飲み干した。若干顔が赤らんでいる気がする。アルコールには強くないのかもしれない。

「はい、期間限定の契約なんですよ。でもお城の外に出るとなるとアレクの許可はいりますよねー」

心なしか、とろりと潤んだ瞳でラジウスを見つめる。うっすらと開いた唇は瑞々しく、上気した頬はおそろしく艶めかしい。並の男だったら色香に迷って押し倒してしまいそうだ。

裏心を綺麗に隠して、砂糖菓子のような甘い笑顔でラジウスが答えた。

「大丈夫ですよー、イヴァン殿下から陛下に伝えてもらいますんで。っと姫様、ちょっと酔ってしまったんじゃないですか? 少し横になるといいかもですよー」と言いながら、姫の耳元に顔を近づけた。

『おやすみなさい、よい夢を。』

囁くような声で言葉を紡ぐと、こてりと姫の目が閉じた。

「・・・ラジウス、お前、いま魔力を使っただろう。」

「ちょっとだけですよう。だって姫様ってば大層お疲れで、いい感じにアルコールも入っちゃって、ちょーっとだけ後押しするだけでぐっすり夢の中ですよ。かわいいですねえ。」

ラジウスは「言霊使い」だ。発する言葉が人を縛る。敵に「動くな」と命じれば、ほとんどの人間は指1つ動かすことはできなくなる。言霊使いの命は魔力が強い者や強い意思を持った者には効きにくいと言われるが、今のところラジウスに逆らえる人間は数人しか見たことがない。アナスタシア嬢は魔力量は格段に多いが、疲れていたうえ酒も入ったのでころりと効いてしまったのだろう。

自分の身体にもたれかかるようにさせながら、額に、頬に、細い手に。ラジウスは俺を挑発するように視線を合わせながら、ちゅっ、とリップ音を立てて口づけを落としていく。「ちょっとだけ味見したいなー」とふざけたことを言いながら彼女の柔らかさを堪能するようにドレスの上から撫でまわす。さすがに唇にはしなかったので黙っていたが、内心は俺ができないことを軽々としてしまうラジウスに嫉妬していた。

「アレクになんて言われるか」

わざと顰め面をして言い放つと、ラジウスは無邪気とも見える笑顔を見せた。

「ほんとにヘタレなんですから、わが主ってば。こんなに魅了の魔力駄々洩れのお姫様を野放しにしているアレクセイ陛下に隙がありすぎなんですよ。とにかく公館にさえ連れてってしまえば我々の勝ちです。さ、これから殿下は気分が悪くなったご婦人をお送りしなくてはいけませんからね、ちゃんとしてくださいね。」

悪だくみを思いついたラジウスを止めることはできなかった。罪悪感はあるが、自分の中にもう少しだけ一緒にいたいという気持ちがあったこともある。アレクには後できちんと謝ろうと思いつつ、眠るアナスタシア嬢に厚手のヴェールを掛け、抱きかかえて馬車まで運んだ。






屋敷に着き、アナスタシア嬢を抱きかかえたまま客室へ運んだ。見かねた使用人が代わりに運ぶと申し出たが、他の人間には彼女を触らせたくなかったのでやんわりと断った。

振動を与えないよう、細心の注意を払い廊下を歩く。男性とは違うやわらかな肌の感触と甘い香りにクラクラする。前を歩くラジウスが静かにドアを開け、部屋の中に入った。

天蓋付きのベッドに丁寧に彼女を横たえる。あの時一目ぼれした女性が自分のすぐ傍で眠っているなんて夢のようだった。

「うーーん、かわいいですねえ。」

目を細めてラジウスが笑う。アナスタシア嬢のことは大層気に入ったようだ。

「あーあ、ヘタレ殿下のことを好きになってくれないですかねー。」

「やめろ、お前が言うと洒落にならん。」

「魔力は使ってないから大丈夫ですよう。でも眠っている間に何度も言い聞かせたら刷り込まれるかもしれませんねえ。もう少ししたら『起こして』あげますからねー。」

くすくすと笑いながら、眠る彼女の頬に口づける。スキンシップが激しいラジウスにとって、口づけは特別なことではないようだ。俺の焦燥など気づかないかのように、隙さえあればこいつは彼女の身体に触れている。

言いたいことを呑み込んで、音を立てないようにして近くの椅子に座った。

「──で? どんな策があるというのか教えてもらおうじゃないか。」

俺の言葉を聞いて、ラジウスがにやりといたずら猫のように笑った。
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