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本編
110 彼女のハジメテ1 【sideルー】
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古い本が山と積まれた書斎に入り、ドアを閉める。カビくさい標本や滅びた帝国の歴史書などに埋もれて、僕は小さく息を吐いた。
「・・・つかれた。」
自分でお茶を淹れるのも億劫なので、侍女に用意してもらったティーワゴンから紅茶を注ぐ。いつも通りの部屋に戻って、ようやく日常に戻ったことを実感した。
キリル公国から帰国してから1週間。アレクは突然の隣国訪問で滞ってしまった大量の業務を捌くため、1日中仕事に追われている。もちろん補佐であるセイも同じように忙しい。僕も残務処理やらなんやらで別室でカンヅメになり、ようやく今日になって自室に戻ってこれたというわけだ。
シアは、帰国してから本格的に後宮内で生活することになった。いつでも遊びには行けるけれど、隣の部屋には誰もいなくなってしまった。
がらんとした部屋。いつか彼女が戻ってくるかもと期待して、全てそのままの状態にしてある。好きだった香水、女性向けのファブリック、飾られた花々。今までとなにひとつ変わらない。
ドアを開けると、いつもみたいに僕を呼ぶ声が聞こえてくる気がするほどに。
(でも・・・もう、僕だけのものじゃない)
なんだか物理的だけじゃなくて心理的にも距離が遠くなってしまった気がする。空虚? 落胆? なんて表現すればいいのかわからない。酸素が足りなくて必死にもがく、水槽に住む魚みたいだとも思う。
僕は無性にむしゃくしゃして、仮眠用のベッドにダイブした。
その日の夕方、さんざん昼寝した僕は気分転換を兼ねて後宮を訪れた。国によっては後宮は男子禁制だったりするけど、この国は先王の時代に法律が変わり、許可証さえあれば男性でも入れるようになっている。
ただ後宮とは言ってもアレクに他の妃はおらず、またシア本人が多くの侍女にかしずかれるのを好まないこともあり、全体的に人が少なく静かだった。
衛兵に許可証を見せて中に入って、まっすぐにシアがいる建物へと足を向ける。途中からは侍女に先導され、側妃が住む棟へと入る。
数日ぶりに会うシアは、僕を見るとうれしそうに駆け寄ってきた。歓迎されていることを実感してうれしくなる。
(あれ?)
ふわりと香る、甘いにおい。いつもと同じだけど、何か違う。
とくだん着飾っているわけではないけれど、心なしかシアはいつもより綺麗に見えた。
磨き抜かれた肌は内面から光り輝くようだし、ゆるくねじってまとめられた濃紺の髪は艶めいて、頭のてっぺんから爪先まで手入れされているのがよくわかる。
彼女が身につけているのは、シンプルながら上質な素材で作られたシルクデシンのワンピース。襟元と袖には伝統工芸品として保護されているハルニカレースが使われており、細かな文様が美しい。王家だけが使用できる独特のモチーフで編まれていることから特注品に違いない。
どれだけ王に寵愛されているかを周囲に知らしめるための装いでもあり、同時に彼女に無礼な態度を働かないように牽制するための装備とも見て取れた。
さきほど案内してくれた侍女とは別の、いかにも有能そうな侍女がてきぱきと休憩の用意を整えてくれた。準備を終えると一礼してすっと退出する。
何も言わずに扉は閉められていた。これで部屋にはふたりきりだ。
ほかほか湯気が出ているカップに口をつけたシアは、気を抜いたように、んーっと伸びをした。
「今日は朝からずっと本とにらめっこだったから、ルーが来てくれてよかった。」
「へー、何の本を読んでたの?」
ああ、と言ってシアが机の上から取ってきて見せてくれたのは、子ども用の魔力操作教本だった。初歩の初歩ともいえる内容で、この国では子どもが最初に学ぶ教本でもある。
「こんなのやってるんだ。シアの場合はからだが憶えているから、すぐにできると思うけどなあ。」
「うん、でもセイが、まずは基礎から始めましょうって。」
セイは特殊な事情から自分で魔力を行使する機会はほとんどないが、保有している魔力量自体は多い。さらに魔力に長けたゼレノイ家出身だけあって教師にはうってつけだ。
元のアナスタシア嬢の魔力制御スキルはかなりのものだったはずで、彼が、知識や経験をそのまま引き継いでいるシアに基礎からやり直しさせるのは意外だった。
「なんとなく感覚でできるような気もするんだけど、理論はちゃんと押さえておいたほうが後々応用がきくからって・・・」
おみやげにもらったキリル公国産の緑茶とほろほろと口の中でくずれるクッキーを味わいつつ、心地よいシアの声に耳を傾ける。
しばらくたわいもないおしゃべりが続いた後、ふいにシアの表情が翳った。
「わがまま言うとね、前みたいにルーがずっと傍にいてくれたらいいのになあって。」
こくん、と緑茶を飲んでから、金色の瞳をゆらめかせて少し寂しそうにつぶやく。
(なんだ、一緒なんだ)
僕だけじゃなかった。そんな些細なことで、冷たく虚ろな心が温かなもので満たされる。知らず知らずに僕の声は弾んだ。
「アレクは? 会いにくるんじゃないの?」
「うん、日中はときどき顔を見せてくれるけど、すぐに帰っちゃう。セイも一緒に来てくれるけど、1時間もいないんじゃないかなあ。ふたりとも顔が疲れているし、なにも手伝えないのが申し訳ないくらい。」
「戻って来ればいいのに。」
「ふふ、いつまでもルーのこと独占してたら怒られるからね。」
僕の誘いをするりと受け流して、シアはあきらめたみたいに笑った。
「・・・つかれた。」
自分でお茶を淹れるのも億劫なので、侍女に用意してもらったティーワゴンから紅茶を注ぐ。いつも通りの部屋に戻って、ようやく日常に戻ったことを実感した。
キリル公国から帰国してから1週間。アレクは突然の隣国訪問で滞ってしまった大量の業務を捌くため、1日中仕事に追われている。もちろん補佐であるセイも同じように忙しい。僕も残務処理やらなんやらで別室でカンヅメになり、ようやく今日になって自室に戻ってこれたというわけだ。
シアは、帰国してから本格的に後宮内で生活することになった。いつでも遊びには行けるけれど、隣の部屋には誰もいなくなってしまった。
がらんとした部屋。いつか彼女が戻ってくるかもと期待して、全てそのままの状態にしてある。好きだった香水、女性向けのファブリック、飾られた花々。今までとなにひとつ変わらない。
ドアを開けると、いつもみたいに僕を呼ぶ声が聞こえてくる気がするほどに。
(でも・・・もう、僕だけのものじゃない)
なんだか物理的だけじゃなくて心理的にも距離が遠くなってしまった気がする。空虚? 落胆? なんて表現すればいいのかわからない。酸素が足りなくて必死にもがく、水槽に住む魚みたいだとも思う。
僕は無性にむしゃくしゃして、仮眠用のベッドにダイブした。
その日の夕方、さんざん昼寝した僕は気分転換を兼ねて後宮を訪れた。国によっては後宮は男子禁制だったりするけど、この国は先王の時代に法律が変わり、許可証さえあれば男性でも入れるようになっている。
ただ後宮とは言ってもアレクに他の妃はおらず、またシア本人が多くの侍女にかしずかれるのを好まないこともあり、全体的に人が少なく静かだった。
衛兵に許可証を見せて中に入って、まっすぐにシアがいる建物へと足を向ける。途中からは侍女に先導され、側妃が住む棟へと入る。
数日ぶりに会うシアは、僕を見るとうれしそうに駆け寄ってきた。歓迎されていることを実感してうれしくなる。
(あれ?)
ふわりと香る、甘いにおい。いつもと同じだけど、何か違う。
とくだん着飾っているわけではないけれど、心なしかシアはいつもより綺麗に見えた。
磨き抜かれた肌は内面から光り輝くようだし、ゆるくねじってまとめられた濃紺の髪は艶めいて、頭のてっぺんから爪先まで手入れされているのがよくわかる。
彼女が身につけているのは、シンプルながら上質な素材で作られたシルクデシンのワンピース。襟元と袖には伝統工芸品として保護されているハルニカレースが使われており、細かな文様が美しい。王家だけが使用できる独特のモチーフで編まれていることから特注品に違いない。
どれだけ王に寵愛されているかを周囲に知らしめるための装いでもあり、同時に彼女に無礼な態度を働かないように牽制するための装備とも見て取れた。
さきほど案内してくれた侍女とは別の、いかにも有能そうな侍女がてきぱきと休憩の用意を整えてくれた。準備を終えると一礼してすっと退出する。
何も言わずに扉は閉められていた。これで部屋にはふたりきりだ。
ほかほか湯気が出ているカップに口をつけたシアは、気を抜いたように、んーっと伸びをした。
「今日は朝からずっと本とにらめっこだったから、ルーが来てくれてよかった。」
「へー、何の本を読んでたの?」
ああ、と言ってシアが机の上から取ってきて見せてくれたのは、子ども用の魔力操作教本だった。初歩の初歩ともいえる内容で、この国では子どもが最初に学ぶ教本でもある。
「こんなのやってるんだ。シアの場合はからだが憶えているから、すぐにできると思うけどなあ。」
「うん、でもセイが、まずは基礎から始めましょうって。」
セイは特殊な事情から自分で魔力を行使する機会はほとんどないが、保有している魔力量自体は多い。さらに魔力に長けたゼレノイ家出身だけあって教師にはうってつけだ。
元のアナスタシア嬢の魔力制御スキルはかなりのものだったはずで、彼が、知識や経験をそのまま引き継いでいるシアに基礎からやり直しさせるのは意外だった。
「なんとなく感覚でできるような気もするんだけど、理論はちゃんと押さえておいたほうが後々応用がきくからって・・・」
おみやげにもらったキリル公国産の緑茶とほろほろと口の中でくずれるクッキーを味わいつつ、心地よいシアの声に耳を傾ける。
しばらくたわいもないおしゃべりが続いた後、ふいにシアの表情が翳った。
「わがまま言うとね、前みたいにルーがずっと傍にいてくれたらいいのになあって。」
こくん、と緑茶を飲んでから、金色の瞳をゆらめかせて少し寂しそうにつぶやく。
(なんだ、一緒なんだ)
僕だけじゃなかった。そんな些細なことで、冷たく虚ろな心が温かなもので満たされる。知らず知らずに僕の声は弾んだ。
「アレクは? 会いにくるんじゃないの?」
「うん、日中はときどき顔を見せてくれるけど、すぐに帰っちゃう。セイも一緒に来てくれるけど、1時間もいないんじゃないかなあ。ふたりとも顔が疲れているし、なにも手伝えないのが申し訳ないくらい。」
「戻って来ればいいのに。」
「ふふ、いつまでもルーのこと独占してたら怒られるからね。」
僕の誘いをするりと受け流して、シアはあきらめたみたいに笑った。
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