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<水無瀬葉月>
もし世界最後の日がくるとしたら
翌朝、朝ごはんとお弁当を作って遼平さんを起こす。
美味しいって褒めてくれながら、ご飯を二杯もお変わりして残さず食べてくれた。
スーツでびしっと決めて、黒タイル張りの玄関ポーチに立った遼平さんが僕に鍵を差し出した。
「葉月、これ、合鍵な。外に出るときは絶対に持って出ろよ。困った事があったらすぐ連絡してくれ。俺の携帯番号を書いた紙は持ってるか?」
「うん。大丈夫。遼平さんの番号は覚えてるから」
「インターフォンが鳴っても出なくていい。電話は、俺か、二本松か、静の名前が表示されたときにだけ出てくれ。他は無視して構わない。はい、俺の言った事を復唱して」
「えと、外に出るときは合鍵は絶対持って出る、インターフォンが鳴っても出なくていい、電話は、相手が遼平さんか二本松さんか静さんの場合だけ出る。だよね」
「一つ忘れてるぞ」
「え?」
「困った事があったらすぐ連絡。これが一番大事だ」
「でも、仕事中に連絡するなんて……」
「遠慮しないでいいから必ず連絡しろ。約束してくれると俺も安心できる」
「わかりました……」
「よし。じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい!」
こんな広い家に一人で留守番なんて寂しい。
でも、遼平さんが心配しないで住むように笑顔で手を振った。
「……」
「どうかした?」
「可愛い嫁さんに見送って貰えるのがこんなに嬉しいなんてな……!」
ふふ。遼平さんは相変わらず冗談が好きなんだな。
「いってらっしゃい、あなた。早く帰ってきてね」
ふざける遼平さんに僕もふざけ返す。
「葉月……!!」
「ふわ!?」
遼平さんの腕が伸びてきたから反射的に床を蹴って後ろに逃げた。
逃走は間に合わずに腕に絡め取られ、遼平さんの体に体がぎゅうぎゅうに密着した。
「ぅ、う」
何度も何度も抱き締められてるのに、シチュエーションが違うとやっぱり何度でも何度でも緊張してしまう。
でも、前よりは慣れてきたかも。
前は心臓麻痺になりそうなぐらい心臓が痛かったけど、今日はドキドキするだけだ。
緊張するけど、遼平さんに抱き締めてもらうのは安心する。
腕に力を入れる。
古びたロボットみたいにギシギシ動きながら、僕も遼平さんの背中を抱き締めた。
うわぁ。
遼平さんって体大きいなあ。
判りきってたはずなのに、こうやって触ると改めて実感するよ。
遼平さんが僕を抱き枕にしたがる理由がわかったかも。
人を抱き締めると抱き締められる以上に安心する。
う?
遼平さんの指が僕の顎をくいって上げた。
キスだ!
「うわぁああ!」
顔を伏せジタバタ暴れて抵抗する。
「旦那様にいってらっしゃいのキスは?」
「し、しません、駄目です」
「してくれないと離さない」
「ええええ!? 遅刻するよ!?」
「遅刻しても離さない」
えええええ!?
り、遼平さんが駄目な大人になった……!?
どどどうしよう。
きき、キスなんてキスなんて。
「やっぱり俺とキスをするのは嫌だったのか?」
傷ついた小さな声に慌てて首を振った。
「嫌じゃない! 嫌じゃないけど、出来ないよ……!」
「唇じゃなくていい。頬ならどうだ?」
頬!?
遼平さんの腕は緩まない。
時間は刻一刻と過ぎていく。僕のせいで遅刻させるわけにはいかない。
か、覚悟を決めないと。
ぎくしゃくしながら顔を上げ息を止めて――――遼平さんの頬に唇を押し当てた。
「うぅ~~~」
即座にキスした場所を袖で拭く。
「こら、拭くな拭くな!」
「拭くよ! 消毒液で拭きたいぐらいだよ!」
「せっかくのキスなのに……って、今のはキスでもなかったけどな。スタンプみたいにぽんって押し当てただけだったろ。ちゅって吸わないとキスじゃないんだぞ」
「でででで出来るわけないよおお!!」
「して欲しいのに」
遼平さんは不満そうだったけど、腕の力が緩んだ。
やっと離して貰えた……。
ホッと息を吐く。
油断したまさにその瞬間に。
ちゅ。
僕の頬に、キスをされた。
「びゃっ!?」
びっくりしすぎて反射的に逆方向に逃げ飛び、ゴンッと靴箱の角で頭をぶつけてしまった。
「イタイ……」
打った場所を押さえてしゃがみ込む。
「おい、すげーいい音したぞ。大丈夫か?」
遼平さんが油断した隙に、また、僕がキスをした場所を袖でガシガシと拭く。
「くそ、やられた……。葉月のスタンプキスの感触が袖のわしゃわしゃ感に完全に掻き消された……」
良かった……!
「遅刻しちゃうよ、行ってらっしゃい!」
遼平さんの広い背中を押す。
ぐぎぎぎぎぎ……!
腕がぶるぶるするぐらい力一杯押しても長身の体は全く動かなかった。
「りょうへいさん……!!」
遼平さんはくくって喉の奥で笑ってから、ようやく歩き出す。
「じゃ、行ってくるな」
「行ってらっしゃい……」
ドアを開けて外に出る。
普通、ドアを出たら後ろを振り返らずにそのまま閉める。
なのに遼平さんは回れ右して僕と視線を合わせながら締めてくれた。
「!?」
僕がキスした所に、黒い染みができてた。
ヘドロに似た汚い黒いそれが、繁殖するバクテリアみたいに一気に広がって遼平さんの体が真っ黒に覆われていく!
「り――遼平さん!!!」
僕は靴も履かずに玄関に飛びついて、閉まりかけたドアを開いた。
「どうした?」
遼平さんが不思議そうに言った。
「あ」
汚い黒い染みが消えていた。
いつも通り、綺麗な遼平さんがそこに居た。
(よかった、汚れてない。僕がつけた汚れが消えた)
(ぼくの汚れより、遼平さんの浄化する力の方が強かったんだ)
(よかった)
(遼平さんは綺麗だから)
ごく自然に僕の頭にそんな言葉が浮かんだ。
まるで、『1+1=』って式に考えもせずに頭が『2』って答えを出すように、自然に。
僕は汚い。でも、僕の汚れなんて吹き飛ばすぐらいに遼平さんは綺麗なんだ。
神様が悪魔を祓うのと同じ。
遼平さんは汚れない。
僕の汚れなんかでびくともしないぐらいに、遼平さんは清廉なんだ。
「何か不安な事でもあるのか?」
遼平さんが僕の前にしゃがみ込んだ。わざわざ目線を下げて、覗きこんで問い掛けてくれる。
「な、何でもないよ。遼平さんの顔に虫がついてたみたいに見えたからびっくりして。ただの気のせいだった」
「顔に虫ぃ? 葉月はほんとに虫苦手なんだなぁ。俺は顔にクモさんが止まろうが蛾が止まろうが平気だから心配すんなよ。死にそうな顔してたぞ?」
大きな掌が僕を撫でる。
「驚かせてごめん」
「謝るな。いいことを教えてやる。この部屋には虫が一匹も出ないんだ。夏に窓開けっ放しで寝ても平気なぐらいにな。だから安心しろ」
「うん……」
今度こそ遼平さんを見送ってドアを閉じた。
そのまま、立ちつくした。
僕は汚い。僕の体には汚い血が流れている。
この汚れは一生取れない。血を全部抜けば綺麗になるだろうけど、それは、死なないと綺麗になれないってことだ。
僕は汚れている。僕は穢れている。
でも。
(でも、遼平さんは綺麗だ)
僕が付けた頬の汚れが一気に綺麗になった。
遼平さんは僕が触っても汚れない。
当たり前だ。あんなに強くて優しい人が汚れるはずない。
悪魔がどんなに抗おうと神様には勝てないんだ。
(もっと、触りたい……)
神様に――遼平さんに触っていれば僕も綺麗になれる気がする。
当然ながらそれは錯覚だ。
どんなに遼平さんが綺麗でも僕は綺麗にはならない。
強い人と友達になった弱い人が、自分も強くなったのだと錯覚することがあるのだと聞いた事がある。
僕もそれと同じだ。
綺麗な人と友達になって、自分も綺麗になれるって錯覚してる。
遼平さんには僕が汚い人間だって教えてない。
違う。教えてないんじゃない。
教えられないんだ。
僕に汚い血が流れてるなんて遼平さんには一生話せない。
例え誰かに拷問されようと、殺されそうになろうとも、絶対に、絶対に話せない。
話したくない。
話すぐらいなら拷問されて殺されたほうがマシだ。
世界中の人に僕が汚いって知られたとしても、遼平さんだけには知られたくない。絶対に。
汚いんだと隠したまま触るなんていけない事だ。
判ってはいるけど。
――もっと、触りたい。
無意識に、キスされた頬に指先を当てていた。
キスを貰ってしまった。
しかも、僕も、遼平さんの頬にキスしてしまった。
唇に頬の感触が残ってる。僕の頬みたいにぶよぶよしてない。引き締まった頬の感触が。
感触を確かめるみたいに頬を触ってた指で唇をなぞってから、「あっ」ってなった。
か、間接キスをしてしまった……!!!
うわあああそんなつもりはなかったんだごめんなさい遼平さん……! 今のはわざとじゃ無いんです!
うううう、駄目だ、心臓が痛くなってきた。目も回ってきた。
キスすれば間接キスが平気になるって遼平さん言ってたのに、全然平気じゃないよ。
うわあああ唇にキスしたことまで思い出して来た……忘れろ忘れろ忘れろスイヘーリーベーボクノフネナナマガリシップスクラークカ……。
元素記号の周期表ゴロ合わせを唱えてキスのことを封じ込んだ。
☆☆☆
深呼吸して無心になり昨日使ったお風呂場を掃除した。
ついでにリビングと寝室に掃除機を掛ける。
その頃になってようやく落ち着いてきた。
落ち着いたのはいいけど、掃除してって頼まれたわけじゃないからこれ以上のことはできないなぁ。
逆に失礼になっちゃいそうだ。
ご飯を作るにはまだ早い。
何をしよう。
遼平さんがDVDもテレビも好きなだけ見ていいって言ってくれた。(ただしトレーニングマシンを使うのは禁止されてしまった。一人でやったら危ないらしい)
僕が昔住んでいた家には大きなテレビがあった。DVDもたくさん。
当然ながら僕が観るのは許されてなかったので、生まれてこのかた、テレビを座って観た事は一度も無い。
家事をしながら耳に入ってくるぐらいだった。
だからかな。テレビを観る事に酷く罪悪感がある。
写真集も見て良いって言ってくれたけど……。やっぱり罪悪感があって、僕は大きな窓の前に座った。
眼下には街並みが広がり、空は雲一つ無い快晴だ。
いい天気だなぁ。
日差しが暖かい。気持ちいい。
遼平さんが傍に居るみたいだ。
なんだか、僕の世界は遼平さんばっかりだ。
もし、明日、世界が滅ぶとしたら、僕は絶対遼平さんの傍に居たい。
遼平さんは誰の傍に行くのかな? 家族の所かな。それとも友達? 好きな女の人の所?
遼平さんに選ばれる幸せな人は誰なんだろう。
誰でも良いか。
遼平さんは優しいから、『遼平さんが着ているスーツが欲しいです』そうお願いしたら、きっと、くれるはず。
僕は遼平さんのスーツを頭から被って、遼平さんの匂いに包まれて世界最後の日を迎えるんだ。
それはなんて幸せなことだろう。
美味しいって褒めてくれながら、ご飯を二杯もお変わりして残さず食べてくれた。
スーツでびしっと決めて、黒タイル張りの玄関ポーチに立った遼平さんが僕に鍵を差し出した。
「葉月、これ、合鍵な。外に出るときは絶対に持って出ろよ。困った事があったらすぐ連絡してくれ。俺の携帯番号を書いた紙は持ってるか?」
「うん。大丈夫。遼平さんの番号は覚えてるから」
「インターフォンが鳴っても出なくていい。電話は、俺か、二本松か、静の名前が表示されたときにだけ出てくれ。他は無視して構わない。はい、俺の言った事を復唱して」
「えと、外に出るときは合鍵は絶対持って出る、インターフォンが鳴っても出なくていい、電話は、相手が遼平さんか二本松さんか静さんの場合だけ出る。だよね」
「一つ忘れてるぞ」
「え?」
「困った事があったらすぐ連絡。これが一番大事だ」
「でも、仕事中に連絡するなんて……」
「遠慮しないでいいから必ず連絡しろ。約束してくれると俺も安心できる」
「わかりました……」
「よし。じゃあ、行ってくる」
「いってらっしゃい!」
こんな広い家に一人で留守番なんて寂しい。
でも、遼平さんが心配しないで住むように笑顔で手を振った。
「……」
「どうかした?」
「可愛い嫁さんに見送って貰えるのがこんなに嬉しいなんてな……!」
ふふ。遼平さんは相変わらず冗談が好きなんだな。
「いってらっしゃい、あなた。早く帰ってきてね」
ふざける遼平さんに僕もふざけ返す。
「葉月……!!」
「ふわ!?」
遼平さんの腕が伸びてきたから反射的に床を蹴って後ろに逃げた。
逃走は間に合わずに腕に絡め取られ、遼平さんの体に体がぎゅうぎゅうに密着した。
「ぅ、う」
何度も何度も抱き締められてるのに、シチュエーションが違うとやっぱり何度でも何度でも緊張してしまう。
でも、前よりは慣れてきたかも。
前は心臓麻痺になりそうなぐらい心臓が痛かったけど、今日はドキドキするだけだ。
緊張するけど、遼平さんに抱き締めてもらうのは安心する。
腕に力を入れる。
古びたロボットみたいにギシギシ動きながら、僕も遼平さんの背中を抱き締めた。
うわぁ。
遼平さんって体大きいなあ。
判りきってたはずなのに、こうやって触ると改めて実感するよ。
遼平さんが僕を抱き枕にしたがる理由がわかったかも。
人を抱き締めると抱き締められる以上に安心する。
う?
遼平さんの指が僕の顎をくいって上げた。
キスだ!
「うわぁああ!」
顔を伏せジタバタ暴れて抵抗する。
「旦那様にいってらっしゃいのキスは?」
「し、しません、駄目です」
「してくれないと離さない」
「ええええ!? 遅刻するよ!?」
「遅刻しても離さない」
えええええ!?
り、遼平さんが駄目な大人になった……!?
どどどうしよう。
きき、キスなんてキスなんて。
「やっぱり俺とキスをするのは嫌だったのか?」
傷ついた小さな声に慌てて首を振った。
「嫌じゃない! 嫌じゃないけど、出来ないよ……!」
「唇じゃなくていい。頬ならどうだ?」
頬!?
遼平さんの腕は緩まない。
時間は刻一刻と過ぎていく。僕のせいで遅刻させるわけにはいかない。
か、覚悟を決めないと。
ぎくしゃくしながら顔を上げ息を止めて――――遼平さんの頬に唇を押し当てた。
「うぅ~~~」
即座にキスした場所を袖で拭く。
「こら、拭くな拭くな!」
「拭くよ! 消毒液で拭きたいぐらいだよ!」
「せっかくのキスなのに……って、今のはキスでもなかったけどな。スタンプみたいにぽんって押し当てただけだったろ。ちゅって吸わないとキスじゃないんだぞ」
「でででで出来るわけないよおお!!」
「して欲しいのに」
遼平さんは不満そうだったけど、腕の力が緩んだ。
やっと離して貰えた……。
ホッと息を吐く。
油断したまさにその瞬間に。
ちゅ。
僕の頬に、キスをされた。
「びゃっ!?」
びっくりしすぎて反射的に逆方向に逃げ飛び、ゴンッと靴箱の角で頭をぶつけてしまった。
「イタイ……」
打った場所を押さえてしゃがみ込む。
「おい、すげーいい音したぞ。大丈夫か?」
遼平さんが油断した隙に、また、僕がキスをした場所を袖でガシガシと拭く。
「くそ、やられた……。葉月のスタンプキスの感触が袖のわしゃわしゃ感に完全に掻き消された……」
良かった……!
「遅刻しちゃうよ、行ってらっしゃい!」
遼平さんの広い背中を押す。
ぐぎぎぎぎぎ……!
腕がぶるぶるするぐらい力一杯押しても長身の体は全く動かなかった。
「りょうへいさん……!!」
遼平さんはくくって喉の奥で笑ってから、ようやく歩き出す。
「じゃ、行ってくるな」
「行ってらっしゃい……」
ドアを開けて外に出る。
普通、ドアを出たら後ろを振り返らずにそのまま閉める。
なのに遼平さんは回れ右して僕と視線を合わせながら締めてくれた。
「!?」
僕がキスした所に、黒い染みができてた。
ヘドロに似た汚い黒いそれが、繁殖するバクテリアみたいに一気に広がって遼平さんの体が真っ黒に覆われていく!
「り――遼平さん!!!」
僕は靴も履かずに玄関に飛びついて、閉まりかけたドアを開いた。
「どうした?」
遼平さんが不思議そうに言った。
「あ」
汚い黒い染みが消えていた。
いつも通り、綺麗な遼平さんがそこに居た。
(よかった、汚れてない。僕がつけた汚れが消えた)
(ぼくの汚れより、遼平さんの浄化する力の方が強かったんだ)
(よかった)
(遼平さんは綺麗だから)
ごく自然に僕の頭にそんな言葉が浮かんだ。
まるで、『1+1=』って式に考えもせずに頭が『2』って答えを出すように、自然に。
僕は汚い。でも、僕の汚れなんて吹き飛ばすぐらいに遼平さんは綺麗なんだ。
神様が悪魔を祓うのと同じ。
遼平さんは汚れない。
僕の汚れなんかでびくともしないぐらいに、遼平さんは清廉なんだ。
「何か不安な事でもあるのか?」
遼平さんが僕の前にしゃがみ込んだ。わざわざ目線を下げて、覗きこんで問い掛けてくれる。
「な、何でもないよ。遼平さんの顔に虫がついてたみたいに見えたからびっくりして。ただの気のせいだった」
「顔に虫ぃ? 葉月はほんとに虫苦手なんだなぁ。俺は顔にクモさんが止まろうが蛾が止まろうが平気だから心配すんなよ。死にそうな顔してたぞ?」
大きな掌が僕を撫でる。
「驚かせてごめん」
「謝るな。いいことを教えてやる。この部屋には虫が一匹も出ないんだ。夏に窓開けっ放しで寝ても平気なぐらいにな。だから安心しろ」
「うん……」
今度こそ遼平さんを見送ってドアを閉じた。
そのまま、立ちつくした。
僕は汚い。僕の体には汚い血が流れている。
この汚れは一生取れない。血を全部抜けば綺麗になるだろうけど、それは、死なないと綺麗になれないってことだ。
僕は汚れている。僕は穢れている。
でも。
(でも、遼平さんは綺麗だ)
僕が付けた頬の汚れが一気に綺麗になった。
遼平さんは僕が触っても汚れない。
当たり前だ。あんなに強くて優しい人が汚れるはずない。
悪魔がどんなに抗おうと神様には勝てないんだ。
(もっと、触りたい……)
神様に――遼平さんに触っていれば僕も綺麗になれる気がする。
当然ながらそれは錯覚だ。
どんなに遼平さんが綺麗でも僕は綺麗にはならない。
強い人と友達になった弱い人が、自分も強くなったのだと錯覚することがあるのだと聞いた事がある。
僕もそれと同じだ。
綺麗な人と友達になって、自分も綺麗になれるって錯覚してる。
遼平さんには僕が汚い人間だって教えてない。
違う。教えてないんじゃない。
教えられないんだ。
僕に汚い血が流れてるなんて遼平さんには一生話せない。
例え誰かに拷問されようと、殺されそうになろうとも、絶対に、絶対に話せない。
話したくない。
話すぐらいなら拷問されて殺されたほうがマシだ。
世界中の人に僕が汚いって知られたとしても、遼平さんだけには知られたくない。絶対に。
汚いんだと隠したまま触るなんていけない事だ。
判ってはいるけど。
――もっと、触りたい。
無意識に、キスされた頬に指先を当てていた。
キスを貰ってしまった。
しかも、僕も、遼平さんの頬にキスしてしまった。
唇に頬の感触が残ってる。僕の頬みたいにぶよぶよしてない。引き締まった頬の感触が。
感触を確かめるみたいに頬を触ってた指で唇をなぞってから、「あっ」ってなった。
か、間接キスをしてしまった……!!!
うわあああそんなつもりはなかったんだごめんなさい遼平さん……! 今のはわざとじゃ無いんです!
うううう、駄目だ、心臓が痛くなってきた。目も回ってきた。
キスすれば間接キスが平気になるって遼平さん言ってたのに、全然平気じゃないよ。
うわあああ唇にキスしたことまで思い出して来た……忘れろ忘れろ忘れろスイヘーリーベーボクノフネナナマガリシップスクラークカ……。
元素記号の周期表ゴロ合わせを唱えてキスのことを封じ込んだ。
☆☆☆
深呼吸して無心になり昨日使ったお風呂場を掃除した。
ついでにリビングと寝室に掃除機を掛ける。
その頃になってようやく落ち着いてきた。
落ち着いたのはいいけど、掃除してって頼まれたわけじゃないからこれ以上のことはできないなぁ。
逆に失礼になっちゃいそうだ。
ご飯を作るにはまだ早い。
何をしよう。
遼平さんがDVDもテレビも好きなだけ見ていいって言ってくれた。(ただしトレーニングマシンを使うのは禁止されてしまった。一人でやったら危ないらしい)
僕が昔住んでいた家には大きなテレビがあった。DVDもたくさん。
当然ながら僕が観るのは許されてなかったので、生まれてこのかた、テレビを座って観た事は一度も無い。
家事をしながら耳に入ってくるぐらいだった。
だからかな。テレビを観る事に酷く罪悪感がある。
写真集も見て良いって言ってくれたけど……。やっぱり罪悪感があって、僕は大きな窓の前に座った。
眼下には街並みが広がり、空は雲一つ無い快晴だ。
いい天気だなぁ。
日差しが暖かい。気持ちいい。
遼平さんが傍に居るみたいだ。
なんだか、僕の世界は遼平さんばっかりだ。
もし、明日、世界が滅ぶとしたら、僕は絶対遼平さんの傍に居たい。
遼平さんは誰の傍に行くのかな? 家族の所かな。それとも友達? 好きな女の人の所?
遼平さんに選ばれる幸せな人は誰なんだろう。
誰でも良いか。
遼平さんは優しいから、『遼平さんが着ているスーツが欲しいです』そうお願いしたら、きっと、くれるはず。
僕は遼平さんのスーツを頭から被って、遼平さんの匂いに包まれて世界最後の日を迎えるんだ。
それはなんて幸せなことだろう。
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