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<水無瀬葉月>

卑しい女そっくり

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 お父さんとお母さんの家は、町から少し離れた高台の上にある。

 敷地面積は百坪。
 しかも、ここに立っているのは、お隣の家とこの家の二軒だけ。
 静かでとても見晴らしが良い

 他人から見れば、とても恵まれたお屋敷だろう。

 僕が住んでいたアパートの部屋はたった六畳で、窓の向こうは荒れ果てた空き地と古びた街並みしかなかった。
 まさしく、雲泥の差だ。

 なのに、お父さんの車から降りて家の前に立つと、地獄に足を踏み入れてしまったようなとてつもない絶望感があった。

 音をたてないように静かに玄関ドアを開く。

 目を合わせたら怒られるから俯いたまま入る。

「ぅ……」

 この家は、ドアを開くとすぐにリビングになっている。
 家の中は酷い有様だった。玄関は靴と傘でぐちゃぐちゃで、部屋中にお菓子やコンビニのお弁当のごみが溢れ返ってる。着替えもソファや椅子に掛けっぱなしであちこちに散乱していた。

 玄関マットは真っ黒、部屋の隅に埃が溜まってる。
 ひどい臭いがして一瞬怯んでしまった。

「やっと帰ってきたの」

 ソファでテレビを見ていたお母さんが立ち上がる。
 声を出しても怒られるから、ただ、ぺこりと頭を下げた。

「眼鏡はどうしたのよ」

 眼鏡……お父さんとお母さんに買ってもらったものだったのに、勝手に処分してしまった。

「みっともない恰好して。本当にあの卑しい女そっくりね。人の夫に手を出してお前を孕んだ女とそっくり。汚らわしい。さっさと部屋を片付けなさい」

 はい。
 掠れるぐらいの小声で返事をしてすぐに片付けを始める。

「金曜日にホームパーティーをするんだから、それまでに全部片付けなさいよ。料理の腕は落ちてないでしょうね? あんたにできることなんてそれぐらいしか無いんだから完璧にこなしなさい」

 はい。

 リビングには弟――琉空(るあ)も居た。僕の顔を見てなぜか驚いていた。
 僕はすぐに目を逸らし、まずは玄関の片付けから始めた。

 オフロも、キッチンも、トイレも、何もかもがめちゃくちゃだった。
 特にキッチンがひどい。
 でたらめにゴミが詰められた大きなゴミ袋が10以上もあった。

 この地区はごみの分別が厳しい。専用の袋じゃないと持って行ってくれないし、分別も10種類以上あって、ゴミ捨ての時間には見張りの人がチェックしてるから少しでも混ざってたら突き返されてしまう。

 これを分別するだけでも何時間もかかってしまいそうだ。
 とにかく、中身を分けないと……。

「おい、さっさと風呂の準備しろよ!」
 弟に金切声で叫ばれてビクッとしてしまった。
「ぁ……」
 キッチンは明日にしよう。とにかく、みんなが使う場所を先に片付けよう。

 全員分のパジャマと明日の着替えも準備しなきゃならない。
 掃除は後回しだ。

 オフロを軽く洗って湯を溜めリビングを掃除してお父さんとお母さんのお酒の準備をする。
 おつまみを作らないと怒られる。
 コンビニのお弁当のゴミが山のようにあるから、冷蔵庫の中は空なんじゃないかって不安だったけど、びっしりと食材が入っていた。

 トマトをスライスし、ツナのディップを乗せてリビングに持っていく。
 この家はリビングがやたらと広く、食事をするダイニングと兼用になってて、キッチンは完全に別だという不便な間取りだ。
 出来上がったおつまみをお盆に乗せて、廊下を経て、ダイニングのテーブルまで運ぶ。

「……生野菜か……」
 お父さんが不満げに吐き捨てた。

「あら、召し上がらないの? なら私がいただくわ」
「あぁ。揚げ物を持ってこい」

 ぺこりと頭を下げキッチンに戻り山芋と薄切りにしたレンコンの天ぷらを作る。
 兄弟たちからも何か持って来いっていわれたから、こちらはフライドポテトを作って部屋に持って行った。

 兄と弟の部屋は二階にある。
 どちらの部屋もとても広い。

 大きなベッドに大きな机、本棚、テレビ、ゲーム、パソコン。壁にはアイドルと漫画のポスターが所狭しと張られてる。

 だけど、どちらの部屋も、ドアを開けた瞬間リビングよりもひどい臭いがした。

 部屋中ゴミで足の踏み場もない。靴下やなぜか下着まで脱ぎ捨てられてる。
 掃除するのにどれだけ時間がかかるんだろ。

 見てるだけで疲れてきたよ……。

 みんなが寝静まった後に、トイレ、リビング、玄関を掃除した。


 ……? もう、こんな時間。


 気が付いた時には午前四時だった。
 全然眠くない。

 眠くないけど、少し横になろう。体が重い。

 僕の部屋は、台所の奥にある納戸だ。
 片側に棚があって、布団を敷くにも狭く、敷布団が三分の一以上折れ曲がった状態になってしまう。
 窓は小さな正方形のが一つだけ。


 布団に横たわった。

 あ。

 この布団、遼平さんの匂いがする。

 わー、すごい、嬉しい……!
 遼平さんが傍に居るみたいだ!

 心が一気に軽くなった。

 そのおかげか、ぴょん太の姿が脳裏に浮かんできた。ヌイグルミだけど大事な友達だったのに、売られていったぴょん太を気遣う余裕さえなかった。

 ごめんねぴょん太、お父さんから投げつけられたの痛かっただろうに。


 どうか、ぴょん太が、いい人に買われますように。


 僕はこんなことになったけど、ぴょん太には幸せな家族ができるといいな……。

 五時過ぎに目が覚めた。


 朝ごはんの準備に取り掛かる。

 朝から作るのは、高校生の弟とお父さんの分だけ。
 大学生の兄と専業主婦のお母さんは起きてきてからの食事だ。

 二人が起きて来るのは十時過ぎから遅い時は一時ぐらい。

 できたてのご飯がないと怒鳴られるので、他の家事をしながらも神経を張り巡らせる。

 階段の掃除をしよう。階段なら、起きてくればすぐに気が付く。

 あぁ、でも、金曜にお客様がくる。庭の掃除もしなきゃ。花壇も整えないと花が枯れてた。

「葉月!!」

 お母さんに呼ばれて階段の拭き掃除を中断し寝室に入る。起きてたんだ。ご飯作らなきゃ。

 お母さんはベッドの上で寝そべったまま肘をついていた。
 両親の部屋も汚い。さすがにゴミや下着は無い物の、当たり前みたいに靴下や襟の黄ばんだシャツが置きっぱなしになってる。

「リモコン」

 リモコン? そっか、テレビのリモコンだ。

 リモコンはテレビの横に置いてあった。

「どうぞ」
「チーズケーキが食べたいわ。今すぐ買ってきて」

「はい」

「ラ・プティの」

 お金……、財布にいくら入ってたかな? 足りるかな? 通帳と印鑑、カードは没収されてしまった。
 僕のお金が全部無くなったらお父さんから貰おう。

 大急ぎでケーキを買いに行く。バスなんて贅沢な乗り物は利用できないので徒歩になるんだけど、お母さんが指定したラプティというケーキ屋さんまでは片道三十分もかかる。

 兄さんが起きて来る前に帰らないと。掃除も間に合わなくなる。

 なんとか一時間以内に買い物を済ませ、紅茶と一緒にケーキを出す。

 中断してた階段の掃除が終わると次はキッチン。

 積まれたゴミの分別は後回しにしよう。今日はやることが山ほどある。

 昨日は奥までチェックしなかったから気が付かなかったんだけど、冷蔵庫の中身は半分以上が痛んでた。

 どろどろに腐った肉や魚まである。

 ごみを出す寸前まで冷蔵庫に入れておこう。
 常温にしたら臭いで大変なことになってしまう。
 放置されてたコンビニのビニール袋にまとめてチルドルームに突っ込んだ。

 兄さんとお母さんのご飯やおやつを準備しつつも、リビング、庭、トイレと、お客さんの目に付く場所がどうにか全部綺麗に片付いた。

「パーティーの料理は見栄えが良く、華やかなものを作りなさい。海老のテリーヌは必ず作ること。レシピもここに書き出しておきなさい」

「はい」

 そろそろ弟が帰ってくる。晩ご飯を作らなきゃ。
 
 弟の要望で煮込みハンバーグだ。キノコがたっぷりのソースで煮込む。
 ご飯は焼きカレーにした。

 僕の分を作ってることがばれたら何時間でも正座させられてしまうから作る量は当然四人分。


 僕の食事は、みんなが残したご飯だ。




 今日の残り物は、

 お父さんが残したキノコ、付け合せの人参のグラッセ、ブロッコリー、
 お母さんが残したハンバーグ一かけら、二口分ほど残ったカレー。
 弟が残した、キノコと野菜。
 兄が残した、ぼそぼそに崩れたハンバーグの細かいかけら。

 全部かき集めて、キッチンの端に置かれた僕用の小さなテーブルに並べた。

 三歳の頃から使ってたテーブルだ。

 朝ごはんも昼ごはんも食べてないし昨日の夜も食べられなかったから、すごくお腹が減ってた。

 なのに、かき集めても一人分にならなかった食事を見て、一気に食欲がなくなってしまった。

 おかしいな。ハンバーグ大好きなのに。

 遼平さんが作ってくれたご飯、美味しかったなぁ。
 お味噌汁に出汁を忘れたって悔しがってたけど、そんなの気にならなかった。

 バイキングも食べ放題で凄かったっけ……。
 ファミレスのドリンクバーも楽しかったなぁ。

 ジュース選び放題! ご飯食べ放題!!! なんて、もう、一生出来ないだろうなぁ。


 今、僕の前にあるのはみんなの残飯だけ。

 勿体ないけど、一口も食べないままに処分した。
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