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八鬼が、離れていく
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一睡もできないまま、朝七時に食堂に向かう。
この学校は、昔は二千人を越える生徒数を誇っていたらしい。
当然ながら食堂も広くて、今在籍している一年生が全員集まっても全席埋まらないほどだ。
食堂が開くとほぼ同時に入り、ご飯を受け取ってから僕の指定席みたいになった一番隅っこの席に座って、八鬼を待つ。
食事の時は必ず様子を見に来てくれた。今日も来てくれるはずだ。
カタン。
正面の椅子が動いた。
やっぱり来た!
安心したのと嬉しいのとで、顔を上げる。
そこに居たのは八鬼じゃなかった。
「船寺……?」
この学校で一番最初に仲良くなった男子だ。といっても、僕が八鬼の女だと噂されるようになってから疎遠になっていたのだけど。
「よう」
船寺は軽く挨拶して座る。
そこは、八鬼の席、
なんて馬鹿なことを言いそうになって、慌てて口を噤んだ。
「相変わらず飯食ってねえな。ほら、食えって」
船寺が、僕の皿に乗ってたトーストを一口大に切って、フォークで、僕の前に差し出してきた。
どうして船寺がこんなことを?
理由がわからなくて、船寺の目を凝視してしまう。
「ほら」
口元に押し付けられるけど、口が開かない。小さく首を振って、目を見たまま俯いてしまう。
「夏樹、食べないと益々痩せるぞ」
唇にパンが押し付けられる。焼けたパンの耳がザリって擦れて痛い。
無理に食べさせようとしないで。
「夏樹!」
怒鳴られて、びくっと体が震えた。
言う通りにしないと失望される。
船寺は僕に優しかった。
優しい人に嫌われるのは怖い。
八鬼がハンバーグを僕に押し付けてきた時は、関係無いって怒鳴って振り払えた。
その頃の僕は八鬼が大嫌いで、八鬼に嫌われようがどうでもよかったから。
でも船寺は違う。
最初から僕に優しかった。この学校に来て一番最初に話した人だ。「船寺君はどこから来たの?」って聞いた僕に、「俺のことそんな知りたい?」なんて軽口をくれて、初めての高校で緊張していた気分が一気に楽になった。
嫌われるのが怖い。
失望させるのが怖い!
どうか、怒らせませんように。
船寺の目を見ながら、必死に口を開こうとする。なのに、食べ物を拒絶する口が開いてくれない。
パンはますます押し付けられて、フォークの先が唇を引っかいた。
痛みに負けてどうにか口に入れるけど、紙を食べているような不快感が口の中一杯に広がった。
吐き出しそうになるのを必死に堪えて、咀嚼する。
「パン一つも食えないなんて、ほんと、夏樹は小食だな。ヨーグルトなら食えるか?」
僕は小食じゃないよ。
入学式の日、一緒にご飯食べたよね?
僕が豪華な朝ごはんにはしゃいで、全部食べたの見てたよね?
食べたくないんだ。
食欲がないんだ。
お願いだから無理強いしないで。
「き――きょう、は、――食欲が、ないんだ、だから、ごめん」
体から声を振り絞る。
「食欲が無いって言っても食わなさすぎだろ。ほら、口開け」
そんな。
ヨーグルトを掬ったスプーンを口の奥まで突っ込まれて、えぐ、って反射みたいな悲鳴を上げてしまった。
押し退けようとした手を掴まれる。
暴れないように捻り上げられて、痛みに全身が痺れた。
痛い、痛いよ。離して。
「ぐ、ぅ」
悲鳴は、喉に直接流し込まれたヨーグルトに封じられた。
「んぐ、ん、ん」
吐き出さないように飲み込もうと喉を動かすものの、苦しくて涙が零れる。
「夏樹、泣くなよ。食べなきゃ体が持たないだろ? 俺だって辛いんだから」
「んぅ」
腕を捻り上げられたまま、また口にスプーンが押し込まれる。
もう食べられない。苦しい。辛い。
食事がこんなに辛いなんて。
僕はボロボロ泣いて、焦ったみたいに何度も口に突っ込まれるヨーグルトを必死に飲み込む。
喉が食べ物を拒絶して、大半は間に合わずに口の端から零してしまった。
顎を、喉を蔦って胸に染みていくヨーグルトが気持ち悪い。
もうやめてよ、お願いだから。食べられない。
何度も訴えるのに、船寺は、自分の分のヨーグルトと、誰かが持ってきたヨーグルトまで僕の口に押し込んで、流し込んで、「俺が辛いから食べろ」と繰り返した。
拷問みたいな時間は、食堂が閉まる八時まで続いた。
この学校は、昔は二千人を越える生徒数を誇っていたらしい。
当然ながら食堂も広くて、今在籍している一年生が全員集まっても全席埋まらないほどだ。
食堂が開くとほぼ同時に入り、ご飯を受け取ってから僕の指定席みたいになった一番隅っこの席に座って、八鬼を待つ。
食事の時は必ず様子を見に来てくれた。今日も来てくれるはずだ。
カタン。
正面の椅子が動いた。
やっぱり来た!
安心したのと嬉しいのとで、顔を上げる。
そこに居たのは八鬼じゃなかった。
「船寺……?」
この学校で一番最初に仲良くなった男子だ。といっても、僕が八鬼の女だと噂されるようになってから疎遠になっていたのだけど。
「よう」
船寺は軽く挨拶して座る。
そこは、八鬼の席、
なんて馬鹿なことを言いそうになって、慌てて口を噤んだ。
「相変わらず飯食ってねえな。ほら、食えって」
船寺が、僕の皿に乗ってたトーストを一口大に切って、フォークで、僕の前に差し出してきた。
どうして船寺がこんなことを?
理由がわからなくて、船寺の目を凝視してしまう。
「ほら」
口元に押し付けられるけど、口が開かない。小さく首を振って、目を見たまま俯いてしまう。
「夏樹、食べないと益々痩せるぞ」
唇にパンが押し付けられる。焼けたパンの耳がザリって擦れて痛い。
無理に食べさせようとしないで。
「夏樹!」
怒鳴られて、びくっと体が震えた。
言う通りにしないと失望される。
船寺は僕に優しかった。
優しい人に嫌われるのは怖い。
八鬼がハンバーグを僕に押し付けてきた時は、関係無いって怒鳴って振り払えた。
その頃の僕は八鬼が大嫌いで、八鬼に嫌われようがどうでもよかったから。
でも船寺は違う。
最初から僕に優しかった。この学校に来て一番最初に話した人だ。「船寺君はどこから来たの?」って聞いた僕に、「俺のことそんな知りたい?」なんて軽口をくれて、初めての高校で緊張していた気分が一気に楽になった。
嫌われるのが怖い。
失望させるのが怖い!
どうか、怒らせませんように。
船寺の目を見ながら、必死に口を開こうとする。なのに、食べ物を拒絶する口が開いてくれない。
パンはますます押し付けられて、フォークの先が唇を引っかいた。
痛みに負けてどうにか口に入れるけど、紙を食べているような不快感が口の中一杯に広がった。
吐き出しそうになるのを必死に堪えて、咀嚼する。
「パン一つも食えないなんて、ほんと、夏樹は小食だな。ヨーグルトなら食えるか?」
僕は小食じゃないよ。
入学式の日、一緒にご飯食べたよね?
僕が豪華な朝ごはんにはしゃいで、全部食べたの見てたよね?
食べたくないんだ。
食欲がないんだ。
お願いだから無理強いしないで。
「き――きょう、は、――食欲が、ないんだ、だから、ごめん」
体から声を振り絞る。
「食欲が無いって言っても食わなさすぎだろ。ほら、口開け」
そんな。
ヨーグルトを掬ったスプーンを口の奥まで突っ込まれて、えぐ、って反射みたいな悲鳴を上げてしまった。
押し退けようとした手を掴まれる。
暴れないように捻り上げられて、痛みに全身が痺れた。
痛い、痛いよ。離して。
「ぐ、ぅ」
悲鳴は、喉に直接流し込まれたヨーグルトに封じられた。
「んぐ、ん、ん」
吐き出さないように飲み込もうと喉を動かすものの、苦しくて涙が零れる。
「夏樹、泣くなよ。食べなきゃ体が持たないだろ? 俺だって辛いんだから」
「んぅ」
腕を捻り上げられたまま、また口にスプーンが押し込まれる。
もう食べられない。苦しい。辛い。
食事がこんなに辛いなんて。
僕はボロボロ泣いて、焦ったみたいに何度も口に突っ込まれるヨーグルトを必死に飲み込む。
喉が食べ物を拒絶して、大半は間に合わずに口の端から零してしまった。
顎を、喉を蔦って胸に染みていくヨーグルトが気持ち悪い。
もうやめてよ、お願いだから。食べられない。
何度も訴えるのに、船寺は、自分の分のヨーグルトと、誰かが持ってきたヨーグルトまで僕の口に押し込んで、流し込んで、「俺が辛いから食べろ」と繰り返した。
拷問みたいな時間は、食堂が閉まる八時まで続いた。
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