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(番外編) ボクはキミがスキ (上)

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 北村颯太が校庭から友達と別れ、ランドセルを取りに教室に戻ると、野沢奈々が机に突っ伏して寝ていた。
 奈々はほぼ毎日居残りで算数を先生に教わっていた。
 颯太は疲れて寝てるのかと、奈々の机の脇を通り、自分の机にランドセルを取りに行こうと思った。
 外の夕焼けが教室の中を赤みがかったオレンジに変える。
 歩いている颯太の影が廊下の方へと伸びて大男を作り出す。
 『どうしよう』
 奈々の机の所に来て颯太は思った。
 『このまま寝かしておいて良いものか?』
 奈々の腕の下には先程までやっていたであろう算数の教科書とノートが見えた。顔は少し横を向いていて、寝ている表情が半分程、颯太にも見えた。頭の上には筆箱がある。
 『可愛いな』
 そう思うと颯太は急に心臓がドキドキするのが分った。
 『触れたい』
 その思いに抵抗する事もなく颯太は奈々の顔に自分の顔を近づけた。
 スッ
 と、颯太は唇を奈々の頬に軽く触れさせ、少し横にスライドして離した。
 本当は唇に触れたかったのだが、奈々の腕が隠していたので諦めたのだ。
 『柔らかい』
 奈々はまだ寝ている。
 『奈々も知らない。誰も知らない。僕だけの秘密だ』
 そう思うと、心臓が破裂しそうな程ドキドキして、得も言われぬ興奮が颯太を包んだ。
 颯太は音を立てない様静かに歩き、自分の机でランドセルを背負うと、大きく深呼吸を一度した。
 そして今度はコツコツと音が出る様に歩き、奈々の机の方に向かい、そして止まった。
 「おい、起きろよ。校門閉まっちゃうぞ」
 そう言うと颯太は奈々の肩と背中に手を置き、揺さぶった。
 何もなかった様に。

 「あれ、颯太君」
 「お前また寝てただろ。校門閉まっちゃうぞ」
 「駄目なんだよね。あんまり頭使うと直ぐ眠くなっちゃって」
 「いいから、ほら、立て」
 「はい」
 そう言うと奈々は立って、机の上の教科書やノート、筆箱等を椅子に掛かっていたランドセルに入れて、帰る準備をした。

 校庭に出るともうあのオレンジ色の夕焼けはなく、薄い紺色のカーテンが空を覆っていた。
 「五年になってからお前、居残り多いな」
 颯太が奈々の方を向きながら言った。
 「うん。どんどん算数が皆に付いて行けなくなっちゃって」
 奈々は颯太の方を見ず、下を見ながら言った。
 「国語は得意なのにな。何で算数は駄目なんだろう」
 「計算がね、駄目なの。式とか計算の仕方とか、その時分っても直ぐ忘れちゃうの。覚えられないの」
 そう言いながら奈々は足を止め、下を向いたまま涙を流した。
 奈々の涙は足元の校庭の土の地面に落ち、染込んでは消えて行った。
 「なんだよ、泣いてるのか?」
 颯太は奈々の顔を覗き込み言った。
 「うん。なんだろ?涙が出る。私、頑張ってるのに算数出来ない。放課後も皆と遊んだり帰ったりしたいのに、居残りだし。皆何にも言わないけど私の事笑ってるよね。私、頑張ってるんだけど・・・皆と同じになりたい」
 「だ、大丈夫だよ。そんなに頑張ってるんだから、今は無理でも来年再来年にはみんなと同じになってるよ。追い付いてるよ」
 泣いている奈々を宥める為颯太は必死に言った。
 「ホント?ホントに追い付く。じゃあ私も皆と中学行ける?」
 「行けるさ。そもそもお前は算数だけが異常に駄目なだけで、他は問題ないんだから」
 「そうかぁ、じゃあ今頑張れば皆と同じに生きて行けるんだね」
 そう言うと奈々はスカートのポケットからハンカチを出して、涙を拭くと、笑顔で颯太の方を向いた。
 「ありがとう。颯太君」
 「いや~」
 颯太は照れながらそう言った。

 二人は幼稚園の頃からの幼馴染なので、家も比較的近く、校門を出てからの帰り道も殆ど一緒だった。
 颯太は幼稚園の頃から奈々が好きで、その頃の告白から数えると既に二桁は告白しているが、全て断られていた。奈々にとっては何処までも行っても颯太は良い友達だったのだ。
 校門を出て暫く歩くうちに空のカーテンはその色を一層濃くして行き、殆ど夜空へと変わって来ていた。
 「あのさー、奈々。皆と同じじゃなくても、俺だけはお前の側にいるから。お前の事守ってやるから」
 思い詰めた顔で颯太は言った。
 「またまたー、颯太君格好付けていつもそういう事言うんだもん」
 奈々は笑って言った。
 「ふざけてないよ。俺本気でお前の事」
 颯太がそこまで言った所で、奈々が頭を下げて一礼した。
 「ありがとうございます。でも、私には颯太君は良い友達なの。だから友達として振舞って、そういう事言うと、帰り道同じ方向なのに気まずい雰囲気になっちゃうよ」
 奈々のその言葉で何十回目かの失恋を颯太はした。
 「そうか、そうだね。気まずくなっちゃうね、ハハハハ・・・」
 颯太は悲しく笑った。
 『でも、僕は君が好きなんだ』


  つづく
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