川向こうのアトリエ喫茶には癒しの水彩画家がいます

津月あおい

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第一章 帰ってきた幼馴染

黄太郎と、キーマカレーと野菜ジュース(2)

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「おい青司、もう一回訊くぞ。お前いまさらこの町に戻ってきて、どういうつもりなんだよ。真白も巻き込んで……こいつの気持ち、ちゃんとわかってやってんのか?」
「……」

 青司くんは黙ったまま、黄太郎とわたしを見くらべていた。
 わたしは怖かった。何を言われるのか。

 黄太郎と付き合ってたっていっても、何事もないまま一週間しか付き合わなかった。
 それ以上のことはなかった、って誤解は解けたけど……。
 でも、本当はどう思われたのかわからない。

 黄太郎から聞いた話で、「やっぱりお店手伝わなくてもいいよ」なんてことになったら……。

「ごめん。二人ともちょっと待ってて。料理がひと段落したら、改めてちゃんと話すから……」
「あ、ああ……」
「うん」

 黄太郎とわたしは少し肩透かしを食らったけれど、大人しく待つことにした。

 コンロの上にはフライパンが置いてあり、青司くんは戸棚から油を出すと、そこに少量垂らして火をつけた。
 ついでに上の換気扇のスイッチをオン。
 ファンの回る音がしはじめる。

 続いてみじん切りにしたニンニクを、フライパンに入れ炒めていく。
 食欲を刺激される香り。
 さっきケーキを食べたばかりなのに……もうお腹が鳴ってきた。
 買い物に行ったら適度な運動になったらしい。
 
 隣の黄太郎も似たような状態だった。
 あいかわらず鋭い視線を青司くんに投げかけているが、どことなく胃のあたりをなでさすっている。

 フライパンには、さらににんじんとたまねぎとしめじのみじん切りが加えられた。

「よく炒めないと、水っぽいカレーになっちゃうんだって、母さんが言ってた……」

 ひとりごとのようにそう言って、青司くんは木の穴あきべらでそれをかき混ぜる。
 ジュウジュウという音を響かせながら、だんだんと具材がしんなりしていく。
 
 しばらくすると青司くんは冷蔵庫から合いびき肉を取り出して、それをまた一緒に炒めはじめた。
 火を通している間に、さらにひよこ豆の缶を開けてそれも投入する。

 最後にカレー粉、塩コショウをふって味を調える。
 そこで終わりかと思いきや。

「さらにこれを入れて、っと」
「え? それって……」

 なんと冷蔵庫から取り出されたのは、あの野菜ジュースだった。
 水ではなく野菜ジュース。
 それがひたひたにならない程度に入れられる。

「トマトジュースでもいいんだけど、こっちの方がトマト以外も入っていて奥深い味になるんだってさ」

 そうなんだ、とわたしはその話を感心しながら聴く。
 ぐつぐつとフライパンの中身が沸騰している。青司くんは丹念にそれらを木べらでかき混ぜていく。

「あとは水分がもう少し飛んだら終わりかな」

 しばらくしてコンロの火が止められ、青司くんは手を軽く流しで洗うとわたしたちにもう一度向き直った。

「お待たせ。じゃあ、ちゃんと話すね」
「うん……」
「おう」

 わたしと黄太郎も、居住まいを正して青司くんを見る。

 周囲には美味しいカレーのにおいが充満していて、「早く食べたい!」とつい思ってしまう。
 でも、我慢我慢。わたしはきちんと青司くんの話に耳を傾けた。

「結論から言うと、俺は『強くなりたかった』だけだ」
「は?」
「えっ?」

 意外過ぎる言葉が飛び出したので、わたしも黄太郎もぽかんとしてしまった。
 でも、青司くんはあいかわらずほわっとした笑顔を浮かべたままで、両の掌をこっちに向けてくる。

「待って。それにはちゃんと理由があるから」
「……うん、わかった」
「……続けろ」

 わたしたちはびっくりしつつも受け入れ、話の続きをうながした。

「ええと……まず、十年前っていうか……もっと前、ここに越してきてからの話になるんだけど……俺はずっと、母さんを守っていけるような男になりたいって思ってたんだ」

 それは青司くんの御両親が離婚して、この加輪辺かわべ町に引っ越してきたころの話になる。
 今から二十年以上も前のことだ。

「母さんは少し体が弱くて、それでも俺をひとりで育てていかなくちゃならなくて……。それなのに、俺は何にもできなくて、絵を描くことしか取り柄が無かった。だから、早く一人前の画家になりたいって思ってたんだ。必死に周りの、俺より上手い人から技術を盗んで。描いて描いて……早く母さんを守れるくらいの強い大人になりたいって思ってた」

 ああ。そうか。
 だから青司くんはずっと……そういう目で紫織さんを見てたんだ。
 それはたしかに恋愛感情じゃない。画家として追いつきたくて、やっていたことだった。
 それを、わたしは……。

「毎日、焦りがあった。なんでこんなに努力しているのに、早く上手くならないんだろうって。なんで早く成長しないんだろうって。大人になるにはまだ何年もある。早く働いて稼いで、母さんに楽をさせたいのに、なんでって毎日焦ってた。でも……そんな俺にも唯一癒される存在があった。それが……真白だった」

 まっすぐ青司くんがわたしを見つめてくる。
 瞬間。わたしは金縛りにあったみたいになった。動けない。息もできないほど。

 唯一癒される存在?
 それが……わたし?

「真白、きみが描く絵はとても自由だった。俺みたいに必死さがどこにもない、豊かでのびのびとした絵……。きみは、人の顔や空をよく描いていたね。俺はその絵に心奪われたんだ。俺の焦る生活を一瞬でも忘れさせてくれるその絵が、なによりの癒しだった……」
「そんな風に思ってくれてたの? 初めて知った……」

 わたしは愕然とした。
 ずっとそんな風に思われていたなんて、まるで知らなかったから。

 どちらかというと青司くんからはあまり関心をもたれてないと思っていた。
 わたしから話しかけることはあったけど、向こうからは積極的に話しかけられなかったのだ。
 いつも話すのはみんなといるとき。
 みんなといるときは普通に会話できるけど、なんなら「可愛い」とかってからかわれたりもしてたけど、みんながいなくなるととたんに無視というか距離を取られていた。

 だから、今とても驚いている。

「俺は……次第に真白の絵だけじゃなく、真白自身にも興味を持つようになった。楽しそうに絵を描く真白、母さんの料理をおいしそうに食べる真白、どんなときにも俺にはその笑顔がまぶしく映っていた。真白とできるだけ一緒にいたい。でも……反対にのめりこんじゃダメだって、強く思うようにもなった」
「……」

 横で黄太郎が神妙な顔をしている。
 なに、どういうこと?
 とっても嬉しい言葉をかけられているはずなのに、どうしてわたし以外のふたりはこんな辛そうな顔をしているのだろう。

「やっぱな、そんな気はしてた」

 黄太郎がそう言って、カウンターに頬杖をつく。

「お前の真白に対する思いは、当時から並々ならぬもんがあるとは思ってたよ。どんなに隠そうとしていてもな、オレにだけはわかってたよ。でも……お前は結局なんにもしようとしなかった。ただのヘタレだった」
「そんな、そんなこと……!」
「そう、ただのヘタレだったよ。俺は……ずっとそうだった」

 どういうこと?
 黄太郎だけが青司くんのわかりにくい好意に気が付いていた、ってこと?
 でも、ヘタレって……。
 どうして。どうしてそうなっちゃうの?

「だって、母さんすら守れていないのに……まだなんにも成長できていないのに……真白のことだって幸せになんかできっこないって、そう思ってたから。だから一人前になるまでは……この自分の気持ちに知らないふりをしていようって思ってた。俺の真白への思いも、真白から俺への思いも……全部、気付かないふりをしてた」

 それを聞いて、黄太郎がすぐにわたしを見る。

「真白。今の話を聞いてどう思った? それは、長い間お前を傷つけていた正当な理由になるのかよ? オレがフラれる原因になった理由。これで、すんなり納得できるか?」
「それは……」

 わたしはわたし自身のことも、黄太郎のことも考えて慎重に言葉を選んだ。

「ずっとそんな思いを青司くんが抱えていたなんて……知らなかった。わたし、なんにも知らないまま、ただのほほんと片思いをし続けていただけだったから……何も言えない。でも、黄太郎は……黄太郎はそれを知ってて、なんでわたしに……? どうして教えてくれなかったの!?」
「言えるかよ……」
 
 吐き捨てるように言って、黄太郎はそっぽを向いた。

「オレだって、真白のことばかり考えてたんだ。好きなやつがいるやつを好きになった時点で、こういう難しい結果になることはわかってた。だから、青司が動かないでいることをいいことに、お前を一方的に思い続けてたんだよ……! 悪いか!」
「黄太郎……」

 青司くんが申し訳なさそうな顔をして言う。

「こういう状態は、俺が大人になるまで続くと思ってた。でも……母さんが急に死んでしまって……俺も引っ越さなくちゃならなくなって……。真白にこの気持ちを伝えようと思ったけど……でも、やっぱりまだ俺は一人前じゃなくて。だから……最後まで伝えられなかった。ほんと、ヘタレでごめん」

 そう言って、涙ぐむ。

 黄太郎はまだ憮然としたままだった。
 こんな青司くんのことはやはり認められないという思いが態度にありありと出ている。

「俺は……母さんのことも、真白のことも、胸を張って幸せにできるような大人に……強い人間になりたかったんだ、ずっと。十年前はここでそれができなかった。でも、今は図らずも海外で一人前になって、またこの土地に戻ることができた。今度こそ、できなかったことをやりきるために……ここでやり直そうって思ってるんだ」
「青司くん……」
「今は、その強い人間とやらに……なれた、って言い切れんのかよ?」

 しみじみと聞き入っていた黄太郎だったが、急にそんな問いを投げかけた。
 青司くんはちょっと考えてから答える。

「うん。と、言いたいところだけど……。画家としてはまだまだスランプ中だし、喫茶店だってこれからオープンするところだしね。そう、だとはまだ言い切れないかな? 店が成功するかもわからないし……両方いい軌道に乗れてから、あらためて告白しようと思ってるけど。でも……ダメだな。再会して一緒に過ごす時間が増えたら、真白がどんどん可愛く見えてきちゃった」
「は?」

 ギロリと黄太郎の目つきが鋭さを増す。

「おいおい。まさかもう手を出したんじゃないだろうな?」
「……えっ」
「出したのか!?」
「……」

 一瞬バチッと青司くんと視線が合ってしまったが、わたしは思わず下を向いた。
 もうキスしてしまったとか言えない。
 付き合おうとも言われてないのに、なんか流れでそうなってしまったことを思い出す。

 青司くんは「さあ、そろそろ食べる準備しようかな」などと言って追求を逃れようとした。そそくさと炊飯器からお皿にご飯を盛りはじめる。

「お前ら……」

 黄太郎が真横から送ってくる視線が痛い。
 青司くん、お願いだからなんか反論して。わたしから説明することは不可能だよ。

 青司くんは三つ分のご飯の上にキーマカレーをかけると、そこに大きめのスプーンを添えた。

「はい。とりあえず、冷めちゃうから食べながら話のつづきをしよう」

 コト、コトッと、キーマカレーがそれぞれわたしと黄太郎の前に置かれる。
 それはとんでもなく美味しそうな香りを漂わせていた。
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