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第一章 帰ってきた幼馴染
黄太郎と、キーマカレーと野菜ジュース(3)
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「さ、食べて食べて!」
「いただきます……」
「フンッ」
青司くんに促されて、わたしと黄太郎はキーマカレーをさっそく一口食べる。
「……ん! 美味しい!」
「腹が減ってたからな。ちょうど良かったぜ……」
ぶつくさ言いながらも、黄太郎はちゃっかりご飯部分をかっこんでいる。
相当お腹が減っていたのだろう。
怒るとお腹が減るし、逆にお腹が満たされれば怒りは治まる、っていうもんね。
これで少しは穏やかに話ができるといいんだけど……と思いながら青司くんを見ると、ちょうど野菜ジュースのパックを開けているところだった。
「あ、良かったらこれもどうぞ」
そう言って、オレンジ色の液体が満たされたグラスが置かれる。
「ふ~。これがカレーの中に入ってるんだよね……言われないとちょっとわからないね」
「でしょ。でも美味しくなるんだ」
「青司、オレはどちらかというと水をもらいたいんだが」
遠慮なくジュースを飲み干してから、黄太郎がそんなことを言う。
「はいはい。黄太郎、こっちもどうぞ」
別のグラスに水が注がれ、それがまたわたしと黄太郎の前に置かれる。
黄太郎はごくごくとそれを飲んだ。
「黄太郎って、昔から辛いの苦手だよね。これは、女性も食べやすいようにってそんなに辛くしてないつもりなんだけど……」
「うるせえな。苦手なものは苦手なんだよ!」
黄太郎は水を飲み干して二杯目の水を所望している。
たしかにわたしも食べたけどそんなに辛くはなかった。でも、昔から黄太郎は辛いのが苦手だ。ちょっとでも辛いとすぐにひーひーしてしまう。
舌が繊細というか、どんな食べ物も濃いめに感じるようだ。
「カレーの部分が多いなら、わたしが食べてあげようか?」
「お、助かる」
助け船を出すと、いきなり間に青司くんの手が伸びてきた。
「ん?」
「どうした青司」
「多いなら俺が引き受ける。真白は食べなくていいよ」
そう言われて、わたしも黄太郎も一瞬ポカンとなる。
え、これ、まさか……。
「ぷっ。あはははっ! おいおい、まじでどんだけ独占欲強いんだよお前。こんなの意識してんのお前だけだぞ」
「……」
無言で黄太郎のお皿を引き上げた青司くんは、カレー部分を黙々と自分の皿に移し替えていく。
「真白と料理をシェア、なんて……間接キスにもなりゃしねえよ。あーもう、ほんとなんなんだお前」
呆れた様子で笑いながら、またカレーの皿を受け取る黄太郎。
今度は青司くんがぶすっとむくれてしまった。
「いいじゃないか。そんなこと言うとまたカレー戻すぞ、キタロウ」
「あっ」
「……」
わたしはとっさに出たその呼び名に思わず声をあげてしまった。
黄太郎もハッとして青司くんを見る。
「キタロウ……? お前、その呼び方やめろっつっただろ!」
「悪い。つい……」
「つい、じゃねーよ! てかカレーをオレに喰わせる時点で最初から嫌がらせだろ、コレ!」
「違う。これはほんとたまたま……っていうか最初からランチメニューの一品で考えてて……」
「却下だ却下! オレもここに通うことを想定して、うどんとかにしろ!」
「うどん!? 定食屋じゃないんだぞ。喫茶店だぞ?」
「いいじゃねーか。喫茶店でうどん。オレは好きだぞ。特にきつねうどんがな。逆に珍しくて客がわんさか来るんじゃねーか?」
「いやあ、無いね」
「は?」
「無いよ。じゃあ黄太郎には特別にカレーうどん作ってあげる」
「は? って、それもカレーじゃねえか! やめろバカ」
「ランチだったら、あとはBLTサンドぐらいしかないかなあ。それなら食べれる?」
「ああ、もうそれでいいよ。そのサンドイッチを作れ。今から!」
「え、今から? 材料が無いよ」
「じゃあさっきのスーパー行って買ってこい。その間オレはここで久しぶりの真白と楽しくおしゃべりしてるからさ」
「そんな……ふたりきりになんかさせるか。黙ってそのキーマカレーを食べてろ」
「フンッ、このやきもち焼きめ。わーったよ。じゃあ辛いけど残りも食べてやるよ。辛いけどな……味だけはまずくないもんな」
「ふんっ、それは良かったよ」
そこまで言って、ふんっとお互いそっぽを向く。
今までのぽんぽん飛び交っていた言葉の掛け合いに、わたしは、急におかしさがこみあげてきた。
「ふふっ。あはははっ……! ほんと、二人とも……あの頃みたい。いっつもこうやってふざけ合ってて……仲良くて。ふふっ、ああ、おかしい」
笑いすぎて涙が出てくる。
青司くんも黄太郎も、そんなわたしを見てなんだか急に気が抜けてしまったらしい。
二人ともだんだん苦笑いをしはじめた。
「フッ、青司よ。なんだかんだ言ったが……こうやって真白が笑っててくれればいいんだよ、オレはよ」
「うん。それは……俺も同感」
「青司、これから一緒にいる時間が多くなるだろうお前に言っておく。こいつをいつも、そういう風に笑わせてやってくれ。絶対、泣かせるような真似は二度としないでくれ」
「ああ。もう悲しい思いはさせないよ。約束する……」
「そうか」
「ああ」
黄太郎は満足そうに笑うと、もう一度残りのカレーを食べはじめた。
わたしも無言のままカレーを食べる。
いろんなものが混じりあったカレーは、まるでわたしたちの心の中のようだった。
辛いだけでなく、いろんなもののうまみや甘さが足されて、複雑な味になる。
そうして、ひとつの料理として完成する。
わたしたちもこうでありたい。
いろんな思いが交錯するけど、じっくり話し合って、わかり合っていけたらいいなと思ってる。
「ごちそうさん」
「ごちそうさまでした!」
わたしたちが食べ終わると、ちょうど青司くんも自分の分のカレーを食べ終えたところだった。
ゆっくり食べるために青司くんは、途中からカウンターのわたしの左隣の席に移動している。
「ねえ、青司くん……」
「ん? なに真白。あ、そういえばどうだった? このカレー。試食した感想は」
本来の役目を思い出した青司くんが、急に訊いてくる。
ちょうど今、わたしもそれを伝えようと思ったところだった。
「うん。とっても美味しかったよ。黄太郎は辛がっていたけど、わたしは大丈夫だった。ゆで卵とか、卵を乗せるともうちょっとマイルドになるかもね。サラダとかはつけないの?」
「ああ、ゆで卵。そっか。忘れてたよ……。母さんもよく目玉焼きつけてくれてたよね、じゃあゆで卵はトッピングで追加しようかな。サラダは……カレーの中にたくさん野菜が入ってるからいいかなと思ったんだけど。見栄えの問題?」
「そう」
「なるほど。箸休めになるし、やっぱり野菜はつけた方がいいね。わかった」
そんな会話をしていると、黄太郎が背後からぼそっと話しかけてくる。
「真白、やっぱ働く気なんだな。ここで」
「……うん」
振り返り、わたしはちゃんと黄太郎に向き直る。
「青司くんを手伝ってあげたいの。わたしも……もう立ち止まっていたくないんだ。前に、進みたいの」
「そうか」
「……黄太郎」
今度は青司くんの声が背中から聞こえてくる。
わたしの、大好きな、独特の落ち着く声。
その響きがすぐ近くで聞こえると、わたしはどうしてもどきどきしてしまう。
「俺は……もう一度ちゃんと真白に向き合うつもりだ。そして、強くなる。強い人間になって、真白も、ここに来たお客さんも、みんな幸せにできるような人間になる。黄太郎……。そんな俺たちを、見守っててくれないか」
「……」
黄太郎は椅子から立ち上がると、フッと笑った。
「ああ。わかった。でも、もう一度真白を泣かせるようなことをしたら……今度こそ、その綺麗な顔がぐちゃぐちゃになるくらい殴ってやるからな。憶えとけよ」
「うん。そう、ならないようにする……」
ははは、と若干引き気味で笑いながら、青司くんが答える。
黄太郎はそのまま店を出て行こうとした。
「え、黄太郎。帰るの?」
「ああ」
「お、送ってくよ。車で連れてきたし……」
「それはいい。ひとりで帰る」
青司くんも慌てて立ち上がるが、黄太郎はにべもなく断った。
しかし、玄関横の桃花先生の肖像画の前でぴたりと立ち止まる。
「なあ青司……さっき真白だけじゃなく、この店に来た客も幸せにしたい、って言ったよな」
「あ、うん……」
「桃花先生みたいにか」
「そう……だね」
「そうか。なら、これからできるようになるといいな」
わたしは思わず息を飲んだ。
あの黄太郎が、青司くんにそんなことを言うなんて。
背中を向けたままの黄太郎が今どんな表情をしているかわからない。でも、わたしはありがたいと思った。そして、こんな素晴らしい人が元カレで、そして今は友でいてくれて良かったと思った。
「じゃあな」
そう言って、黄太郎は去っていった。
残されたわたしたちは何気なく見つめ合う。
「真白……」
青司くんの真剣な瞳を見つめる。
先ほど言っていた言葉。
強くなって幸せにしたいという言葉を思い出す。
「さっき黄太郎に……言った通りだよ。俺は真白と、ここでもう一度やり直したい。真白も、その間俺をもう一度知っていってほしい。そして……この町でうまくやっていけるようになったら……その……」
じっと熱く見つめ続けられると、どきどきして倒れそうになる。
だめ、だめだ。
これ以上こうしてたら、またキス……されたくなっちゃう。
「ただいまー! ってあれ?」
その時、紫織さんと学さん、菫ちゃんの親子が戻ってきた。
わたしたちはあわてて居住まいを正す。
「あれあれ~? お邪魔だったかしら~?」
「な、なにがですか?」
紫織さんは意地悪そうな微笑みを浮かべてわたしに近寄ってくる。
旦那さんの学さんはすいませんと申し訳なさそうな笑みを浮かべて、菫ちゃんの目を両手で覆っていた。
わたしは恥ずかしくて死にたくなった。
「そんな隠さなくたっていーわよ」
「な、なにも、隠してないです!」
「え~? 別に~? かまわないけど~。でも菫の前ではあんまりそういうことはやめてよね」
「だから、なんにもないですって!」
青司くんはと振り返ってみると、いつの間にか空気と化していて、わたしたちの使い終わった食器を洗っていた。
ほんとこういう要領のいいところ、すごく青司くんらしいと思う。
その後、菫ちゃんがテーブル席でお絵かきしたり、かつての昔話に花を咲かせたりした。
このときも、外から店の中を覗いていた人がいたみたいなのだが、そのことにわたしはまったく気が付いていなかった。
「いただきます……」
「フンッ」
青司くんに促されて、わたしと黄太郎はキーマカレーをさっそく一口食べる。
「……ん! 美味しい!」
「腹が減ってたからな。ちょうど良かったぜ……」
ぶつくさ言いながらも、黄太郎はちゃっかりご飯部分をかっこんでいる。
相当お腹が減っていたのだろう。
怒るとお腹が減るし、逆にお腹が満たされれば怒りは治まる、っていうもんね。
これで少しは穏やかに話ができるといいんだけど……と思いながら青司くんを見ると、ちょうど野菜ジュースのパックを開けているところだった。
「あ、良かったらこれもどうぞ」
そう言って、オレンジ色の液体が満たされたグラスが置かれる。
「ふ~。これがカレーの中に入ってるんだよね……言われないとちょっとわからないね」
「でしょ。でも美味しくなるんだ」
「青司、オレはどちらかというと水をもらいたいんだが」
遠慮なくジュースを飲み干してから、黄太郎がそんなことを言う。
「はいはい。黄太郎、こっちもどうぞ」
別のグラスに水が注がれ、それがまたわたしと黄太郎の前に置かれる。
黄太郎はごくごくとそれを飲んだ。
「黄太郎って、昔から辛いの苦手だよね。これは、女性も食べやすいようにってそんなに辛くしてないつもりなんだけど……」
「うるせえな。苦手なものは苦手なんだよ!」
黄太郎は水を飲み干して二杯目の水を所望している。
たしかにわたしも食べたけどそんなに辛くはなかった。でも、昔から黄太郎は辛いのが苦手だ。ちょっとでも辛いとすぐにひーひーしてしまう。
舌が繊細というか、どんな食べ物も濃いめに感じるようだ。
「カレーの部分が多いなら、わたしが食べてあげようか?」
「お、助かる」
助け船を出すと、いきなり間に青司くんの手が伸びてきた。
「ん?」
「どうした青司」
「多いなら俺が引き受ける。真白は食べなくていいよ」
そう言われて、わたしも黄太郎も一瞬ポカンとなる。
え、これ、まさか……。
「ぷっ。あはははっ! おいおい、まじでどんだけ独占欲強いんだよお前。こんなの意識してんのお前だけだぞ」
「……」
無言で黄太郎のお皿を引き上げた青司くんは、カレー部分を黙々と自分の皿に移し替えていく。
「真白と料理をシェア、なんて……間接キスにもなりゃしねえよ。あーもう、ほんとなんなんだお前」
呆れた様子で笑いながら、またカレーの皿を受け取る黄太郎。
今度は青司くんがぶすっとむくれてしまった。
「いいじゃないか。そんなこと言うとまたカレー戻すぞ、キタロウ」
「あっ」
「……」
わたしはとっさに出たその呼び名に思わず声をあげてしまった。
黄太郎もハッとして青司くんを見る。
「キタロウ……? お前、その呼び方やめろっつっただろ!」
「悪い。つい……」
「つい、じゃねーよ! てかカレーをオレに喰わせる時点で最初から嫌がらせだろ、コレ!」
「違う。これはほんとたまたま……っていうか最初からランチメニューの一品で考えてて……」
「却下だ却下! オレもここに通うことを想定して、うどんとかにしろ!」
「うどん!? 定食屋じゃないんだぞ。喫茶店だぞ?」
「いいじゃねーか。喫茶店でうどん。オレは好きだぞ。特にきつねうどんがな。逆に珍しくて客がわんさか来るんじゃねーか?」
「いやあ、無いね」
「は?」
「無いよ。じゃあ黄太郎には特別にカレーうどん作ってあげる」
「は? って、それもカレーじゃねえか! やめろバカ」
「ランチだったら、あとはBLTサンドぐらいしかないかなあ。それなら食べれる?」
「ああ、もうそれでいいよ。そのサンドイッチを作れ。今から!」
「え、今から? 材料が無いよ」
「じゃあさっきのスーパー行って買ってこい。その間オレはここで久しぶりの真白と楽しくおしゃべりしてるからさ」
「そんな……ふたりきりになんかさせるか。黙ってそのキーマカレーを食べてろ」
「フンッ、このやきもち焼きめ。わーったよ。じゃあ辛いけど残りも食べてやるよ。辛いけどな……味だけはまずくないもんな」
「ふんっ、それは良かったよ」
そこまで言って、ふんっとお互いそっぽを向く。
今までのぽんぽん飛び交っていた言葉の掛け合いに、わたしは、急におかしさがこみあげてきた。
「ふふっ。あはははっ……! ほんと、二人とも……あの頃みたい。いっつもこうやってふざけ合ってて……仲良くて。ふふっ、ああ、おかしい」
笑いすぎて涙が出てくる。
青司くんも黄太郎も、そんなわたしを見てなんだか急に気が抜けてしまったらしい。
二人ともだんだん苦笑いをしはじめた。
「フッ、青司よ。なんだかんだ言ったが……こうやって真白が笑っててくれればいいんだよ、オレはよ」
「うん。それは……俺も同感」
「青司、これから一緒にいる時間が多くなるだろうお前に言っておく。こいつをいつも、そういう風に笑わせてやってくれ。絶対、泣かせるような真似は二度としないでくれ」
「ああ。もう悲しい思いはさせないよ。約束する……」
「そうか」
「ああ」
黄太郎は満足そうに笑うと、もう一度残りのカレーを食べはじめた。
わたしも無言のままカレーを食べる。
いろんなものが混じりあったカレーは、まるでわたしたちの心の中のようだった。
辛いだけでなく、いろんなもののうまみや甘さが足されて、複雑な味になる。
そうして、ひとつの料理として完成する。
わたしたちもこうでありたい。
いろんな思いが交錯するけど、じっくり話し合って、わかり合っていけたらいいなと思ってる。
「ごちそうさん」
「ごちそうさまでした!」
わたしたちが食べ終わると、ちょうど青司くんも自分の分のカレーを食べ終えたところだった。
ゆっくり食べるために青司くんは、途中からカウンターのわたしの左隣の席に移動している。
「ねえ、青司くん……」
「ん? なに真白。あ、そういえばどうだった? このカレー。試食した感想は」
本来の役目を思い出した青司くんが、急に訊いてくる。
ちょうど今、わたしもそれを伝えようと思ったところだった。
「うん。とっても美味しかったよ。黄太郎は辛がっていたけど、わたしは大丈夫だった。ゆで卵とか、卵を乗せるともうちょっとマイルドになるかもね。サラダとかはつけないの?」
「ああ、ゆで卵。そっか。忘れてたよ……。母さんもよく目玉焼きつけてくれてたよね、じゃあゆで卵はトッピングで追加しようかな。サラダは……カレーの中にたくさん野菜が入ってるからいいかなと思ったんだけど。見栄えの問題?」
「そう」
「なるほど。箸休めになるし、やっぱり野菜はつけた方がいいね。わかった」
そんな会話をしていると、黄太郎が背後からぼそっと話しかけてくる。
「真白、やっぱ働く気なんだな。ここで」
「……うん」
振り返り、わたしはちゃんと黄太郎に向き直る。
「青司くんを手伝ってあげたいの。わたしも……もう立ち止まっていたくないんだ。前に、進みたいの」
「そうか」
「……黄太郎」
今度は青司くんの声が背中から聞こえてくる。
わたしの、大好きな、独特の落ち着く声。
その響きがすぐ近くで聞こえると、わたしはどうしてもどきどきしてしまう。
「俺は……もう一度ちゃんと真白に向き合うつもりだ。そして、強くなる。強い人間になって、真白も、ここに来たお客さんも、みんな幸せにできるような人間になる。黄太郎……。そんな俺たちを、見守っててくれないか」
「……」
黄太郎は椅子から立ち上がると、フッと笑った。
「ああ。わかった。でも、もう一度真白を泣かせるようなことをしたら……今度こそ、その綺麗な顔がぐちゃぐちゃになるくらい殴ってやるからな。憶えとけよ」
「うん。そう、ならないようにする……」
ははは、と若干引き気味で笑いながら、青司くんが答える。
黄太郎はそのまま店を出て行こうとした。
「え、黄太郎。帰るの?」
「ああ」
「お、送ってくよ。車で連れてきたし……」
「それはいい。ひとりで帰る」
青司くんも慌てて立ち上がるが、黄太郎はにべもなく断った。
しかし、玄関横の桃花先生の肖像画の前でぴたりと立ち止まる。
「なあ青司……さっき真白だけじゃなく、この店に来た客も幸せにしたい、って言ったよな」
「あ、うん……」
「桃花先生みたいにか」
「そう……だね」
「そうか。なら、これからできるようになるといいな」
わたしは思わず息を飲んだ。
あの黄太郎が、青司くんにそんなことを言うなんて。
背中を向けたままの黄太郎が今どんな表情をしているかわからない。でも、わたしはありがたいと思った。そして、こんな素晴らしい人が元カレで、そして今は友でいてくれて良かったと思った。
「じゃあな」
そう言って、黄太郎は去っていった。
残されたわたしたちは何気なく見つめ合う。
「真白……」
青司くんの真剣な瞳を見つめる。
先ほど言っていた言葉。
強くなって幸せにしたいという言葉を思い出す。
「さっき黄太郎に……言った通りだよ。俺は真白と、ここでもう一度やり直したい。真白も、その間俺をもう一度知っていってほしい。そして……この町でうまくやっていけるようになったら……その……」
じっと熱く見つめ続けられると、どきどきして倒れそうになる。
だめ、だめだ。
これ以上こうしてたら、またキス……されたくなっちゃう。
「ただいまー! ってあれ?」
その時、紫織さんと学さん、菫ちゃんの親子が戻ってきた。
わたしたちはあわてて居住まいを正す。
「あれあれ~? お邪魔だったかしら~?」
「な、なにがですか?」
紫織さんは意地悪そうな微笑みを浮かべてわたしに近寄ってくる。
旦那さんの学さんはすいませんと申し訳なさそうな笑みを浮かべて、菫ちゃんの目を両手で覆っていた。
わたしは恥ずかしくて死にたくなった。
「そんな隠さなくたっていーわよ」
「な、なにも、隠してないです!」
「え~? 別に~? かまわないけど~。でも菫の前ではあんまりそういうことはやめてよね」
「だから、なんにもないですって!」
青司くんはと振り返ってみると、いつの間にか空気と化していて、わたしたちの使い終わった食器を洗っていた。
ほんとこういう要領のいいところ、すごく青司くんらしいと思う。
その後、菫ちゃんがテーブル席でお絵かきしたり、かつての昔話に花を咲かせたりした。
このときも、外から店の中を覗いていた人がいたみたいなのだが、そのことにわたしはまったく気が付いていなかった。
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