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二日目
第8話 「満月の夜に」
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「では、おやすみなさいませ、ガーネット様」
「うん。おやすみ……ケイト」
部屋の前でメイドと別れたガーネットは、そっと入り口の扉を閉めた。
広すぎるほどの部屋の中央には、白い天蓋付きのベッドがある。そこまで歩いていくと、ガーネットは勢いよくその上に倒れ込んだ。
「はあ……疲れた」
布団の上であおむけになり、ぼーっと天井を眺める。
今夜も豪勢な食事だった。濃厚なソースがかかった肉料理。野菜のスープに、塩味の効いたパン、色とりどりの果物……。
かつて暮らしていた村では見たこともないようなものばかりだったので、ガーネットはついつい食べ過ぎてしまっていた。こうして横になってみると若干胸やけがする。胃のあたりを手で撫でさすりながら、ガーネットは小さな声でつぶやいた。
「おいしかったな……けど」
今のユリオン村の人々のことを思うと、急に申し訳なくなってくる。
「お父様とお母様、どうしているだろう。村の人たちは……畑は……どうなったのかしら」
かつてガーネットの暮らしていた村は、悪天候が続く決して肥沃とは言えない土地だった。
作物はうまく育たず、家畜はやせ衰え、食料はいつも不足していた。しかし、ガーネットが村にやって来てからは「奇跡」が起き、わずかな期間だけ豊作となっていたのである。
けれどそれも、今はどうなっているかわからない。
その「奇跡」の噂を聞きつけた者によって、自分が攫われてしまったからだ。そして、今現在に至る。
村の皆は明日がどうなるか心配でたまらない毎日を送っているだろう。それなのに自分だけこのように腹いっぱい食べているなんて、ガーネットはどうにも後ろめたくなっていた。
サンダロス伯爵。
彼はガーネットに「この街を救ってほしい」と懇願してきた。いわく、とある病がここで蔓延しているのだと。原因不明の目の病。それを、自分の力で消し去ってほしいと頼んできた。
虜囚……という身分であるはずなのに、こうして破格のもてなしを受けているのはそのためだ。期待をかけられている証拠である。けれど、正直ガーネットは困惑していた。
「わたしの力が、その病気に効くかはわからない、のに……」
この屋敷に来てから、ガーネットは毎回食事に招かれている。
同じ部屋の、同じテーブルにつかされ、伯爵の顔の見える位置で食べさせられていた。ガーネットにとっては非常に居心地の悪いものでしかなかったが、また断れる立場でもなかったため、仕方なく従っていた。
木の彫刻が美しい壁に囲まれた、広い食堂だった。
黒光りする長いテーブルの片方には伯爵と、その妻、二人の息子たち。もう片方にはガーネットが座った。
終始会話はなく、時折ちらりと複数の視線が自分に向けられていた。
肩身の狭い思いをしながら、ガーネットはひたすら食事を口に運ぶ作業をくりかえす。冷や汗だけが流れ、永遠とも呼べる時間が続いていた。それが、初日から四食連続だ。さすがに気疲れがピークに達し、今後もこれが続くのかと思うとガーネットはひどいめまいに襲われた。
「はあ……村に、帰りたい。お父様……お母様……」
深いため息とともにそうつぶやくと、ふわりと窓辺のカーテンが揺れる。
夜風がそよそよと部屋に吹き込んでいた。
ずっと窓が開いていたのだろうか。ガーネットは気だるげに起き上がると、ガラス戸を閉めに行った。
暗い室内に、青白い月の光が差し込んでいる。
ふと窓の外を見上げると満月だった。
「きれい……」
静かで、穏やかなその光を浴びていると、心が浄化されるようだ。
煌めく満天の星々。庭の木立の向こうに広がる、明かりの灯ったサンダロスの街。広い海――。そのどれもが美しかった。しばらくそれに見入っていると、ふと、視界の端に「青く光るもの」を見つける。
「ん? あれは……何かしら」
屋敷をとりまく壁の上に、何かが「いた」。それはじっとこちらを見つめている。青く光っていたのは二つの目玉だ。
「あ……あれは……」
それを見て、ガーネットは昼間のことを思い出す。
そうだ。あれは昼間、中庭に来た黒猫だ。
青い瞳。昨日、幌馬車に飛び込んできた黒猫……あれがまたここに来ているのだ。二度も来るなんて、いったいどうしたわけだろうか。
「わたしに……用がある、とか? まさかね……」
首をふりながら、ガーネットは黒猫の動きを見守る。
黒猫はこちらをじっと見つつ、移動し始めた。壁沿いにぐるりと回り、ゆっくりと屋敷の方へ近づいてくる。
「えっ? そんな……ウソでしょ?」
壁から屋敷の一階の屋根に飛び移る。そしてさらに壁を駆け上がると、黒猫は二階のバルコニーに飛び乗って来た。ガーネットのいる部屋の隣のバルコニーに、である。
一歩一歩手すりの上を進み、ついにガーネットのいる窓のバルコニーに到達した。
「ひっ!」
思わず後ずさりして、ガーネットはその場で尻餅をつく。
見上げると、月明かりを背にした黒猫がこちらを見下ろしていた。
「うん。おやすみ……ケイト」
部屋の前でメイドと別れたガーネットは、そっと入り口の扉を閉めた。
広すぎるほどの部屋の中央には、白い天蓋付きのベッドがある。そこまで歩いていくと、ガーネットは勢いよくその上に倒れ込んだ。
「はあ……疲れた」
布団の上であおむけになり、ぼーっと天井を眺める。
今夜も豪勢な食事だった。濃厚なソースがかかった肉料理。野菜のスープに、塩味の効いたパン、色とりどりの果物……。
かつて暮らしていた村では見たこともないようなものばかりだったので、ガーネットはついつい食べ過ぎてしまっていた。こうして横になってみると若干胸やけがする。胃のあたりを手で撫でさすりながら、ガーネットは小さな声でつぶやいた。
「おいしかったな……けど」
今のユリオン村の人々のことを思うと、急に申し訳なくなってくる。
「お父様とお母様、どうしているだろう。村の人たちは……畑は……どうなったのかしら」
かつてガーネットの暮らしていた村は、悪天候が続く決して肥沃とは言えない土地だった。
作物はうまく育たず、家畜はやせ衰え、食料はいつも不足していた。しかし、ガーネットが村にやって来てからは「奇跡」が起き、わずかな期間だけ豊作となっていたのである。
けれどそれも、今はどうなっているかわからない。
その「奇跡」の噂を聞きつけた者によって、自分が攫われてしまったからだ。そして、今現在に至る。
村の皆は明日がどうなるか心配でたまらない毎日を送っているだろう。それなのに自分だけこのように腹いっぱい食べているなんて、ガーネットはどうにも後ろめたくなっていた。
サンダロス伯爵。
彼はガーネットに「この街を救ってほしい」と懇願してきた。いわく、とある病がここで蔓延しているのだと。原因不明の目の病。それを、自分の力で消し去ってほしいと頼んできた。
虜囚……という身分であるはずなのに、こうして破格のもてなしを受けているのはそのためだ。期待をかけられている証拠である。けれど、正直ガーネットは困惑していた。
「わたしの力が、その病気に効くかはわからない、のに……」
この屋敷に来てから、ガーネットは毎回食事に招かれている。
同じ部屋の、同じテーブルにつかされ、伯爵の顔の見える位置で食べさせられていた。ガーネットにとっては非常に居心地の悪いものでしかなかったが、また断れる立場でもなかったため、仕方なく従っていた。
木の彫刻が美しい壁に囲まれた、広い食堂だった。
黒光りする長いテーブルの片方には伯爵と、その妻、二人の息子たち。もう片方にはガーネットが座った。
終始会話はなく、時折ちらりと複数の視線が自分に向けられていた。
肩身の狭い思いをしながら、ガーネットはひたすら食事を口に運ぶ作業をくりかえす。冷や汗だけが流れ、永遠とも呼べる時間が続いていた。それが、初日から四食連続だ。さすがに気疲れがピークに達し、今後もこれが続くのかと思うとガーネットはひどいめまいに襲われた。
「はあ……村に、帰りたい。お父様……お母様……」
深いため息とともにそうつぶやくと、ふわりと窓辺のカーテンが揺れる。
夜風がそよそよと部屋に吹き込んでいた。
ずっと窓が開いていたのだろうか。ガーネットは気だるげに起き上がると、ガラス戸を閉めに行った。
暗い室内に、青白い月の光が差し込んでいる。
ふと窓の外を見上げると満月だった。
「きれい……」
静かで、穏やかなその光を浴びていると、心が浄化されるようだ。
煌めく満天の星々。庭の木立の向こうに広がる、明かりの灯ったサンダロスの街。広い海――。そのどれもが美しかった。しばらくそれに見入っていると、ふと、視界の端に「青く光るもの」を見つける。
「ん? あれは……何かしら」
屋敷をとりまく壁の上に、何かが「いた」。それはじっとこちらを見つめている。青く光っていたのは二つの目玉だ。
「あ……あれは……」
それを見て、ガーネットは昼間のことを思い出す。
そうだ。あれは昼間、中庭に来た黒猫だ。
青い瞳。昨日、幌馬車に飛び込んできた黒猫……あれがまたここに来ているのだ。二度も来るなんて、いったいどうしたわけだろうか。
「わたしに……用がある、とか? まさかね……」
首をふりながら、ガーネットは黒猫の動きを見守る。
黒猫はこちらをじっと見つつ、移動し始めた。壁沿いにぐるりと回り、ゆっくりと屋敷の方へ近づいてくる。
「えっ? そんな……ウソでしょ?」
壁から屋敷の一階の屋根に飛び移る。そしてさらに壁を駆け上がると、黒猫は二階のバルコニーに飛び乗って来た。ガーネットのいる部屋の隣のバルコニーに、である。
一歩一歩手すりの上を進み、ついにガーネットのいる窓のバルコニーに到達した。
「ひっ!」
思わず後ずさりして、ガーネットはその場で尻餅をつく。
見上げると、月明かりを背にした黒猫がこちらを見下ろしていた。
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