魔法猫ファンネーデルと宝石加護の娘

津月あおい

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五日目

第26話 「黒猫の不安」

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 ――――んっ?

 草むらを歩いていた黒猫は、ひくひくと鼻を動かした。
 どこからともなく、うまそうな匂いが漂ってきている。首を巡らせてみると、「教会」と呼ばれる建物が見えた。

 ――――あそこか。そろそろ腹が減って来たところだし、覗いてみるか。

 裏口の戸が半開きになっていた。
 黒猫は、そこからするりと身を滑り込ませる。

 部屋の中は、濃厚な果実の香りで満たされていた。その強さに鼻が曲がりそうになりながらも、黒猫はあたりを見回す。
 幸い、人間はいなかった。

 ――――よっと。

 身を大きくかがめると、中央の大きなテーブルの上に跳び乗る。
 卓上には、果実の載ったホールケーキが置いてあった。
 茶色い生地の上に、青紫色の果実がぎっしりと並べられている。そして、さらにその上にどろりとした赤いソースが、これでもかとかけられている。

 壁際に目をやると、煮炊き用の鍋がかまどの上に乗っていた。その中にも、同じような色のソースがたんまりと入っている。
 窯にはまだ小さなとろ火がついて、くつくつと煮えていた。

 どうやら匂いの元はこれだったようだ。

 黒猫はくんくんともう一度鼻を動かしてから、ケーキに口をつけてみる。

 ――――んっ! なんだぁ、こりゃあ……?

 酸っぱい匂いと、どろどろとした触感が口の中いっぱいに広がった。
 黒猫は思わず吐きだすと、残りのイメージをふりはらうように前足でごしごしと口周りをこする。あまり美味い食べ物だとはいえなかった。しきりに舌なめずりしていると、ゴトンと背後で物音がする。

「ねっ、猫!?」

 振り返ると、廊下に通じる開口部に若い修道女が立っていた。
 床には、たった今落としたであろうビンが転がっている。

「どうしたのです、エミリー」
「あっ、グレースさん! の、野良猫が入ってきちゃいまして。わ、わたしたちの、ケーキが……」
「野良猫?」

 続いて奥から老齢の修道女が入ってくる。
 黒猫は後ずさりした。
 複数の人間に囲まれるのはまずい。あわてて逃げようとするが、若い修道女の方が勝手口近くへ移動したため、退路が立たれてしまった。

 ――――どうしよう。

 二の足を踏みながら心の中でつぶやいていると、修道女二人はきょとんとした顔になった。

「え? い、今……グレースさん、たしかに何か今、聞こえましたよね?」
「ええ。そんな気が……少年の声、のような」
「ですよね、ですよね? いったいどこから……」

 ――――まさか。ボクの心の声が……こいつらにも……?

 黒猫は動揺した。
 まさかガーネット以外にも聞こえるようになってしまったのだろうか。

「ぐ、グレースさん、もしかしてこの声って……」
「ええ、もしかしなくとも……きっとそうでしょうね。信じられないけど、あり得ないことではないわ。……そこな野良猫、これは貴方の声なのですか?」

 黒猫は黙った。
 余計なことを言って、さらに興味を持たれたくはなかった。そういうふうに関わってこようとするのはあの少女だけで十分だ。
 どうにか隙をついて逃げ出さなくては……そう思いながらキョロキョロしていると、ふと妙な張り紙があるのに気が付いた。

 ――――これは……あの女!?

 貼り紙に描かれている絵に、黒猫は目が釘付けになった。
 書かれている「文字」は読めないが、絵だけはすぐに一目でわかる。

 それは、とある人間の全身図だった。
 昨日街で出くわした女と特徴がほぼ一致している。

 ――――どうしてあの女が? そういえば、似たような紙が他の所にも貼られていたような……。

 この張り紙は今日、街中でいくつか見かけていた。だが、それほど気にならなかったのですべて通り過ぎていたのだ。
 こうして改めて近くで見ると、たしかに昨日の女である。

 なんだか胸がざわついた。
 あの変な女は、「宝石加護」のことについて異常な興味を示していた……。

 そこまで考えて、黒猫はハッとした。
 また心の声が出てしまっていたのでは……と、おそるおそる修道女二人を見ると、それぞれ感極まったような表情で神に祈りを捧げている。

「おお! 神はまた新たなお恵みをお与えくだすった! この猫に代わって感謝いたします。奇跡の力という恩恵を、我らに与えてくださったことに……」
「わたしも、感謝いたします! 神の御力をこの世に授けていただき、ありがとうございます!」

 老修道女に続いて、若い修道女も天に向かって手を合わせている。
 黒猫はその様子を若干引き気味で見ていた。

 やがて陶酔したような表情で瞑目していた二人は、ふたたびその目を開ける。

「……さて。エミリー、良く憶えておきなさい。あの黒猫は、とても美しい色の瞳をしています。これは……明らかに宝石加護の特徴です」
「はい。動物に与えられたものは……わたしもはじめて見ました。本当に実在していたのですね。教典にも一例ほどしか記載されていなかったのに……」
「ええ、まさに奇跡です。幻の、宝石加護の力……これは神父様や教会本部にもさっそく連絡しなくては」

 ――――ボクが……宝石加護?

 はっきりと修道女たちに断定されたことで、黒猫はガーネットの言葉を思い返していた。

『あの……ね、あなたも宝石加護の力を持っているんじゃないか……って、思ったの』

 あの時はあくまで彼女の「予想」でしかなかったが、宝石加護に詳しいとされる教会の人間たちが言うのなら、ほぼ間違いないだろう。
 黒猫は困惑しながら、修道女たちに心の中で語りかけてみた。

 ――――おい、それって! 本当なんだろうな。もし嘘なら……。

 老修道女がやや驚きながらも、それに答える。

「嘘だったら、この奇跡に説明がつきません。お前の心の声がわたくしたちに届くのは……神の御力以外にないのですよ」

 ――――そうか……。じゃあ、ついでにちょっと訊くが、この紙に描かれている女は何なんだ? いったい何者だ。

「ああ、その魔女のことですか」

 ――――魔女?

「ええ。それは今朝がた役所から配布された『手配書』です。どうやら例の、『目腐れ病』を広めた犯人がわかったようですね。その身なりから、仮に『魔女』と……。さっきの口ぶりですと、お前はその者について何か知っているのですか?」

 ――――昨日、街中で会った。

「なんと!」
「ええっ?」

 修道女たちはそろって驚きの声をあげる。

「そんな……じゃあこの情報は……まったくのデマってわけじゃなかったんですね。この女が実在しているなら、早く捕まえないと」

 若い修道女が不安げにつぶやいたが、ファンネーデルはすでにそんなことを気にしている場合ではなかった。

 ――――あの女は、ボクの目に何かしようとしていた……それにガーネットのことも……。

「えっ? ガーネット?」

 ――――ああ、ボクは、ある宝石加護の持ち主と知り合いなんだ。そいつは、あの伯爵の屋敷にいて……。なんだか、すごく嫌な予感がする。

「そ、それって……。が、ガーネットって、宝石加護の……!?」

 ――――こうしちゃいられない。もう行くよ! ごちそうさま!

「あっ、待ちなさい!」

 動揺した若い修道女の横をすり抜けて、黒猫は勝手口の外へと走り出した。
 あまりにすばやかったため、修道女たちは追いつけない。

 また深い草むらに飛び込むと、黒猫はいちもくさんに伯爵の屋敷へと向かった。
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