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俺、宮瀬千晴はイタリア国籍イタリア在住の純日本人だ。
なんでこんなややこしいことになったかというと、その理由は15歳の頃にさかのぼる。
「千晴、お父さんとお母さんイタリア国籍とってイタリアに住もうと思うんだけど、どうだ?」
当時まだ日本の中学生をやっていたとき、唐突に父にそう言われて驚いた記憶はある。だが俺は
「へぇ、いいんじゃないの?」
と、返事をしたのだ。俺としては別に両親がどこの国籍を持っていようと構わなかったからだ。それに、イタリアに住む、ということが両親の長年の夢だということを知っていたから。
俺の両親は若い頃イタリアで知り合ったらしい。父はその頃画家を目指していて、高名な絵師に弟子入りするために、母は大学に留学するために、それぞれその地に至ったらしい。二人は街中のカフェで母が父にコーヒーをぶちまけるというなんとも運命的な出会いを果たし、なんやかんやで意気投合。あれよあれよという間に付き合い、秒速で結婚。俺を産んだ頃には同い年の二人はお互い24歳という若さだった。なぜこんなに詳しく両親のなれ初めを俺が知っているのかというと、この話を幼い頃から散々聞かされたからだ。
あまり若い頃に結婚すると長く続かないとか言われるけども、両親はそれはまあ仲がよく、思春期の俺の前でもイチャイチャしていて当時の俺は大分げんなりしたものだった。
俺の返答を受けて、父は少しほっとしたように、でもどこか不安そうに、切れ長の目を細めた。
「そうか、ありがとう。でもそうなるとお前も同じようにすることになるがそれはどうだ?」
まあそうなるだろう。俺はまだ保護者の庇護下にあるべき未成年だ。それは予想していた。イタリア語は話せないし、外国で暮らすことにも多少の不安はある。でも、
「俺はそれで大丈夫だよ。あー、でも中学校はこっちで卒業したいかな」
「それはそのつもりだ」
今度は嬉しそうに父は顔を綻ばせた。でもすぐに申し訳なさそうに顔を歪める。
「…千晴ありがとう。そしてすまない。俺たちの我が儘で振り回してしまって」
まあ確かに…と思わなくもない。これは両親の盛大な我が儘だ。俺がそれに付き合う責任は、いくら子どもだからといってもないだろう。
でも俺は両親が好きだった。それぞれがかなりの自由人かつ変人の両親は、それでも一人息子の俺に目一杯愛を注いでくれていた。自由でいられて、でもちゃんと絆はあって。温かくていい家族だった。両親のこの願いを叶えることが俺にできる最大の親孝行かな、と幼い頃からずっと思っていたのだ。夢を叶えてあげられるのならそれは嬉しいことだ。
俺としても日本にそこまでの未練はない。今の友達だって連絡はとれるし、向こうで新しい友達も作ればいい。
かくして俺はイタリアに住むことになったのだ。
イタリアで始まった暮らしは大変なこともあったけど楽しかった。幸いにイタリア語も早いうちに使いこなせるようになって、友達も出来た。家族3人での幸せな暮らしだった。
でもそれは長く続かなかった。
イタリア移住から2年後の冬。
俺が17の時に2人は
――交通事故でこの世を去った。
突然に温かい家庭を失い、天涯孤独となった俺はしばらく感情のない人形のようになった。ひどい喪失感に襲われ、機械的に最低限の生活行動をこなす日々。でも、それではあんなに明るかった両親の息子としては、2人に顔向け出来ない。なんとか、やっていこう。そう、思ってなんとか復活した。
が、世間はそう甘くもなかった。父の絵の画廊の主が遺産を持って姿をくらましてしまったのだ。信頼してお金関係のことを預けていた人だったからお金を失ったことよりショックは大きかった。
未成年かつ外国人。そんな俺に異国はなかなか厳しかった。馬鹿高い学費や高い物価は容赦なく身を削っていく。父の絵は何点か残っていたが、それはどうしても売りたくなくて、身寄りのない俺はバイトに明け暮れるしかなかった。
当時の俺の精神状態は最悪。お金もないし、家族もない。信用していた人にも裏切られた。俺はだんだんやさぐれていった。
でも俺はこの時――セルジオに会ったんだ。これは俺の人生を大きく変えた。いい方にも悪い方にも。
とりあえずいい方は、俺はセルジオに救われたということ。
俺をどん底から救ってくれたのがセルジオだった。
俺は夜、気持ちがどうしようもなくなるとギターを持って酒場をうろついていた。運が良ければセッションしてくれるやつに出会えるからだ。父に教えてもらって、俺自身もすごく好きな、唯一と言ってもいい特技。ゆきずりの人とギターを弾いていれば、その時だけは日々の苦しさを忘れられる気がしていた。
俺とセルジオが出会ったのも、そんな夜だった。
「お前ギターすげぇ上手いな!」
セッション相手を探して、適当に弾いているところに若い男の声でそう呼び掛けられた。顔をあげるとそれはを青年と呼べる若い男だった。高い鼻に切れ長の目。クールそうで、いかにも女ウケがよさそうなその男は俺の手元を覗きこんだ。
「なあ今のどうやって弾いたんだ?もう一回やってくれよ」
金髪碧眼が店から漏れでる光を反射して、まるでそいつ自身が光を放っているようだと思った。
「俺はセルジオ。お前は?」
一方的に喋るこの男に押されて思わず
「チハル」
名乗ってしまった。俺の返答を聞いたそいつは、にっと笑って俺の隣に腰を下ろしてきた。
「チハル、ね。アジア系だよな。何人?」
「人種的に言えば日本人。国籍的に言えばイタリア人。」
俺の返答にセルジオは鼻に皺を寄せて笑った。
「なんだそれややこしいなーお前。え、何歳?」
「17だけど」
「え、嘘だろ!同い年かよ!もっと若いと思ってた。すげぇな日本人」
「こっちの台詞だよ。もっと年上かと思った」
「え、それ老けてるってことかよ!俺は普通だぜ!チハルが若く見えすぎんの」
気づけば普通に会話していた。そんな自分に驚く。初対面で馴れ馴れしいほどなのに、セルジオは嫌味なく自然な態度で話しかけてきて、俺も自然に返していた。両親が死んでからまともに会話したのはいつぶりだろう。もしかしたらこれが初めてかもしれない。
「なあ、セッションしようぜ」
セルジオが自分の手に持っていたギターをくいっと傾けて言った。俺はそれを黙って受けた。
いざやってみると、セルジオはギターも歌もとても旨かった。それこそプロ並み。低い色気のある歌声に、確かなテクニック。俺も久々に興奮して、全力でセルジオに合わせた。気づいたら俺も大声で歌っていて。余り上手くないと思っているから普段は歌わないのだけれどそんなこと構わなかった。ただただ楽しくて、夢中で音楽に浸った。
最後の1音が消えると、周囲から拍手が沸き起こった。いつの間にか人だかりが出来ていた。夢中になりすぎてはぁはぁと上がった息をしながらセルジオの方を見た。向こうも俺の方を見ていて、目が、合った。
この時だ。俺の人生が再び回り始めたのは。俺の運命が変わったのは。
セルジオの唇の動きがやけにはっきり見えたのを覚えている。その上がった息も、声の少し掠れていたのも。
「なあ、いっしょにバンドやらないか?そんで世界目指そうぜ」
セルジオの目がまるでサファイヤのように綺麗で、その瞬間俺がそれに捕らわれたのも。
なんでこんなややこしいことになったかというと、その理由は15歳の頃にさかのぼる。
「千晴、お父さんとお母さんイタリア国籍とってイタリアに住もうと思うんだけど、どうだ?」
当時まだ日本の中学生をやっていたとき、唐突に父にそう言われて驚いた記憶はある。だが俺は
「へぇ、いいんじゃないの?」
と、返事をしたのだ。俺としては別に両親がどこの国籍を持っていようと構わなかったからだ。それに、イタリアに住む、ということが両親の長年の夢だということを知っていたから。
俺の両親は若い頃イタリアで知り合ったらしい。父はその頃画家を目指していて、高名な絵師に弟子入りするために、母は大学に留学するために、それぞれその地に至ったらしい。二人は街中のカフェで母が父にコーヒーをぶちまけるというなんとも運命的な出会いを果たし、なんやかんやで意気投合。あれよあれよという間に付き合い、秒速で結婚。俺を産んだ頃には同い年の二人はお互い24歳という若さだった。なぜこんなに詳しく両親のなれ初めを俺が知っているのかというと、この話を幼い頃から散々聞かされたからだ。
あまり若い頃に結婚すると長く続かないとか言われるけども、両親はそれはまあ仲がよく、思春期の俺の前でもイチャイチャしていて当時の俺は大分げんなりしたものだった。
俺の返答を受けて、父は少しほっとしたように、でもどこか不安そうに、切れ長の目を細めた。
「そうか、ありがとう。でもそうなるとお前も同じようにすることになるがそれはどうだ?」
まあそうなるだろう。俺はまだ保護者の庇護下にあるべき未成年だ。それは予想していた。イタリア語は話せないし、外国で暮らすことにも多少の不安はある。でも、
「俺はそれで大丈夫だよ。あー、でも中学校はこっちで卒業したいかな」
「それはそのつもりだ」
今度は嬉しそうに父は顔を綻ばせた。でもすぐに申し訳なさそうに顔を歪める。
「…千晴ありがとう。そしてすまない。俺たちの我が儘で振り回してしまって」
まあ確かに…と思わなくもない。これは両親の盛大な我が儘だ。俺がそれに付き合う責任は、いくら子どもだからといってもないだろう。
でも俺は両親が好きだった。それぞれがかなりの自由人かつ変人の両親は、それでも一人息子の俺に目一杯愛を注いでくれていた。自由でいられて、でもちゃんと絆はあって。温かくていい家族だった。両親のこの願いを叶えることが俺にできる最大の親孝行かな、と幼い頃からずっと思っていたのだ。夢を叶えてあげられるのならそれは嬉しいことだ。
俺としても日本にそこまでの未練はない。今の友達だって連絡はとれるし、向こうで新しい友達も作ればいい。
かくして俺はイタリアに住むことになったのだ。
イタリアで始まった暮らしは大変なこともあったけど楽しかった。幸いにイタリア語も早いうちに使いこなせるようになって、友達も出来た。家族3人での幸せな暮らしだった。
でもそれは長く続かなかった。
イタリア移住から2年後の冬。
俺が17の時に2人は
――交通事故でこの世を去った。
突然に温かい家庭を失い、天涯孤独となった俺はしばらく感情のない人形のようになった。ひどい喪失感に襲われ、機械的に最低限の生活行動をこなす日々。でも、それではあんなに明るかった両親の息子としては、2人に顔向け出来ない。なんとか、やっていこう。そう、思ってなんとか復活した。
が、世間はそう甘くもなかった。父の絵の画廊の主が遺産を持って姿をくらましてしまったのだ。信頼してお金関係のことを預けていた人だったからお金を失ったことよりショックは大きかった。
未成年かつ外国人。そんな俺に異国はなかなか厳しかった。馬鹿高い学費や高い物価は容赦なく身を削っていく。父の絵は何点か残っていたが、それはどうしても売りたくなくて、身寄りのない俺はバイトに明け暮れるしかなかった。
当時の俺の精神状態は最悪。お金もないし、家族もない。信用していた人にも裏切られた。俺はだんだんやさぐれていった。
でも俺はこの時――セルジオに会ったんだ。これは俺の人生を大きく変えた。いい方にも悪い方にも。
とりあえずいい方は、俺はセルジオに救われたということ。
俺をどん底から救ってくれたのがセルジオだった。
俺は夜、気持ちがどうしようもなくなるとギターを持って酒場をうろついていた。運が良ければセッションしてくれるやつに出会えるからだ。父に教えてもらって、俺自身もすごく好きな、唯一と言ってもいい特技。ゆきずりの人とギターを弾いていれば、その時だけは日々の苦しさを忘れられる気がしていた。
俺とセルジオが出会ったのも、そんな夜だった。
「お前ギターすげぇ上手いな!」
セッション相手を探して、適当に弾いているところに若い男の声でそう呼び掛けられた。顔をあげるとそれはを青年と呼べる若い男だった。高い鼻に切れ長の目。クールそうで、いかにも女ウケがよさそうなその男は俺の手元を覗きこんだ。
「なあ今のどうやって弾いたんだ?もう一回やってくれよ」
金髪碧眼が店から漏れでる光を反射して、まるでそいつ自身が光を放っているようだと思った。
「俺はセルジオ。お前は?」
一方的に喋るこの男に押されて思わず
「チハル」
名乗ってしまった。俺の返答を聞いたそいつは、にっと笑って俺の隣に腰を下ろしてきた。
「チハル、ね。アジア系だよな。何人?」
「人種的に言えば日本人。国籍的に言えばイタリア人。」
俺の返答にセルジオは鼻に皺を寄せて笑った。
「なんだそれややこしいなーお前。え、何歳?」
「17だけど」
「え、嘘だろ!同い年かよ!もっと若いと思ってた。すげぇな日本人」
「こっちの台詞だよ。もっと年上かと思った」
「え、それ老けてるってことかよ!俺は普通だぜ!チハルが若く見えすぎんの」
気づけば普通に会話していた。そんな自分に驚く。初対面で馴れ馴れしいほどなのに、セルジオは嫌味なく自然な態度で話しかけてきて、俺も自然に返していた。両親が死んでからまともに会話したのはいつぶりだろう。もしかしたらこれが初めてかもしれない。
「なあ、セッションしようぜ」
セルジオが自分の手に持っていたギターをくいっと傾けて言った。俺はそれを黙って受けた。
いざやってみると、セルジオはギターも歌もとても旨かった。それこそプロ並み。低い色気のある歌声に、確かなテクニック。俺も久々に興奮して、全力でセルジオに合わせた。気づいたら俺も大声で歌っていて。余り上手くないと思っているから普段は歌わないのだけれどそんなこと構わなかった。ただただ楽しくて、夢中で音楽に浸った。
最後の1音が消えると、周囲から拍手が沸き起こった。いつの間にか人だかりが出来ていた。夢中になりすぎてはぁはぁと上がった息をしながらセルジオの方を見た。向こうも俺の方を見ていて、目が、合った。
この時だ。俺の人生が再び回り始めたのは。俺の運命が変わったのは。
セルジオの唇の動きがやけにはっきり見えたのを覚えている。その上がった息も、声の少し掠れていたのも。
「なあ、いっしょにバンドやらないか?そんで世界目指そうぜ」
セルジオの目がまるでサファイヤのように綺麗で、その瞬間俺がそれに捕らわれたのも。
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