バースデーソング

せんりお

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 漂ってくる美味しそうな匂いに誘われて、俺はゆっくりと眠りから意識を浮上させた。目に飛び込んできたのは木目調の天井。あれ…俺の家、じゃない…

「どこだここ!」

まだ半分夢の中だったところから一気に覚醒する。ばっと飛び起きて状況確認、と思ったら頭が割れるように痛んで、くらくらと吐き気がした。そのせいで今度は前屈みになって頭を抱える。

「あ、目が覚めた?」

どこからか声がして、気配が近寄ってくる。

「頭痛い?やっぱり二日酔いかな」

耳に心地よい低く柔らかな声だ。その声の主を確認すべく俺はゆっくりと顔を上げた。

「…誰…」
 
思わず呟く。目に写ったのは見覚えのない男だった。すっと通った鼻筋に、薄めの唇。金色と茶色が混じった髪色は、彼の甘い顔立ちと雰囲気に妙に似合っている。

「記憶ない?大分飲んでたみたいだからね」

「あー、ちょっと待って。……多分、全部覚えてる」

俺の前にいる男を見覚えがないと思ったのは一瞬のことで、だんだんとあったことが思い出されてくる。確か俺は…Lumeとかいう店にふらふら入ってそれで…

「酒飲んで、愚痴って、潰れた?」

「正解」

そう言ってイケメンはからっと笑った。

「記憶は飛ばないタイプなの?」

「基本的には。あーほんとごめん。迷惑かけたようで…」

昨晩のことがありありとよみがえっていたたまれなくなる。俺の間違いじゃなければこの目の前の男はLumeの店主だったはずだ。





昨晩店に入った俺は、迷わずバーカウンターに向かった。店の中には数人掛けのテーブルがいくつかと、カウンターテーブルがあって、1人の俺はカウンターに座って酒を頼んだ。一杯目をぐっと煽って一気に飲み干す。その飲みっぷりに店内にいた客からひゅーっと口笛を吹かれた。

「いいねぇー!にいちゃんいい飲みっぷりだ!」

「そりゃどうも」

陽気に話しかけてきた髭面のおじさんに俺は不機嫌に返して、もう一杯を頼んだ。
確かこの時カウンターにいたのが今目の前にいる、この男のはずだ。

「どうしたよ、荒れてるなー!話くらいは聞いてやるぜ。こっちこいや!」

にかっと笑って店の中心の大テーブルにおじさんに誘われて、その下心のない明るさと回りの客も含めたアットホームな雰囲気にほだされて俺はその誘いに乗った。
その後は…

「にいちゃんの失恋にかんぱーい!」

『かんぱーい』

「飲め飲め!飲んで忘れちまえ!」

人の失恋を肴に飲むおっさんたちに俺は恨みがましい目を向けながら、でも少し救われたような気分になっていた。変に同情されるよりここまで清々しくネタにされてしまった方がすっきりする。

「失恋なんか人生のスパイスにしちまえよ、若人!」

「人は失恋を経て大人になるもんだぜ!」

「そうだぞー失恋なんか若いうちしかできねぇんだ!もっとやっちまえ!」

良いことを言われてるのか、適当なことを言われているのか最早わからないが、豪快に笑い飛ばすおっさんたちにつられて俺も泣き笑いのように笑って、飲んで…




「いや、ほんとごめんなさい。散々失恋だとかどうでもいい愚痴ぶちまけた上にそのまま寝るとか」

「んー、まあ止めなかった俺たちも悪いし。それにどうでもよくないしね」

恋は世界の全てになり得るから、と詩的なことを言いながら爽やかに笑う男に頭が下がる。なんていいやつなんだこいつは。…ちょっと気障だけど。

「それに、嫌じゃなかった?あんな風に言われて。よくも悪くも開けっ広げな人たちだから…」

そんな風に言って眉を下げるので慌てて手を振って否定する。

「いや、それは全然っ、…むしろよかった。あのまま1人で飲んでるともうなんか死にそうな気分だったから」

そういった俺に男はふっと微笑んだ。

「そう?ならよかった。図らずも人命救助したのかな。あ、ちょっと待っててね」

そう言ってイケメンは唐突に階下へ下りていった。それを見届けてほっと息をつく。なんていうか…安心する笑顔をする人だな。雰囲気がすごく落ち着く。
頭痛は既に収まってきていて、酒に強い体に感謝する。
それにしてもここは…回りを見回す。あの店の上なのか?どうやらリビングのようで俺はソファの上にいる。ソファと言ってもとても大きくて男性が2人で座っても十分な大きさのものだ。とても広いリビングには大きな本棚がある。観葉植物もあって、それはあの男の雰囲気らしいなと思った。

しばらくして、とんとんと階段を上がってくる音がする。ドアが静かに開いた。同時にふわっといい匂いが広がって思わず空気を吸い込んだ。
と、同時にくぅっと俺のお腹が鳴った。いい匂いの元をのせたトレイをもった男がふふっと笑う。俺は恥ずかしくて赤面した。

「昨日の夜から食べてないからね。かれこれ12時間だ。そりゃお腹もへるよ」

え、と慌てて時計を見れば針は昼過ぎを指していて驚く。

「ほんとにごめん!」

さっきから謝ってばかりだ。

「いいよ。俺は失恋でぼろぼろの人を追い出すほど薄情ものじゃない。」

さらっとそう言ってソファの前のテーブルにトレイをのせた男に俺は思わず固まった。ぼろぼろ、ね。

「これ食べれる?消化にいいものにしてみたけど」

そう言ってスプーンを差し出されて咄嗟にそれを手に取る。目の前におかれていたのは美味しそうなポトフだった。

「え、いいの?」

「どうぞ。ここは料理店だしね」

その言葉と食欲をそそる匂いに押されて、俺は手を合わせて

「いただきます」

そう言った俺に驚いたような表情を向けた。あー、そっかうっかりしてた。いただきますは日本の文化だ。身に染み付いていて無意識に俺は言ってしまうのだが、初めて聞く人は驚くだろう。

「なんて言ったの?」

「日本語なんだけど、んー、感謝を表す言葉、かな。作ってくれた人や、命をいただくことへの感謝」

「へぇ。“いただきます”いい言葉だね」

そう言ってもらえると、もう日本人じゃないけどなんだか嬉しい。
俺がポトフを啜っている間、彼は黙って待ってくれていた。
ポトフのなかの野菜は程よくとろけていて、旨味が染み出してとても美味しかった。

「ごちそうさまでした。」

食べ終わりの挨拶もきっちりして、俺はスプーンをおいた。しばらくは何も食べる気力が沸かないだろうと思っていたのに、食べれてしまった。実際昨日も酒以外は受け付けなかったのに、匂いや見た目に刺激されて、一口含むと美味しくて、結局完食できた。

食べ終わって一段落つくと、男が質問してきた。

「君は日本人なの?」

「人種的に言えば日本人。国籍的に言えばイタリア人」

答えながらそういやいつかも同じような返答をしたなと思う。あれは確か、と思い出してはっとする。あれは…セルジオと出会った時だ。一気に心が重くなった。なんで自分で思い出したんだ俺は。

「そっか。2つの国を知ってるんだ。すごいね」

男の言葉にはっと意識を戻す。すごいね、か。なんか不思議な人だな。そんな感想を抱いた。
セルジオのことを考えるのを振り払うために俺からも質問する。

「ここは、あなたの家?」

「そう。店の上に住んでる」

「料理作れるんだ?ポトフすごい美味しかった」

「ほんと?嬉しいよ。俺の店は料理がメインの店なんだ。食べて飲める店」

続けて、そういえば、と男が言う。どうやら目をしっかり合わせて話をする人のようで、深い夜のような色の目にまっすぐ見つめられてさっきから何か落ち着かない。そんな目に見つめられながら男の言葉を待つ。

「名前、聞いてなかったね。聞いていい?」

「…ほんとだ。言ってなかったし聞いてなかった」

なんでそんな事忘れてたんだろう。意外な居心地のよさにうっかりしていた。

「ミヤセチハルです。なにもかもほんとにありがとう」

名乗るとともに頭も下げる。ちゃんとお礼を言ってなかったことに気づいたから。

「ニコラ・アスティです。素敵な言葉を教えてくれたからチャラです」

2人で改まってそんなことを言い合うのがなんとなくおかしくて思わずふふっと笑がこぼれた。ニコラをみると彼も笑っていて、2人でしばらく笑っていた。











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