バースデーソング

せんりお

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「ほんとにお世話かけました。ありがとう」

店の前まで見送ってくれたニコラに何度もお礼を言って別れた。
ニコラは

「大丈夫だよ。また来てくれると嬉しい」

と言うから絶対にくると約束して店を後にした。実際、そんなことを言われなくてもまたこの店に来ただろうなと思う。それほどに俺はこの店と、ここにいる人たちを一晩で気に入ってしまった。
Lumeはニコラが始めた店らしい。若いのにすごい。29歳だと言っていた。それを聞いたとき、タメ口を焦った俺にそっちの方が俺も楽だからそのままでいいよ、と笑ってくれた。すごいのに懐も深いとか出来すぎたやつだ。


しばらく重いままだろうなと思っていた俺の心は予想よりは少し軽い。きっとLumeのおかげだろう。ニコラに教えてもらった大通りまでの道をたどりながら思う。
来たときは細い路地を通ったけれど、実は見知った大通りまで割りと近く、道も一本道だということを知って驚いた。あの時の自分の動揺具合がうかがえる。

俺はゆっくりと歩いて自宅に帰った。
明日からセルジオとレコーディングが始まる。それまでになんとか普通に話せるようにならなければ。




自宅に帰ってドアを開けると、セルジオに会うために服を何度も選び直した形跡が残っていて立ち竦んだ。Lumeのおかげで持ち直していた気持ちが、急降下していく。

「とりあえず片付け…」

しなければならないことをあえて口に出して実行する。そうしなければずっとそこに立ち尽くしてしまいそうだった。


服を全て片付け終わって、コーヒーを入れて一息ついた。俺はブラックで飲むのが好きだけど、今日はなんとなくミルクを入れてみた。ぼんやりとそれを飲んでいると、ふとセルジオが言った言葉を思い出す。俺がブラックを飲んでいると、似合わねーと笑っていたことを。あいつは顔に似合わずいつも砂糖とミルクを入れて飲む。
……ダメだ。今は何をやってもセルジオのことにいきついてしまう。生活の全てが思い出に結び付く。それほどまでに俺とあいつは毎日一緒にいるし、それほどまでに俺はあいつが好きだ。いや、でも…もう過去形にしなければならない。いつまでも引きずる自分の女々しさにいい加減嫌になる。
目尻にじわっと涙が浮いてきて、俺は慌ててバスルームに飛び込んだ。頭から熱いシャワーを浴びながら俺は声を出して涙を流した。泣いたのはいつぶりだろう。涙も声もシャワーがかき消してくれる。嗚咽を堪える方法もわからなくて、無様に喉を鳴らしながらぼろぼろ涙を落とした。溢した涙はお湯に混じって排水溝へ流れていった。俺の想いも涙と同じように、回りと紛れてその姿をなくして、そして、消えてしまえばいいのに――



もう涙が出なくなるまで泣いてからバスルームを出た。鏡を覗くと目は真っ赤で、これから腫れることが予想された。その上喉はからからだし、泣きすぎたせいで頭はぼーっとしている。でも、存分に泣いたせいか少しすっきりした気分だった。今日はもう寝てしまおう。何も考えずにいたい。俺はそのままベッドに潜り込んだ。







次の日のレコーディングは散々だった。
ギターは日頃の弾き込みのたまものでなんとかなった。自分の努力に感謝する。
でも、ダメだったのは歌だ。今日のレコーディング曲がよくなかった。恋愛ソングだったのだ。絶好調のセルジオと対照的に俺はどうしても気持ちを上手く乗せることが出来ずに、何度も録り直しをさせてしまった。
メンタルが音楽にがっつり影響してしまう自分の未熟さを痛感する。


レコーディング終わりに1人で項垂れて落ち込んでいると、頭上から声が降ってきた。

「チハル!お疲れ」

「セルジオ、お疲れ」

顔を上げるとセルジオが缶コーヒーを片手に立っていた。ほらよ、とそれを投げ渡されて受け止めた。

「大丈夫か?」
 
「…何が?」

問い返すとセルジオは自分の目元をとんとんと叩いた。その仕草にはっとする。昨日さんざん泣いたおかげで俺の目元は少し腫れぼったい。それをセルジオは目敏く気づいていたのだ。

「…昨日泣ける映画見ちゃってさ。ほんとごめん」

大丈夫だから、となんとか笑ってみせる。

「そうか?ならいいけど…」

明日は午後からだからな、ゆっくり休めよ。そう言ってセルジオは帰っていった。俺は近くにあった椅子に撃沈する。なんとか態度は繕っていたはずなのに、バレていて心配をかけた。その上――

「諦めてようとしてんのになぁ」

小さな声で呟く。恋心を忘れようとしてるのに…ちょろい俺は缶コーヒー1つで揺すぶられる。

「馬鹿だな」

自分で自分にそう言い聞かせるように言葉を発して、勢いをつけて立ち上がった。
なんだか真っ暗闇に1人取り残された気分だ。光を失って、出口がどこにあるのかわからなくなって、その場から動けない。早くこの暗闇から抜け出したいのに。
でも、まだしばらくは自力で脱出することは無理そうだった。





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