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セルジオと、内面の動揺を隠して向かい合う術を身につけるのに3日かかった。
アルバムのレコーディングは毎日あって、毎日セルジオと顔を合わせている。そのことがいいのか悪いのか、俺は表面は普通に取り繕って会話出来るようになった。そのおかげでギターや歌への影響もそこまで心配せずによくなって安堵する。音楽は大好きだからちゃんとしたい。迷惑もかけなくて済むようになったことは本当によかった。
でも…俺の内面は正直限界だった。セルジオと心を取り繕って話すたび、俺の心は疲弊する。
それに、度々差し入れにアメリアさんが来るのだ。俺たちはアイドルじゃないし、交際はとんでもないことをしない限り自由だ。だから回りも歓迎ムードで、婚約者だということを周りに明かした2人は大いに祝福されている。アメリアさんが差し入れに来ると、セルジオはとても嬉しそうだし、そのおかげで収録も上手くいくので歓迎された。それに、俺やスタッフの分まで差し入れしてくれるアメリアさんの手料理はほんとうに美味しい。俺が素直に感想を言うと嬉しそうに微笑んでくれる。
そんなアメリアさんのことを少しでも嫌だと思う自分が心底嫌だ。素直に祝えない自分が嫌だ。自分はこんなに最低なやつだったのかと思い知らされる。
その日のレコーディングは朝から始まったのに、夜7時までかかって皆くたくただった。
「明日はオフです!ゆっくり休んで!特にセルジオとチハルはしっかり体を休めて万全な状態を保って」
マネージャーに言われて適当にはーいと返事をしてそそくさと帰る支度をした。待ち遠しかったオフだ。でも、オフだからこそ早く帰らないと…
「チハルー!明日オフだし久々にご飯でも行こうぜ」
ほら、言われると思った。セルジオが明るく声をかけてきた。今までの俺なら二つ返事で一緒に言っていただろう。でも今は
「ばっかお前オフだからこそアメリアさんといろよ!俺といてどうすんだよ。そんなんだったらすぐ愛想つかされるぞー!ってことで俺は帰る。お疲れ!」
一息で言いきって俺はスタジオを後にした。セルジオが何か言いたげな顔をしていたのを見ないふりをして帰る。
冗談っぽく言えていたらいいんだけど…
スタジオを出ると冬が始まったことを示すような冷たい風が吹いていた。ぶるっと震えて上着の襟をたてる。
「さっむ」
呟いて、早く家に帰ろうと家路に足を向けかけて、ふと思い付いた。
そういえばあれからLumeに行けていなかった。明日はオフだしいい機会だ。酒も飲みたいし。顔を出してみようと今度はそちらに向かって足を踏み出した。
暗い路地を歩くと、この前と同じように明かりが見えてきた。それに少しほっとして扉を開ける。
中を覗くと、そこは外よりもずっと明るくて、食欲をそそるようないい匂いが充満していた。
「いらっしゃい」
カウンターにいたニコラがすぐに笑顔を向けてくれた。上着を脱ぎながら店内に入る。カウンターに向かおうとすると声がかけられた。
「お、こないだのにいちゃんじゃねーか!今日は荒れてねぇな」
その声に聞き覚えがあって、声の主を確認すると、それは
「あー!あの時のおっちゃん!」
「おう!また会ったな!にいちゃんもここの常連の仲間入りかい?」
豪快にがはははと笑ったのは、初めてこの店にきたときに俺を大テーブルに誘ったあのおじさんだった。
「まあね。ここの料理が美味しくて」
「そうだろうそうだろう!こんな旨い料理出すパブは他にないぜ!」
まあこっちこいや!と誘われてちらっとニコラを見ると苦笑しながら頷いていたので俺は大テーブルのほうに向かった。前に見たことがある人も何人かいて、この人たちは常連なんだろうと思う。俺がテーブルにつくと自己紹介が始まった。俺を誘ったおっちゃんはマルコと名乗った。
「マルコ・ビオーニだ。そこの工場で働いてる。花の50歳!」
そのセリフに皆がどっと笑う。どうやらこのマルコさんがムードメーカーで盛り上げ役らしい。
周りが名乗ったのだから俺も名乗らなければならないだろう。これでもアーティストとしてそこそこ有名になったつもりだ。少し緊張しながら俺は口を開いた。
「えーっと、俺はミヤセチハルです。23歳」
「かーっ、若いねー!いいこった」
周りの感想はそんなもので、誰も名前に興味は示さなかった。それに少し拍子抜けしたが同時に安心もした。変に特別扱いされるよりよっぽどいい。…知名度がそれくらいだと思うとちょっと悲しくもあるけど。
一通り自己紹介が終わった時、はい、と酒を差し出された。見るとそれはニコラだった。
「ビールです。お待たせしました」
ニコッと微笑みならジョッキを渡してくれる。
「ありがとう」
受け取ってぐっと煽る。暖房で温まった体に、きんきんに冷えたビールは美味しかった。
「ねえねえ、ミヤセチハルって日本人だからチハルが名前?」
「そうそう。」
ニコラに聞かれて頷く。んー、じゃあ…とニコラが何か思案している。
「ねぇチハルって呼んでもいい?」
思案の末、笑顔でそう問われた。断る理由もないし、いいよと即答する。ニコラはそれに嬉しそうに笑って
「ありがと、チハル。俺のこともニコラでいいよ」
と言ってくれた。名前なんかでこんなに嬉しそうにされると戸惑う。
「よーしじゃあ俺たちもチハルだ!チハル!俺のことはマルコ様と呼べ!」
「ちょ、なんでマルコさんまで…!」
ニコラがなにか呟いていたがマルコさんの声にかき消されてしまった。
もうすっかり出来上がったおっちゃんたちが肩を組んでくる。あまり人付き合いが得意でない俺。その距離感のなさに、普段なら苛ついているところだろうが、何故かこの店の人たちは気にならなくて俺も自然とされるがままになっていた。
「はいはいマルコ様」
「おいマルコばっかずるいぞ!俺も美少年に様って呼ばれたい」
「美少年ってなんだよ、少年って年じゃないんですけど!」
少年呼びに少しショックを受けた俺が叫ぶと場は盛り上がって、もう収集がつかなくなった。
でも、それが楽しかった。
アルバムのレコーディングは毎日あって、毎日セルジオと顔を合わせている。そのことがいいのか悪いのか、俺は表面は普通に取り繕って会話出来るようになった。そのおかげでギターや歌への影響もそこまで心配せずによくなって安堵する。音楽は大好きだからちゃんとしたい。迷惑もかけなくて済むようになったことは本当によかった。
でも…俺の内面は正直限界だった。セルジオと心を取り繕って話すたび、俺の心は疲弊する。
それに、度々差し入れにアメリアさんが来るのだ。俺たちはアイドルじゃないし、交際はとんでもないことをしない限り自由だ。だから回りも歓迎ムードで、婚約者だということを周りに明かした2人は大いに祝福されている。アメリアさんが差し入れに来ると、セルジオはとても嬉しそうだし、そのおかげで収録も上手くいくので歓迎された。それに、俺やスタッフの分まで差し入れしてくれるアメリアさんの手料理はほんとうに美味しい。俺が素直に感想を言うと嬉しそうに微笑んでくれる。
そんなアメリアさんのことを少しでも嫌だと思う自分が心底嫌だ。素直に祝えない自分が嫌だ。自分はこんなに最低なやつだったのかと思い知らされる。
その日のレコーディングは朝から始まったのに、夜7時までかかって皆くたくただった。
「明日はオフです!ゆっくり休んで!特にセルジオとチハルはしっかり体を休めて万全な状態を保って」
マネージャーに言われて適当にはーいと返事をしてそそくさと帰る支度をした。待ち遠しかったオフだ。でも、オフだからこそ早く帰らないと…
「チハルー!明日オフだし久々にご飯でも行こうぜ」
ほら、言われると思った。セルジオが明るく声をかけてきた。今までの俺なら二つ返事で一緒に言っていただろう。でも今は
「ばっかお前オフだからこそアメリアさんといろよ!俺といてどうすんだよ。そんなんだったらすぐ愛想つかされるぞー!ってことで俺は帰る。お疲れ!」
一息で言いきって俺はスタジオを後にした。セルジオが何か言いたげな顔をしていたのを見ないふりをして帰る。
冗談っぽく言えていたらいいんだけど…
スタジオを出ると冬が始まったことを示すような冷たい風が吹いていた。ぶるっと震えて上着の襟をたてる。
「さっむ」
呟いて、早く家に帰ろうと家路に足を向けかけて、ふと思い付いた。
そういえばあれからLumeに行けていなかった。明日はオフだしいい機会だ。酒も飲みたいし。顔を出してみようと今度はそちらに向かって足を踏み出した。
暗い路地を歩くと、この前と同じように明かりが見えてきた。それに少しほっとして扉を開ける。
中を覗くと、そこは外よりもずっと明るくて、食欲をそそるようないい匂いが充満していた。
「いらっしゃい」
カウンターにいたニコラがすぐに笑顔を向けてくれた。上着を脱ぎながら店内に入る。カウンターに向かおうとすると声がかけられた。
「お、こないだのにいちゃんじゃねーか!今日は荒れてねぇな」
その声に聞き覚えがあって、声の主を確認すると、それは
「あー!あの時のおっちゃん!」
「おう!また会ったな!にいちゃんもここの常連の仲間入りかい?」
豪快にがはははと笑ったのは、初めてこの店にきたときに俺を大テーブルに誘ったあのおじさんだった。
「まあね。ここの料理が美味しくて」
「そうだろうそうだろう!こんな旨い料理出すパブは他にないぜ!」
まあこっちこいや!と誘われてちらっとニコラを見ると苦笑しながら頷いていたので俺は大テーブルのほうに向かった。前に見たことがある人も何人かいて、この人たちは常連なんだろうと思う。俺がテーブルにつくと自己紹介が始まった。俺を誘ったおっちゃんはマルコと名乗った。
「マルコ・ビオーニだ。そこの工場で働いてる。花の50歳!」
そのセリフに皆がどっと笑う。どうやらこのマルコさんがムードメーカーで盛り上げ役らしい。
周りが名乗ったのだから俺も名乗らなければならないだろう。これでもアーティストとしてそこそこ有名になったつもりだ。少し緊張しながら俺は口を開いた。
「えーっと、俺はミヤセチハルです。23歳」
「かーっ、若いねー!いいこった」
周りの感想はそんなもので、誰も名前に興味は示さなかった。それに少し拍子抜けしたが同時に安心もした。変に特別扱いされるよりよっぽどいい。…知名度がそれくらいだと思うとちょっと悲しくもあるけど。
一通り自己紹介が終わった時、はい、と酒を差し出された。見るとそれはニコラだった。
「ビールです。お待たせしました」
ニコッと微笑みならジョッキを渡してくれる。
「ありがとう」
受け取ってぐっと煽る。暖房で温まった体に、きんきんに冷えたビールは美味しかった。
「ねえねえ、ミヤセチハルって日本人だからチハルが名前?」
「そうそう。」
ニコラに聞かれて頷く。んー、じゃあ…とニコラが何か思案している。
「ねぇチハルって呼んでもいい?」
思案の末、笑顔でそう問われた。断る理由もないし、いいよと即答する。ニコラはそれに嬉しそうに笑って
「ありがと、チハル。俺のこともニコラでいいよ」
と言ってくれた。名前なんかでこんなに嬉しそうにされると戸惑う。
「よーしじゃあ俺たちもチハルだ!チハル!俺のことはマルコ様と呼べ!」
「ちょ、なんでマルコさんまで…!」
ニコラがなにか呟いていたがマルコさんの声にかき消されてしまった。
もうすっかり出来上がったおっちゃんたちが肩を組んでくる。あまり人付き合いが得意でない俺。その距離感のなさに、普段なら苛ついているところだろうが、何故かこの店の人たちは気にならなくて俺も自然とされるがままになっていた。
「はいはいマルコ様」
「おいマルコばっかずるいぞ!俺も美少年に様って呼ばれたい」
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でも、それが楽しかった。
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