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わいわいと無礼講に騒ぎながら更けていく夜は楽しかった。
長いこと組んでいた肩をやっと解放された隙に、休憩も兼ねて俺はカウンターに近づいた。大テーブルに人が集まっているため、今は無人のそこに腰を下ろす。この店では目の前で料理を作ってくれるようだ。ニコラが気づいて笑みをくれた。
「何か食べる?」
「じゃあちょっとだけ」
「りょーかい。待っててね」
ニコラが何か作ってくれるようなので、食べると返事をした。ニコラは手を動かしながらちらりと俺を見た。
「チハル、ちょっと見ないうちに痩せたね。ちゃんと食べてる?」
意外に鋭い目で見られてどきっとした。そしてそれが図星だったことにも。
「んー、まあ最近忙しくて」
忙しいのは本当だ。アルバムのレコーディングで毎日スタジオに籠っている。でも普段から食にあまり執着のない俺は、忙しくてあまり食べなくてもそこまで体重の増減はない。でも今回は少し違った。忙しい時に食べるゼリーやバーまでにも食欲がわかないからだ。どうにも体が受け付けなくて、少ししか食べられていない。心の方がいっぱいでお腹が減らないのだ。
「忙しくても少しは食べなきゃダメだよ。…食欲がわかなくてもね」
痩せたことを指摘され、ばつが悪くてジョッキが汗をかくのを見つめていた俺はその最後の言葉にぱっと顔をあげた。ニコラの真剣な視線にかち合って少し怯む。どうやら本当のところがバレているようだ。ニコラも俺の失恋を知っている。だからバレたのかな、と予想した。誤魔化したことが気まずくて目をそらした。逃がした視線を向けた先、マルコさんたちはさっきよりさらに盛り上がっている。それをそのままぼーっと見つめていると、とん、とテーブルが軽く鳴って俺は前に向き直った。目の前に料理がおかれていた。ほかほかと湯気をたてているのは、黄色くて綺麗な形に巻かれた…
「…え、玉子焼き?」
「そう、だし巻き玉子。食べられる?」
「いや、すごい好きだけど…」
疑問を抱きながらとりあえずいただきます、と手を合わせて皿と一緒に置かれていたフォークで割って口に運ぶ。柔らかくて口のなかで溶けるような食感。だしの旨味と卵の甘味がふわっと広がる。しばらく味わっていなかった味だ。
「なにこれ…すっげぇ美味しい」
「それはよかった」
ここのところ食欲がなかった俺が、ものの数分で完食してしまえた。優しい味が体に染み渡る。美味しい、ここ近年で1番美味しいかもしれない、のはいいんだけど…
「…ここは何料理の店なの?」
「なんでも、かな」
さらっと答えるニコラ。
「なんでもって」
「イタリア料理はもちろん。和食、フランス、スペインとかね。俺が作れるものはなんでも。後は要望があるものは作るよ」
「なんでそんなに作れんの…」
「いろんな人に教えてもらったからね」
何でもないことのように言われて、俺は改めてニコラをまじまじと見てしまった。30歳前に自分の店を持って、料理は半端なく美味しいし、しかも各国の料理もマスターしてるときた。
「ニコラって実は半端ない天才じゃん…」
ぼそっと呟くと、それを拾ったニコラはあはっと軽く笑った。
「そんなことないよ。っていうかそれを言うならチハルのほうが」
そこまで言ってニコラは、不自然にぶつっと言葉を切った。やってしまったというような顔をしている。
「俺のほうが?」
首を傾げて問うと少し目をそらして渋々というように続きを発した。
「…チハルの方が天才でしょ」
「何が?」
余計にわからなくて更に首を傾けた。
「ちょ、言うからっ言うからそれ以上首、傾けないで!痛めるよ!」
そう突っ込んでくるニコラを見て、やっと言ってくれるか、とにやっと笑って首を戻した。そんな俺にニコラは唇を尖らせている。なんだそれ…三十路手前なのになんか可愛いぞ…
「俺はチハルの方がすごいと思う。…歌とか、ギターとか」
今度は俺がその発言に固まった。ニコラは俺の反応を伺うように俺の表情を覗き込んでいる。
「え…」
歌とギター?それってlampflickerのこと?
「なんだよ!知ってたのか!?」
思わず声を上げてしまった。何も言われないからてっきりlampflickerのことを知らないのだと勝手に思っていた。でも実はそうじゃなくて、知ってたけど言わなかっただけってこと?
「知ってるよ。だってlampflickerだよ?むしろ知らない人の方が珍しいよ」
「いや、それはない、けど…知ってたなら言ってくれればよかったのに。いや、気遣いはありがたいんだけども…知らないふりされてもなんか恥ずかしい…」
俺のことを考えてくれてのことなんだろうけど、なんか様子を見守られてた感がすごく恥ずかしかった。
そう言うとまたニコラが言いにくそうに口を開いた。
「ファンだから騒ぎたい気持ちはあったんだけど、そういうの嫌かと思って言わなかったんだ。あと…」
あと?まだ理由があるのか?
さっきよりも更に言いにくそうなニコラ。それを焦れながら待った。
「んー、さっきのは建前で、実は俺がそうしたかったというか」
「ん?どういうこと?」
「最初にファンですって言うとどうしてもただのアーティストとファンの関係になっちゃうかなって。他の人ならそれでもいいんだけど…チハルと話してみてそれは嫌だって思ったから。普通に関係を作ってみたいなっていう俺の願望込みでした…」
少し顔を赤くしてそう言ったニコラに俺は机に撃沈した。ダメだ…ニコラに殺される…
「ごめん、ダメだった?」
不安そうに聞いてくる彼に、顔を上げられない。きっと今の俺の顔は真っ赤だろう。
「…ダメ、じゃないです…俺もそうしたいので」
突っ伏したまま答えると、ニコラがふふっと笑ったような気配がした。
「ありがとう、チハル」
そこでお礼とか…!しばらくは顔を上げられそうにない。
なんか俺、ニコラの手のひらで転がされてない?大丈夫?
たった一夜でがっつり掴まれた胃袋と友情はもう俺ではコントロール出来ない。自ら喜んでニコラの所に留まることを決めてしまった。ちょろすぎる俺…
長いこと組んでいた肩をやっと解放された隙に、休憩も兼ねて俺はカウンターに近づいた。大テーブルに人が集まっているため、今は無人のそこに腰を下ろす。この店では目の前で料理を作ってくれるようだ。ニコラが気づいて笑みをくれた。
「何か食べる?」
「じゃあちょっとだけ」
「りょーかい。待っててね」
ニコラが何か作ってくれるようなので、食べると返事をした。ニコラは手を動かしながらちらりと俺を見た。
「チハル、ちょっと見ないうちに痩せたね。ちゃんと食べてる?」
意外に鋭い目で見られてどきっとした。そしてそれが図星だったことにも。
「んー、まあ最近忙しくて」
忙しいのは本当だ。アルバムのレコーディングで毎日スタジオに籠っている。でも普段から食にあまり執着のない俺は、忙しくてあまり食べなくてもそこまで体重の増減はない。でも今回は少し違った。忙しい時に食べるゼリーやバーまでにも食欲がわかないからだ。どうにも体が受け付けなくて、少ししか食べられていない。心の方がいっぱいでお腹が減らないのだ。
「忙しくても少しは食べなきゃダメだよ。…食欲がわかなくてもね」
痩せたことを指摘され、ばつが悪くてジョッキが汗をかくのを見つめていた俺はその最後の言葉にぱっと顔をあげた。ニコラの真剣な視線にかち合って少し怯む。どうやら本当のところがバレているようだ。ニコラも俺の失恋を知っている。だからバレたのかな、と予想した。誤魔化したことが気まずくて目をそらした。逃がした視線を向けた先、マルコさんたちはさっきよりさらに盛り上がっている。それをそのままぼーっと見つめていると、とん、とテーブルが軽く鳴って俺は前に向き直った。目の前に料理がおかれていた。ほかほかと湯気をたてているのは、黄色くて綺麗な形に巻かれた…
「…え、玉子焼き?」
「そう、だし巻き玉子。食べられる?」
「いや、すごい好きだけど…」
疑問を抱きながらとりあえずいただきます、と手を合わせて皿と一緒に置かれていたフォークで割って口に運ぶ。柔らかくて口のなかで溶けるような食感。だしの旨味と卵の甘味がふわっと広がる。しばらく味わっていなかった味だ。
「なにこれ…すっげぇ美味しい」
「それはよかった」
ここのところ食欲がなかった俺が、ものの数分で完食してしまえた。優しい味が体に染み渡る。美味しい、ここ近年で1番美味しいかもしれない、のはいいんだけど…
「…ここは何料理の店なの?」
「なんでも、かな」
さらっと答えるニコラ。
「なんでもって」
「イタリア料理はもちろん。和食、フランス、スペインとかね。俺が作れるものはなんでも。後は要望があるものは作るよ」
「なんでそんなに作れんの…」
「いろんな人に教えてもらったからね」
何でもないことのように言われて、俺は改めてニコラをまじまじと見てしまった。30歳前に自分の店を持って、料理は半端なく美味しいし、しかも各国の料理もマスターしてるときた。
「ニコラって実は半端ない天才じゃん…」
ぼそっと呟くと、それを拾ったニコラはあはっと軽く笑った。
「そんなことないよ。っていうかそれを言うならチハルのほうが」
そこまで言ってニコラは、不自然にぶつっと言葉を切った。やってしまったというような顔をしている。
「俺のほうが?」
首を傾げて問うと少し目をそらして渋々というように続きを発した。
「…チハルの方が天才でしょ」
「何が?」
余計にわからなくて更に首を傾けた。
「ちょ、言うからっ言うからそれ以上首、傾けないで!痛めるよ!」
そう突っ込んでくるニコラを見て、やっと言ってくれるか、とにやっと笑って首を戻した。そんな俺にニコラは唇を尖らせている。なんだそれ…三十路手前なのになんか可愛いぞ…
「俺はチハルの方がすごいと思う。…歌とか、ギターとか」
今度は俺がその発言に固まった。ニコラは俺の反応を伺うように俺の表情を覗き込んでいる。
「え…」
歌とギター?それってlampflickerのこと?
「なんだよ!知ってたのか!?」
思わず声を上げてしまった。何も言われないからてっきりlampflickerのことを知らないのだと勝手に思っていた。でも実はそうじゃなくて、知ってたけど言わなかっただけってこと?
「知ってるよ。だってlampflickerだよ?むしろ知らない人の方が珍しいよ」
「いや、それはない、けど…知ってたなら言ってくれればよかったのに。いや、気遣いはありがたいんだけども…知らないふりされてもなんか恥ずかしい…」
俺のことを考えてくれてのことなんだろうけど、なんか様子を見守られてた感がすごく恥ずかしかった。
そう言うとまたニコラが言いにくそうに口を開いた。
「ファンだから騒ぎたい気持ちはあったんだけど、そういうの嫌かと思って言わなかったんだ。あと…」
あと?まだ理由があるのか?
さっきよりも更に言いにくそうなニコラ。それを焦れながら待った。
「んー、さっきのは建前で、実は俺がそうしたかったというか」
「ん?どういうこと?」
「最初にファンですって言うとどうしてもただのアーティストとファンの関係になっちゃうかなって。他の人ならそれでもいいんだけど…チハルと話してみてそれは嫌だって思ったから。普通に関係を作ってみたいなっていう俺の願望込みでした…」
少し顔を赤くしてそう言ったニコラに俺は机に撃沈した。ダメだ…ニコラに殺される…
「ごめん、ダメだった?」
不安そうに聞いてくる彼に、顔を上げられない。きっと今の俺の顔は真っ赤だろう。
「…ダメ、じゃないです…俺もそうしたいので」
突っ伏したまま答えると、ニコラがふふっと笑ったような気配がした。
「ありがとう、チハル」
そこでお礼とか…!しばらくは顔を上げられそうにない。
なんか俺、ニコラの手のひらで転がされてない?大丈夫?
たった一夜でがっつり掴まれた胃袋と友情はもう俺ではコントロール出来ない。自ら喜んでニコラの所に留まることを決めてしまった。ちょろすぎる俺…
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