13 / 81
2
鎮まり給え~衛人~(2-6)
しおりを挟む
あのときから、希望に満ちた衛人の未来は、絶望の色に変わった。そうして、だんだんと就職活動をためらうようになり、その不安と焦り、絶望を抱えたまま、暇さえあればコンビニのアルバイトのシフトを入れ、労働に勤しんだ。そうすることでしか、心の平穏を保てなかったからだ。しかし、そのおかげで、アルバイト先のコンビニの店長が声をかけてくれた。
「店長はね、本当にいい人なんだ。就活しなくなった俺をいつも心配してくれて、どこにも就職しないなら、気持ちが決まるまでここにいればいいよって言ってくれてさ」
「優しい方なんですね」
「うん。感謝してもし足りないよ。俺を社会人にしてくれたのは、あの人だったから」
たぶん、店長は気付いていたのだろう。衛人がなにかしら悩みを抱えていて、それが原因で就職しなかったことに。けれど、根掘り葉掘り、その理由を聞いてくるわけではなく、ただ、居場所を作ってくれた。
衛人がすべてを話し終わったとき、太陽はちょうど山の向こうに沈んだところだった。あたりは真っ暗になってしまって、衛人は立ち上がる。
「――とまぁ、こんな感じ。これが、俺の中にある、重くて黒いものの正体だよ」
そう言って、部屋の明かりを点けた。すると、千里はむくっと立ち上がり、衛人に近づいてくる。大柄な体が迫ってきて、衛人が思わず身構えると、彼は衛人の腕を掴んで強引に引き、強く抱きしめた。
「な……っ、千里、どうしたん――」
「衛人さん。話してくれて、ありがとうございます……」
千里はそう言って、もう一度強く、ぎゅうっと抱きしめてくれる。そのとき、ほんのりと甘い花のような香りがして、衛人は笑みをこぼした。彼はやはり、人間らしくない。ここが避暑地で、山奥だとしても、今は夏。日中は三十度に近くなる。そこで一日中、汗水流しながら、作業をしていたにもかかわらず、男くさい汗のにおいなんか、彼の体からはこれっぽっちもしないのだから。
いい匂い……。本当に不思議なヤツだな、千里は……。
「……ううん。俺のほうこそ、聞いてくれてありがとうな」
そう言うと、千里はより強く、衛人の体を強く抱きしめた。気の弱そうな彼には、あまりに似つかわしくないその力の強さには、密かに驚かされながら、彼の優しさが嬉しかった。こうしていると、心がだんだんと温かくなって、長く枯渇していたものが、満ち溢れていくような心地がする。だが、その一方で、深くまで彼の温もりに浸ってしまうことが少し怖かった。
千里は誰にでもこういうことするのかな……。興味が湧いた人間には、誰にでも触れて、そいつの感情を読み取って、こんなふうに……。
抱きしめるのだろうか。人の心の、一番深いところに入り込んで、優しく慰めるのだろうか。だが、そうしながら相手に惚れられ、迫られると、途端にそんな気はないのだと、逃げてしまうのかもしれない。衛人は確かな胸の高鳴りを感じながら、千里の体に腕を回して、すがるように抱きしめて返した。
俺がいつか千里を好きになって、求めたとしたら……。千里はどうするだろう……。また、今までと同じように、俺からも離れていくのかな……。それとも――……。
この家を出て、また、人のいない空き家にでも住みつくのだろうか。あるいは、この家に居候させてもらう代償として、自らの体を差し出すのだろうか。そんなことを考えながら、千里の胸で深くため息を吐く。もう恋なんかしないと、あのとき強く誓ったはずなのに、今は出会ったばかりのこの男を離したくないと思っている。
まずいな、この感じ……。まさか、俺……、もう千里のこと、好きになり始めてるんじゃ……。
もし、衛人が色香にかかってしまっていて、千里を愛してしまったら。千里にそれを気付かれたら。始まったばかりのこの関係は、間違いなく破綻する。どちらにしても、衛人は千里を傷つけることになるだろう。けれど、衛人はそれを望んでいない。衛人は彼を守りたいのだ。
好きでもない男に、代償として抱かれたりしたら、その傷は下手をすれば、彼の人生を変えてしまう。色香にかかった衛人から逃げ出したとしても、きっと失望させるのだろう。「お前を好きにはならないよ」と約束して、やっと心が落ち着く居場所を見つけたというのに、わずか数日でまた、サバイバル生活に逆戻りしなければならないのだから。
千里を傷つけたくない……。悲しませたくない……。
千里には、ここに――そばにいてほしい。できれば、この家でふたりで、ずっと一緒に暮らせたらいいのに――と、今、衛人はそんな淡い期待まで持ち始めている。けれど、この感情はおそらく妖力によるものだ。千里への好意はまやかしのようなもので、彼がこんなにも優しいのも、可愛らしいのも、人の心を虜にしてしまう半妖だからなのだろう。衛人は今、妖怪のまやかしに囚われているようなものなのかもしれない。
そうだ……。だから、きっと。これは恋じゃない。全部まやかしなんだから。
衛人はそう自分に言い聞かせ、千里の温もりから静かに離れた。
「店長はね、本当にいい人なんだ。就活しなくなった俺をいつも心配してくれて、どこにも就職しないなら、気持ちが決まるまでここにいればいいよって言ってくれてさ」
「優しい方なんですね」
「うん。感謝してもし足りないよ。俺を社会人にしてくれたのは、あの人だったから」
たぶん、店長は気付いていたのだろう。衛人がなにかしら悩みを抱えていて、それが原因で就職しなかったことに。けれど、根掘り葉掘り、その理由を聞いてくるわけではなく、ただ、居場所を作ってくれた。
衛人がすべてを話し終わったとき、太陽はちょうど山の向こうに沈んだところだった。あたりは真っ暗になってしまって、衛人は立ち上がる。
「――とまぁ、こんな感じ。これが、俺の中にある、重くて黒いものの正体だよ」
そう言って、部屋の明かりを点けた。すると、千里はむくっと立ち上がり、衛人に近づいてくる。大柄な体が迫ってきて、衛人が思わず身構えると、彼は衛人の腕を掴んで強引に引き、強く抱きしめた。
「な……っ、千里、どうしたん――」
「衛人さん。話してくれて、ありがとうございます……」
千里はそう言って、もう一度強く、ぎゅうっと抱きしめてくれる。そのとき、ほんのりと甘い花のような香りがして、衛人は笑みをこぼした。彼はやはり、人間らしくない。ここが避暑地で、山奥だとしても、今は夏。日中は三十度に近くなる。そこで一日中、汗水流しながら、作業をしていたにもかかわらず、男くさい汗のにおいなんか、彼の体からはこれっぽっちもしないのだから。
いい匂い……。本当に不思議なヤツだな、千里は……。
「……ううん。俺のほうこそ、聞いてくれてありがとうな」
そう言うと、千里はより強く、衛人の体を強く抱きしめた。気の弱そうな彼には、あまりに似つかわしくないその力の強さには、密かに驚かされながら、彼の優しさが嬉しかった。こうしていると、心がだんだんと温かくなって、長く枯渇していたものが、満ち溢れていくような心地がする。だが、その一方で、深くまで彼の温もりに浸ってしまうことが少し怖かった。
千里は誰にでもこういうことするのかな……。興味が湧いた人間には、誰にでも触れて、そいつの感情を読み取って、こんなふうに……。
抱きしめるのだろうか。人の心の、一番深いところに入り込んで、優しく慰めるのだろうか。だが、そうしながら相手に惚れられ、迫られると、途端にそんな気はないのだと、逃げてしまうのかもしれない。衛人は確かな胸の高鳴りを感じながら、千里の体に腕を回して、すがるように抱きしめて返した。
俺がいつか千里を好きになって、求めたとしたら……。千里はどうするだろう……。また、今までと同じように、俺からも離れていくのかな……。それとも――……。
この家を出て、また、人のいない空き家にでも住みつくのだろうか。あるいは、この家に居候させてもらう代償として、自らの体を差し出すのだろうか。そんなことを考えながら、千里の胸で深くため息を吐く。もう恋なんかしないと、あのとき強く誓ったはずなのに、今は出会ったばかりのこの男を離したくないと思っている。
まずいな、この感じ……。まさか、俺……、もう千里のこと、好きになり始めてるんじゃ……。
もし、衛人が色香にかかってしまっていて、千里を愛してしまったら。千里にそれを気付かれたら。始まったばかりのこの関係は、間違いなく破綻する。どちらにしても、衛人は千里を傷つけることになるだろう。けれど、衛人はそれを望んでいない。衛人は彼を守りたいのだ。
好きでもない男に、代償として抱かれたりしたら、その傷は下手をすれば、彼の人生を変えてしまう。色香にかかった衛人から逃げ出したとしても、きっと失望させるのだろう。「お前を好きにはならないよ」と約束して、やっと心が落ち着く居場所を見つけたというのに、わずか数日でまた、サバイバル生活に逆戻りしなければならないのだから。
千里を傷つけたくない……。悲しませたくない……。
千里には、ここに――そばにいてほしい。できれば、この家でふたりで、ずっと一緒に暮らせたらいいのに――と、今、衛人はそんな淡い期待まで持ち始めている。けれど、この感情はおそらく妖力によるものだ。千里への好意はまやかしのようなもので、彼がこんなにも優しいのも、可愛らしいのも、人の心を虜にしてしまう半妖だからなのだろう。衛人は今、妖怪のまやかしに囚われているようなものなのかもしれない。
そうだ……。だから、きっと。これは恋じゃない。全部まやかしなんだから。
衛人はそう自分に言い聞かせ、千里の温もりから静かに離れた。
1
あなたにおすすめの小説
俺以外美形なバンドメンバー、なぜか全員俺のことが好き
toki
BL
美形揃いのバンドメンバーの中で唯一平凡な主人公・神崎。しかし突然メンバー全員から告白されてしまった!
※美形×平凡、総受けものです。激重美形バンドマン3人に平凡くんが愛されまくるお話。
pixiv/ムーンライトノベルズでも同タイトルで投稿しています。
もしよろしければ感想などいただけましたら大変励みになります✿
感想(匿名)➡ https://odaibako.net/u/toki_doki_
Twitter➡ https://twitter.com/toki_doki109
素敵な表紙お借りしました!
https://www.pixiv.net/artworks/100148872
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
聖女を演じた巻き添え兄は、王弟殿下の求愛から逃げられない
深嶋(深嶋つづみ)
BL
谷口理恩は一年ほど前、妹と一緒に異世界に転移してしまった。
聖女として魔術の才を開花させた妹・世奈のおかげもあって、二人はアルゼノール王国の大教会に保護され、不自由のない暮らしを送ることができている。が、最近は世奈の奔放さに理恩は頭を抱えることもあった。
ある日、世奈の仕事を肩代わりした理恩は、病に臥せっている幼い第二王子・イヴァン王子のもとに参じることに。
――「僕が大人になったら、僕の妃になってくれませんか」。
何度も謁見を重ねるうちに理恩に懐いた彼は、目の前の聖女が偽者であることに気付かぬまま、やがて理恩に求愛する。
理恩は驚き、後ろめたい気持ちを抱きながらも、「大人になっても同じ気持ちでいてくれたなら」と約束を交わした。
その直後、何者かの陰謀に陥れられた世奈の巻き添えとなり、理恩は辺境の地へと飛ばされてしまい……。
――数年後、アルゼノール王国を出て世界中を巡っていた理恩は、とある国で偶然、王弟・イヴァンと再会する。
傷心の旅をしているのだという彼は、どういうわけか理恩との交流を持ちたがって――?
妖精です、囲われてます
うあゆ
BL
僕は妖精
森で気ままに暮らしていました。
ふと気づいたら人間に囲まれてました。
でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。
__________
妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精
なんやかんやお互い幸せに暮らします。
精霊の港 飛ばされたリーマン、体格のいい男たちに囲まれる
風見鶏ーKazamidoriー
BL
秋津ミナトは、うだつのあがらないサラリーマン。これといった特徴もなく、体力の衰えを感じてスポーツジムへ通うお年ごろ。
ある日帰り道で奇妙な精霊と出会い、追いかけた先は見たこともない場所。湊(ミナト)の前へ現れたのは黄金色にかがやく瞳をした美しい男だった。ロマス帝国という古代ローマに似た巨大な国が支配する世界で妖精に出会い、帝国の片鱗に触れてさらにはドラゴンまで、サラリーマンだった湊の人生は激変し異なる世界の動乱へ巻きこまれてゆく物語。
※この物語に登場する人物、名、団体、場所はすべてフィクションです。
入社1ヶ月のワンコ系男子が、知らずのうちに射止めたのはイケメン社長!?
monteri
BL
CM制作会社の新入社員、藤白純太は入社1ヶ月で教育係の先輩が過労で倒れたため、特別なクライアントの担当を引き継ぐことになる。
そのクライアントは、女子禁制ミーハー厳禁の芸能事務所だった。
主人公の無知で純なところに、翻弄されたり、骨抜きにされるイケメン社長と、何も知らない純太がドキドキするお話です。
※今回の表紙はAI生成です
※小説家になろうにも公開してます
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
異世界オークションで売られた俺、落札したのは昔助けた狼でした
うんとこどっこいしょ
BL
異世界の闇オークションで商品として目覚めた青年・アキラ。
獣人族たちに値踏みされ、競りにかけられる恐怖の中、彼を千枚の金貨で落札したのは、銀灰色の髪を持つ狼の獣人・ロウだった。
怯えるアキラに、ロウは思いがけない言葉を告げる。
「やっと会えた。お前は俺の命の恩人だ」
戸惑うアキラの脳裏に蘇るのは、かつて雨の日に助けた一匹の子狼との記憶。
獣人世界を舞台に、命の恩人であるアキラと、一途に想い続けた狼獣人が紡ぐ、執着と溺愛の異世界BLロマンス。
第一章 完結
第二章 完結
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる