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美しい供物~衛人~(8-2)
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次第に山道は険しく、急勾配になっていく。それに伴って、重力は増し、歩幅が小さくなっていく。息は切れ、全身には汗が滲んでくる。衛人は体力に自信があるほうだったが、舗装されていない、真っ暗で急な獣道を登るのは、なかなかにつらいものがあった。
「ええと……、昔、小耳に挟んだ噂じゃあ、この登山道の先の、大きなムクノキの根元に咲いてたというんだが……」
しばらくして、タヌキが言った。妖花があるとすれば、もう近いのかもしれない。そう期待する一方で、この真っ暗な山の中で、本当に見つかるのだろうか――という不安は消えない。現に今、周囲を見渡しても、地べたで光を放つ花らしきものは見えないのだ。
「ちなみにだけど……、タヌキはその噂、誰に聞いたの?」
衛人は息を切らしながら訊く。今はタヌキと妖花の情報だけが頼りなので仕方がないが、本来は噂を頼りにするというのは、あまり得策ではない気がする。しかもこれは、噂は噂でも、妖の噂なのだ。信ぴょう性のあるものとは到底思えないが、それ以外に案はまったく浮かばないので、衛人は藁をもすがる思いだった。ただし、その藁がたしかに藁なのかどうかくらいは、確かめたいところではあった。
「妖花のことは、レンに聞いたんだ。あいつ、おめえさんが小せえ頃、よくうちの庭に遊びに来ててなぁ。まだあんときゃあ、修行中だったはずだ」
「へえ……。仲よかったんだな」
「まぁ、悪くはないな。なんだかんだ言って、おいらも、もうこの山に棲んで三十年近くになるだろ。その分だけ、付き合いがあるってもんだ」
修行中の狐。それを聞いて、衛人の脳裏には夕べ、神社にたくさんいた小さな狐たちの姿を思い出す。レンも昔は、ちょうどあんな感じだったのかもしれない。
三十年来の友だちか……。
しかし、タヌキの友人だったとしても、衛人はあのレンという九尾の使いに、いまだいい印象を持っていなかった。千里の話では、レンがはじめて徳治の家にやってきた日、勝手に家の中に入ろうとしていたらしいし、千里のことを、はみ出し者だの、中途半端だのと言って、蔑んだからだ。
それでも今は、レンの話したことを信じてみようと、衛人は思っている。彼は鳥居まで見送ったあと、九尾が美しいものに目がないことを教えてくれたからだ。もっと言えば、そのあと「千里の強い想いに心が震えた」と話していたのには、驚きもした。あのときの目に、きっと嘘はない。
「いけ好かねえヤツだと思ってたけど、そんなに悪いヤツじゃないのかもな」
「そうさ、悪いヤツじゃねえ。だが、九尾さまんとこでちょっと偉くなってからは、多少、調子に乗ってるかもな」
それを聞いて、笑みをこぼす。衛人は昔、修行中だった頃のレンを知らないが、きっと、タヌキの予想はばっちり当たっているのだろう。はじめて会ったときのレンは、どう思い返しても、性悪だった。人も妖も、姿かたちは大きく違っていても、案外と中身はあまり変わらないものなのかもしれない。出世したらちょっと天狗になったり、性悪になったりすることもあるのだろう。ただし――。
なんでだろう。千里だけはそういうのないっていうか……、特別な気がするんだよな……。
ふと、そんなことを思う。千里の表情や反応は、まるで純真無垢な子どものようだ。どんなに年を重ねても、彼の純粋さは変わらないような気がする。彼と接していると、衛人はいつも決して濁らないガラス玉を覗いたときのような気持ちになるのだ。とても繊細だが、決して濁らない。そんな純粋さが彼にはあった。
――衛人さん!
穏やかで優しい千里の声が、脳内に響く。同時にはつらつとした彼の笑顔を思い出し、衛人は拳を強く握った。つい昨日、植えたばかりのポーチュラカに水まきをしたついでに、裸足で庭を駆けずり回ってはしゃいでいた彼は今、妖力を失って弱っている。九尾から妖力を取り戻さなければ、ずっとああして、病人のように暮らしていくのだ。きっと、今に本当に病人になってしまうだろう。
「千里の妖力だけは、なんとしても取り返すぞ……」
辺りを見回しながら、自分に言い聞かせるようにしてひとり言を呟く。足下の確認しながら、前へ前へと進んでいく。真っ暗闇の登山道に恐怖感を持っても、家で待っている千里を想うと、その足取りは自然としっかりしてくるから、不思議なものだ。
そんな衛人を見て、なにか察したのだろう。タヌキは言った。
「おめえさんがそういう目をするようになったとはなぁ。大人になったもんだぁ」
「うるさい……」
「千里を好いてるのか?」
訊かれて、かあっと頬が火照る。同時に、全身が熱を持ち、ただでさえ汗ばんでいた体には、さらにぶわっと汗が噴き出た。夏とはいえ、標高六百メートルを超える山道は、冷たい夜風が吹いているというのに、今、衛人は熱くてたまらない。
「ええと……、昔、小耳に挟んだ噂じゃあ、この登山道の先の、大きなムクノキの根元に咲いてたというんだが……」
しばらくして、タヌキが言った。妖花があるとすれば、もう近いのかもしれない。そう期待する一方で、この真っ暗な山の中で、本当に見つかるのだろうか――という不安は消えない。現に今、周囲を見渡しても、地べたで光を放つ花らしきものは見えないのだ。
「ちなみにだけど……、タヌキはその噂、誰に聞いたの?」
衛人は息を切らしながら訊く。今はタヌキと妖花の情報だけが頼りなので仕方がないが、本来は噂を頼りにするというのは、あまり得策ではない気がする。しかもこれは、噂は噂でも、妖の噂なのだ。信ぴょう性のあるものとは到底思えないが、それ以外に案はまったく浮かばないので、衛人は藁をもすがる思いだった。ただし、その藁がたしかに藁なのかどうかくらいは、確かめたいところではあった。
「妖花のことは、レンに聞いたんだ。あいつ、おめえさんが小せえ頃、よくうちの庭に遊びに来ててなぁ。まだあんときゃあ、修行中だったはずだ」
「へえ……。仲よかったんだな」
「まぁ、悪くはないな。なんだかんだ言って、おいらも、もうこの山に棲んで三十年近くになるだろ。その分だけ、付き合いがあるってもんだ」
修行中の狐。それを聞いて、衛人の脳裏には夕べ、神社にたくさんいた小さな狐たちの姿を思い出す。レンも昔は、ちょうどあんな感じだったのかもしれない。
三十年来の友だちか……。
しかし、タヌキの友人だったとしても、衛人はあのレンという九尾の使いに、いまだいい印象を持っていなかった。千里の話では、レンがはじめて徳治の家にやってきた日、勝手に家の中に入ろうとしていたらしいし、千里のことを、はみ出し者だの、中途半端だのと言って、蔑んだからだ。
それでも今は、レンの話したことを信じてみようと、衛人は思っている。彼は鳥居まで見送ったあと、九尾が美しいものに目がないことを教えてくれたからだ。もっと言えば、そのあと「千里の強い想いに心が震えた」と話していたのには、驚きもした。あのときの目に、きっと嘘はない。
「いけ好かねえヤツだと思ってたけど、そんなに悪いヤツじゃないのかもな」
「そうさ、悪いヤツじゃねえ。だが、九尾さまんとこでちょっと偉くなってからは、多少、調子に乗ってるかもな」
それを聞いて、笑みをこぼす。衛人は昔、修行中だった頃のレンを知らないが、きっと、タヌキの予想はばっちり当たっているのだろう。はじめて会ったときのレンは、どう思い返しても、性悪だった。人も妖も、姿かたちは大きく違っていても、案外と中身はあまり変わらないものなのかもしれない。出世したらちょっと天狗になったり、性悪になったりすることもあるのだろう。ただし――。
なんでだろう。千里だけはそういうのないっていうか……、特別な気がするんだよな……。
ふと、そんなことを思う。千里の表情や反応は、まるで純真無垢な子どものようだ。どんなに年を重ねても、彼の純粋さは変わらないような気がする。彼と接していると、衛人はいつも決して濁らないガラス玉を覗いたときのような気持ちになるのだ。とても繊細だが、決して濁らない。そんな純粋さが彼にはあった。
――衛人さん!
穏やかで優しい千里の声が、脳内に響く。同時にはつらつとした彼の笑顔を思い出し、衛人は拳を強く握った。つい昨日、植えたばかりのポーチュラカに水まきをしたついでに、裸足で庭を駆けずり回ってはしゃいでいた彼は今、妖力を失って弱っている。九尾から妖力を取り戻さなければ、ずっとああして、病人のように暮らしていくのだ。きっと、今に本当に病人になってしまうだろう。
「千里の妖力だけは、なんとしても取り返すぞ……」
辺りを見回しながら、自分に言い聞かせるようにしてひとり言を呟く。足下の確認しながら、前へ前へと進んでいく。真っ暗闇の登山道に恐怖感を持っても、家で待っている千里を想うと、その足取りは自然としっかりしてくるから、不思議なものだ。
そんな衛人を見て、なにか察したのだろう。タヌキは言った。
「おめえさんがそういう目をするようになったとはなぁ。大人になったもんだぁ」
「うるさい……」
「千里を好いてるのか?」
訊かれて、かあっと頬が火照る。同時に、全身が熱を持ち、ただでさえ汗ばんでいた体には、さらにぶわっと汗が噴き出た。夏とはいえ、標高六百メートルを超える山道は、冷たい夜風が吹いているというのに、今、衛人は熱くてたまらない。
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