愛など要らない金さえあれば/愛が無いならせめて体だけでも/と最初は思っていた。

たいよう一花

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第17話 かりそめの夢/4

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「レネさん、お借りしたお金は、必ずお返しします。少しずつの返済で長い期間をお待たせすることとなりますが、どうかご勘弁ください」

「あ、いや、いいんです、そんな、どうか気にしないでください。お二人が健やかに幸せに暮らしていけるなら、それが何よりも嬉しい返済となります。お金のことは、全く気にしないでください」

 レネは慌ててそう言いながら、グレイをチラリと見た。
 レネはもとより、グレイが契約結婚の報酬をイアンの治療費に充てることは知っていた。だからグレイに渡した大金の使い道について尋ねたりはしなかったのだが、驚いたことにグレイの方から、打ち明けてくれたのだ。

 それは結婚生活が始まってから一週間ほどが経ったころのこと。グレイは、レネから受け取った報酬を親友の治療費に充てたことを話してくれた。そしてその親友――イアンには、大金の出所として「結婚相手が貯蓄を融通してくれた」と説明したと。それに加えて返済の必要はないと伝えたようだが、しかしイアンの方は、ただ受け取ることを良しとせず、金は借りたのだという認識で、マイペースでも返済する意思を固めていたようだ。
 それはレネにとっては初耳だし、そもそもあの大金は報酬としてグレイに渡したものなので、もとより返済の必要はないのだが、ここは普通の双夫を演じて話を合わせなければならない。そのため、レネは「こんな感じでいいか?」という問いかけを匂わせてチラリとグレイに視線を送ったのである。
 グレイはレネの意図に気付いたようで、微かに頷いた。そして気まずそうな表情を作り、レネに向かって口を開く。

「すまん、レネ。おまえは返さなくてもいいと言ってくれたが、額が額だけに、かえって二人に気を遣わせてしまって……少しずつでも返済を、ということになった。気を悪くしないでくれ」

 グレイとレネの結婚が契約によるものだということを、イアンとミケルは知らない。当然ながらそれは誰にも秘密にされている。周囲はみな、二人は出会ってすぐ恋に落ちて、スピード結婚をしたと思っているのだ。
 グレイとレネは結婚前に二人で相談して、人に訊かれたら同じことを答えられるように、「設定」を作り込んでいた。それに沿って、グレイは演技で、レネを愛するパートナーとして扱っているのだ。
 他人の前でそれを見せつけられる度、レネの心に刺すような痛みが走る。もやもやとした暗い影が胸に広がり、この関係が偽りだという事実に、心が悲鳴を上げる。

 そんな自分を、レネは嘲笑あざわらった。
 この契約結婚を持ち掛けたのは他の誰でもない自分自身だというのに、と。
 苦しむのは自業自得じゃないか、何を今更――と。
 
 そしてその苦しみは、イアンとの対面で更に深まった。

 グレイの愛を一身に浴び続ける、天使のように純真で可愛らしいイアン。
 今もグレイは、熱のこもった視線をイアンに注いでいる。
 視界の隅でその様子を捉えたレネは、燃え盛る嫉妬と羨望に、心も体も焼き尽くされてしまいそうな心地にひたすら耐えていた。
 表面上は笑みを湛えながら、中身にはどす黒い感情を抱え、この地獄の責め苦があと五分でも続けば、発狂してしまうという気すらした。
 
 そんなレネの気持ちに気付いたのかそれとも偶然なのか、イアンがハッとした様子で席を立つ。

「ミケル、僕忘れてた! 僕たちの写影しゃえいを撮ってもらうために影残屋えいざんやさんに予約を入れてたんだ! 大変、もう時間過ぎてる、行かないと!」

「ああ、そうなのか。それじゃあ、グレイ、またね。レネさん、失礼しますよ。また改めて、お礼に伺わせてください」

 イアンはこちらに向かって親しげに手を振ると、にっこり笑いながら去って行った。
 イアンを見送るグレイの眼差しを見たレネは、今まで繰り返し味わってきた絶望が、その鋭い切れ味を一層磨いて襲いかかってくるのを感じた。

 ――無駄だよ。グレイの心は手に入らない。ごらんよ、イアンのあの天真爛漫な美しさ、朝陽のような輝き。闇の中であがく、醜く汚れたおまえとは大違いだ。

 レネの中に潜むもう一人の自分が、そう囁きながら嘲笑あざわらう。

 レネにはもう、女神の祝福の力を使ってグレイの気持ちを覗く勇気は、残っていなかった。
 レネが女神から授かった「相手の最も大切なものが視える力」。それはいつも、残酷な事実をレネに突きつける。何度も、何度も、繰り返し。
 いつ覗いても、グレイの「最も大切なもの」は、イアンの笑顔だった。
 結婚してグレイと体を繋げ、仲を深めたあとも。何度も、何度も、繰り返し。現れるのは、イアンの笑顔。
 今度こそは、俺の顔が浮かび上がるかもしれない――そのレネの切望は、毎回、無残に砕かれた。
 最後に試したのはいつだったか。確か一週間ほど前のことだ。それ以来、レネはその力をグレイに対して二度と使わないと、決心した。

 ――こんな力、欲しくなかった。無駄な贈り物、残酷な祝福だ。

 レネはあろうことか女神に対してまで、恨み言を呟いた。
 こんな役に立たない贈り物を授けた女神に対して、怒りすら沸いてくる。
 「相手の最も大切なものが視える力」は、実際は役に立たないどころか、レネの仕事に大いに役立ってくれているというのに。
 魔道具師の仕事で客に接する度、レネにはその力を使って客が最も求めていることを知ることが出来た。それは彼が提示できる最適解を導き出すことに大いに貢献してきたのだ。
 しかしレネ自身が最も欲しいと思っているものは、決して与えてくれなかった。

 ――グレイの心が手に入らないなら、せめて体だけでも。

 体の繋がりがあれば、少しはこの恋情を慰め、鎮めることができるだろう――当初そう思っていたレネだったが、彼の予想に反して、飢えは深まり、乾きは一層広がった。

「レネ、どうした、茫然として。すまない、こんなところでイアン達に会うとは思いもよらなかった。気疲れしただろう、話を合わせてくれてありがとう」

 グレイから声を掛けられて、レネはハッと物思いから覚めた。

「いや、いいんですよ。……良かったですね、お友達、すっかりお元気になられた様子で」

「ああ。おまえのおかげだ、レネ。本当にありがとう」

 嬉しそうに微笑むグレイの、左目近くに残る大きな傷跡。それは幼いレネをかばってできた傷跡だ。レネは思わずその傷にそっと触れて、優しく撫でながら言った。

「俺の方こそ、本当にありがとう、グレイ。かりそめの……幻でも、夢を見ている間は……幸福だった……」

 悲しい微笑みを湛えてそう囁くレネの顔を、グレイはしばらくじっと見つめていた。レネの言葉の意味を測りかね、返答につまりながらも、そのグレイの瞳の奥には、確かにレネに対する愛情が宿っていた。それは長年の想い人であるイアンへの愛を越え、日増しに大きく育っていた。今やグレイの心は、レネへの恋情で張り裂けそうなほどだ。

 しかし絶望に囚われているレネに、それを感じ取る余裕は一切無かった。
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